メインカテゴリーを選択しなおす
江ノ電和田塚駅。鎌倉の隣の無人駅。江ノ電の中でも、特にこぢんまりとした駅です。 和田塚には、その名の通り「和田塚」があります。 「和田塚」は、鎌倉前期の建暦3年、鎌倉で起きた和田義盛の乱で、北条義時と戦って敗死した和田義盛とその一族を埋葬したお墓です。 和田一族を供養する、複数の石碑や小さな五輪塔が静かに並んでいます。 この和田塚の近くには、大正5年11月下旬から翌6年の9月まで、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が住んでいた場所があります。 (芥川龍之介) 芥川龍之介の家は、東京田端にありましたが、大正5年、東京帝国大学英吉利文学科を卒業後(引き続き同大学院に籍を置きま…
【鎌倉殿の13人】大河ドラマ館、和田塚と実朝歌碑行ってきました。コラボ和菓子に涙。
来館者数が20万人を突破した「鎌倉殿の13人大河ドラマ館」 番組の進行に合わせて展示が入れ替えされるので、いつ行っても新たな発見があります。鶴ケ岡八幡宮の「大河ドラマ館」。そして和田塚と実朝さんの歌碑を訪ねて由比ガ浜へ。豊島屋のコラボ和菓子もご紹介します。
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、和田一族が眠る「和田塚」!義憤、挙兵、号泣…和田義盛の最期です。
第二の執権となった北条義時は、姉の北条政子とともに、三代将軍・源実朝を補佐していましたが、建暦3年(1213)、 信濃の武士・泉親衡(いずみちかひら)が、比企一族の残党を集め、二代将軍・源頼家の遺児・千手丸を擁立して謀反を企んでいることが発覚。この計画に和田義盛の子や甥が加担していていたことが判明。義盛は実朝に息子と甥の赦免を願い出て、息子は許されましたが、甥の胤長は、罪人としての侮辱を受けた上で配流となり...