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お釈迦様、あなたが、 sekainorekisi.com ◯「天上天下テンジョウテンゲ、唯我独尊ユイガドクソン」: 大宇宙の中で、私は最も尊い存在であり、すべてのいのちはそれぞれみな同じように最も尊い存在である。 ◯「山河草木サンセンソウモク、悉皆成仏シッカイジョウブツ」: 山も河も草も木も天地のすべてのものは、みな大宇宙のはたらきの現れである。 ◯「一切衆生イッサイシュジョウ、悉有仏性シツウブッショウ」: すべてのものは、万物をかくあらしめているはたらきの現れであり、すべては尊い存在である。 ◯「山河大地センガダイチ、皆依建立カイエコンリュウ」: 山も河も大地も大自然のす…
ユニークな日本文明が世界の課題解決に貢献できるのではないか?
今、世界は深刻な様々な課題に直面しています。それらの課題解決に何かわずかでも貢献できないか、世界でもっともユニークな日本文明がその解決に貢献できるのではないかという願いから、ChatGPT4とも対話しつつ関連ネット情報などをピックアップし皆さまと共有しながら、考えていきたいと思っています。ご批判ご意見などいただければ嬉しく思います。よろしくお願いします。 やまとこたろう GPTとチャットしました。 私:今、世界には様々な深刻な課題があり、ユニークな日本文明がその解決に貢献できるような気がしています。独裁国家による侵略の脅威、核の脅威、戦争、紛争、難民、貧困、教育、水、医療、食料不足、飢餓、激甚…
読者の方から「ユニークな日本文明とはなにか」に触れるといいと思うとの、コメントをいただきましたので、日本文明の特異性について、考えてみることにします。 ①日本語は、世界で最も複雑で奥深い言語であり、日本文明はそれによって構造化されている複雑で奥深いユニークな文明であると言われています。例えば、文章は、万葉仮名=大和言葉・漢文・訓読文・漢字仮名交じり文、漢字・平仮名・片仮名・アルファベット・アラビア数字・絵文字などで書かれています。日本文明の現れとして、神話・祝詞・雅楽・神楽・お囃子・お経・能・狂言・歌舞伎・浄瑠璃・都々逸・浪曲・落語・漫才・和歌・短歌・俳句・狂歌・漢詩・茶道・華道・香道・書道・…
ユニークな日本文明のベースとなった、一万年以上続いた縄文時代について考えてみることにします
一つの文化が続いた世界で最長の時代は、約16,000年前〜約2,500年前まで13,000年以上続き、世界遺産登録された縄文時代だと認定されています。研究者は、「もう一つ注目されるのは、狩猟採集を基盤としていたにもかかわらず、基本的に定住生活をしていたことである。縄文人は、食料を多様な動植物から計画的に摂取することができるようにした可能性が高い(例えば、遠洋航海による捕鯨)。定住することで、縄文人は、社会全体で技術を進化させ知識を蓄積していき(例えば、旬の食べ物を記した縄文歳時記)、深淵な祭祀や儀式を持つ高度な文化の発達へとつながった」と言っています。短い労働時間で必要な食料を得、高度で芸術性…
旧石器時代の地球は、一般的には「氷河期」と呼ばれます。とても寒い時代だったんですね。地球上の水が氷に変化するので海水面が下がり、現在は海の場所でも地表が露出したりしていました。 それによって、日本列島は、北は北海道の樺太方面、南は九州の対馬あたりが、ユーラシア大陸と陸続きになっていました 日本列島が大陸と陸続きになると、大陸からゾウや大ジカなど大型動物が日本列島にやってくるようになりました。 この大型動物を追ってやってきた人類が、日本列島に最初にやってきた人類だと考えられています。 その後、氷河期が終わり地球が温暖化し、大型動物が死滅し、日本列島が大陸から分離しました。 私たちのご先祖さまたち…
読者の方から貴重なアドバイスをいただきました。「日本のことを取り上げるなら、同時代の他の地域がどうだったかが気になるところ。そうしないとブログのテーマである日本のユニークさが伝わらないんじゃないかな。」「同じ島国である英国との王室比較があればいいかな。」 これらのgood advaceをふまえて、今回は表題のテーマとして調査し考え整理してみました。 1.王朝の歴史 日本:紀元前660年建国。一王朝。126代。日本人の万世一系。世界最古。 英国:西暦1066年建国。九王朝。40代。フランス人・ドイツ人・スペイン人・デンマーク人・オランダ人などと王の出身は多岐にわたる。世界3位の古さ。 2.建国の…
1.アインシュタインの予言というものが世に流布しています。 「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。 この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。 果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。 この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。 私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。 なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。 その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。 この世界の盟主なるものは、武力や金力…
二つの神話、旧約聖書と古事記を見てみます。 まず旧約聖書です。創世記の口語訳聖書に以下のように書かれています。 1 はじめに神(唯一神ヤハウェ)は、天と地とを創造された。(つまり、宇宙と地球を最初に創造された)。 2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。 6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。 …
旧約聖書の次に古事記です。天地開闢カイビャクのところを、神々の名をやまと言葉で読み解いた専門家のユニークな解釈を紹介します。壮大なロマンと人間の素晴らしい可能性が感じられるかと思います。 ①宇宙創生:宇宙がはじめてひらかれた時、宇宙の高貴な広場(高天原タカアマハラ)に最初に現れた神(尊くて奥深いはたらき)の名は、宇宙の中心を司るはたらきの天之御中主神アマノミナカヌシノカミ。 次に宇宙の陽の力のはたらき(神)と陰の力のはたらき(神)。この三柱のはたらき(神)によって宇宙が創生されていきます。 次にビッグバンの広がっていくはたらき(神)、 次に宇宙環境を常に成り立たせるはたらき(神)が現れました…
前回の5.英国王室と日本皇室の特徴 - 世界の中のユニークな日本文明で日英それぞれの建国について書きましたが、英国の古い時代について書かれていませんでした。そこで、今回は、ブリテン島の先史・古代史を少しのぞいてみることにします。 ①新石器時代に、西アジアの非印欧語族集団が中東からヨーロッパに農業をもたらし拡散しました。ブリテンにも彼らが移住し、それまでの狩猟・採集を主とする生活から、農耕・牧畜による生活になっていきました。さらに土器が作られ、食糧の貯蔵が可能となりました。磨正石斧や石臼、さらには祭祀用の建築物もつくられました。こうした変化は、ブリテンでは紀元前5000~4000年頃に始まったと…
僭越ですが、聖徳太子になったつもりで、聖徳太子がお釈迦様に語りかけられる様子をイメージしてみます。何回かにわたって書いてみます。 ################################### お釈迦様、あなたは、神々が住まい修行されている霊峰ヒマラヤ山脈の麓のシャカ国の皇太子でした。私は日出ずる国日本の皇太子です。あなたが生まれた時、全人類を救う覚者になるか、全インドを徳で統一する転輪聖王になるかのどちらかだと、賢者に予言されましたね。 あなたは、人はなぜ苦しむのか、人を苦しみから救う道はないのかと煩悶され、生老病死に苦しむ人間を救うため出家し、6年間苦行されました。 苦行は悟りの因…
前回の英国に続いて、日本ではどうだったでしょうか。 538年、欽明天皇の御代に百済クダラの聖明王から仏像・仏典等が伝えられました(仏教公伝)。 欽明天皇は群臣に対し「西方の国々の『仏』は端厳でいまだ見たことのない相貌である。教えは非常に深いものである。これを礼すべきかどうか」と意見を聞かれました。 これに対して蘇我氏は「西の諸国はみな仏を礼しております。日本だけこれに背くことができましょうか」と受容を勧めたのに対し、物部氏は「わが国の王の天下のもとには、天地に神々がいます。今改めて蕃神を拝せば、国神たちの怒りをかう恐れがあります」と反対しました(崇仏・廃仏論争)。蘇我氏と物部氏の対立が激化し…
6世紀にそれぞれの経緯で世界宗教に出会いました。日本は538年に仏教が公伝し、英国は597年にケント国王がアングロサクソン王として 初めてキリスト教に改宗しました。 ◯まず英国について見てみましょう。 キリスト教化する前のアングロ・サクソン族の宗教については、サクソン人が自然を崇拝し複数の神々を信仰していたとされています。しかし、どのようなものであったか分かっていません。ローマ教皇側からブリテン島にキリスト教を布教するため色々な人が送られましたが、異教徒のアングロ・サクソン族の教化は期待通りに進みませんでした。 しかし、ケント国のエゼルベルト王のキリスト教への改宗により、イングランドのキリスト…
5−2.ブリテン島の先史・古代史 に続く後半を書きます。 ⑤5世紀になって西ローマ帝国がゲルマン人の侵入によって混乱すると、ローマの軍団はブリテンを去っていきました。それにつれて、ブリテン島はゲルマン人の侵入にさらされるようになっていきました。 ⑥5世紀頃からゲルマン人のアングロ・サクソン諸部族がブリテン島に侵入し、先住民のブリトン人たちを島の西に追いやり、島の南東部を征服しました。この結果、この地域には20もの小国家群が成立しました。それが次第に統合されていき、七つの王国の勢力争いとなっていきました。破れた者たちは多く奴隷とされ、一部は大陸にも売られました。 ⑦8世紀になるとバイキングのデー…