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ネガティブな経験も一つの成果であると思った方がいい。その経験があるからこそ、次回は失敗をしないですむし、人にもよいアドバイスができる。
ラグビーの歴史アレコレ(11)~人種差別問題を乗り越えたスプリングボクス~END
俺たちは、今やラグビー・チーム以上の存在だ。全てのこと(習慣の違い、肌の違い、先祖の国の違い、宗教の違い、生活環境の違い、何もかも)に慣れないとこの瞬間には出会えなかった。 南アフリカはきっと変わる。 俺たちも変わる。変わらないとならない。
「白人がアフリカにやってきたとき、われわれは土地を持ち、彼らは聖書を持っていた。彼らはわれわれに目を閉じて祈ることを教えた。われわれが目を開いたとき、彼らは土地を持ち、われわれは聖書しか持っていなかった。」 初代ケニア大統領ケニヤッタの名言。
激動の年、1989年。そのクライマックスはベルリンの壁崩壊、そしてビロード革命。 しかし、南アフリカの12月は別の出来事で沸き返った。それが、"囚人"ネルソン・マンデラとデクラーク大統領の接見。 やがて二人は、ノーベル平和賞を共に受賞する。
今日は何の日>7月18日:ネルソン・マンデラデー(国際デー)
昨年は「光化学スモッグの日」をご紹介しました。 今年はこちらをご紹介いたします。 ネルソン・マンデラデーNelson Mandela International Day 国連が制定した国際デーです。 ネルソン・マンデラ氏【1918(大正)7年7月18日~2013(平成25)...
下記は、「APART-HEID南ア・アパルトヘイト共和国」(大月書店)の著者、吉田ルイ子氏が南アフリカを訪れた時の、衝撃的な体験を記したプロローグです。アパルトヘイトという人種隔離政策のただなかにあった南アフリカという国の、恐るべき日常と吉田氏の驚きや苛立ちが、ひしひしと伝わってきます。当時の南アフリカでは、16%を占める白人が、84%の非白人を支配し、黒人は14%の国土に分離されていたといいます。そして、公共施設も白人用と非白人用に区別され、人種の違う男女の結婚が禁止されるなど、日常生活のあらゆる部分に、徹底した差別が存在したのです。今では信じがたい、そうした差別政策は、1990年代はじめまで続いていました。当然のことながら、南アフリカでは、少数の白人による支配やアパルトヘイトに基づく差別に対して、ずっ...アパルトヘイト犯罪条約採択に反対した米・英
【映画136】「マンデラの名もなき看守」はとても・とても良い作品だと思います!
「マンデラの名もなき看守」は、それこそ「名もなき名作」だと思います。大きな映画賞を受賞していても良い作品だと思います!
ジェンダーや宗教、人種に民族、職業や障害の有無など、あらゆる“違い”への差別は忌むべきものという認識が定着して…
こんにちは もうすっかり上辺は元に戻ったかのようなオーストラリア。 日本もロックダウンは解除されたみたいですが、どんな状況でしょうか? 昨日は友達と会ってランチをし、その帰りにスーパーに一緒に行ったのですが 数ヶ月前の、あの異様な光景がまるで嘘のような平和な状況。 トイレットペーパーも棚に溢れるほどあるし、 入り口と出口を分けていた仕切りや、1.5MのSocial distancingを促していた...
いまは爽快感に、歓びを覚えます❣️秋山さんを追い越すことは無理としても近づければ幸いです❤️
It always seems impossible until it’s done.(何事も達成するまでは不可能に見えるものだ!) 南アフリカの政治家であり…