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鶴岡八幡宮の次は、鎌倉幕府の跡地から鎌倉宮方面に行ってみました。実は、元鎌倉市民であったにもかかわらず、こちら方面に行くの初めてです。 鶴岡八幡宮からは畠山重忠邸跡を通り、清泉小学校方面に進みます。畠山重忠は鎌倉幕府創設の功臣として活躍しましたが、頼朝の没後に実権を握っ...
鎌倉・室町が舞台のおすすめ時代小説 歴史ドラマや映画の予習にも
武家政権が始まった鎌倉以降の様子を知っていれば、その後の時代を舞台にした小説を読むときに、より面白く感じるはずです。ちょっぴり地味で敬遠されがち(?)な鎌倉・室町時代を面白く学べる、おすすめの小説を紹介します。
さてさて…中学や高校の歴史では…鎌倉幕府の第3代執権北条泰時は史上初となる武士の成文法、貞永式目(御成敗式目)を制定した… というようなことを習ったけど… 鎌…
組織のトップに征夷大将軍を据える形の「幕府」という政治方式を採用した 武家政権は、日本の歴史上に三つ登場しています。 しかも、そうした幕府の名称がそのまんま日本史の時代区分の名称にも採用されて いるわけですから、このことはかなり重大な意義を持つものと思われます。 念のため...
鎌倉幕府の歴史を学ぼう:御家人、御恩と奉公、北条時宗と朝廷との戦い
鎌倉幕府は日本で初めて武士が政治を行った政府です。御家人、御恩と奉公、北条時宗、朝廷との戦いなど、小学生にもわかる言葉で歴史を解説します。
用事があってふらっと自転車でお出かけしてみると、普段は通過するだけの商店街の雰囲気が いつもとはちょいと違っていました。 目立つ場所に「〇〇(商店街名)まつり」のポスターがあって、ついそれに 目が移ったのです。 「魔が差す」って、こういうことを言うのかもしれません。 そこに...
朝廷の分裂・倒幕運動・鎌倉幕府滅亡そして新たな武家政権誕生という激動の時代を生きた吉田兼好
天皇・将軍・執権の年表 徒然草は序段および243段から成り、内容は聖徳太子のお墓の話の622年頃の飛鳥時代から兼好より約18年先輩で歌人・漢詩・文章博士(もんじょうはかせ)平惟継(これつぐ)の話の1342年頃の鎌倉時代末期までの約720年の間の話題を綴っています。 yaseta.hateblo.jp 吉田兼好はどういういきさつで朝廷に出仕、出家隠遁し、どのように徒然草を執筆し、また歌人として活動したのかはっきりしていません。しかし、実際に『徒然草』、『兼好自撰集』を作り、『続後拾遺和歌集』、『続千載和歌集』などに入集和歌を残しており、研究者によって推定時期が異なる場合がありますが、およその経歴…
↑神奈川県鎌倉市浄明寺に所在する、⾭砥藤綱邸舊蹟(あおと・ふじつなてい・きゅうせき)を探訪しました。と言っても、写真の石碑が建っているだけですが(汗)古典『太平記』によれば、青砥藤綱(生没年は不詳)は鎌倉幕府御家人で、北条時頼と北条時宗の二代に仕え、引付衆(訴訟管理の役人)をしていたそうです。 石碑の碑文を意訳してみますと・・・鎌倉執権の善政を論ずる者は、概ね最初に北条時頼・時宗の名前を出す。それ...
鎌倉幕府の執権:17人の執権北条氏の業績や出来事をまとめて紹介(元寇、承久の乱など)
鎌倉幕府の執権について順番に年表で紹介しました。鎌倉将軍も年表にのせています。執権は将軍を補佐して幕府の政務を担います。初代北条時政から5代北条時頼までと8代北条時宗、9代北条貞時は機能しましたが、それ以降は内管領や得宗外戚に実権をにぎられました。執権の動きを見返すと、鎌倉幕府滅亡までの流れを把握しやすくなります。
鎌倉幕府の将軍一覧:鎌倉幕府を開いた将軍から摂家将軍、皇族将軍まで9名の事績の紹介
9人の鎌倉将軍をまとめて紹介します。1~3代目は源氏将軍、4~5代目は摂家将軍、6~9代目は皇族将軍でした。初代源頼朝の死後は、北条氏など有力御家人の傀儡となり、政務に関わっていなくても謀反の疑いをかけられて追放あるいは退位させられています。在位期間が最も長いのは最後の将軍・守邦親王、最も短いのは2代将軍・源頼家です。
何物についても「日本三大◯◯」という表現はあるようで、例えば先日はなどは 「日本三大灯籠」なんてものにぶつかって、かなりマニアックな「三大」が あるものだと、ある意味感心したものです。 お話のついでに、その「三大灯籠」についてもちょっと触れておくと、それは こんな案内になっ...
数年前のことですが、生前に譲位された天皇が「上皇」となられた際にメディアは こんな案内をしました。 ~天皇が生前退位するのは約200年ぶりのこと~ そうかもしれんなぁ。 現上皇の先代である第124代・昭和天皇(1901-1989年)も、またその先代の 第123代・大正天皇...
4月7日(日)、鶴岡八幡宮で桜を見て、次に向かったのは、大町の<妙本寺>私が初めてこちらのお寺を訪れたのは、2010年・・・その後、桜・海棠・ノウゼンカズラ・紫陽花などを見に、何度となく足を運びました。鎌倉でも私の好きなお寺の一つです。ここ2年くらい訪れていませんでしたので、久々といった感じでした。現在はソメイヨシノと海棠が同時に咲いていて、お寺は静かに、華やいでいました。手前がソメイヨシノ、奥の少し色...
『治天の君』の「治天」という言葉は、古代期の大和朝廷に於ける君主への尊称である「大王」の正式名称「治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)」に由来する。 つまり、『天皇』呼称よりも古く用いられていた君主尊称が『治天の君』である。
『愛国百人一首』の選定された35首目は源実朝です。これより鎌倉時代の歌となります。(著者所持の『愛国百人一首』の源実朝の絵札) 山 は さ け …
鎌倉時代は、1185年の壇ノ浦の戦いで平家が源頼朝に敗れ、源頼朝による守護・地頭の設置が始まったころから1333年の鎌倉幕府の滅亡に至るまでの時代である。名目的には天皇から源頼朝に征夷大将軍の宣下がなされた1192年に鎌倉幕府が成立した。こうして鎌倉幕府は名実ともに武家政権として成立することとなった。これは、王朝国家体制から地方分権型の幕府制への移行を象徴する出来事であった。
鎌倉幕府の創設者源頼朝。彼は1147年、源義朝の三男としてこの世に誕生した。若き頼朝は、平治の乱で父が敗れた後、運命の波に翻弄され、伊豆国へと流罪となった。しかし、この地で彼は北条時政の娘、政子と出会い、結婚する。この結婚が、後の彼の運命を大きく左右することとなる。 時は流れ、1180年。頼朝は以仁王の令旨を受け、平家に対抗するための軍を組織する。彼の政治的才能と戦略は、平家の支配を終わらせ、源氏の勢力を確立する上で重要な役割を果たした。頼朝の平家に対する勝利は、頼朝を日本の武士階級の支配者として確固たるものとしたのである。 そして、1192年、頼朝は征夷大将軍に任命され、新たな時代の幕開けと…
天皇:日本の伝統的な君主 将軍:天皇に任命され実質的な政治的権力を行使 天皇と将軍の違い 天皇:日本の伝統的な君主 天皇は『古事記』や『日本書紀』などの日本の神話上、神武天皇を初代とする長い歴史を持ち、神道において極めて重要な神である天照大神の子孫とされる。その血統は日本の歴史と深く結びついている。日本の歴史上ほとんどの時代において天皇の役割は主に儀式的なもので、古代から中世にかけては政治的な権力も一定程度行使していたが、時代が進むにつれてその権力は象徴的なものへと変化していった。 将軍:天皇に任命され実質的な政治的権力を行使 将軍(征夷大将軍)は、武家政権の成立とともに重要性を増した役職だが…
~武士Aが従弟であり同僚の武士Bの妻Cに横恋慕し、その挙句に殺人を犯した~ 現代なら、さほどに珍しいとも思われないお話ですが、「武士」が登場している のですから、お話は昔の昔のことに違いありません。 その辺にいささかの興味を覚え、今回ちょっと首を突っ込んでみることにしたもの...
#419 TVアニメ『まんが日本史「鎌倉幕府の成立-武家政治と封建制度』の感想
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の頼朝と義経の対立と鎌倉幕府成立についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想 つ…
#424 TVアニメ『まんが日本史「源氏の滅亡-北条政子と承久の乱』の感想
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の頼朝死後の鎌倉幕府の権力確立の承久の乱についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た…
日本史の「時代区分」をよくよく眺めて見ると、結構入り組んだ構成になっている ことに気が付きます。 考えてみれば、社会の複雑な変遷や経緯をそれなりの根拠に基づいて括りまとめる 作業ですから、そこにデジタル的明確さを求めることは意外に困難なことなのかも しれません。 Wikip...
西の「奈良の大仏」サマと比較されることも多い、東の「鎌倉の大仏」サマに ついて、Wikipediaではこのように説明しています。 ~神奈川県鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院である高徳院の御本尊は 銅造阿弥陀如来坐像の鎌倉大仏(国宝)~ この説明の範囲だけでも、たとえば浄土宗と...
平清盛(1118-1181年)を頂点として朝廷を凌ぐほどの栄華を誇った平家一門の隆盛ぶりを、同門にあった平時忠はこう評したそうだ。~一門にあらざらん者はみな人非人なるべし~(現代言葉に直した~平氏にあらずんば人にあらず~が有名)確かに一時期はこの言葉の通りに「飛ぶ
新田氏の項で、述べた様に、新田義兼は、新田本宗家の家督を継承したが、嫡子の義房に先立たれて、嫡孫の政義に家督を譲った。 新田義兼の娘、即ち、新田政義の叔母で…
鶴岡八幡宮御朱印 参拝日:令和5年(2023年)2月20日 二の鳥居 三の鳥居 手水舎 舞 殿 若宮(下宮) 大石段 本宮(上宮) 授与所 開門・閉門時間 アクセス 江の島岩屋からまた来た道を戻り、江ノ島電鉄江ノ島駅より江ノ電に乗って鎌倉に向かいます。 終点鎌倉なので、乗ってきた電車が「藤沢行」に変っています。 小町通りは平日でも人で込み合っています。 二の鳥居 表参道の二の鳥居に向かいます。 大きな狛犬です 「二ノ鳥居」から「三ノ鳥居」までは、一段高く盛り土された「段葛(だんかずら)」と呼ばれる道となっております。 三の鳥居 参道(ピンボケでした。) やっぱり、鎌倉は平日でも混んでいますね。…
山名氏の祖、義範が、御門葉に連なるほどの身分であったが、山名義範以降の山名氏の鎌倉時代の事績は、全く、不明である。 義範の家督を継承した、山名重国が、義範の…
その日、家族から「ぼっち」のお留守番を申し渡されたのですが、なにぶんにも 手持無沙ですからTVを観ることに。 しかし、これがまた感心するほどにつまらなく作られていて、ほどなくギブアップ。 そこで、たまたまネットを眺めてみたところ、目を引いたのが東京大学による 「前近代日本史...
創業者の妻=北条政子の悲哀 本当は子育てに専念したかった? - 日経ビジネス電子版 日経ビジネス電子版 歴史家・作家 ... 北条政子は、加来耕三氏の著書、『鎌倉幕府誕生と中世の真相 歴史の失敗
地下鉄サリン事件 陸自幹部が思い浮かべた「歴史の教訓」とは - 朝日新聞デジタル朝日新聞デジタル地下鉄サリン事件 陸自幹部が思い浮かべた「歴史の教訓」とは...
新田氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 源義国は、嫡男の義重に、上野国の新田荘を開拓させると、長男の義重に新田荘、次男の義康に足利荘を相伝…
空腹を癒したあとに 向かう先は 鎌倉幕府とともに始まり、 鎌倉の発展を見守り支えてきた 『鶴岡八幡宮』。 鶴岡八幡宮の始まりは、 源頼義が京都の石清水八幡宮を 勧請したことです。 ※勧請と
新田義重は、源頼朝より、三年、長生きし、1202年(建仁二年)、八十九歳で、死去した。 新田本宗家は、新田義重の三男、新田義兼が、継承する。 従兄弟の足利義…
世界征服を目指すがごときに領土拡張を続けた超大国・元が大海に浮かぶ孤島・日本に目をつけ、その征服を目指したのが、いわゆる「元寇」(蒙古襲来)だった。その実行は前後二度に渡り、一度目を「文永の役」(1274年)二度目を「弘安の役」(1281年)と呼んでいるが、ちっ
足利氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 義国の次男、源義康は、上野国の足利荘を相伝すると、足利義康を称した。 源姓足利氏の誕生である。 義…
【熱い想いを】『鎌倉殿の13人』ブルーレイをついに買った【語らせてくれ】
2022年の一年間、毎日曜日の8時に展開される地獄の乱高下ものがたりにより、感情のジェットコースターを味合わせてくれた『鎌倉殿の13人(以下殿)』。そのブルーレイをついに買った。第参集まで一気に。毎日曜日、そして再放送のある土曜日にダンゴムシのようになって目をはらしていたわたしを観てきた旦那様の方が楽しみにしており、1月10日に第弐集(欠品していて第壱集が一番遅く届くという)が届いて以来、毎晩2・3話観ては...
【武都】章「参考文献」弐十弐・承久の乱~真の「武者の世」を告げる大乱
22.【承久の乱~真の「武者の世」を告げる大乱】 評価:75点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2018年 『承久の乱~真の「武者の世」を告げる大乱…
【武都】章「参考文献」弐十・源実朝~「東国の王権」を夢みた将軍
20.【源実朝~「東国の王権」を夢見た将軍】 評価:70点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2014年 『源実朝~「東国の王権」を夢見た将軍』は、鎌…
19.【源実朝~歌と身体からの歴史学】 評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:2015年 『源実朝~歌と身体からの歴史学』は、鎌倉幕府の三代…
16.【征夷大将軍~もう一つの国家主権】 評価:75点/作者:高橋富雄/ジャンル:歴史/出版:1987年 『征夷大将軍~もう一つの国家主権』は、源頼朝の征…
15.【武蔵の武士団】 評価:70点/作者:安田元久/ジャンル:歴史/出版:1984年 『武蔵の武士団』は、武家の発生を、関東最大の律令制化の国、「武蔵国…
13.【三浦義村】 評価:75点/作者:暁太郎/ジャンル:歴史/出版:2006年 『三浦義村』は、清和源氏の累代の家人、三浦一族の嫡流、三浦義村の伝記書で…
12.【大江広元】 評価:75点/作者:上杉和彦/ジャンル:歴史/出版:2005年 『大江広元』は、吉川弘文館より刊行されている、日本史上の人物の学術伝記…
11.【源頼朝と鎌倉】 評価:75点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2016年 『源頼朝と鎌倉』は、日本史上初の武家政権、鎌倉幕府の初代将軍、源頼…
鎌倉市二階堂にある菅原道真を祀る荏柄天神社。鶴岡八幡宮の東方に位置し、鎌倉時代初期より鎌倉幕府との関わりが記録に見え、武家政権の守護神として、鶴岡八幡宮とともに信仰された神社です。社伝によれば、長治元年(1104年)、菅原道真を勧請し創立されたと伝わり、古くは荏柄山天満宮とも称される。創祀については、社蔵の江戸時代の書「相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起」によると、長治元年(1104年)8月25日に、空が突如暗くな...
10.【日本史リブレット人 029~北条時政と北条政子~「鎌倉」の時代を担った父と娘】 評価:70点/作者:関幸彦/ジャンル:歴史/出版:2009年 『日…
唐突な運びですが、ここで二人の天皇に並んでいただきました。 ○第81代・ 安徳天皇(1178-1185年)/在位:1180年~1185年 ○第82代・後鳥羽天皇(1180-1239年)/在位:1183年~1198年 先代天皇と、その後継天皇ということになりますが、よく見ると...
9.【北条義時】 評価:75点/作者:安田元久/ジャンル:歴史/出版:1961年 『北条義時』は、吉川弘文館より刊行されている、日本史上の人物の学術伝記書…
8.【相模のもののふたち】 評価:65点/作者:永井路子/ジャンル:歴史/出版:1978年 『相模のもののふたち』は、鎌倉幕府草創に貢献した、相模国、即ち、…