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この日までの特別公開!興福寺・北円堂の四天王立像がお気に入り!
この日までの特別公開!興福寺・北円堂の四天王立像がお気に入り! 特別公開いっぱいのこの秋の奈良! 久しぶりの飛行機旅、新潟から伊丹空港に到着しました。 リムジンバスで奈良までいく前に、 空港のル・パンで朝食をいただくことに。 神戸の大好きな
先日、小雨が降る中、横須賀の浄楽寺に、3Dヴァーチャル発願体験に行ってきました。浄楽寺は、鎌倉時代初期の1189年に三浦一族の和田義盛夫妻が願主となって、運慶が造像した本尊阿弥陀三尊像とこれに随侍する不動明王像、毘沙門天像(国指定重要文化財)を代々受け継ぎ、約830年にわたり現在までその歴史を紡いでいるお寺です。全国で30数体といわれる仏師運慶の仏像のうち5体を、アクリル板なしに、まさに目の前で拝観することができます。#運慶 #鎌倉殿 #願いが叶う
願成就院の御朱印|運慶作の国宝仏|北条家の氏寺|鎌倉殿の13人(静岡県伊豆の国市)
所在地静岡県伊豆の国市寺家83−1宗 派高野山真言宗由 緒1189年、北条政子の父・北条時政が源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のために建立したお寺といわれています。北条三代(時政・義時・泰時)にわたって、次々と堂宇が建立され、伊豆屈指の大寺院
八幡山 宝袋寺(→神奈川県横浜市緑区十日市場町)は廃寺となった慈性寺の跡地にあり、江戸幕府開府前後の慶長年間(→1596年~1615年)に慈雲寺 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)の住職顕堂長察によって創建されたと伝わる曹洞宗寺院です。寺号は、この地で古い巾着袋が堀り出されたことに由来すると記されます。真偽の程は定かでありませんが、本尊の聖観音坐像は運慶(→東大寺南大門の金剛力士像などを彫った鎌倉時代を代表する...
放光山 宗泉寺(→神奈川県横浜市緑区北八朔町)は、江戸時代前期の元和年間(→1615年~1624年)に慈雲山 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)の住職顕堂長察によって開山されたと伝わる曹洞宗寺院です。江戸時代には本山・末寺の制により大林寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。八朔(はっさく)の地は、平安時代の承平年間(→931年~938年)に編纂された『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)の郷名にある「針折」が、戦国...
天照山 蓮乗院(れんじょういん→神奈川県鎌倉市材木座6丁目)は、天照山 蓮華院 光明寺の塔頭(→大寺院の中にある末寺)の浄土宗寺院ですが、創建は光明寺よりも古く、もとは「蓮乗寺」という独立した密教寺院で、鎌倉時代前期の1242(寛元元)年に佐助ヶ谷(さすけがやつ)にあった蓮華寺(れんげじ)が材木座に移され光明寺となったのち、その塔頭になりました。光明寺が移築されている期間、住職の良忠が蓮乗寺に寄留していたことから、以...
【鎌倉殿の13人】運慶が作った仏像が金沢文庫で11月27日まで展示。
「鎌倉殿の13人」では、北条時政、和田義盛の依頼を受けて仏像を彫ったり、修復したり、そして44話では義時のために12神像を制作している運慶。時折、義時の前に現れて義時の顔つきについて言葉をかけますが、相島一之さんが演じる運慶のひょうひょうと
雲長山 西光寺(→神奈川県川崎市麻生区黒川)は室町時代中期に西庵雲長が開基、修廣寺住職の孤岩伊俊が開山した曹洞宗寺院です。江戸時代には本山・末寺の制により夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)の末寺でした。本尊は釈迦如来像ですが、創建当時は観音菩薩が本尊だったようです。そのためか、境内には大きな石の観音像が建っています。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡黒川村の...
電車とバスで行ってみたその1:横須賀美術館特別展 運慶 鎌倉幕府と三浦一族
鋭い眼光がアイキャッチ さて美術館と言う柄でもないですが、当サイトで何度も取り上げている「鎌倉殿の13人」に関…