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人の心がキリスト光で浄化されれば、視界が開け、天国が見えて来ます。内部から発する真実の愛によって、人は真理を知り、生死を超えて未来が見える者となります。ホワイト・イーグル霊のスピリチュアルメッセージ
「イエスがなぜ、死後の生活について余り語らなかったか、分かって貰えましたか。イエスが示した法を、弟子達が働かせさえすれば、死はもはやなく、従って死後の生活を語る必要はなかったのです。イエスは二つの方法でこの事を示しました。第一は『変容』です。三人の弟子と丘に登り、彼等の意識を高めた後、彼を見つめるように命じました。彼等に本当の生命の顕現を見せるためです。彼等の面前で、イエスの身体からは愛の光がキラ...
人がもし心の底から天的状態に到達したいと希求するなら、その人は光明をキリストを、その魂に引き寄せることになります。ホワイト・イーグル霊のスピリチュアルメッセージ
「福音書には、死後の生活について殆ど触れていません。イエスはむしろ、すべての真理はただ一つの言葉の中にあると言おうとしたのですーーー『愛』これです。イエスは申しました『互いに愛せよ。愛は法の履行で在る』と。イエスは霊界に関心を示しませんでした。同じく、また人間の物質的・知的・情緒的側面にも関心を示しませんでした。イエスは生命を幾つものに分けることをしなかったのです。全体として人間の生命を考えていたの...
【ニュージーランド】イースターホリデーがやってくる【2025年】
今週末はイースターホリデーです。 金曜日から翌月曜日までがお休みとなります。 今回は、イースターとは何なのか?ニュージーランドでのイースターはどうなのか?など紹介していきます。
【社会】李在明氏のクリスマスメッセージ、内乱からの希望を探る
李在明氏「キリストがこの地に来られたなら」…「内乱の闇を追い払う国民のそばに」=韓国 - MSN 李在明氏「キリストがこの地に来られたなら」…「内乱の闇を追い払う国民のそ
「マタイ福音書 初心者向け解説」でイエスの教えや奇跡を簡潔に学べる!旧約聖書とのつながりや信仰の基本をわかりやすく紹介します。
【クリスマス】ケンタッキーの作られ方”優しく見守るフライドチキン?”
【クリスマス】ケンタッキーの作られ方 ケンタッキーの作られ方です。 クリスマスにケンタッキーフライドチキンを食べる方は読んでおきましょう。 お忙しい中…
初心者向け聖書物語を通じて、ノアの箱舟、ダビデとゴリアテ、イエスの誕生といった聖書の名場面をわかりやすく解説。
今、中山茂大著『旅人思考でイスラムと世界を知る本』(言視舎)を読んでいる。イスラム圏を中心に世界を旅した著者が見聞きした、一般市民の生の姿を描き出すショートエッセイ集である。1話につき1〜2頁という短さと、平易な語り口、そして内容のおもしろさからスラスラと読めてしまう。半分ほど読んだところだが、気になる記述が出てきたのでちょっと立ち止まってみた。 この著者、イスラム…
何度も書いていることだが、重要なのでもう一度書く。 現代の「イスラエル国」の存在は、聖書の預言の文字通りの成就である。聖書に書かれているとおり、地の四方から、特に北(旧ソ連)から、たくさんのユダヤ人たちがイスラエルの地に帰ってきて、住み着いている。彼らは荒れ果てていた土地を開拓し、緑あふれる森林と、豊かな産物をもたらす農地を回復させた。廃墟は建て直され、人々が暮ら…
イスラエル(ユダヤ人)は、世界に祝福をもたらすために、特別に選ばれた民族である。具体的には、聖書はイスラエル人を通してもたらされ、救い主イエスはイスラエル人の中から生まれた。イスラエルがイエスを拒んだことさえ、異邦人に福音が広がるきっかけとされた。やがて、イスラエルが民族を挙げてイエスを信じる時に、イエスが再臨する。だから、今もイスラエルの選びに変わりはない。そして…
生まれたからには、絶対に必ず死にます。おー難しいこと言うね当たり前なのに考えないようにして生きていません?他人の余命宣告なんかには、そういうこともあるさ!どうせ一回は死ぬんだからね。俺もそのうち行くからさ。な~んて言えちゃいますけど。自分の死を宣告されたらあ~神様仏様。イエス様。ウソだろ!冗談だろ!まじかよぉ~!急に信心深くなって、私の病気を奇跡で治してください。と祈ってしまう。藁をもつかむ気持ち...
人々は、前に目の見えなかったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。(13~14) イエスによる、神の大きな祝福のわざを見た人々がしたことは、律法を用いてイエスを裁くことであった。神の憐み深い御わざを目にした時に、その救いを素直に喜んで、神をほめたたえることが出来ない理由が律法に拠ることなら、その律法の用い方は的を外している。どこから間違ってしまったのか、神がどのようなお方であるかを、みことばに静まって聴くべきである。 こういうわけで再び、パリサイ人たちも、どのようにして見えるようになったのか、彼に尋ねた。彼は、「あの方が私の目に泥を塗り、私が洗いました。それで今は見えるのです」と答えた。(15) 彼の言葉は、誰に対しても真実を語ってぶれるこ...目が不自由な人の癒やし②(ヨハネの福音書9章)
長崎孔子廟&中国歴代博物館 日本唯一華僑が建てた中国様式の孔子廟、ここは中国!
孔子は釈迦・ソクラテス・キリストと並ぶ世界四聖(しせい)の一人!孔子廟は中国人によって海外=日本の長崎に建てられた孔子を祀る廟堂です 孔子廟大成殿の孔子座像 長崎孔子廟 孔子廟 大成殿 孔子廟 儀門 平成30年(2018年) 11月16日 村内伸弘撮影 動画制作: 村内伸弘...
あなたがたは、あなたがたの父がすることを行っているのです。」すると、彼らは言った。「私たちは淫らな行いによって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神がいます。」(41) 彼らは「淫らな行いによって生まれた」と、処女マリアが結婚前に聖霊によってイエスを身籠った事実を、卑しい自分たちの想像によってイエスの出自を貶めているのである。彼らのひとりの父は、この言葉によって悪魔であることを現わしている。 彼らはこの時まで陰でコソコソと噂していたのであろうが、この時彼らの救い主イエス・キリストに向かって「淫らな罪の子」と言ったのである。人は自分の中に在るものを持って他を量る。罪を持っている者は相手にも同じ種類の罪の秤で量り、キリストに拠って聖くされた者は、きよさの秤で自他を量ることが出来る。 イエスは言...わたしは世の光です④(ヨハネの福音書8章)
災いを通り抜けた人々が、見間違えるようにキラキラ輝くようになる
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」 マタイ18-3 何か込み入った課題を達成しようとした時 、あれこれ思いを巡らし計画を立てて、 事を進めます。それが行き過ぎ、ちょっとでも自分の計画通り進まないと、イライラして周囲の人に当たってしまうということになるのでしょう。100%自分の思いが達成することが当たり前となってる人は、周囲につまずきを、また害を撒き散らすトラブルメーカーになってるに違いありません。 そのようにして上昇志向の強い、 競争意識の塊のようになってる人は、「 誰が一番偉いのか」という思考になるのです。 人につまずきを与えて…
なぜ西暦はキリストの誕生から始まるのか?歴史に隠された理由を探る
普段、何気なく使っている「西暦」。2024年、2025年といった数字が示すこの暦は、私たちの生活にすっかり根付いています。しかし、なぜ「西暦」はキリストの誕生から始まっているのでしょうか?この記事では、その歴史の背景に隠された理由をわかりや
先日の北陸宣教大会では3つの分科会がありました。 私は鯖江キリスト教会牧師:マーチン冨美子先生による「ダビデ・マーチン 北陸宣教の記憶~北陸に二度遣わされて…
ユダヤ人たちは祭りの場で、「あの人はどこにいるのか」と言って、イエスを捜していた。群衆はイエスについて、小声でいろいろと話をしていた。ある人たちは「良い人だ」と言い、別の人たちは「違う。群衆を惑わしているのだ」と言っていた。しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はだれもいなかった。(11~13) 神を恐れる者は人を恐れないが、人を恐れて群衆に紛れている者が、天地創造の神を告白することはない。彼らは奇跡を見ても、イエスのパンを味わっても、イエスをキリストと証することはない。彼らは小声でひそひそとイエスを探し、遠くから見物するだけである。しかし、彼らはイエスに在るキリストのわざを見たのであり、その事実を認めずに、神が遣わされたイエスを礼拝しないことは、神に反抗する罪なのである。 祭りも...イエスの時②(ヨハネの福音書7章)
世界の貧しい人を救うのでなく、まず自分の身の回りの人の苦難を共に負っていく覚悟を決める
「わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。」 ヤコブの手紙 2:14 立派に説明できることや相手を説得することができることで有頂天になることがあります。自分の成功に酔いしれてあたかも自分が神になった様に思います。話すだけで得られた効率の良い大きな成果は、今後の祝福を約束しているかのようです。しかしこの時ほど自己評価と現実の実績との乖離が大きくなることはありません。口先だけの空っぽの熱狂は、数日経てば冷めるのです。 カウマン夫人の荒野の泉という瞑想書があります。この中で一番感動した話が次のようなもので…
群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないことを知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り込んで、イエスを捜しにカペナウムに向かった。(24) 満腹して余りが出るまでパンを味わった群衆は、病気の癒しに加えて食物の心配までしてくれる、イエスを王として命の心配から解かれようとした。イエスに膨らむ彼らの欲求は支配されているローマに勝利して、プライドも守ってくれることを求めるようになる。 みことばを聞いて主ご自身を求め、経験した御わざによって主を礼拝するには、魂による感情の働きではなく、聖霊と共に霊が働かなければならない。神は霊だから神を知るのは霊に拠るのだ。肉が神のわざを経験しても、際限ない肉の欲求は神を覚えず、御わざにひれ伏すこともなく、絶えず飢え渇いて御わざを利用することを考え続ける。 そして、湖の反対側でイエスを...記憶に残らない神のしるし(ヨハネの福音書6章)
夕方になって、弟子たちは湖畔に下りて行った。そして、舟に乗り込み、カペナウムの方へと湖を渡って行った。すでにあたりは暗く、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。(16~17) マタイではイエスが彼らを舟に乗り込ませたとあり、このことは主から出たことであるとわかる。しかしヨハネの書き方には彼らの心細さが現れている。 強風が吹いて湖は荒れ始めた。(18) 暗い湖で風と波が出て来ても漁師であった彼らには経験があったろう。落ち着いて操作出来たと思うが、彼らはもう漁師の経験によって生きる者ではなく、イエスに依存する弟子であったのだ。 そして、二十五ないし三十スタディオンほど漕ぎ出したころ、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て恐れた。(19) 水の上を歩くイエスを彼らは未だ経験して...霊が見分けられないから恐れる(ヨハネの福音書6章)
あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである。 ヨハネ4-18 人間のプライドほど、人との交わりの中で 邪魔になるものはありません。しかし一方で自立心がなく依存するばかりの人の対応にも困ってしまいます。この悪しきプライドがないことと、自立することの両立のためには、母なるものに触れてありのままの姿を受容していただくことが必要です。実際に優しい人だけでなく、文学、音楽、絵画などの良き芸術に触れることも助けになると思います。 ありのままの存在を受け取っていただいた人は、無理な目標を立てて承認欲求を満たすことに奔走すること、あるいは周囲の人を貶めて、自分が優位に立…
自分らしく神を見上げて歩み続けること、自分の理想と現実をすり合わせて、 適切な自己アイデンティティを確立する
「 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今はあなたにもわたしにも役立つものとなっています。」フィレモン1-11 役に立たない状態というのは、自分では分からないものかもしれません。むしろ自分自身が有能で、目の前の課題をテキパキとこなしている時ほど勘違いをしている可能性が高いです。この時の第一の課題は、自分が大変危険な状態にあるということに気づくことです。ついでまず自分の仕事の閉塞感が訪れます。次いで人間関係が壊れていきます。そして自分自身の存在価値を喪失し、霊的死を迎えるというものです。 この流れの早い段階で、自分の心の危険な状態を察知し、神様の前にいち早く悔い改めることが重要です…
先日 母の為にマリア様を描いた直後に降ってきたこと病室に飾りたい人、必要としてる人がいるよ病室と宇宙(高次元)を繋げよう確かに!浄化もされて心も癒され前向きになるよね👍それならキリストだわ!←友達か🤣ヒーリングの時にキリストの光をよく使わせてもらうので✨勝手に身近に感じています(´ω`人)✝️と言うわけで完成したのがキリストの光皆さんも動画や画像からキリストの愛と癒し浄化の光を🌟ご希望の際は是非公式LINEから...
金銭の欲が全てを台無しにしてしまうという経験は、全てを失ってから反省する段階になって初めて気がつくもの
金銭の欲は、すべて悪の根です。 Ⅰテモテ6章10節 キリスト教を信じているものが金銭に強く 固執していたら違和感を覚えるでしょう。 それは世間一般のイメージから来るものかもしれません。あるいは偶像礼拝に当たるという理由で、そのような考えに反対するのかもしれません。しかし 金銭の欲が全てを台無しにしてしまうという経験は、全てを失ってから反省する段階になって初めて気がつくものだと思います。 お金があってもなくても等しく不幸は訪れます。そんな時、お金があった方がより多くの選択肢を持つことができるから有利だと考えるでしょう。しかし一方で人生の後半を歩む多くの人が知っていることがあります。それはお金持ち…
赦すことの3つの要素忘れること、受け入れること、 包み込むことのすべてを行うことは無理だが、忘れることだけでも出来たらいい
「互いに忍びあい、もし互いに責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。」 コロサイ3-13 この聖句は憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を持ち、互いに赦し合うことの大切さを教えています 。 今まで赦しという言葉を聞くときに、キリストに赦された喜びを持ってとか、自分ではわからない主の御心に従ってという理由で主に従うことを選べとるような気持ちを持ったことが多いです。それは本心ではなくて、心の平安を得るために無理やり脳の中の思考回路を作り上げるような感じです。 このようにして得られた 一時的な平安が、あっという間に崩れ去ることを何度経験したことでしょう。 私は複雑な家庭環境に育ち、すぐに怒鳴るような父…
自ら進んでいじめられる側に向くという不可解な行動は、真理を見ないで目先の安心にしがみつくということ
その上に、信仰のたてを手に取りなさい。 エペソ6-16 この聖句は私たちが 信仰を持ち、神の真理に立ち向かう際にどれほど重要であるかを示しています。信仰は私たちの霊的な武器であり、神の力によって悪しき攻撃から守るものです。 この言葉は悪魔の矢が外から自分に向かって放たれているかのように思います。しかしよく考えてください。自分の心が破局的にまで壊れてしまうきっかけは、外部の矢というよりも自分の中の不安や恐れが張り裂けんばかりとなり、ちょっとした針が触れただけで破裂するということになったということではありませんか。 だからこの御言葉の前に、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備えを身につけなさいと…
たゆまず善を行うとは、相手の傷ついた心の奥の憎しみや怒り、恐れや不安から出る一切の言葉を受け止めるということ
わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。 ガラテヤ6-9 ユダヤ主義者は行動や実践を重視し、信仰を育むために学問と行為を結びつける傾向があります。この手紙はユダヤ主義者に反論するために書かれたものであり、特に6章はクリスチャンの生き様として兄弟たちが互いに重荷を負い、キリストの律法を成就することを目指しています。 ここで書かれていることが自分が率先垂範して正しいことを行い、それを皆が真似るように指導することを言ってるのではないことに気がつかされます。行動から目的となるものを得るのではなく、信仰から目的となるものを得るとはどのようなこ…
主が、周囲のすべての敵からイスラエルを守って安息を与えられてから、多くの日がたち、ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。(1) 主はヨシュアの働きに満足されて、老年期の後半には平和を与えられた。民はリーダー次第で何もかも変わる。主に従順なリーダーに恵まれて、良く聞き従い彼らは主の祝福の中に住んでいた。ヨシュアは全イスラエルの指導者を呼び寄せて言った。 あなたがたは、自分たちの神、主が自分たちのために、これらすべての国々に行ったことをすべて見てきた。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主である。(3) 今の平和は主が与えたものであると、ヨシュアはその事実を、あなたがたは見て来たのだと、改めて確認させている。それはやがてくるヨシュアの終わりの日のために、イスラエルが覚えて置くべきことなのである。良...戦いの中に在るキリストの平安(ヨシュア記23章)
弱いがゆえに、他の人とは異なった人生の道を歩まざるを得なかった~しかしこれが豊かに歩むことの特権となった
もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。 Ⅱコリント11-30 自分の思った予想通り物事を進めることが出来ることこそ、これがプロだという人がいます。十分に用意をして、仮にシナリオ通り行かなくても、第二の道を考えて必ず成功へ導く、そして損益を確保する。これこそがプロであり、失敗するのはまだ修行が足りないということになります。もしこれが本当なら、世の中でプロと呼ばれる人は決して失敗しないということになります 。必ず利益を上げる、必ず成功する、必ず勝利するということです。 しかし小さき者である私は、成功しようと画策して、思い通りになった試しがありません。どんなに心を尽くして、人間の考…
ルベン族、ガド族、マナセの半部族はカナンの地のヨルダン川の流域まで来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは遠くから見えるほど大きな祭壇であった。(10) その大きさは主への感謝と思いを現わしているようである。しかし、その律法に拠らない祭壇は命を脅かすほどの誤解を生むことになった。 イスラエルの子らは、「ルベン族、ガド族、マナセの半部族がカナンの地の国境、ヨルダン川のイスラエルの子らの側の流域に、祭壇を築いた」と聞いた。イスラエルの子らがそれを聞いたとき、イスラエルの全会衆は彼らと戦おうとシロに集まった。(11) 神より発したものでない祭壇は偶像礼拝となり、それらはイスラエルに多くの死をもたらせて来た歴史があり、彼らはイスラエルの中に偶像礼拝が入り込むことを防ごうと直ぐに動いたのだ。 ...誤解①(ヨシュア記22章)
ありのまま生きている自分を、父親が「 お前は本当によく頑張っている。」と認めてくれれば、承認欲求は吹き飛んでいく。しかしそのようなことはまれである。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。 Ⅱコリント5-17 承認欲求の呪縛というのは生涯ついてまわります。 権威的な父親に育てられて、小さい頃から否定され続けてきた子供は、父親の承認を得られるために命がけで自分の尊き生涯の時間を捧げようとします。 良い成績を取り、良い大学に入り、 良い会社に入り、 良い結婚をして、良い子育てをし、 経済的にも祝福され、親の面倒もしっかりと見てくれる、それでいて親を尊敬し続け、 従順に従い続けるという具合です、 ここまでやり尽くしても権威的な父親は子供を認めません。 父親が死ねばそ…
干すことのできる環境なんてない、管理者は今いる人を生かすことから逃れることなどできない。
もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに 属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 コリント人への 第一の手紙12-15~16 相手の問題点を見つけて優位性を見出し、 それを批判することで自分の心を満たすということを人はよくします。その課題が自分の迷惑を被っていることなのか、それとも相手と自分の考えが異なっていることなのか見極めることがまず必要です。頼まれてもいないことを口出ししようとするおせっかいな心は、自分の劣等感の表れです 。ある一面を強調してその他の相反…
愛のあり方を補うための安心できる場(愛情豊かな存在、芸術、文学、他 )が必要。 その最良の場がイエス・キリスト
では、わたしたちは、なんと言おうか。 恵が増し加わるために、 罪にとどまるべきであろうか。 ローマ6-1 パウロは洗礼を受けたものが罪にとどまるべきではないことを強調しています。 洗礼は私たちをキリストに結びつけ 新しい生き方をするための出発点となります。 罪に死ぬという体験をしっかりと心に刻まなければ、新しい歩みはできないのだと改めて気がつかされます。私たちは安心を得るために、過去の立ち位置にとどまり続けて、決して動こうとしません。口ではあれが悪い、これが悪いと言いながら、何も具体的に解決策を打つわけでもなく、また本気で方向転換をしようともしません。方向転換をするためには、今ある生活を離れる…
少し前から富士山を描きたくて描きたくてだけどまさかこうなるとは・・・エネルギーを感じて描いていくうちに変わっていくんですよ✨描き上がって富士山にアクセスすると癒しの美しいグリーンのエネルギーを放っていて皆さんを癒しているそうですそして意外だったのは上からキリストのエネルギーが降りて来ていること‼️(これはあくまでもMANAの感じたことです)富士山は宇宙や神々と繋がる大切なパワースポットなんですね✨登山され...
弱い者がより弱い者に憎しみを吐き出す。その行きつく先でイエス様がお受けになられた
こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて 下さったように、あなたがたも 互いに 受けけいれて、神の栄光をあらわすべきである。 ローマ15-7 この箇所は互いに受け入れるということについて語っています。教会の中で異なる立場や意見を持つ人々が、共に生きる方法について示しています。この受け入れの原動力はキリストが私たちを受け入れてくださるようにと述べられています。キリストが私たちを受け入れ救ってくださったのは神の栄光のためであり、私たちがお互いにどのような関係を歩むのかは、実に神の栄光に関わっている事柄なのです。 パウロはどちらかといえば 聖書の教理に従って正しく歩んでいると自負しているユダ…
自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。 ガラテヤ人への手紙5章1節 ガラテヤ人への手紙5章1節から25節には自由と奴隷の対比が熱く語られています。 パウロの言葉は私たちがキリストによって解放され再び 奴隷になることはないという力 強いメッセージを伝えています。これは私たちが過去の奴隷的な状況から解放され、新しい生命を歩むことを思い起こさせてくれます。私たちは愛によって互いを支え、御霊の実を実践することで自由の子として歩むことができます。 もし私たちが他人の 抑圧や言葉で傷つくことがあるなら、もう一度素…