メインカテゴリーを選択しなおす
~武士Aが従弟であり同僚の武士Bの妻Cに横恋慕し、その挙句に殺人を犯した~ 現代なら、さほどに珍しいとも思われないお話ですが、「武士」が登場している のですから、お話は昔の昔のことに違いありません。 その辺にいささかの興味を覚え、今回ちょっと首を突っ込んでみることにしたもの...
南向山 帰命院 補陀洛寺(ふだらくじ→神奈川県鎌倉市材木座6丁目)は、平安時代末期の1181(養和元)年に源頼朝の祈願所として、僧の文覚(もんがく)が開山した真言宗大覚寺派寺院です。文覚は俗名を遠藤盛遠(えんどうもりとお)といい、後白河法皇や源頼朝に重用されたもと北面の武士(→院御所を警固する武士)で、1180(治承4)年に平氏打倒を命じた後白河法皇の院宣を頼朝に仲介し挙兵を促したとされる僧侶です。昨年のNHK大河ドラマ「鎌...
江戸川柳でたどる偉人伝(源平合戦時代②)源義経・武蔵坊弁慶・静御前・平景清・那須与一・曾我兄弟・文覚・西行・巴御前
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある浄光明寺は、北条義時の孫であり、6代執権を務めた北条長時が創建した寺院です。鎌倉七口のうちの亀ヶ谷坂(かめがやつさか)と化粧坂(けわいざか)にはさまれた扇ヶ谷の支谷、泉ヶ谷に位置し、鎌倉の交通上、防御上、重要な地域にある寺院といえます。寺伝によれば、建長3年(1251年)頃、第5代執権北条時頼、第6代執権北条長時が開基となって創建したもので、開山は真阿(真聖国師)でした。...
奉安殿は、辺津宮の南隣にある八角円堂で、妙音弁財天像と八臂弁財天像を安置しています。八臂弁財天像は、鎌倉時代最盛期の作と見られる県指定の文化財です。妙音弁財天像は琵琶を抱えた全裸の坐像で、女性の象徴をすべて兼ね備えているといわれています。源頼朝は奥州の藤原秀衡調伏祈願のために文覚上人に命じてこの弁財天を勧請しました。江戸時代には、この江島弁財天への信仰が集まり、江の島詣の人々で大変な賑わいを見せま...
空海が諸国巡礼の折、百日間にわたり護摩修法を行った鎌倉市極楽寺のl地に、承久元年(1219年)、三代執権の北条泰時が成就院を創建、北条一族繁栄を祈ったといいます。元弘3年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻めの戦火で焼失し、西ヶ谷に移りましたが、江戸時代に元の地に再建されました。山門から由比ガ浜を眺め下ろせる眺望、参道から境内に咲く紫陽花も人気を集めています。本堂本尊は不動明王、良縁成就として知られています。...