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鵠沼山 清光院 万福寺(→神奈川県藤沢市鵠沼神明3丁目)は鵠沼最古の寺院で、鎌倉時代中期の1245(寛元3)年に、親鸞(しんらん)の直弟子で関東六老僧の1人のである源海が開山・創建した浄土真宗大谷派(→東本願寺)寺院です。『新編相模風土記稿』には「寛元三年(→1245年)僧源海創建す、俗姓は安藤駿河守隆光、武州(→武蔵国)荒木住人なり」と記されていますが、「駿河守」というのは誤伝となります。当時の駿河守は伊具北条有時(→義時の...
昨日、作家の永井路子さんが亡くなられたという報道がありました。謹んで哀悼の意を表します。 永井さんといえば、やはり中世、特に鎌倉時代の作品ですよね。昨年の...
13.【三浦義村】 評価:75点/作者:暁太郎/ジャンル:歴史/出版:2006年 『三浦義村』は、清和源氏の累代の家人、三浦一族の嫡流、三浦義村の伝記書で…
出演者とスタッフに大感謝、泰時&トキューサ待ってます 2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の「グランドフィナーレ~『鎌倉殿』の最後の一日~」が12/27に放送された。ああもう、本当に終わってしまったんですね。予想できたこととはいえ、どっぷりロス中だ。 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a; b[a]=b[a] function(){arguments.currentScript=c.currentScript c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q []).pu…
さて本題の前にコロナに関する役立つ情報を新型コロナ 対策支援制度まとめ@Yahoo・Yahooによる支援制度の情報です。新型コロナお役立ちコーナー@首相官邸・首相官邸での各省庁の対策のまとめサイトです。新型コロナウイルス感染症について@神奈川県・神奈川県庁での
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回で1番注目したのは…義時の最後でしたね。義時さんをやったのは誰か⁉︎っていろんな説があるね1番疑わしいのが義時の継室のえ。…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回見ましたかぁ〜義時さんの最後、凄かったね〜こちらが最初の感想だね⬇️『『鎌倉殿の13人』悲しい最後』大河ドラマ…
再度鎌倉の大河ドラマ館を見学してきました。11月に模様替えされて、初期の頃とは異なる展示物も展示されていました。まだ純粋な青年だった頃の小四郎こと北条義時家族が和気あいあいだった頃の北条家この頃が懐かしいですね~出ました!平六こと三浦義村です!決して相談してはならないお方(^0^;)襟を正すと要注意(..;)源氏三代揃い踏み。いつの間にかお三方とも逝ってしまわれた(; ;)実朝くんの手には、演じた柿澤勇人さんが来館...
JR横須賀線「逗子駅東口」から徒歩3分、京急「逗子・葉山駅北口」から徒歩2分のところにある亀岡八幡宮古くは単に「八幡宮」と称せられましたが、昭和28年10月、宗教法人亀岡八幡神社として登録され神社本庁に所属しましたが、古くからの慣習で「亀岡八幡宮」と呼称されています。 亀岡の名称については、当社の境内は、公の地籍上「高畠」という小字になっており、なだらかな岡で、亀の背中のようであったというところから、鎌...
鎌倉の三浦一族ゆかりの地をまわってみました。源実朝を暗殺した公暁が、事件後目指した三浦義村の邸宅は、現在、鶴岡八幡宮の東側に位置する横浜国立付属鎌倉小・中学校となっています。三浦義村鎌倉前期の武将。義澄(よしずみ)の子。母は伊東祐親(いとうすけちか)の女(むすめ)という。駿河守(するがのかみ)。評定(ひょうじょう)衆。1199年(正治1)梶原景時(かじわらかげとき)排斥を策謀したのをはじめ、1213年(建保1)和田の乱...
鎌倉殿の13人 第48話(最終回)「報いの時」 ~承久の乱の顛末と北条義時の死~
さて、最終回。冒頭の徳川家康の登場には驚きましたね。たしかに、家康が『吾妻鏡』を愛読していたという話は事実です。三谷さんのアイデアかプロデューサーの企画...
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、最終回の放送が終わりました…泣いちゃったよオイラあまりにも悲しい義時の最後でした。さて…昨日の記事で義時を暗殺したのは誰か?を書…
いよいよ今夜、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が最終回です。あ〜まだまだ見たい気もするなぁ〜主人公、北条義時はどんな最後になるのか?『吾妻鏡』による義時の最後は元…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜第47話の感想ぉ〜2弾目だね、1弾目はこちら⬇️『感動した!尼将軍の大演説!』昨日の大河ドラマ「鎌倉殿の…
『承久記』によると、敗走した京方の藤原秀康、三浦胤義、山田重忠は最後の一戦を挑もうと院御所に駆けつけましたが、後鳥羽上皇は、彼らを見捨てて、門前払いにしました。山田重忠は「大臆病の君に騙られたわ」と門を叩き憤慨。後鳥羽上皇は幕府軍に使者を送り、この度の乱は謀臣の企てであったとして義時追討の院宣を取り消し、藤原秀康、三浦胤義らの逮捕を命じました。上皇に見捨てられ、失望した三人は洛南の東寺に立て籠もり...
【鎌倉殿の13人】迫力と愛のある小池栄子版の政子、記憶に長く残るだろう
待ってた政子の大演説、痺れました NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のラスト前47回「ある朝敵、ある演説」が12/11に放送された。ようやく用事を終えての帰りのバス移動中、NHK+をスマホで立ち上げたらちょうど政子の演説が始まる場面に間に合い、「おおお」と思わず声が出た。イヤホンを頼りに終わりまでを車中で揺られながら見て、帰宅してシャワー直行、そして録画を頭から見直した。 この大河ドラマを1年かけてここまで見てきて、最後に何が楽しみだったかと言えば、私の中では間違いなくこの北条政子の承久の変での演説だ。「草燃える」の岩下志麻版の政子のイメージも記憶に残っているが、小池栄子の政子の演説も肝の据わ…
木曽川を突破した幕府方の東海・東山両軍は、三浦義村の提案で、北陸勢の到着を待たずに、近江瀬田川まで進むことにしました。木曽川の惨敗を知った後鳥羽上皇は、比叡山の衆徒を頼り、順徳天皇や親王・近臣を伴い、近江坂本に移りました。後鳥羽上皇の日吉参り(承久記絵巻より)しかし、上皇の寺社抑制策が災いして、比叡山はこれを無視し、上皇は孤立してしまいました。雪の日の比叡山延暦寺根本中堂承久3年(1221年)6月9日、上...
小沢城(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目)は、鎌倉時代初期の御家人稲毛三郎重成(→小山田有重の子、北条時政の娘婿、畠山重忠の従兄弟)が築城し、嫡男の小沢小太郎重政がこの地の支配のために居城していました。鎌倉時代の武士は、所領(→本貫地)となる荘園を名字にしたため、親子兄弟で名字が異なることは珍しいことではありません。稲毛重成の弟は榛谷重朝(はんがやしげとも)・森行重・田奈有朝・小山田重親と全員異なる名字を名...
ポチっとお願いします♪ 初冬:はつふゆ 初冬、仲冬、晩冬と三区分した時の初めに当たるのが初冬。 大気はひんやりとしているけど、紅葉が残って
鎌倉殿の13人 第47話「ある朝敵、ある演説」 ~承久の乱勃発と政子の名演説~
遠縁ながらも源氏の血を引く摂関家の九条道家の子・三寅が次期将軍と決まり、三寅が幼少のあいだは北条政子が将軍を代行することになりましたが、三寅の4代目鎌倉...
北条義時追討の院宣!そのとき三浦義村は…?義村ゆかりの三浦市金田へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、北条義時追討の院宣!そのとき三浦義村は…?義村ゆかりの三浦市金田へ…です。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜ラストが近いねーってことで第46話の感想ぉ〜!実朝も公暁もいなくなり、源氏の血筋が途絶えた…と思ったら、…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜いよいよ雪の鶴岡八幡宮の階段だぁ〜ってことで第45話の感想ぉ〜!複雑な糸が絡んで、結果的に義時の思うとお…
承久の乱後、北条義時を筆頭とする、鎌倉の武家政権は、後鳥羽上皇の挙兵に参加した、畿内・西国の御家人達の守護職を次々と解任すると、新たに東国の有力御家人を任命…
最近で言えば、土方歳三さんを演じた役と言えば、山本耕史さん(大河ドラマ「新選組!」) 今は、「鎌倉殿の13人」で北条義時の盟友の三浦義村役でも活躍されていますね。岡田准一さん(映画「燃えよ剣」)町田啓太さん(大河ドラマ「青天を衝け」)などイ
【鎌倉殿の13人】実朝暗殺。義村の本心を知り、義時の闇が深まった
「聖なる儀式」の中、天使の実朝は天命に従う NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、11/27に三代将軍実朝の悲劇的最期を描く第45回「八幡宮の階段」を放送した。 最近は主人公に同情たっぷりの家族に引きずられて見ていたせいか、物語は重かった~とにかく重かった。最後の心の拠り所・三浦平六義村にも殺されそうになったと知った我らのダークヒーロー北条義時の絶望。最後の方はもう人間味を完全に失ったロボット顔に変貌し、血の通わない無機物的な、故に迷いがあるはずがない顔になっていた。「かわいそうで仕方ない」と家族は同情しきりだ。 さて、今回描かれた実朝暗殺。まずは源仲章が「寒いんだよ」と出色のセリフを吐いて絶…
【鎌倉殿の13人】三浦義村の「襟を直すクセ」は13話、21話、31話、44話で見れます。言葉と思いと別の時に出るクセ。その深層心理は?三浦義村の本音はどこにあるのかを考察します。義時に完全に見抜かれているクセ。盟友二人の関係はどうなるのか。
鎌倉殿の13人 第45話「八幡宮の階段」 ~源実朝暗殺事件~
建保7年(1219年)正月27日、半年前と同じ鶴岡八幡宮で、源実朝の右大臣拝賀の儀が行われる運びとなりました。その日、昼は晴れていたものの、夜になって雪が...
雪の日の惨劇を糸引いた者…三浦義村は北条義時の盟友か?それとも…
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。今日の夢中は、雪の日の惨劇を糸引いた者…三浦義村は北条義時の盟友か?それとも…永井路子「つわものの賦」です。「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたのお気に入りの一冊を見つけてみませんか?
鎌倉にわずかに残る公暁の跡「鶴岡二十五坊跡」実朝暗殺の真犯人は誰か?
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、鎌倉にわずかに残る公暁の跡「鶴岡二十五坊跡」実朝暗殺の真犯人は誰か?です。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜やはりと言うか、そうなるよねと言うかって感じだねってことで第44話の感想ぉ〜いきなり…白い犬と義時…なん…
1221年(承久三年)6月14日、北条泰時は、宇治川の渡河の苦戦状況を見ると、長男の北条時氏を招き寄せ、速やかに川を渡って、敵の陣中に入れと命じた。 時氏は…
鎌倉殿の13人 第44話「審判の日」 ~実朝の昇進と義時の薬師堂建立~
後鳥羽上皇の皇子を次期将軍に迎えることが内定すると、上皇は現将軍の源実朝を驚異的なスピードで昇進させました。建保6年(1218年)1月13日に権大納言、...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜先には悲劇が…ドキドキするねってことで第43話の感想ぉ〜!!今回ほど三浦義村の悪い顔を見たことがありませ…
政子は実朝に付き、反義時を鮮明に NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は11/13に第43回「資格と死角」を放送した。政子が上洛して談判に成功し、第三代鎌倉殿の実朝が後継者を京から迎える話が現実味を増したことで、実朝&政子の喜びをよそに不穏な空気が漂った。 政子は前42回「夢のゆくえ」で、「頼家のようなことにならないと良いのだけど」と実朝を心配していた。他方、義時は「これ以上、西を大事にすれば坂東の御家人全てを敵に回します。あの御方に頼家様のようになってほしくないのです」と政子に脅しをかけ、実朝が表を退き政は宿老に任せるよう、警告していた。 その後、政子は一旦は「生き急ぐことはない、ゆっくりと時…
唐船建造の失敗などはあったものの、建保年間の幕政は安定していました。しかし、ただひとつ、大きな問題を抱えていました。将軍・源実朝の後継者問題です。建保5...
1221年(承久三年)5月22日、北条泰時の決死の出撃の同日中に、北条時房、足利義氏、三浦義村、義村の息子の泰村が、出撃した。 また、「北陸道の大将軍」とし…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜今回も涙無くしては見れなかったね〜ってことで第14話の感想ぉ〜!和田義盛が御所に行っている間に出陣してし…
権力闘争の中で爪を研ぐ…三浦義村の本当の顔とは?鎌倉・横須賀ゆかりの史跡めぐり
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、権力闘争の中で爪を研ぐ…三浦義村の本当の顔とは?鎌倉・横須賀ゆかりの史跡めぐりです。
鎌倉殿の13人 第41話「義盛、お前に罪はない」 ~和田合戦~
建暦3年(1213年)5月2日、和田義盛が兵を挙げました。『吾妻鏡』によれば、八田知重(知家の息子)が義盛の館に兵が集合していることを大江広元に通報した...
【鎌倉殿の13人】と【草燃える】比較。三浦義村(山本耕史)と伊東祐之(滝田栄)の変化について考察しました。
【鎌倉殿の13人】と【草燃える】比較。三浦義村(山本耕史)と伊東祐之(滝田栄)の変化を義時と対比しながら図で表して考察します。義時(小栗旬)が闇落ちしていくのに対して外見も衣装も全く変わらない三浦義村(山本耕史)の今後の描かれ方を予想します。
第二の執権となった北条義時は、姉の北条政子とともに、三代将軍・源実朝を補佐していましたが、建暦3年(1213)、 信濃の武士・泉親衡(いずみちかひら)が、比企一族の残党を集め、二代将軍・源頼家の遺児・千手丸を擁立して謀反を企んでいることが発覚。この計画に和田義盛の子や甥が加担していていたことが判明。義盛は実朝に息子と甥の赦免を願い出て、息子は許されましたが、甥の胤長は、罪人としての侮辱を受けた上で配流となり...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」見てますかぁ〜今日は、えいたろうの旅行記はお休みで「鎌倉殿の13人」第40話の感想ぉ〜和田義盛…とっても面白い「俺に免…
1221年(承久三年)5月19日、東国の御家人達が、北条政子の邸宅に参集した。 押松を捕らえたのは、午後六時過ぎのため、夜半であったと考えられる。 北条義時…
1221年(承久三年)5月16日、後鳥羽上皇は、院の下部、押松に院宣を託し、鎌倉へと向かわせた。 しかし、その前日の5月15日、京都守護の伊賀光季が、討伐前…
「義経帰る!」と題した源義経のコーナーがありました。義経役の菅田将暉さんが着用した鎧従来の正統派・義経とは違って、かなりエキセントリックな義経でしたが、物語にインパクトを残しました。...
【鎌倉殿の13人】三浦義村の名言から知る”処世の術”と山本耕史さんの演技に魅了されます。
【鎌倉殿の13人】三浦義村の名言から知る”処世の術”と山本耕史さんの演技に魅了されます。口説いたのは八重、亀、巴、トウまで。じいさん三段活用は山本耕史のアドリブだった。外見も変わっていく義時に対して、実朝の暗殺を契機に三浦義村がどう変貌していくのか。
「夜」に、とうとうのカミングアウト NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第39回「穏やかな一日」、土曜日の再放送を見て、これを書き始めた。第3代鎌倉殿・源実朝の心模様が中心に描かれた回で、彼には切なかったけれど救いもあったように思った。 今39回は、承元2年(1208年)から建暦元年(1211年)の足掛け4年を1日で描く、と語りの長澤まさみがいきなり侍女の姿で言っていたから(ダー子のコスプレにしか見えなかった。オサカナはすっかり魚の腐ったような目をするようになった義時?)、実朝は20歳前のハイティーンの4年間か。今で言えば高校~大学生の多感な、恋愛が盛り上がる時期に当たるのだろう。 (func…