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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

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2016/04/03

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  • 勇者の選択② (ヨシュア記10章)

     ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」ヨシュアはすべての戦う民たちとすべての勇士たちとともに、ギルガルから上って行った。(6~7) ヨシュアは躊躇せずに助けに出て行った。神がギブオンの味方となられたからである。神が味方か、逆らって神を敵とするかは、人が選択したことであった。ヨシュアの厳しい聖絶戦の前に、ギブオンが出て来ることは非常に大切な教えである。  主の御わざを聞いていながら、神の民に立ち向かって来ることは、ギブオンの真逆の行為であり、その傲慢によって自ら聖絶の者となったのである。ラハブも家族ともども主...勇者の選択②(ヨシュア記10章)

  • 勇者の選択①(ヨシュア記10章)

     エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。(1~2) 此処でギブオンが、何処よりも弱くて戦いを避けたのではないことがわかる。彼らはイスラエルの神を悟り、自分たちの力を正しく計算をしたのである。勇者は自分の力を知る者であり、自身の弱さを弁える者が全能の神を頼っていのちを救うのである。 神は、自分自身を救うことが出来ない弱さのうちに、御子キリストをおくってくださった。キリストが罪に病む者に来てくださったのは、神の愛に...勇者の選択①(ヨシュア記10章)

  • 今日の歌(2024.04.10)

     麦の風穂先さわさわ平和なり 幼き日駆けし畦道麦畑今のんびりと思い出歩む今日の歌(2024.04.10)

  • 神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

     ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。彼らと盟約を結んでから三日たったとき、人々は彼らが近くの者たちで、自分たちのただ中に住んでいるということを聞いた。(15~16) ヨシュアは見たから誓ったのである。その結果が良かろうと悪かろうと、目で見たことはその場の事であり、誓うことは何時までも続くことなので釣り合わないことをしたのだ。でも、なぜか人は「この目で見たのだから、これほど確かなことは無い」と言うのである。真実はたった三日後に判明する。肉の耳が「聞く」と言うことも、どこまで真実であるか不確かなものであるが、この時は事実を暴露した。それは、初めにヨシュアたちが予想したことであった。 キリスト者には聖霊なる神が霊のうちに居てくださる。しかし、聖霊によ...神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

  • 見える罠(ヨシュア記9章)

     ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」(3~4.6) ギブオンの策略は聖絶から生きのびるための唯一の策であり、イスラエルの神を恐れてのことであった。 イスラエルの子らはそのヒビ人たちに言った。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」(7) イスラエルの子らはヒビ人の策略に気づかないわけではなかった。そのことは充分に考えられることであったから。 ...見える罠(ヨシュア記9章)

  • 燃えさし(ゼカリヤ書3章)

     主は、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアを私にお見せになった。サタンが彼を訴えようとしてその右手に立っていた。(1) 神の使いの前に引き出されて立っている大祭司ヨシュア。ゼカリヤが見せられた場面は、サタンがヨシュアを裁く裁判であった。 主はサタンに言われた。「サタンよ、主がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめる。この者は、火から取り出した燃えさしではないか。」(2) 神はエルサレムを選ばれたように、ヨシュアもリーダーとして選ばれた。此処に神の権威が存在しており、サタンはヨシュアを選んだ神を訴えているのだ。ヨシュアはきよめの火の中にある者であって、そこから取り出して訴えるのかと、神はサタンの行いを裁かれる。 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前...燃えさし(ゼカリヤ書3章)

  • 今日の歌(2024.04.08)

     ポチポチと芽吹く双葉に花を見る日の近き未来よ 花洗う雨に煙りて静かなりこれも桜よ我も安らう今日の歌(2024.04.08)

  • 恐れてはならない ①(ヨシュア記8章)

     主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民をすべて率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、わたしはアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。(1) 失敗の後悔の中に閉じこもり、恐れていては従順することは出来ない。主は「恐れてはならない」と言われた。立ち上がる勇気はみことばに信頼するときにたまわる。主はヨシュアにアイを与えたと言われた。それがすべてであり人がどのように変わったかではない。弱さのすべてをご存じの主の備えによって、神の栄光があらわれるのである。 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36) あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。その分捕り物と家畜だけ...恐れてはならない①(ヨシュア記8章)

  • 家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

     だから、イスラエルの子らは敵の前に立つことができず、敵の前に背を見せたのだ。彼らが聖絶の者となったからである。あなたがたの中から、その聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。(12) 主はヨシュアに、今イスラエルがどのような立場にあるかを知らされる。アイの戦いには主は居られず、イスラエルが「聖絶のものとなっていた」ことをヨシュアは知った。 世はキリスト者に相応しい所ではなく、サタンが支配を横取りしている世界であって、キリスト者には敵地である。その世に生きる時にキリスト者が最も注意を払うことは、日毎に確認することであって、神が共にいてくださるかということである。 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 立て。民を聖別せよ。...家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

  • 今日の歌(2024.04.03)

     タンポポ一輪取り残す雑草引き ラインにて友より届く写真には春を分かちて親しみし花今日の歌(2024.04.03)

  • なぜひれ伏しているのか ②(ヨシュア記7章)

     主はヨシュアに告げられた。「立て。なぜ、あなたはひれ伏しているのか。(10) 主はヨシュアに何ゆえにひれ伏しているのかと問われる。それは天地創造の神を恐れる者の絶えざる礼拝なのか、失敗の罰を恐れてなのか、何を得ようとしてなのか・・。ヨシュアは今、訳も分からないままにひれ伏している時ではなく、早急にみこころを行わなければならない。 イスラエルは罪ある者となった。彼らはわたしが命じたわたしの契約を破った。聖絶の物の一部を取り、盗み、欺いて、それを自分のものの中に入れることまでした。(11) アカンの罪は、今やイスラエル全体を汚し主に受け容れられないものとした。イスラエルは神にとって一つの愛の対象であり、リーダーを通しての交わりの対象である。 それゆえ主の命令に背く一人の罪は、全体を汚すパン種の侵入であり、神...なぜひれ伏しているのか②(ヨシュア記7章)

  • なぜひれ伏しているのか ①(ヨシュア記7章)

     主がヨシュアとともにおられたので、彼のうわさはこの地にあまねく広まった。(6:27)しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、主の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。(1) アカンの盗みは主を烈しく怒らせた。主の聖絶を汚したからである。多くの命を奪わなければならないほどの神の聖さを侮ったのである。聖なる神のうちに在るには、完全な従順拠らなければ身を守るものはない。アカンの裏切りは、イスラエル全体を汚して主の怒りをかってしまった。 キリストを信じている者には、過去、現在、未来すべての失敗や罪を、御子キリストが十字架で贖ってくださった故に、信頼する者に神との平和と永遠のいのちを頂いているの...なぜひれ伏しているのか①(ヨシュア記7章)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ④(ヨシュア記6章)

     七周目に祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげよ。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。この町とその中にあるすべてのものは主のために聖絶せよ。遊女ラハブと、その家にともにいる者たちだけは、みな生かしておけ。彼女は私たちが送った使いたちをかくまってくれたからだ。」(16~17) 町が、主に従うイスラエルのときの声を聞いたとき、彼らの命は終わった。この町が謙って命を乞うための六日間は終わった。彼らはみな角笛の音を聞いていたのに、命を守るために何もしなかった。聖絶は突然の不幸ではない。 子供は親が守らなければ生きられない。親には家族を守る責任があり、ラハブはその熱心によって家族の命を守った。この世でどんなに良い生き方をしていても、命の主に対して傲慢になり、刻々と失わ...みことばの愚かさに在る祝福④(ヨシュア記6章)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ③(ヨシュア記6章)

     翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱を担いだ。七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って主の箱の前を進み、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは、彼らの先頭に立って行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら主の箱のうしろを進んだ。(12~13) 主に在って働く者は、みな主をほめたたえる喜びに満ちて、朝早く起き出して来てみこころを行う。此処に勇ましいときの声はまだ無く、ただ、主の臨在を知らせる角笛を聞きつつ進んだ。 彼らは二日目も町の周りを一周回り、宿営に帰った。六日間そのようにした。(14) 黙々と町囲いを回るだけの従順は、リーダーを信頼してのことである。ヨルダン川を渡って、ヨシュアに居られる主を経験してのことである。敵を目前にして歩くだけの六日間は、主に魂を平伏させる訓練の時であり、みことばに殉じて自身...みことばの愚かさに在る祝福③(ヨシュア記6章)

  • 今日の歌(2024.03.26)

      鈍色の雨降り止まぬ今日なれば椿の花も葉陰に沈む  長々と雨止まぬ刻如何に生く光見ぬ日の命重たく今日の歌(2024.03.26)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ②(ヨシュア記6章)

      祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたら、民はみな大声でときの声をあげよ。そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民はそれぞれ、まっすぐに攻め上れ。」(5) 主がヨシュアに告げられた勝利の計画は、難しいことではなく幼子にも出来ることであった。キリスト者は聖書と聖霊によって状況の良い時も悪い時も、永遠のいのちに至る勝利をたまわっている。ご真実な神は出来ないことを命じることは決してない。人の出来ない困難のすべては、キリストが十字架で負ってくださったゆえに、主のくびきは負いやすいのである。 ヌンの子ヨシュアは祭司たちに呼びかけた。「契約の箱を担ぎなさい。七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を持ち、主の箱の前を進みなさい。」(6) 祭司の役割は民の前で、主を頂いて喜びほめたたえることである...みことばの愚かさに在る祝福②(ヨシュア記6章)

  • みことばの愚かさに在る祝福①(ヨシュア記6章)

     エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった。(1) エリコは、イスラエルを恐れて門を堅く閉ざしていた。彼らの恐れはイスラエルの神の御わざを聞いていたからである。門を打ち壊して入って来る敵に向かって一斉に迎え撃つことは、それほど困難とは思えなかったのだろう。 彼らが本当に神を恐れることを知っていたなら、門を開けて降伏し命を求めただろう。神に勝利する戦略ではなく、創造主を悟り、命を願い求める謙遜があれば滅びなかったであろう。ラハブはそのようにして家族ぐるみで命を得たのだ。 それゆえ先に救われた者は、世に向かって神が愛であることを知らせ、一人でも多くの人が聖霊の助けの中で謙遜にされて、天地の創造主である神を悟り、永遠のいのちの救いに与られますようにと祈るのである。 主はヨシュア...みことばの愚かさに在る祝福①(ヨシュア記6章)

  • 今日の歌(2024.03.21)

     春の雪朝日に舞いて風に消ゆ 春うらら角を曲がりてシャボン玉今日の歌(2024.03.21)

  • 今日の歌(2024.03.20)

     春キャベツ甘く優しく口に消ゆ 風止みて雨が留めの窓の外花は諦めつくねんと座す今日の歌(2024.03.20)

  • あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)

     イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕暮、エリコの平野で過越の祭を行った。そして過越の祭の翌日、その地の穀物、すなわち種入れぬパンおよびいり麦を、その日に食べたが、その地の穀物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエルの人々は、もはやマナを獲なかった。その年はカナンの地の産物を食べた。(10~12) 恐れによって神の選びの地を拒絶した荒野の40年間、主はイスラエルの民を天からマナを降らせて養われた。ヨルダン川を渡って備えの地に辿り着くまで、不従順の民を養い守ってくださったのである。 今も、天地創造の神を受け容れない人々であっても、神の恵みを受けずに生きているわけではない。空気やあらゆる地の産物のすべて、命のための神の備えによって万物は生かされているのである。 天地の絶妙の...あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)

  • ヨシュア自ら割礼を施す忠実(ヨシュア記5章)

     ヨルダン川の反対側、すなわち西側にいるアモリ人のすべての王たちと、海沿いにいるカナン人のすべての王たちは、主がイスラエル人の前で、彼らが渡り終えるまでヨルダン川の水を涸らしたことを聞くと、心が萎え、イスラエル人のゆえに気力を失ってしまった。(1) イスラエルの為になされた神のわざは、ラハブたち異邦人にも力ある神の存在を知らせていた。キリスト者が人々に責められている時、天地創造の力ある神が味方であることを証してくださる。恐れることなく弱さを曝らすことは、そこにある主の助けを世が見る時ともなる。私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。(1コリント2:4) 弱さを持っている者が主に信頼してみことばに従い、問題だらけの世で平安に生きることは、それだけ...ヨシュア自ら割礼を施す忠実(ヨシュア記5章)

  • 聴いたことばにとどまり続ける勤め ②(ヨシュア記4章)

     イスラエルの子らはヨシュアが命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたとおり、イスラエルの部族の数に合わせて、ヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、宿営地に携えて行って、そこに据えた。(8) ヨシュアにイスラエルの民が従順したのは、主に信頼して命じたことばの通りが、目の前に現れて足で神のわざを経験したからである。主を経験した者はみことばに従順することが易しくなる。主が折々に御わざを見せてくださるのは、人の弱さをご存じだからであり、神の御わざを経験させて下さる時に、人は主が共に居てくださることを見る。 これらの十二の石はヨルダン川の真ん中で、契約の箱を担いだ祭司たちが足をとどめた場所にあったもので、ヨシュアがそれらを積み上げたのである。それらは今日までそこにある。箱を担ぐ祭司たちは、民に告げるようにと主...聴いたことばにとどまり続ける勤め②(ヨシュア記4章)

  • 聴いたことばにとどまり続ける勤め ①(ヨシュア記4章)

     民全員がヨルダン川を渡り終えると、主はヨシュアに告げられた。「民の中から部族ごとに一人ずつ十二人を取り、その者たちに命じよ。『ヨルダン川の真ん中、祭司たちが足をしっかりととどめたその場所から十二の石を取り、それらを携えて渡り、あなたがたが今夜泊まる宿営地に据えよ。』」(1~3) 契約の箱を担いで二千キュピト先立ってヨルダン川に入った祭司は、民のすべてが渡り終え、主の御用が完了するまで川の真ん中に立ち続けていた。聖さを保つための二千キュピトの距離は、神の奇跡の中では一つとなり袖触れあって民を川底から逃れさせ、御計画のすべて終えるまで御わざのうちに留まる。 此処に、ヨシュアの言葉の通りの主の御わざを見て育てられた祭司の信仰がある。流れの中に一瞬足を入れるだけの信仰なら可能かもしれない、しかしすべてが成される...聴いたことばにとどまり続ける勤め①(ヨシュア記4章)

  • みことばを語り主を経験させるリーダー(ヨシュア記3章)

     主はヨシュアに告げられた。「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたを大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」(7~8) 主はヨシュアにヨルダン川が乾いて道が出来ることを伝え、聴いたヨシュアがみことばを確信する平安は、主がともにおられることによる現れである。 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。今、部族ごとに一人ずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰と...みことばを語り主を経験させるリーダー(ヨシュア記3章)

  • 今日の歌(2024.03..07)

     タンポポの元気貰って回り道 一目ぼれ手て噛む鰯フライにし大根コトコト夕餉の善今日の歌(2024.03..07)

  • 聖なる血の赤は救いの色(ヨシュア記2章)

     見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。(18) ノアの家族もみことばに従って箱舟に入ったことで救われた。家族が命を得たほどの善行とはみことばに留まったことである。ロトの家族も、ロトと共にみことばに従った者は救われた。主は家族ぐるみで救いを備えてくださる。それは神が家族が引き裂かれる悲しみをご存じだからである。 神は、愛するひとり子イエスを十字架に掛けるために、地に下して滅びゆく人類を救ってくださった。それゆえ、家族が引き裂かれる悲しみは誰よりもご存じなのである。 あなたの家の戸口から外に出る者がいれば、その人の血はその人自身の頭上に降りかかり、私たちに罪はありませ...聖なる血の赤は救いの色(ヨシュア記2章)

  • いのちを求める熱心(ヨシュア記2章)

     エリコの王はラハブのところに人を遣わして言った。「おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」ところが、彼女はその二人をかくまって言った。「そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私は知りません。(3~4) 主に信頼して行動するなら恐れることはない。彼女は、今神が味方であることを知っているのだ。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 彼女は二人を屋上へ上がらせ、屋上に積んであった亜麻の茎の中におおい隠していた。(6)彼女の知恵は神から出た知恵である。ただ、咄嗟に彼女が彼らを助けたのは、彼女が主を知っていたからである。彼女は町の情報も得ていたが、事が起こったときに...いのちを求める熱心(ヨシュア記2章)

  • ラハブによってボアズを生み(ヨシュア記2章)

     ヌンの子ヨシュアは、シティムから、ひそかに二人の者を偵察として遣わして言った。「さあ、あの地とエリコを見て来なさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。(1) 「なぜ遊女の家なのか?」「主のお導きだから」ただ、それだけなのだろう。御声に導かれるままに在るなら、何処であろうと身を守ることが出来る。人を恐れて躊躇するなら、永遠のいのちを失うことになる。主がラハブに良い計画をもっておられたのだ。彼女が遊女であることによっても変わることの無い計画である。ラハブは主に応答するようにして、命を惜しまず偵察の二人を守った。 イエス・キリストの系図が記されていて、始めて新約聖書を開いた時、冒頭の馴染まぬ名前の羅列に、聖書というものの意味のわからなさを思う。しかし、めげずに聖書を読んで行くとき...ラハブによってボアズを生み(ヨシュア記2章)

  • 今日の歌(2024.03.02)

     寒風に負けぬ椿の赤嬉し 軒の端にチュンチュン並びご挨拶子育てします仲良くしてね 「ちょっと待って、ちょっと待って・・困るよ~」今日の歌(2024.03.02)

  • あなたの前に立ちはだかる者はいない② (ヨシュア記1章)

     ヨシュアは民のつかさたちに命じた。「宿営の中を巡って、民に命じなさい。『食糧を準備しなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡るからだ。あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、あなたがたは進むのだ。』」(10~11) みことばを聴いたなら自分を忘れて、すぐに行うことが従順である。アブラハムが御声に従ってイサクを捧げる時、息子を愛することさえ忘れて朝早く山に登って行った。もし、自分を少しでも心配するなら従順のタイミングは失われてしまうのだ。それは神に信頼しなかったからであり、一番に愛しなかったからである。 創造主なる神への従順は盲目的であって良い。命じられた方は造り主なのだから当然なのである。一体被造物がどうやって造り主のことばを判断することが出来るだ...あなたの前に立ちはだかる者はいない②(ヨシュア記1章)

  • 今日の歌(2024.02.28)

     春近し朝日に駆けるランドセル 満月を夜半に目覚めて眺むれど光冷たく床に飛び込む今日の歌(2024.02.28)

  • あなたの前に立ちはだかる者はいない① (ヨシュア記1章)

     主のしもべモーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。(1~3) 自分はモーセのようではないと躊躇するなら主に喜ばれない。主が喜ばれるのは、呼ばれたなら命じられた座に着き聴いたことばの通りに行う者である。ヨシュアは主が選ばれた者。御声に聴き従うことで必要のすべてを備えられ、主に拠って神の計画を全うさせられる。モーセがそうであったように。モーセは主と一つとなるほどに従順であった。主の御声を聴き取り、みこころを察して民を主に執り成し続けたからである。...あなたの前に立ちはだかる者はいない①(ヨシュア記1章)

  • モーセの手(申命記34章)

     モーセはモアブの草原からネボ山、すなわち、エリコの向かいにあるピスガの頂に登った。主は彼に次の全地方をお見せになった。ギルアデをダンまで、(1)  主はモーセに彼の民の将来の祝福を語らせ、主ご自身が彼の目に見せられた。役割を終えたモーセが見たものは、彼の働きの実である。彼自身がその地を味わうことは無いけれど、そこには確かに彼が主と共に働いた祝福が広がっていたのだ。 今は聖書に永遠の未来が記されてあり、キリストを信じる者にはみことばの約束である永遠を、体の死を通って辿り着く祝福を知ることができる。 そして主は彼に言われた。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」こうしてその場所で、主...モーセの手(申命記34章)

  • 今日の歌(2024.02.24)

     雪便り雑草摘む手止めて聞き 時を経たわずかなシャネル甘き香が言葉の傷の瘡蓋を剥ぐ今日の歌(2024.02.24)

  • 強盗

     そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。(マタイ27:38)イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。(マタイ27:44) 十字架の強盗たちは、群衆と同じようにイエスを罵っていた。群衆はイエスが自分たちの思い通りにならなかったので罵ったのだろうが、強盗たちがイエスを罵った理由も、自分たちの思い通りではなかったことで罵った、人は強盗になって処刑されていても自分の正しさを主張する。 群衆は彼らの義によってイエス・キリストを裁き罵った。強盗たちは、イエスが神と言われながらおめおめと十字架に掛かっている様を罵ったのだろう。「神なら自分を救えと・・」 しかし一人は、イエスが苦しみの中で、自分を殺す者を神に執り成す祈りを聴いたのだ。イエス...強盗

  • 主はあなたを造った父ではないか(申命記32章)

     「天よ、耳を傾けよ。私は語ろう。地よ、聞け。私の口のことばを。私のおしえは雨のように下り、私のことばは露のように滴る。若草の上の小雨のように。青草の上の夕立のように。まことに私は主の御名を告げ知らせる。栄光を私たちの神に帰せよ。」(1~3) モーセに対してつぶやき続けた民に、神はモーセが神の子であることを証しする歌を、歌わせているような章である。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。(ローマ8:16) 「自分の汚れで主との交わりを損なう」(5)汚れはみことばを真っ直ぐに受け容れることなく、人の理屈を持ち込んで、みことばを割り引いたり、付け足したりして捻じ曲げる汚れである。それは神の子のすることではない。聖霊に聴いたことばをそのまま信じないなら、神との関係の...主はあなたを造った父ではないか(申命記32章)

  • 今日の歌(2024.02.17)

     三重菜花ほろりと苦き夕餉なり はやにえのヤモリじゃんけんパーばかりカンピンタンの小さなパーよ今日の歌(2024.02.17)

  • 大切な今日という時(申命記31章)

     主はモーセに言われた。「今や、あなたの死ぬ日が近づいている。ヨシュアを呼び寄せ、あなたがたは会見の天幕に立て。わたしは彼に命令を下そう。」モーセとヨシュアは行って、会見の天幕に立った。(14) モーセに残された時間が差し迫っていた。彼は主の命じられることをすべて成し遂げなければならない。彼には自分のことを心配する時間はなかったろう。しかし、命の終わりまでみことばに集中できるとは、神を信じる者にとってこれ以上ない幸いである。 主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。(8) もし死が、信頼する神との別れならどれほどの恐怖であろう。しかし、主が共におられることを知っているなら、主に従って働く今日と変わらな...大切な今日という時(申命記31章)

  • 罰に代えてたまわる祝福②(申命記31章)

     それからモーセはヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの目の前で彼に言った。「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の父祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。(7) モーセは民の前でヨシュアを励まし、神はすでにモーセではなくヨシュアを選ばれてあることをはっきりと語った。ヨシュアは神の選びであり、その選びはモーセの関知することではない。主の民のリーダーの交代は、それが神の選びであることをはっきりとさせることが、何よりも重要なことである。神の民を守るのは主であるから。 主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。(8) リーダーが誰であるかが重要では...罰に代えてたまわる祝福②(申命記31章)

  • 今日の歌(2024.02.12)

     春まだきギラリと光る鎌の月 キラキラと窓辺光りて飛び出せど風吹く野辺の春はまだまだ今日の歌(2024.02.12)

  • 罰に代えてたまわる祝福①(申命記31章)

     主は、主が根絶やしにした、アモリ人の王シホンとオグおよび彼らの国に対して行ったように、彼らに対しても行われる。主は彼らをあなたがたに渡される。あなたがたは、私が命じたすべての命令どおり、彼らに行わなければならない。(4~5) 神の命令通りに行うときは、神の義によって働くのである。神は生かす者と滅びる者を分ける。主を恐れることを学び、主に聴き従て救いを受けなければならない。神が分けるのは滅ぼさずに生かすためである。 それには愛する御子イエスの血が支払われることになる。イエスの血はすべての人の罪の代価として、唯一罪の無い人の血が支払われたのである。滅びる者はそのキリストを拒絶しているのである。 主の命令に聴き従って生きるために、モーセは主がヨシュアに告げられたことを語る。この言葉を聴いた民は、主に従うように...罰に代えてたまわる祝福①(申命記31章)

  • 主との関係にあって罰さえも平安②(申命記31章)

     あなたの神、主ご自身があなたに先立って渡って行き、この方があなたの前からこれらの国々を根絶やしにされ、あなたはこれらを占領する。ヨシュアが、主が告げられたように、あなたに先立って渡るのだ。(3) モーセが最も伝えたいことは、ヨシュアが主に告げられて民に先立つことである。モーセを失った民の平安のために主のご計画を伝えた。 神が「国々を根絶やしにされる」このみことばに人は激しく抵抗する。神に逆らうのは悪を行った時よりも、人の正しさに拠ることの方が根深い。正義をかざす者が悔い改めの出口を見出すことは、聖霊の介入なしには不可能である。 サタンが、なぜエバに善と悪を知り賢くなる木の実を勧めたのか、人に自分で善と悪を判断する賢さを与えたのか、此処にサタンの恐ろしい知恵を見ることが出来る。 禁断の実を食べたときから、...主との関係にあって罰さえも平安②(申命記31章)

  • 主に信頼して罰さえも平安 ①(申命記31章)

     モーセは行って、次のことばをイスラエル全体に告げて、彼らに向かって言った。「私は今日、百二十歳だ。もう出入りすることができない。主は私に「あなたはこのヨルダン川を渡ることはできない」と言われた。(1~2) モーセはこの日が決して動かないことを覚えて、主のご計画を正確に民に伝えた。彼は明日のことを主に差し出して命を委ねており、今は、民にある主のご計画、ヨシュアをリーダーとしてヨルダン川を渡って行く旅を励まし、彼らの将来を伝える。 それは彼が老いて弱ったからではなく、彼の目も足も衰えてはいなかった。彼がメリバで、主の命令に従って岩に命じて水を出すことをせず、過去の経験に依って岩を打ったことにより、約束の地に入ることを許されずこの地に命を終える。 彼はそれまで民のことを執り成して、主に交渉出来る関係を築いて来...主に信頼して罰さえも平安①(申命記31章)

  • 今日の歌(2024.02.04)

     「帰って来て」友のラインに笑いつつ終の棲家の床磨きおり 石斛を挟んで交わすお交わり亡き夫(つま)共に語る心地す今日の歌(2024.02.04)

  • 主にある者の自由(ダニエル3章)

     ネブカドネツァル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に建てた。(1) 2章の終わりで王は神をほめたたえて、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は知者をつかさどる長官とされた。彼らは奴隷として連れて来られた国で安泰を得たかのようであったが、それは彼らの信仰が試されるための罠のようであった。 王は偶像を造って全ての人に拝むことを命じた。これはまさに人の世である。世の安泰はいつ反転するか分からない。世を支配しているのは、永遠に変わることの無い神ではないからである。王は一時は神をほめたたえたが彼の信仰とはならず、すぐに忘れ去って偶像を作り自分自身を神とした。 「ひれ伏して拝まない者はだれでも、即刻、火の燃える炉に投げ込まれる。」それで、すべ...主にある者の自由(ダニエル3章)

  • 全能の神が共に居てくださる(申命記30章)

     まことに、私が今日あなたに命じるこの命令は、あなたにとって難しすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。これは天にあるわけではないので、「だれが私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちが行えるように聞かせてくれるのか」と言わなくてよい。(11~12) キリストに拠って救われた者のうちには三位一体の神がおられる。まことにこれこそ驚天動地の奇跡である。聖なる神が未だ肉を纏っている人のうちに住んでおられるとは! このことはキリストの十字架が、信じる者にとってどれほどに力ある御わざであるかを現わしている。過去、現在、未来の罪が神の御前に完全に贖われている証である。残念なのは人が罪に対して鈍感であるように、聖に対しても鈍感ゆえに、自分の中に起っている奇跡に気づかないことである。みことばから知ることが...全能の神が共に居てくださる(申命記30章)

  • 神と働いたアダムのように(申命記30章)

     私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことがあなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたが我に返り、(1) 苦難や災いは人が我に返って神の御前に静まり、謙遜にみことばを思い出すことによって、残り少ない命をみこころに用いるようになる。人はすべてが上手く行っている時、自分の正しさに確信を抱き続ける弱さを持っているからである。神の祝福の中で主をほめたたえ、たまわった赦しと憐みの主を語り続けるのである。 あなたの神、主に立ち返り、私が今日あなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、いのちを尽くし、御声に聞き従うなら、あなたの神、主はあなたを元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主があなたを散らした先の、あらゆる民の中から、再びあなた...神と働いたアダムのように(申命記30章)

  • 「永遠のいのち」を求めて

     神の御子であるイエス・キリストによって、罪の結果である死から救われた者は、約束のみことばに留まる信仰によって永遠に生きるいのちとされた。キリストの御救いに与ることなく永遠に生き続けるとしたら、それは終わりのない刑罰である。罪から発するあらゆる問題の中で、最後の逃げ道を閉ざされるのだから。 それゆえ神は罪を知ったアダムたちが、「いのちの木の実」を食べることがないように、園から追い出された。キリストの十字架によって罪をあがなわれ神の子とされた者が、世の働きを全うして肉体の死を通過すると、まったく新しい霊のからだを着せられて、主の御許で永遠のいのちを生きるようになる。 彼らが死ぬことは、もうあり得ないからです。彼らは御使いのようであり、復活の子として神の子なのです。(ルカ20:36) 死を経ずに携挙の恵みに与...「永遠のいのち」を求めて

  • 神の祝福とのろいの誓い(申命記29章)

     先に主があなたに約束されたように、またあなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、今日あなたを立ててご自分の民とし、またご自分があなたの神となられるためである。(13) 主の祝福の契約とのろいの誓いはセットである。神の愛は民の純粋で裏切らない愛によって、滅びることのないいのちを得ることを求められた。愛は温かい血の通った関係を求めるものであり、それは神の愛の真実によることである。 今日ここで私たちの神、主の前に私たちとともに立っている者たちとも、今日、私たちとともにここにはいない者たちとも結ぶのである。(15) この契約は子孫にも働くものであり、やがてキリストによって一つとされる異邦人にも働くものである。主が愛のゆえに結ばれた契約の基本は、「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならな...神の祝福とのろいの誓い(申命記29章)

  • 今日の歌(2024.01.23)

     特売を仕込みて軽し背の荷物 遠回り風と戯る買い出しの菜とヒレ肉は息子の好み今日の歌(2024.01.23)

  • 荒野の40年を守る神(申命記29章)

     モーセはイスラエルをみな呼び寄せて言った。あなたがたは、エジプトの地で、ファラオとそのすべての家臣たちとその全土に対して、主があなたがたの目の前でなさったことをことごとく見た。すなわち、あなたが自分の目で見たあの大きな試み、あの大きなしるしと不思議である。(2~3) イスラエルの民がエジプトを脱出した時のような、恐るべき神の数々の奇跡を今世界が見たとしても、いっせいに悔い改めて真の神に立ち返ることはないだろう。イスラエルの民と同じように、しばらくは恐れて聞き従おうとしても、結局その記憶は日々の必要の中に埋没して行き、あらゆる理屈を並べたてて何も見なかったかのように、それぞれの信じたいものを信じ、自分の生きたいように生きるのだろう。見ただけでは自分の経験とはならず、聞いただけでもそれが「私になんの関係があ...荒野の40年を守る神(申命記29章)

  • 今日の歌(2024.01.18)

     日記帳忙しき日々は真っ白け あけぼのの一分毎の早まりをスマホに空に見るは嬉しき今日の歌(2024.01.18)

  • キリストの身丈にまで達する信仰を求めて

     「わたしは生きている──神である主のことば──。わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」(エゼキエル33:11)  神抜きの正義は罪である。如何なる理由があろうとも、人は「先立つみことば」の正義を求めなければならない。サタンは肉を刺激して正義を焚きつける。戦争はいつもそのようにして始まる。「悪の限りを尽くそう」と戦争を始める国はなく、みな自分たちの正義を翳す。神抜きの正義は悪魔の罠であり、彼らは巧みに物事の本質をすり替えて、信頼するべき神の正義から目を背けさせる。 不信仰な場に集まって結束することは、信仰によって集まることよりもはるかに易しくその結束は堅い。其処ではキリスト...キリストの身丈にまで達する信仰を求めて

  • あなたがたも同じように滅びる(ルカ13章)

     ちょうどそのとき、人々が何人かやって来て、ピラトがガリラヤ人たちの血を、ガリラヤ人たちが献げるいけにえに混ぜた、とイエスに報告した。イエスは彼らに言われた。「そのガリラヤ人たちは、そのような災難にあったのだから、ほかのすべてのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったと思いますか。そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。(1~3) イエスはガリラヤ人が滅んだのと同じ罪を、あなたがたも持っていると指摘された。自分たちには彼らのような罪は無く、滅びることも無いと思っていたからである。罪の自覚がない人には、神が準備してくださったキリストの救いも届かないからである。 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも多く、罪...あなたがたも同じように滅びる(ルカ13章)

  • 今日の歌(2024.01.13)

     待ちかねしチューリップ今お芽出とう! 朝日射す休日ならの朝食はフレンチトースト心に優し カーテンを引けば光が零れ出るこれぞ嬉しきイエスの祝福今日の歌(2024.01.13)

  • 主に身を避けて益となる(申命記28章)

     これらすべてののろいが、あなたに臨み、あなたを追いかけ、あなたに追いつき、ついにあなたは根絶やしにされる。あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、主が命じられた命令と掟を守らなかったからである。(45) 如何なる人もイエス・キリストの十字架によるあがないを、自分の罪の故であると感謝をもって受け取り、救い主を礼拝して神との関係が修復されなければ、永遠に滅びるのである。 人は罪によって創造主を恐れて避けるようになり、生かすためのみことばを喜んで聴いて、従うということをしなくなった。そのことに拠って神の愛に満ち足りる平安を失い、安息する場を失ってしまったのである。 万能の神が無力な赤子として地に下り、命をもって罪の代価を支払ってくださった。そのような神の愛を現わすキリストを無視するなら、イスラエル人であろ...主に身を避けて益となる(申命記28章)

  • 神の怒りと悲しみ(申命記28章)

     もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。(15~16) 「神のすべての命令と掟」を自分の力で守れる者はいない。それゆえ神の呪いに身を任せよということなら、神はこのような命令を出す必要はない。放って置くだけでわずかな時の間に滅ぶ命だからである。人が出来ない者であることを悟って叫ぶ声を待っておられるのである。創造主を神として礼拝し救いを求め、応答する信頼関係によって深まる交わりのために・・。それゆえ、ひとり子の神による救いをすべての初めに計画してくださった。その救いはイスラエル人にも異邦人にも、地にある全人類の罪を贖うに充分な備えである。 あ...神の怒りと悲しみ(申命記28章)

  • 思いもつかないほどの祝福(申命記28章)

     あなたが、あなたの神、主の命令を守り主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたをご自分の聖なる民として立ててくださる。(9) 天地創造の神を信じている者に神の一方的な祝福がある。彼らは主に信頼してみことばを聴き、たまわった命によって聴いたことを行う。ご真実な主が一人ひとりに相応しく必要を備えてくださってあるから、主に信頼しているなら誰でも出来ることである。 みことばを聴き続けているなら、それを行うことも自然な流れであり、聞くばかりということは、聞き流してみことばが留まっておらず、応答が無い所には関係が育つこともない。信頼関係なければ教えを受けて成長することはなく、自分自身を主に委ねて働く力も、そこにある平安も経験せずに、祝福の年月を空しく過ぎ去らせるのである。 地上のあらゆる民はあなたに主の名...思いもつかないほどの祝福(申命記28章)

  • 新年のご挨拶を申し上げます。

     旧年中は拙いブログを尋ね励ましてくださいましたことを感謝いたします。2024年がどのような年になるのか、神ならぬ身には知る由もありませんが、天地創造の神に祈ることが、キリスト・イエスに拠って、如何なる時も守られていることに深い平安を覚えます。世に混迷が深まるほどに、キリストの平安こそ何よりの生きる力となります。2024年もどうぞ宜しくお願い致します。 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。(ヨハネ14:27)新年のご挨拶を申し上げます。

  • 詩篇9編

     主よ立ち上がり人間が勝ち誇らないようにしてください。国々が御前でさばかれますようにしてください。主よ彼らに恐れを起こさせ国々に思い知らせてください。自らが人間にすぎないことを。セラ(19~20)詩篇9編

  • 今日の歌(2023.12.30)

     水仙の香り立つ夜はふと寂し ストーブでことこと炊けず戸惑いの自前のおせちもう退け時ぞ今日の歌(2023.12.30)

  • 祝福(申命記28章)

     もし、あなたが、あなたの神、主の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。(1) この条件を満たすことが出来る人は一人もいない。完全にみことばに従うことも、完全にすべての命令を行うことも人間には出来ない。ただ選ばれた者だけが、主の忍耐のうちに働くことが出来た。 しかし今は、人となられたイエス・キリストによって、神のすべての条件は満たされている。キリストが人類の代表として不足のすべてを満たしてくださったからである。 あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。(2~3) キリストのうちに留まる者は、神の...祝福(申命記28章)

  • 今日の歌(2023.12.26)

     山茶花の借景に窓燃ゆる午後蕪剥きてとろりと煮たるひと椀は師走の焦りほっこり癒やし今日の歌(2023.12.26)

  • 正しいことのゆえに彼は生きる(エゼキエル18章)

     罪を犯したたましいが死ぬのであり、子は父の咎について負い目がなく、父も子の咎について負い目がない。正しい人の義はその人の上にあり、悪しき者の悪はその者の上にある。(20) 父の咎によって子が死ぬことは無く、子の咎によっても父が負い目を負わないと、処罰の限界を定められてあることは、生かす神の愛によることである。 しかし、悪しき者でも、自分が犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべての掟を守り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きる。死ぬことはない。(21) 愛によって人を創造された神は、人が罪を知って反抗する者となり神を避けるようになった時も、その御愛は変わらずクリスマスを計画してくださった。生かす創造主から切り離された魂は、わずかな命の間に滅びて行くものだからである。それは、時に自分たちの思いのままに...正しいことのゆえに彼は生きる(エゼキエル18章)

  • 今日の歌(2023.12.23)

     月白く冬枯れの道向かい風 太陽と北風鬩ぐウオーキング日を仰ぎ見て勝利のサイン鬩ぐ(せめぐ)今日の歌(2023.12.23)

  • 「アーメン」と言いなさい(申命記27章)

     モーセとレビ人の祭司たちはイスラエル全体に告げた。「イスラエルよ、静まって聞きなさい。今日あなたは、あなたの神、主の民となった。あなたの神、主の御声に聞き従い、私が今日あなたに命じる主の命令と掟を行いなさい。」(9~10) 「今日あなたは、あなたの神、主の民となった」とある。昨日までは主の民ではなかったのか。主はあれほどに面倒見てくださったのに・・。主がどれほど良くして下さっても、聴き従うことが無い者とどのよな関係を築くことが出来るであろう。応答しない一方通行の愛は片思いであって信頼関係は生まれない。主の民であることは、主に聴き従う時に生まれる関係なのである。今日主の民となったのは、今日聴き従うことが始まるからである。 その日モーセは民に命じた。あなたがたがヨルダン川を渡ったとき、次の者たちは、民を祝福...「アーメン」と言いなさい(申命記27章)

  • 今日の歌(2023.12.20)

     冬日受け吉野から来た立ち話 花を誉め相槌をもて迎らる団子屋さんも教えられたり今日の歌(2023.12.20)

  • ちょっと切ないクリスマス

     この季節になると教会のクリスマス祝会で、わいわいとカーテンを被って博士を演じ、軽妙な司会に笑いころげ、楽しく語り合ってご馳走を頂いたことなどを思い出す。クリスマスの日程が決まると、私はチラシを作ってご近所から始めて出来る限りの範囲配って歩いた。「クルシミマスだ・・」なんて冗談を言いながらも、せわしい家事の合間に走り回った。ただ、ただ、嬉しくて張り切っていた。 しかし・・祝会が終わるとツリーは手早く片付けられ、会堂の装いは元旦を迎えるために切り替えられる。そうして喜びは世のクリスマスと同じように過ぎ去って行き、もう誰もクリスマスを語らなくなる。クリスマスの喜びはクリスチャンにも過行くものなのか・・調子を合わせながらも、心の奥に何とも言えない違和感を覚えるようになって行った。家にもクリスマス飾りはなくなり、...ちょっと切ないクリスマス

  • みことばの石を据える(申命記27章)

     モーセとイスラエルの長老たちは、民にこう命じた。「私が今日あなたがたに命じるすべての命令を守りなさい。あなたがたがヨルダン川を渡り、あなたの神、主が与えようとしておられる地に入る日には、大きな石を立て、それらに石灰を塗りなさい。(1~2) ヨルダン川の向こうにいる強い敵に対して、神が備えよと言われたものは大きな石である。石を運び入れて白く塗りみことばを書くことであった。 渡ったら、それらの上に、このみおしえのすべてのことばを書き記しなさい。それは、あなたの父祖の神、主が約束されたとおり、あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地、乳と蜜の流れる地にあなたが入るためである。(3) 主が備えてくださった地を受けるための命令は、強い敵と戦う武器を揃えることではなく、賢い戦略を巡らせることでもない。神のこ...みことばの石を据える(申命記27章)

  • 今日の歌(2023.12.10)

     喜びを悲しむ者を気遣えと証責めるは的外れなり罪故に喜ぶ者を喜べず主を喜ばず悲しみを増す喜びは御国の味そ主の味ぞ霊より溢れ身を癒やしたり分かち合い癒やし恵みを聞くことは主に遜る試練の薬祈るたび主の真実を垣間見て御国を知りて世を忘れたり今日の歌(2023.12.10)

  • 今日の歌(2023.12.09)

     叢に水仙一輪見つけたり静かに香る師走の花よ バスと徒歩連れられ行きて服を買う徐々に広がる我がテリトリー 今日の歌(2023.12.09)

  • 聖霊の宮を守ってくださる恵み(申命記26章)

     あなたの神、主があなたとあなたの家に与えられたすべての恵みを、あなたはレビ人および、あなたがたのうちの寄留者とともに喜びなさい。(11) 主を楽しみ喜ぶことは私たちの力となる。みことばの経験による霊の満足は魂もからだも全身を元気にする。主を喜ぶ喜びは周りに居る人にも溢れて行くほどに、豊かな主からの恵みとなる。 第三年、十分の一の年にあなたの収穫の十分の一をすべて納め終え、これをレビ人、寄留者、孤児、やもめに与えて、彼らがあなたの町囲みの中で食べて満ち足りたとき、(12) キリスト者の最も素晴らしい収穫物はキリストの平安である。世のあらゆる理不尽の中で・・、みことばの通じない悲しみの中で・・、自身の足りなさの中で・・、未だ祈りの成就を見ぬ中で、ただ、ただキリストのご真実に拠り頼むときの平安である。 あなた...聖霊の宮を守ってくださる恵み(申命記26章)

  • 捧げもの(申命記26章)

     あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に入って行き、それを占領し、そこに住むようになったときは、あなたの神、主が与えようとしておられる地から収穫する、大地のすべての実りの初物の一部を取って、かごに入れ、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ばれる場所へ行かなければならない。(1~2) 多くの奇跡や神の忍耐深い愛によって、イスラエルの民が約束の地カナンに住まうようになったとき、主の備えに深い感謝に溢れて、彼らは収穫したばかりの物を持って主を礼拝する。それは荒野を行く時と同じように、この地でも主に信頼し頼みとして生きる者であることを現わす。 そして、そのとき任務についている祭司のもとに行って、「今日、あなたの神、主に報告いたします。私は主が私たちに与えると父祖たちに誓われた地に入りま...捧げもの(申命記26章)

  • 今日の歌(2023.12.04)

     馴染みしや七月を経て貰う菊 立ち止まり振り返られつ追い来たり紅葉の堤鯉群れる池今日の歌(2023.12.04)

  • イスラエルのための十字架の祈り

     「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34) イエスが十字架の上で祈られたこの祈りは、イスラエルのための執り成しである。父なる神はイエスの願いを叶えられる。みこころのすべて成し遂げた完璧な捧げものを受けられたからである。イスラエルは、イエス・キリストの執り成しの祈りを謙って受け取り、感謝のうちに礼拝してキリストの救いを受け取らなければならない。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:12) サタンは敵のうちに激しく働いて、イスラエルに彼らの残酷な仕打ちを見せつける。そのことによって心をかき乱されて、目の前の敵に釘づけにされてはならない。彼らの成すべ...イスラエルのための十字架の祈り

  • 完全で正しい重りと升(申命記25章)

     あなたには、袋に大小異なる重り石があってはならない。あなたには、家に大小異なる升があってはならない。(13~14) 異なる重り石や升を持っているのは人を欺く貪欲のためであり、神は使うか使わないかに関わらず、それを手元に置いていることを嫌われる。使う心が無ければ備えないし、持って居ないことは弱い良心の守りとなる。この戒めを守ることは難しくはない。 時には信仰の本音と建て前を自他に感じることがある。それは異なる重りや升のようだ。しかしそれを警戒して信仰の告白や、主を誇る言葉を口にすることさえ控えて、黙り込んでしまうことは違う。神の恵みによって生きている者が、沈黙のうちに恵みと憐みの日々をなんとなく流されて行くことはサタンを喜ばせているだろう。キリストが「あなたはわたしを誰だと言いますか」と問われても、常に口...完全で正しい重りと升(申命記25章)

  • 今守るべき名(申命記25章)

     兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が死に、彼に息子がいない場合、死んだ者の妻は家族以外のほかの男に嫁いではならない。その夫の兄弟がその女のところに入り、これを妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。そして彼女が産む最初の男子が、死んだ兄弟の名を継ぎ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。(5~6)神の選びの民が消し去られることがないように、イスラエルの民の結婚には子孫に名を引き継ぐ義務が課せられていた。 キリストが来られた新約の今は、父なる神のご計画と、御子キリストの十字架の贖い、助け主なる聖霊の働きに拠り、イスラエル人も異邦人も一つの御霊に拠って繋がれ、神の子らは世界中に増え広がった。 キリストによって救われた人々は、感謝をもってみことばに従順する人生を経て肉...今守るべき名(申命記25章)

  • 故無き鞭には主の備えがある(申命記25章)

     人と人との間で争いがあり、その人たちが裁判に出頭して、正しいほうを正しいとし、悪いほうを悪いとする判定がなされたとき、もしその悪い者がむち打ちにすべき者なら、さばき人は彼を伏させ、自分の前で、その邪悪さに応じた数だけ打たなければならない。.(1~2) 此処で許されているむちは、「人と人の間の争い」に対してである。人に対して罪を犯せば人から罰せられ、罪に相当する罪の代価を支払うことによって、共に生ることが許される。 しかし、キリストは誰とも争わず何の罪もなかったのに、人を宥めるためにむち打たれ、その人の罪をも負って神を宥めるだめの捧げものとして十字架にかかられた。使徒たちも、神に成り代わって裁く者に左の頬をも差し出すようにしてむちを受けた。そうして、彼らは悪い者に手向かわず聖書に主の栄光を記したのである。...故無き鞭には主の備えがある(申命記25章)

  • 今日の歌(2023.11.22)

     小春日に下校の子等の平和かな 温き陽に春菊摘んで夕餉の膳今宵ゆるりと明日は祭日今日の歌(2023.11.22)

  • 時代(申命記24章)

      あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主があなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。(19) 近頃雀が減ったことが書かれてあった。田畑に彼らの分が残されないからとあり、それがすべてとは思わないけれど、確かに実に綺麗に収穫されている。すべてが機械的に完全に行われる時、かの地にあっても貧しい人の分を思い出すことは無いだろう。 あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければ...時代(申命記24章)

  • 赦しと憐みの経験(申命記24章)

     父が子のために殺されてはならない。子が父のために殺されてはならない。人が殺されるのは自分の罪過のゆえでなければならない。(16) 親が子の責任を負って命をとられることはなく、子が親のために死ぬことも無いのだ。この定めによって罪の報いが家族にまで及ぶことがなく、子孫は神の守りの中に生かされるのである。 復讐が繰り返されることはなく、先祖の罪科によって戦争が繰り返されることさえ防ぐ。神に赦され互いに赦すことによって、共に生きるように定められたのである。 神は罪を受け入れることができない聖なるお方であるが、罪を憎んでも人を憎まず、罪の故に限りある命となり滅びゆく人類を憐れまれた。それゆえ、御子をキリストとして遣わし、罪の完全な贖いを計画してくださったのである。 キリストを信じた者の罪は神には完全に解決されてあ...赦しと憐みの経験(申命記24章)

  • 弱さ貧しさを心配してくださる創造主(申命記24章)

      隣人に何かを貸すとき、担保を取りにその家に入ってはならない。あなたは外に立っていなければならない。あなたが貸そうとするその人が、外にいるあなたのところに担保を持って出て来なければならない。(10~11) 何という細やかな主のお心遣いであろう。人にはどんなに貧しくても決して手元から離せない物があろう。それを持って行かれるときの心の傷は、飢えや渇き以上の痛みを覚えるであろう。 キリストは言われる。「もう一度あなたがたに言います。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」(マタイ19:24) 金があることは悪いことではないとこの個所で付け加えられることがあるが、金持ちは神の助けがなくても出来ることが多くあるのだ。彼らは病気になれば優秀な医者を探し、最高な医療を求めるであろうし、問...弱さ貧しさを心配してくださる創造主(申命記24章)

  • 今日の歌(2023.11.10)

     傘さして柿と蜜柑を買って来たのんびりとした店内だった 雨降ってほうれん草が安かった家にあるのに買ってしまった 道端に植えたばかりの葉ボタンはいい顔をして雨空を見る今日の歌(2023.11.10)

  • 詩篇91篇に生きるとき

     いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まこと...詩篇91篇に生きるとき

  • 除き去られるべき者が救われた(申命記24章)

     ひき臼、あるいはその上石を質に取ってはならない。いのちそのものを質に取ることになるからである。(6) ひき臼が無ければ小麦はそのままでは食べられず、飢えて死ぬことになる。パンを得るための質草さえ無い一人の存在をも、天地宇宙を創造された神が予め心配していてくださる。このことを通してさえ、神の愛の細やかさは人には測り知ることは出来ない。 創造主なる神は遥か天の高みから見下ろして、罪に染まって死に行く人を放置出来るような御方ではなかった。アダムを御手によって神の形に作り、永遠に生きる神の息を吹き込んで生きる者とされ、人を愛し交わりと慈しみの対象として造られたからである。 罪を犯して神を避けるようになり、吹き込まれたいのちは力を失ったけれど、キリストを告白するための猶予が与えられている。命のある間にキリストを知...除き去られるべき者が救われた(申命記24章)

  • 放蕩息子とその兄(ルカ15章)

     二人の息子がいた。弟のほうが父に、「お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい」と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。(12~13) 弟は飢えて父を思い出し戻って来た。父は遠くから彼を見つけて迎え入れ祝宴を開いて祝った。仕事から帰って来た兄はこのことを怒って、父がなだめても家に入ろうともしなかった。 兄は父に答えた。「ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子...放蕩息子とその兄(ルカ15章)

  • 七回を七十倍するまで赦すキリスト

     私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。(マタイ5:12) 主の祈りには、少なくとも赦されただけは赦すように書かれている。キリスト者は日々に際限なく赦されて生きている。赦す回数を七回までというペテロにイエスはこのように言われた。これは数えきれないことであり無限に赦すことである。 わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。(マタイ18:22) 敵の成したわざが如何に暴虐に満ちた所業であっても、それを行ったのが人である限り、イエスはその人のためにも十字架で聖い血潮を流されたのである。その血潮のあがないは、キリストに応答し悔い改めて礼拝する者に成就するのであるが・・。 サタンは業を人を借りて行う。此処に人は呻き魂を引き裂かれる弱さがあるのである。主にある...七回を七十倍するまで赦すキリスト

  • 今日の歌(2023.10.30)

     祈りして口に運びし肉じゃががのど締め付ける戦火のニュース 老いの身が飢える子観ても箸を持つこの理不尽に許し乞いつつ今日の歌(2023.10.30)

  • 結婚の祝福(申命記24章)

     人が新妻を迎えたときは、その人を戦に出してはならない。何の義務も負わせてはならない。彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、迎えた妻を喜ばせなければならない。(5) 結婚に対する神の祝福が溢れている。離縁状一つで去らせることが出来る妻の存在であるが、神はその妻を喜ばせるこを夫に命じ、たとえ戦の中に在っても時を備えられた。彼らは神の祝福を喜びつ、子孫を生み育て神の民の繁栄を現わすのである。 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。(エペソ5:25.28) キリストは結婚をこのように勧めて祝福された。キリストが教会を愛された愛...結婚の祝福(申命記24章)

  • 相続地を受ける条件(申命記24章)

     新婚の妻に恥ずべき事を見つけたために気に入らなくなり、離縁状を渡して去らせたとあり、その女が再婚して再び嫌われたり、死別したりしてその家を出た後、 彼女を去らせた初めの夫は、彼女が汚された後に再び彼女を自分の妻とすることはできない。それは、主の前に忌み嫌うべきことだからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に、罪をもたらしてはならない。(4) 女が汚されたのは去らせた夫に拠ることであり、彼女の何を恥として嫌い去らせたのか分からないが、再婚したいと思うほどの事柄であれば、初めの判断は身勝手なことであって、主はそのような経緯を忌み嫌らわれるとある。それは夫の権利の乱用であり、彼は神が結び合わせた結婚を汚したのである。 結婚は神の祝福であるが、このような再婚は汚れとある。ただ一度...相続地を受ける条件(申命記24章)

  • 今日の歌(2023.10.23)

     平凡な祝福 朝日は鈍色の雲を鮮やかなオレンジ色に燃やしてゆっくり青空が広がって行く厳かな夜明け「おはよう」 双葉の間からギザギザの本葉が覗いてる押し合いへし合いしている春菊をしゃがみ込んでちまちまと引っこ抜く整列した2センチの葉っぱ「ガンバレ!」 パソコンの前で音を上げる毎日毎日同じため息をついて「ダメだ。無理だ。分からない。」分からないないことを続けて17年今日の歌(2023.10.23)

  • ユダと滅び

     「御前にひれ伏すのに遅すぎることはない」と書いていたことが、ユダの滅びと重なって心に残っていたとき、キリストの十字架のことばをはっきりと思い出した。 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34) イエスの十字架がすべての罪を贖うためのものであったように、キリストが命を捧げて祈られた祈りが、ご自分を殺している者のためだけではなく、ユダを含む全人類の過去、現在、未来に至る罪の執り成しであった。 それほどに神の御子イエス・キリストが十字架で死ぬということの効力は、人類の罪をあがなって完全なものであり、完成されたものなのだ。ユダは、イエスが捕らえれて十字架刑に定められた時、初めて自分の罪の大きさに気づいた。彼はそのとき戻るべきイエスを失っており、身を寄...ユダと滅び

  • 鎌を使ってはならない(申命記23章)

     隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない。(24~25) 神が造られた腹には限りがあるが、かごは限りなく大きくなり貪欲には限りがない。そこには幾ら取っても神にも隣人にも、満ち足りる感謝は無い。 すべての道具には用い方があり、人の益にもなれば人を滅ぼすものともなる。何処でどのように用いるか、鎌から兵器まで作り出す人に在っては、どれほどに心しなければならないことであろう。 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。(ヤコブ1:15)ユダはキリストの豊かな養いの中にありながら、御許にあってみことばを聴いて養われることは無く、彼の心は握...鎌を使ってはならない(申命記23章)

  • 誓ってはいけません(申命記23章)

     金銭の利息であれ食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。異国人からは利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない。それは、あなたが入って行って所有しようとしている地で、あなたの神、主があなたのすべての手のわざを祝福されるためである。(19~20) 神の民の中に貧しさがあってはならない。多くを持った者は乏しい人に分け与え、主の祝福に満ちて御名があがめられるためである。霊のこと魂のことはなおさらであり、キリストを真に知ることがなければ感謝もなく、永遠に至る恵みの喜びもない世と同じ様になって、いのちの貧しさに閉じ込められているなら、救いの神の豊かさをどのように伝えることができるだろう。 あなたの神、主に誓願をするとき、それを遅れずに...誓ってはいけません(申命記23章)

  • 罪が緋のように赤くても雪のように白くなる(申命記23章)

     あなたの神、主が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。こうして、あなたの陣営は聖でなければならない。主があなたの中で恥ずべきものを見て、あなたから離れ去ることのないようにしなさい。(14) 主が救い出して敵を渡すために近しく来てくださるとある。それが神から発した戦いなら勝利を備えてくださる。そのとき陣営はきよく保たれていなければならない。眠っている間に精を漏らした者は汚れているとされ、陣営の外に便所を設け、野の排泄物は土で覆うことも記されている。それらの汚れは霊や魂ではなく体の問題である。 口に入る物はみな、腹に入り、排泄されて外に出されることが分からないのですか。しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。(マタイ15:17~18) 今、...罪が緋のように赤くても雪のように白くなる(申命記23章)

  • 今日の歌(2023.10.13)

     俳句風ふわり思い出させた金木犀 短歌ドアを開け「行ってらっしゃい」手を振りつちょっと驚く風の寒さよ今日の歌(2023.10.13)

  • キリストに在って敵のために祈る

     わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44) キリスト者が敵のために祈ることが出来るのは、その最悪の中にも神の良き計画があることを経験から知っており、すべては人の祝福となるからである。戦いの中の残酷な敵のために祈るのは、神が我らの味方であることを知っており敵をも変えるお方だからである。 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 祈りはまず味方のためであり、イスラエルが目の前の出来事を通して、イエス・キリストに跪いて御救に与る時と成るように、イスラエルのクリスチャンが守られ強められて用いられるようにと祈る。攻め寄せる敵がイエス・キリストに出会って変えられるように、彼らのうちに主が働いてくださるように祈る。救いは...キリストに在って敵のために祈る

  • キリストに在って敵のために祈ることが出来る(申命記23章)

     睾丸のつぶれた者、陰茎を切り取られた者は主の集会に加わってはならない。(1) 神に組み立てられた完全なからだを、偶像や人に仕えるために傷つける行為は神に逆らうことである。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」(創1:28)神はノアとその息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。(創9:1) 神が祝福された命のご計画は「増えよ。地に満ちよ」であり、すべて主が望んでおられる子孫の祝福を阻むような行為はみこころではないのだ。 不倫の子は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ主の集会に加わることはできない。(2) 神は、ダビデとウリヤの妻バテシェバとの間の子は生かされなか...キリストに在って敵のために祈ることが出来る(申命記23章)

  • 今日の歌(2023.10.08)

      俳句不意打ちの秋は駈け足迫る闇 短歌肌寒く布団入れ替え重ね着て脂肪も冷える八十路なりけり今日の歌(2023.10.08)

  • あれから40年

     イエス・キリストの福音に触れて40年であることに、今朝聖書を開いていて気づいた。友に連れられて、小学3年生の息子と教会を訪ねて一つのみことばに出会い、自力を使い果たしていた親子が生きるための脱出の道を見出した。 弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」(ヨハネ9:2~3) 40年間は子育ての真っ最中であり、経済的にも余裕の無い中で二人の息子の大学の学費、氷河期の中の就職、私の入院、主人の信仰から天に召されるまでの様々な出来事の中で、私はいつも主の眼差しを意識していた。すべての頼みはみことばのみだった。幸いにして人間的に頼...あれから40年

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