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エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった。(1) エリコは、イスラエルを恐れて門を堅く閉ざしていた。彼らの恐れはイスラエルの神の御わざを聞いていたからである。門を打ち壊して入って来る敵に向かって一斉に迎え撃つことは、それほど困難とは思えなかったのだろう。 彼らが本当に神を恐れることを知っていたなら、門を開けて降伏し命を求めただろう。神に勝利する戦略ではなく、創造主を悟り、命を願い求める謙遜があれば滅びなかったであろう。ラハブはそのようにして家族ぐるみで命を得たのだ。 それゆえ先に救われた者は、世に向かって神が愛であることを知らせ、一人でも多くの人が聖霊の助けの中で謙遜にされて、天地の創造主である神を悟り、永遠のいのちの救いに与られますようにと祈るのである。 主はヨシュア...みことばの愚かさに在る祝福①(ヨシュア記6章)
神の御子であるイエス・キリストによって、罪の結果である死から救われた者は、約束のみことばに留まる信仰によって永遠に生きるいのちとされた。キリストの御救いに与ることなく永遠に生き続けるとしたら、それは終わりのない刑罰である。罪から発するあらゆる問題の中で、最後の逃げ道を閉ざされるのだから。 それゆえ神は罪を知ったアダムたちが、「いのちの木の実」を食べることがないように、園から追い出された。キリストの十字架によって罪をあがなわれ神の子とされた者が、世の働きを全うして肉体の死を通過すると、まったく新しい霊のからだを着せられて、主の御許で永遠のいのちを生きるようになる。 彼らが死ぬことは、もうあり得ないからです。彼らは御使いのようであり、復活の子として神の子なのです。(ルカ20:36) 死を経ずに携挙の恵みに与...「永遠のいのち」を求めて
主はあなたがたを取って、鉄の炉から、すなわちエジプトから導き出し、今日のようにゆずりの民とされたのである。(20) 主は、イスラエルを選びの民とされ、モーセを備えてエジプトの奴隷状態から救い出された。それは彼らが、契約を守ってくださる神の偉大さ、大いなる御わざを経験するためである。 気をつけて、あなたがたの神、主があなたがたと結ばれた契約を忘れることのないように、またあなたの神、主の命令に背いて、いかなる形の彫像も造ることがないようにしなさい。あなたの神、主は焼き尽くす火、ねたみの神である。(23~24) 神は彼らの何を妬むほどに愛されたのか。万物を創造し支配できる神が人に人格を与えて、交わりによる関係を求められたのである。神は人の自由意思による、親しい交わりを楽しもうとされたのだ。私たちが、御使いを妬...妬む神(申命記4章)
主はモーセにこう告げられた。「アロンと、彼とともにいるその子らを連れ、装束、注ぎの油、罪のきよめのささげ物の雄牛、二匹の雄羊、種なしパンのかごを取り、全会衆を会見の天幕の入り口に集めよ。」(1~3) 任職式は、集められた民の前で犠牲の動物を捧げられ行われた。すべての人にアロンとその子らが、神に選ばれた祭司であることを知らせた。それは神に逆らってアロンを非難することがないようにするためである。それはイスラエルの守りのためである。 キリストの十字架の死と復活によって、うちに臨在してくださる聖霊の助けにより、キリスト者は祭司として主のみこころを行う者である。不完全な自分を恐れて、会衆の前に立たされることから尻込みしてはならないのだ。 だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。だれが、...祭司は恐れず(レビ記8章)