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大化改新の方程式(264) “女帝不可”のイデオローグ・高向黒麻呂
【前回までのおさらい】仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』をもとに自説を検証する。その第一弾、仁藤氏も認めている「女帝不可の思想の影響」の争点として、・“女帝不可”の思想はどこまで倭国朝廷内に浸透していたか?・山背大兄は皇極朝においても有力な皇位継承候補であったか?・皇極女帝と蘇我大臣家との関係はどうだったか?をあげた。1つ目の争点に関し、儒教的エートスに染まった唐からの帰朝者たちが皇極女帝...
大化改新の方程式(263) “女帝不可”の思想の背後にある儒教的エートス
【前回までのおさらい】仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』をもとに自説を検証する。その第一弾、仁藤氏も認めている「女帝不可の思想の影響」の争点として、・“女帝不可”の思想はどこまで倭国朝廷内に浸透していたか?・山背大兄は皇極朝においても有力な皇位継承候補であったか?・皇極女帝と蘇我大臣家との関係はどうだったか?をあげた。1つ目の争点に関し、女帝の存在にネガティブなイメージをもつ儒教的エートス...
大化改新の方程式(262) 中国留学組が純化させた“女帝不可”の思想
【前回までのおさらい】仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』をもとに自説を検証する。その第一弾、仁藤氏も認めている「女帝不可の思想の影響」の争点として、・“女帝不可”の思想はどこまで倭国朝廷内に浸透していたか?・山背大兄は皇極朝においても有力な皇位継承候補であったか?・皇極女帝と蘇我大臣家との関係はどうだったか?をあげた。1つ目の争点では、皇極朝において唐からの帰朝者たちが重用されていないこと...
大化改新の方程式(261) “蘇我氏政権下”で帰朝者が重用されなかった真の理由
【前回までのおさらい】仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』をもとに自説を検証する。その第一弾として、仁藤氏も認めている「女帝不可の思想の影響」の争点として、・“女帝不可”の思想はどこまで倭国朝廷内に浸透していたか?・山背大兄は皇極朝においても有力な皇位継承候補であったか?・皇極女帝と蘇我大臣家との関係はどうだったか?をあげた。【ここでの課題】第一の争点である「“女帝不可”の思想はどこまで倭国朝...
大化改新の方程式(260) 乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想
テンプレートを変更してみました・・・仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』(以下、本書)において、自説と照らし合わせていきたい論点は以下の3つだ。・女帝不可の思想の影響・「韓政に因りて」の解釈・孝徳朝における鎌足のスタンスまず、最初の「女帝不可の思想の影響」についてみていこう。繰り返しになるが、「乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想」というのが自説の根幹の1つだ。仁藤氏も「乙巳の変を解くカギ...
大化改新の方程式(249) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その7
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。・それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証した結果、この説には、『日本書紀』や中国史書の記述を覆すだけの根拠が足りないことを示した。・鎌足がずっと中大兄とコンビでやってきたという先入観を排除すれば、乙巳の変から孝徳崩御まで、鎌足が軽皇子(孝徳天皇)の忠実なる僕(...
大化改新の方程式(247) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その5
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。・それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証した結果、この説には、『日本書紀』や中国史書の記述を覆すだけの根拠が足りないことを示した。・鎌足がずっと中大兄とコンビでやってきたという先入観を排除すれば、乙巳の変から孝徳崩御まで、鎌足が軽皇子(孝徳天皇)の忠実なる僕(...
大化改新の方程式(236) 自説のまとめ:“女帝不可”の思想
ずいぶんと遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。さて、前回「自説を振り返る」と自らに宿題を課した手前、この年末年始の暇な時間を利用して、過去の記事を読み返してみた。「大化改新の謎解き」をテーマにしつつも、話は6世紀末の穴穂部皇子騒動から663年の白村江の戦いまでおよび、その間、自らトンデモ宣言した説や後日再考すべしとして放置した考えが数多あり、また、自説として残したい考察にも、理屈や資料解...