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見よ、その時代が来る。──神である主のことば──そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に主のことばを聞くことの飢饉である。(アモス8:11) 聖書が取り上げられるのではなく、聖職者が消えるのでもない。ただ、聖霊に拠って取り次がれることばが語られなくなるのである。美しく装丁され、聖書から心地良い言葉が切り取られた読み物は、幾らでも手に入るだろう。それは世の求めに従って味付けられて、偽キリストの必要をも満たすだろう。聖霊の臨在なき聖書は、どのようにでも用いることが出来る。 それはイエスを知る真理の飢饉であり、生きて働くことばの飢饉である。それは今も見られることで、頭にも心にも納得できる言葉は人の肉に寄り添って惑わす。 「命よりも大切なもの」という本を頂いた。それ...みことばの飢饉
何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。(14) キリスト・イエスを知ることこそみこころに叶うことである。「なぜ私が愛されたのか、神の御子が、なぜこのような者のために十字架にかかって死なれたのか。」という疑問は、聖霊に拠って神は愛であることを経験するときに、深い平安となる。 一方的な恵みによる救いの他には、救われるべき道はないことを悟るからである。聖霊は神が愛であることを確信させ、神が良い方であることを信仰生活において繰り返し経験させて、命の作者の愛に安息jさせてくださった。 私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。(15) 神の愛に信頼してすべての...わたしにとどまりなさい(Ⅰヨハネの手紙5章)
イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。(1~2) イエス・キリストに無条件で赦され、命を捨てるほどに愛された者は、神の御愛を経験しうちにキリストが形作られ、みことばがこの身になりますようにと、祈り求めるようになる。 いのちの主を愛しみことばを愛して、キリストの愛によって兄弟を愛するとき、たとえ責めているようでも教えているようであっても、心はキリストの平安に守られている。 神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ...世に勝つ者(1ヨハネの手紙5章)
私たちは神から出た者です。神を知っている者は私たちの言うことを聞き、神から出ていない者は私たちの言うことを聞きません。それによって私たちは、真理の霊と偽りの霊を見分けます。(6) 神から出たことばを話し、神によって成るわざを行う使徒の働きは聖霊の導きであって、彼らのことばに聴き従う者に救いのわざが現れた。救いは人の熱心や言葉の巧みさには拠らず、神の選びに在る聖霊の働きである。 聖霊に触れられるとき、創造主なる神を悟り、御子イエスの十字架の救いを受け入れることができる。神の愛を経験した者は真理を悟り、イエスにすべての望みを置いて礼拝して、みことばに従順する彼らは、聖霊に解かれたみことばに拠って偽りの霊を見分ける。 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神か...神から出た者(1ヨハネの手紙4章)
愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。(1) 聖霊がおられるように悪霊も存在する。悪霊から守ってみことばに導くのは聖霊である。聖霊なる神はイエスのことばを解き明かして、聴いたことばに従順して生きる力を与え、生ける神のことばを経験させて主への信頼を育ててくださる。 悪霊は、キリストにたまわった永遠のいのちから目を反らさせて、感情に働いて肉を掻き立て世に釘づける。善悪知識の木の実由来の賢さは、神から独立した善悪によって、救いのための時間を浪費して、悪霊の働きによる目に好もしいものを仕立て、世の成功に惑わして滅びの道連れにするのである。 神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊は...霊を知る(1ヨハネの手紙4章)
互いに愛し合うべきであること、それが、あなたがたが初めから聞いている使信です。カインのようになってはいけません。彼は悪い者から出た者で、自分の兄弟を殺しました。なぜ殺したのでしょうか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。(11~12) 妬みは自分と相手に死をもたらせ、キリストから出た愛はいのちをもたらせる。神の愛は御子の命を支払って人を生かしてくださった。肉を持って生きている心の王座は、自分を生かすための自己愛が占めていて、誰よりも愛されることを求めている。その欲求が満たされないことは妬みとなり、宗教家がイエスを殺したように、邪魔者を故無く殺すのである。アベルの正しさは誰よりも主を愛したことにある。 兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。私たちは、自分が死からいのちに移っ...神のうちにとどまって溢れ出る愛(1ヨハネの手紙3章)
幼子たち、だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しい方であるように、正しい人です。(7) 誰が神に受け入れられる義を行うことが出来るだろう。義を行うとはキリストの義に留まることである。誰であってもキリストのうちに在ることで、完全であり正しいのである。神に生み出された幼子たちは、まず自分が何者であるかを悟るために、キリストにたまわっている御救いに安息することである。世では、見たことも聞いたこともない神の愛を味わうために・・ 十字架の完全なあがないによって義とされ、キリストの復活と共に生み出された神の子は、責められることのない神の平和に安息し、感謝と交わりの中で聖霊に育てられ、キリストの救いに留まることの正しさを聴き続けている。 未だ肉を纏っている身に、罪は犬がワンと鳴くように身近なもの...神の子は悪魔のわざを打つ破る(1ヨハネの手紙3章)
私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。(1) 平安の中で主イエスの御救いを思い返し、救われた身の幸いに感動して、御前にひれ伏す。苦難の中ではたまわっているみことばを読み返し、御約束にある深みに導かれて安らぐ。迷いの中にある思いのすべて主に打ち開けて、みことばに委ねて従順する。そのすべては「アバ、父」と呼ぶ関係に在ってのことである。 神の子らはすべての日々に御父の愛を味わい、御子イエスのことばを経験をして、神より生まれた子であることを、聖霊の導きの中で確信するのである。それは養子とか接ぎ木という薄紙一枚の隔ても無い、真実な神が生んでくださった子であり、聖霊とみことばに...事実、私たちは神の子どもです(1ヨハネの手紙3章)
幼子たち、今は終わりの時です。反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であると分かります。(18) 今と書かれたのは1900年以上も昔のことであるが、神に在っては千年は一日のようであって、反キリストがそれ以来現れ続けている。それゆえ常に今が終わりの時なのである。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(Ⅱペテロ3:8) 肉の体にある命は何時取り去られるか誰も知らず、すべての人にとって今が終わりの時である。神が猶予を与えておられる命の間に、イエスを神の救い主と信じて受け入れ、自分の救いを完成するのは今この瞬間である。イエス・キリストを信じる信仰によって、永遠の住まいである天の国籍手続きは、神の御子イエスに罪をあがな...永遠のいのちを生きている(1ヨハネの手紙2章)
子どもたち。私があなたがたに書いているのは、イエスの名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。(12) 教会に通うようになって、みことばにイエスの御救いを見出し、神の一方的な赦しをたまわった。負いきれなくなっていた重荷を御前に下ろした時、聖霊に触れられて「見よ。すべてが新しくなりました」と、主の焼き印が押された。もう自他のどのような責め言葉も、神のものであることを否定することは無い印である。 父たち。私があなたがたに書いているのは、初めからおられる方を、あなたがたが知るようになったからです。若者たち。私があなたがたに書いているのは、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。(13) 家長がイエスの御前にひれ伏すとき、家には喜びと希望がいっぱいに満たされる。イエスを主として迎え、恵みに拠って家族が生きる...福音の喜び(1ヨハネの手紙2章)
私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。(1) 世ではあらゆる形の罪を纏った狼が、肉を纏っている羊を虎視眈々と狙っている。しかし、神の守りにある羊は世で活動している間も、聖霊によってイエスとの絶えざる交わりがある。目にする世のあれこれに支配される必要は無く、それらの善悪を選り分ける役割を負っているわけでもなく、みことばに聴き入って心に留めなければ良いのである。目が汚されたと思えばすぐに主の血潮に洗って頂き、砦に逃げ込んで聖さに身を避けることが出来る。キリスト者はすでに世の者ではないからである。 ですから私たちにはいつでもイエスの希望がある...うちに神がおられる(1ヨハネの手紙2章)
あなたがたはどう思いますか。もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。(マタイ18:12) 人は九十九匹の方が大切なので、迷い出てしまった一匹を諦めることが出来るが、神には一匹一匹が神の完全な愛の対象であって、見捨てることが出来る命など一つも無いのである。 まことに、あなたがたに言います。もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。(13) 神には迷わない九十九匹以上に見つけ出した一匹が神の喜びとあり、それは元通りに百匹揃って良かったということではない。 このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天におられるあなたがたの父のみこころではありません。(14) 神のみこころは人...探し出された一匹の幸い
こうして天と地とその万象が完成した。神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。(2:1~3) 人のすべての必要は全能の神によって六日間で備えられた。主の創造の御わざによって賜った命の喜びにあふれ、命を満たす備えに安らぎ、創造主をほめたたえる日である。天地宇宙の創造主を神と告白するとき、人はたまわっているその祝福の偉大さを悟り、この神に目的を持って造られた命は、作品を知り尽くす神に在る平安と望みに満たされる。 自分自身を守る言葉を何も持っていない幼子の心で、神の第一声「初めに神が天と地を創造された」このみことばを「アーメン」と受け取るのは、神に選...天地創造7日目
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」(26) 人の尊厳は神の似姿に造られていることにある。人を殺してはならないのもこの事実に拠るのである。神は人にご自分の作品の管理を委ねられた。忠実に感謝をもって、たまわったすべてを支配する時、それらは豊かに人を養い育てる神の祝福となる。 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。(27) 神に創造されたものであることをわきまえる所に、神の平和が存在する。それぞれが違った個性を持って造られ、違う価値観を持つ人々に対しても、創造主のご計画を思い、神を恐れて受け入れるからである。...天地創造6日目
神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。神はそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。夕があり、朝があった。第五日。(20~23) 神はすべての生き物をそれぞれの形に創造された。発達途上のものではなく、無数とも思える生き物のすべては、みこころのままに完成されていたので祝福された。創造主の全能の力に拠るよることである。 そのような神の知恵と力は人には思いもよらないことなので、己の能力をもって神を計ることにより神がわからず、被造物を拝んで神に敵対するのである。人は神の作品である天地を見ても神の完全...天地創造5日目
神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。(6~8) 宇宙は神の作品。青い空、白い雲、命を育てて輝く太陽、月も星もすべて神の作品それらのすべては人を守り育てるために愛を籠めて備えられたもの。愛に満ち足りて、主をほめたたえつつ生きるために。 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますよ...天地創造2日目
「おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主があなたがたのために戦われる。エジプトで、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったのと同じように。また荒野では、この場所に来るまでの全道中、あなたの神、主が、人が自分の子どもを抱くようにあなたを抱いてくださったのを、あなたがたは見ているのだ。このようなことによっても、まだあなたがたはあなたがたの神、主を信じていない。主はあなたがたが宿営する場所を探すために、道中あなたがたの先に立って行き、夜は火の中、昼は雲の中にあって、あなたがたが行くべき道を示されるのだ。」(申1:29~33)モーセの言葉
イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。(14) 主はペテロの傷を癒やして新しくし、みこころに生きるために来られた。みこころを行うには、自分の使命に目が開かれる必要がある。またそれを行ううちに、サタンに責たてられて弱り果てることがないように、イエスとの親密な関係による赦しの確信が必要である。 イエスはペテロに来られ、癒やしの中で人を獲る漁師としての具体的な働きを示された。神より発したことは神によって成り栄光が神に至るのであり、すべては主の御約束によって成ることを明確にするためである。 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ...「あなはわたしを愛しますか」(ヨハネの福音書21章)
あいみょんさんのこの歌もいいですね。 いや、絶対、私よりも歌がうまいなあ~と関心しました!!! あ、当たり前でしたか・・・。 痩せたいけれど、あんまり実践で…
あくまでも個人的な感想です。 私の(笑)キリストがなぜに、その存在を忘れさせてくれないのかの救いを求めてみたわけですが… 「神の愛のうちにいなさい。」 www.churchofjesuschrist.org 従順を条件…(笑)個人的には、強制されているくらいにしか感じてないのだけれども、お話を聞いていて感じたのは、その存在を忘れさせてくれないのは、「神の愛のうちにいなさい!」ってことか…(笑)。 旦那が結婚式の時に、うちはデキ婚、授かり婚なのに… 「永遠の恋人でいたいと思います。」 と、のたまったのも、今になってようやく、しっくりき始めている。旦那は、私の神になりたかったのか、また、この発言を…
アボジの人を愛する伝統精神! 詩「コロッケパン」おまけ・・・・
統一家の36家庭、教会長、公職者、そして全ての食口達に真のお父様が懇切に心から話す。 真の父はお母様を愛しとても大切にした。そして世界各国の真の父母様を見つめ…
愛とは何なのか? “宇宙は、(神の)愛で満たされている”とも言いますが、中々実感することは少ないのではないでしょうか。 そもそも、宇宙に満たされている「愛」と…
こうしてアナク人は、イスラエルの子らの地には残らなかった。ただガザ、ガテ、アシュドデに残るのみとなった。ヨシュアはすべて主がモーセに告げられたとおりに、その地をことごとく奪い取った。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族への割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに与えた。そして、その地に戦争はやんだ。(22~23) 今聖絶の神は平和の神として、キリストの救いを信じる者うちに住んでいてくださる。聖であり義であり、また完全な愛である神が、未だ肉を纏っている者のうちに住んでいてくださるとは、なんと驚くべき奇跡であろう。 それはキリストの十字架のあがないが、神の御前に完璧な執り成しであり、神の聖と義を完全に満たしたからであって、一ミリも人の行いに拠ることではなく、キリストに対する信頼に拠ることである。 これ...愛と聖絶②(申命記11章)
ヨシュアはこの全地、すなわち、山地、ネゲブの全地域、ゴシェンの全土、シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地とそのシェフェラを奪い取った。彼は、セイルへ上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとの、レバノンの谷にあるバアル・ガドまでを攻め取った。その王たちをことごとく捕らえ、彼らを討って殺した。(16~17) 彼らは天地創造の神の地に住みながら神に逆らって地を汚した。ヨシュアはそれらを神の御支配に取り返し、その地の汚れをきよめたのである。 今主は信じる者のうちを、キリストの十字架の血潮できよめて住んでいてくださる。新しくされたキリスト者は、魂のうちに古くから住みついている諸々の誘惑や、苛立つよこしまな思いを、聖霊の導きの中で排除して、主のものである自身を、魂を霊に従わせる戦いのうちに明け渡して行くのである。...愛と聖絶①(申命記11章)
ヨシュアは民のつかさたちに命じた。「宿営の中を巡って、民に命じなさい。『食糧を準備しなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡るからだ。あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、あなたがたは進むのだ。』」(10~11) みことばを聴いたなら自分を忘れて、すぐに行うことが従順である。アブラハムが御声に従ってイサクを捧げる時、息子を愛することさえ忘れて朝早く山に登って行った。もし、自分を少しでも心配するなら従順のタイミングは失われてしまうのだ。それは神に信頼しなかったからであり、一番に愛しなかったからである。 創造主なる神への従順は盲目的であって良い。命じられた方は造り主なのだから当然なのである。一体被造物がどうやって造り主のことばを判断することが出来るだ...あなたの前に立ちはだかる者はいない②(ヨシュア記1章)
あなたの神、主ご自身があなたに先立って渡って行き、この方があなたの前からこれらの国々を根絶やしにされ、あなたはこれらを占領する。ヨシュアが、主が告げられたように、あなたに先立って渡るのだ。(3) モーセが最も伝えたいことは、ヨシュアが主に告げられて民に先立つことである。モーセを失った民の平安のために主のご計画を伝えた。 神が「国々を根絶やしにされる」このみことばに人は激しく抵抗する。神に逆らうのは悪を行った時よりも、人の正しさに拠ることの方が根深い。正義をかざす者が悔い改めの出口を見出すことは、聖霊の介入なしには不可能である。 サタンが、なぜエバに善と悪を知り賢くなる木の実を勧めたのか、人に自分で善と悪を判断する賢さを与えたのか、此処にサタンの恐ろしい知恵を見ることが出来る。 禁断の実を食べたときから、...主との関係にあって罰さえも平安②(申命記31章)
ゆっくりと少しずつ 神の愛を一滴ずつ 受け取れるように 神は私たちの心を 癒やされます神の恵みは恐怖心を 明け渡させてくれます 神のあふれる愛と 麗しさを…
ちょうどそのとき、人々が何人かやって来て、ピラトがガリラヤ人たちの血を、ガリラヤ人たちが献げるいけにえに混ぜた、とイエスに報告した。イエスは彼らに言われた。「そのガリラヤ人たちは、そのような災難にあったのだから、ほかのすべてのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったと思いますか。そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。(1~3) イエスはガリラヤ人が滅んだのと同じ罪を、あなたがたも持っていると指摘された。自分たちには彼らのような罪は無く、滅びることも無いと思っていたからである。罪の自覚がない人には、神が準備してくださったキリストの救いも届かないからである。 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも多く、罪...あなたがたも同じように滅びる(ルカ13章)
真昼のように明るいカーテンの隙間に驚いてそっと覗いて見ると、煌々と輝く月が入って来た。雲と戦っては勝利の輝きを現わす眠ることも忘れて、洗うような光の中に身を横たえる主は沢山の慰めを地に備え、眠る人の夜さえも照らすものを備えられた。気づかない者にも季節ごとに花々を咲かせ、真夏の日を傾けて時の移ろいを知らせ、朝に涼やかな風を送ってくださる。あたかも労苦する者の機嫌取るように、ぐずる赤子をあやすように・・何も持た無い者の心を励ます応援団顔を上げて空を見てごらん目を落として地を見てごらん外に出て風に吹かれてごらんあなたへの神さまの愛が見えるから・・そう。それはあなたへの備えそれは、見つけたあなたへの愛のことばスーパームーン
自由意志は法である。人はすべて自由意志が与えられている、唯神法の範囲内で生きなければならないということを除いては。シルバー・バーチ霊のスピリチュアルメッセージ
今回も引き続き、シルバー・バーチ霊の霊訓の中のメソジスト派の牧師との対話からの抜粋です。(問)人間には自由意志があるとお考えになりますか。答「ある。自由意志は法である。」(問)でも時には、自分では何ともできない衝動で事をなすことがあります。とすると、意思は決定されているのではありませんか。それとも自由なのでしょうか。答「貴方はどう思いますか」 (問)自由だと思います。答「人はすべて自由意志が...
今週のお題「朝ごはん」 肉体労働をしているので、朝食は重要です。力が出るように、仕事の日の朝食はご飯を食べます。しかしパンも好きなので、休みの日はパンを食べます。 仕事の日の朝ご飯は納豆、卵、キムチ、たくわんなどです。それに野菜と肉か魚が加わります。医師が選んだ食材の一位が納豆です。納豆は毎日食べます。 ご飯は必ず玄米です。米偏に白と書いて粕といいます。白米は大切な栄養を取り除いた粕だと思っているので食べません。米麹と玄米から作った甘酒も毎朝飲みます。飲む点滴といわれます。甘酒は夕食のときも飲みます。朝食後にはバナナを食べます。 キムチとたくわんは自分で作ります。大根、きゅうり、ニラ、もやしな…
今週のお題「30万円あったら」 私はいつか家族で船旅をしたいと思っています。移動時間には生の音楽を聴いたり、ミュージカルを観たり、美味しいものを好きなだけ食べたりできます。 寄港地に着いたら、観光ができます。港町は活気があるところが多いと思います。こんな贅沢な旅はありません。 海外も魅力的ですが、日本でもまだ行ったことがない風光明媚なところがたくさんあります。 海の向こうに見える朝日や夕日、海から眺める山々や島、奇岩なども素敵だと思います。 一週間くらい、のんびりと開放感を味わえる、そんな時間を過ごすことができたらと思います。
好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感のもてない人を愛するーーこれが魂の霊格の高さを示します。シルバー・バーチ霊のスピリチュアルメッセージ
「宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、より一層の...
今週のお題「最近買った便利なもの」 最近買った便利なものはノートパソコンです。今までは移動で使うことが多く、軽くて小さなパソコンを使っていました。 退職してからは、移動で使うことがなくなったので、家で使う画面の大きなパソコンを買いました。また今まではDVDなども見られませんでしたが、今回のはBDやDVDが見られるものにしました。 テレビと違って、パソコンだと気軽にBDなどを見ることができます。ずっと棚に仕舞い放しのBDやDVDを出してきて、見ています。 文章を作成することが多く、画面が大きいので、とても使いやすいです。今は二冊目の随筆の作成に取り組んでいます。毎日パソコンの前に座って、書き進め…
今週のお題「読みたい本」 「読みたい本」ではなく「読んでほしい本」です。 今年の目標であった初めての本の出版をしました。随筆です。このブログのお陰です。すでにブログを七百回以上書きためました。その中から体験談を中心に選んで、一冊の本に納めました。 最近は一冊から印刷してくれる出版会社があります。手軽に出版できるので、貧乏人には助かります。 「事実は小説よりも奇なり」 といいます。私の人生には劇的な出会いや不思議な出来事がたくさんあります。神が演出したとしか思えないことばかりです。 それを『捨てる神 拾う神』というタイトルで本にしました。あと三、四冊の本を出す予定です。すでに記事がこのブログの中…
今週のお題「わたしのプレイリスト」 私は毎日ピアノを弾きます。弾くといっても、独学で自己流です。とても人前で聞かせられるものではありません。毎日弾くプレイリストがあります。 『最初 から今まで(冬のソナタの主題曲)』 『マイ メモリー(冬のソナタの間奏曲)』 『エリーゼのために』 『トロイメライ』 『アヴェマリア』 『乙女の祈り』 『ロンドンデリーの歌』 『アメイジンググレイス』 『いい日旅立ち』 『地上の星』 『グリーンスリーヴス』 などです。楽譜を覚えているわけではないので、指が止まったらおしまいです。そのときは楽譜を見てやり直しです。指が忘れないために、毎日弾くようにしています。 しかし…
今朝、ベランダに出て驚きました。十年ほど前に挿し木をしたイチジクの木に、初めて実がなっていたからです。 もう実がならないのではと、なかば諦めていました。毎年葉っぱだけは元気に出ますが、実がなる気配がまったくありませんでした。挿し木をしてから、一度も土を替えていなかったので、去年の暮れに土をすべて入れ替えました。それが良かったのかもしれません。 イチジクの実は枝のてっぺんのところに二つありました。順調に大きく育つのを願うばかりです。 イチジクは漢字で無花果と書きます。花が咲かないのに、実がなる不思議な果実です。実際は実の中にびっしり詰まっているのが花です。外からは見えないので、無花果という名前に…
梅雨がやってきました。梅雨といえば、アジサイです。 アジサイが咲いている公園を見つけました。赤紫や青、白の花がたくさん咲いていました。 種類もいろいろありました。ガクの花がびっしり詰まっているもの、雪の結晶のような花、八重咲きのものなどです。 アジサイの花びらは四つに見えますが、それはガクだそうです。実際の花びらは五つです。とてもまぎらわしいです。 以前、庭にあった一株のアジサイの枝を切って、挿し木でたくさん増やしたことがあります。 枝を切ると、中が空洞でストローのような形をしています。そこから根や葉が出て、花が咲くのが不思議でした。以外と簡単に増やすことができました。ついつい面白がって増やし…
黙示録7章の考察 「この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来
今週のお題「何して遊ぶ?」 スーパー関係に勤めているので、残念ながら連休はありません。通常の休みだけです。 私はホリデーではなく、ホリタイムという考え方をしています。一日の仕事が終わり、職場を出た瞬間からホリタイムが始まります。だから毎日がホリタイムです。 バスの通勤時間はおもにブログを書いたり、本を書きます。いわばバスの中は私の書斎です。家に帰るとピアノを弾きます。録画の映画を見るときもあります。 朝にもホリタイムがあります。ベランダ菜園で、日課の水やりをします。種まきや野菜の収穫をするときもあります。ワイルドストロベリーの収穫は必ず朝です。 ゴールデンウイークは、とくに行くところはありませ…
今週のお題「盛り」 横浜の海釣り公園に行ったときのことです。サビキ釣りをしようと思い、仕掛けと餌を準備しました。 すでに大勢の釣り人がいました。ふと見ると、二人の釣り人がサビキ釣りをしているところに鰯の大群が来ていました。私は二人の真ん中に陣取って、釣りを始めました。 私は餌をまかずに、十個くらい針のついた糸を投げ入れました。すると七、八匹の鰯が掛かっていました。魚を針から外して、また糸を投げ入れました。再びたくさんの鰯が掛かっていました。その繰り返しです。 けっきょく私は一度も餌をまかずに、三百匹以上の鰯を釣ることができました。両側の見知らぬ釣り人の餌のお陰でした。 私のクーラーボックスの中…
今週のお題「盛り」 アジアのある国へ、旅行に行ったときのことです。山の麓のレストランで、焼き肉を食べようとしました。メニューに松茸が五百円とあったので、注文してみました。数個出てくるのかと思ったら、何とザルに山盛りに出てきました。 確かにレストランの周りは松林です。多分松茸がたくさん生えていたのだと思います。また、その国では松茸を高級食材としていなかったのかもしれません。 みなあれほど松茸を食べたことはありませんでした。香りも味も量も、じゅうぶん満足するものでした。肉よりも松茸でお腹がいっぱいになりました。 その国は三年間の干ばつが続き、米も不作で、多くの作物が打撃を受けました。ほとんどの家の…
今週のお題「変わった」 季節の移り変わりを一番感じるのが、今の時期です。 枯れてしまったような寂しい木々に花が咲いたり、葉っぱが出てきます。まるで死から蘇ったような雰囲気です。新緑の若葉は生命力や希望を与えてくれます。 ちまたにも、入学したばかりの一年生や入社したてのフレッシュマンらしき社会人を見かけます。まだ服が何となくぎこちなく感じます。 ベランダ菜園も冬の野菜から、春や夏の野菜の種まきが始まります。昨日は、ほうれん草やしゅんぎくを引っこ抜き、次の種まきのために土の手入れをしました。 先週人参を抜いたプランターには、種から育てたミニトマトの苗を植えました。 プランターの土は、ほとんど生ゴミ…
今週のお題「変わった」 桜が散って、今の時期にはハナミズキが咲いています。桜ほど華やかではありませんが、桜が散った寂しさを埋めてくれるような気がします。 毎日の通勤のバス通りに、ハナミズキの並木があります。前の職場に行く通りにもハナミズキの並木がありました。 イチョウやケヤキと違って、ハナミズキはあまり大きくならず、手入れも簡単で、害虫もつきにくいので、街路樹に多く使われるようになりました。 百年少し前に、日米友好のあかしに、日本からは桜が贈られ、アメリカからはハナミズキが贈られました。日本人が桜を愛するように、アメリカでは、ハナミズキが愛されているようです。 ハナミズキの花は十字の形をしてい…
今週のお題「お花見」 今日は妻と、高麗川にある巾着田に行って来ました。良い天気に恵まれて、ハイキング日和でした。 高麗川駅から、歩いて40分くらいの道のりでしたが、途中さまざまな春の花が迎えてくれました。桜に水仙、チューリップ、菜の花、ツツジ、柴桜など、道路沿いの花壇や家の庭々に咲いていました。 巾着田は、秋は曼珠沙華やコスモスが辺り一面に咲きますが、今の時期は菜の花や桜が咲いていました。染井吉野は満開を過ぎたところで、花吹雪が舞って綺麗でした。 菜の花が巾着田一面をおおっているのかと思いましたが、ところどころに少し咲いているだけでした。 しかし、そのお陰で名も知らない、さまざまな小さな綺麗な…
昨日はお彼岸の中日でした。「彼岸」は向こう岸という意味です。悟りを開いた仏の世界が「彼岸」です。凡夫が修行をして、煩悩から解脱して、仏になって「彼岸」に行きます。 それに対して、煩悩に苦しむ凡夫の世界は「此岸(しがん)」です。こちら岸という意味です。今私たちが住んでいる世界のことです。 仏の世界を極楽浄土や西方浄土といいます。彼岸の中日は、太陽が真西に沈むので、昼と夜の長さが同じになります。西方浄土に成仏することを願って、彼岸が始まったといわれます。残念ながら、昨日は曇っていて、日没は見られませんでした。 お彼岸というと先祖供養のイメージがあります。しかし煩悩から解脱して仏になるのは先祖ではな…
毎年、トマトが終わったプランターに春菊の種を蒔きます。一つには、トマトの連作障害を軽減する目的がありますが、もう一つは春菊が好きだからです。去年の秋に蒔いた種から、もう三回ほど収穫しました。 一度収穫しても、下のほうを残しておくと、わき芽が出てくるので、繰り返して収穫が可能です。 春菊は自己主張が強く、少しクセがありますが、あの独特な香りと味が好きです。茹でておひたしにしたり、味噌汁やラーメンに入れたり、天ぷらにして食べます。 収穫が終わると、毎年花を咲かせます。黄色い菊の花が咲きます。味に比べると、少し平凡な花です。そして種を採取して、また蒔きます。毎年、その繰り返しです。こんな便利なことは…
以前白菜について書きました。花を見た記憶がないので、このまま花を咲かせてみようという内容です。 その花が咲きました。まったく菜の花と同じでした。それもそのはずです。白菜はブロッコリーやキャベツ、カリフラワー、大根などと同じアブラナ科でした。菜の花と似ていて当然です。花だけ見たら、これが白菜とは分かりません。 次は種ができるまで待つつもりです。そして、また種を撒きます。この白菜の種は百均で買いましたが、わずか6粒しか入っていませんでした。これを10倍以上にしたいと思います。そうは言ってもベランダなので、やはり6個育てるのが限界かなと思います。 こんな話を聞いたことがあります。昔、海外のある人が他…
一月に収穫が終わったプランターが四つありました。このままではもったいないと思い、冬のまっただ中に蒔くことのできる種が、何かないだろうかと探しました。 十年近く前に買って残っていた、ほうれん草の種がありました。ほうれん草は芽が出にくいと聞いていたので、種を一晩水の中に浸けておきました。どうなるかと思いながら、蒔いてみました。なかなかすぐに芽が出ませんでした。古い種だったり、低い気温なので、発芽しないのかなと思いながら、追加して蒔きました。 一週間以上たってから、Vの字をした二葉が二つ、三つ出てきました。初めは雑草かなと思いました。しかし種を蒔いたところに、規則正しく出てきたので、ほうれん草に間違…
たくあんを食べたくなりました。自分でたくあんを漬けようと思い、大根を買ってきました。大根のキムチは作ったことがありますが、たくあんは以前一度漬けて、スが入ってしまい失敗した経験があります。二度目の挑戦です。 ネットを検索して、簡単そうなレシピを探しました。家にある材料の塩と砂糖、みりん、酢を使って作るレシピがあったので、それに決めました。 大根を縦と横の四つに切って、水と塩と一緒にジップロックに入れて、三日間冷蔵庫で寝かせました。 そのあと水洗いしてから、酢と砂糖、みりんと一緒に再びジップロックに入れて、再び三日間冷蔵庫で寝かせました。 袋から取り出して、食べてみました。スーパーで買ったのと全…