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ムベさんのプロフィール

住所
奈良県
出身
京都府

自由文未設定

ブログタイトル
石ころ
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1
ブログ紹介文
日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。
更新頻度(1年)

383回 / 365日(平均7.3回/週)

ブログ村参加:2016/04/03

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ハンドル名
ムベさん
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石ころ
更新頻度
383回 / 365日(平均7.3回/週)
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石ころ

ムベさんの新着記事

1件〜30件

  • 東海道を歩いて京都にゴールイン! (2019.11.16)

      スマホの万歩計でこの度、目出度く東海道を歩いて京都にゴールイン。息子にプレゼントを貰った。以前チラッと買い換えたいと話したドライヤー。覚えていてくれた。ウォーキングは大した距離ではないけれど、ほとんど毎日、気分転換に楽しんでいる。帰って消費カロリーを越える補給をしているので、ダイエットには全く意味をなさないけれど、これも楽しみの一つ。鬱々とした時、心を光の中に解き放ってやると心身共に軽くなるし、同じ姿勢でいる時も、歩きだすと血の巡りが良くなったことを実感する。太陽や風や花や木のかおり、土のかおり、秋冬は枯れ草の香りさえも、心身をリフレッシュしてくれる。神さまが用意してくださった世の慰めには、季節ごとの感動もある。詩が浮かんで来ることもあり、ただ黙々と前を向いて早足で歩くときもある。ドングリの殻や落ち葉を踏む...東海道を歩いて京都にゴールイン!(2019.11.16)

  • 絶えることなき賛美(ヘブル13章)

     私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。(14~15)「賛美のいけにえ・・御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えず捧げよう」とある。キリストをうちに宿す者は、寝ても起きても良い時も悪い時も、どの瞬間を切り取っても金太郎飴のように、御救いの喜びに溢れて、神の御名をほめたたえる賛美が、霊の内に心の中に流れている。神との平和をたまわり、永遠の望みに溢れて、日々キリストのうちにも在る身には、この世のあらゆる瞬間に置いても、クリスマスイブの子供のように、上機嫌で従順になってしまうものなのである。その唇から神をほめたたえる歌があふれ...絶えることなき賛美(ヘブル13章)

  • 宿営の外に出て御許に行こう(ヘブル13章)

     イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。(8~9)救いは一つである。ユダヤ人にも異邦人にもキリスト者のアイデンティティは、キリストの十字架にある。皆そこで新しく生まれた者。他に付け加えるものはなく、この比類無き完全な恵み故に他に誇りとするものも、きよめの手段なども必要ない。そのことは真に救われているなら、臨在の聖霊によって知っていることである。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)私たちには一つの祭壇があります。幕屋で仕える者たちには...宿営の外に出て御許に行こう(ヘブル13章)

  • 主に在る兄弟愛(ヘブル13章)

     兄弟愛をいつも持っていなさい。(1)主に在るキリスト者、教会の愛は、彼らのうちに居られるキリストの現れであり、共に天の御国に向かって歩み、共に成長を助ける中で味わうものである。その愛は勇敢であって時に責められることも厭わず、真っ直ぐにみことばを語り、聖霊によって分かち合い、精査し合っているものである。その兄弟愛を「いつも持っている」関係は、キリストのからだの各器官として、理解出来るときも出来ない時も、共に各器官として一緒に働き続けるものである。そう、互いの祈りが絶えることはないのである。その愛は、愛するキリストの現れを願うことから発して、キリストのからだを労りつつ、仕え合っていて、時に忍耐と希望をもって成長を待つものであり、時に共に痛む患部ともなる。互いに切磋琢磨するみことばの遣り取りは、人が作り上げた組織で...主に在る兄弟愛(ヘブル13章)

  • 神が鍛える本当の子(ヘブル12章)

     訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。(7~8)神さまは愛する子を放って置かれない。試練によって鍛え上げ、みこころを成す本当の子とされる。訓練によって聖さに与るのはそこに服従があるからである。それは神さまに、義による行為と認められ、新しく造り上げられて行くことである。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(11)神が人の人生に介入し、がっぷり四つに組んで世で稽古をつけてくださる時なのである。神さまはキリスト者の...神が鍛える本当の子(ヘブル12章)

  • わたしのくびきは負いやすい(ヘブル12章)

     こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。(1)すべての罪の重荷を負ってくださったのはイエスさまである。今、その恵みの中にあって、キリスト者はなんと身軽にされた者であろう。罪の重荷からの解放され、罪科の責めから完全に癒されているからである。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:30)しかし、不信仰は相変わらず罪の責めを負って、責め合い比べあって人の理屈を議論している。クリスチャンにまつわりつく罪は不信仰である。纏わり付くとは四六時中離れることのない状態であって、不信仰は問題のあるときに現れるけれど、根底にある...わたしのくびきは負いやすい(ヘブル12章)

  • 2019.11.9

     小春日に誘われて赤いカートを引いて外に出ました朝の寒さに縮こまっていた体を少し伸ばすようにしてうらうらの陽差しの中をころころとカートを引いて行きました住み慣れた町の坂を下り角を曲がって行きました車を避けるとゆっくりと横を通ってくれました昔、散髪屋だった所をお饅頭屋だった所を通りました明日のパンを選んで特売のだしの素も買いました夕食にパックの鉄火巻きを買いました特売の玉ねぎを二袋も買いましたサッカー台の空き瓶にカサブランカが挿されていてあっけらかんと満開で高貴な香りが流れていました2019.11.9

  • 天の応援団を持っている(ヘブル12章)

     こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。(1)旧約の時代から今に至るまで、信仰の先人たちが主にあって生きた証が、11章に列挙されている。それは、現代の私たちに至る神の計画の歴史であり、すべてを一つとして完成されるために生きて来た一人ひとりの信仰の歴史である。アブラハムに子孫を海辺の砂のように、空の星のようにと約束されたことばの成就に向かって生きた人々の証である。わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。(創世記22:17)彼らは、私たち...天の応援団を持っている(ヘブル12章)

  • 2019.11.8 私をほめてあげた話し

     短歌彩変える山路に鳥の声も無く踏むドングリのはぜる音のみ昨日、使った直後にインターネットが切れてしまった。たぶん、ケーブル会社のトラブルだろう・・何もしなくてもすぐに修復するだろう・・と軽く考えていたがそうは行かなかった。pc関連は費用からトラブルの解決など、すべて次男が見てくれているのだけれど、最近は週末に帰って来ては、買い物や家具の修理など頼んで面倒を掛けて疲れている様子もあり、出来る事なら知らせたくなかった。話せば3週連続で片道3時間かけて帰ることになるから・・。でも、どうにもならなくなったら言うつもりだった。彼の助けがあるからブログを続けることができる。トラブルがあっても比較的に落ち着いているのは、バックに控える助けがあるから・・。イエスさまが居てくださるから、どんなに厳しい局面に立たされても平安があ...2019.11.8私をほめてあげた話し

  • みこころの的を射る(ヘブル11章)

     朝毎に、アベルの捧げものを捧げることができますようにと祈る。それは、主が求めておられるものだから。聴く耳と、みことばを読み取る目を開いてくださいと祈る。主が、今何を求めて居られるのか知らなければならないから。イエスさまはただ一度御自身を捧げられて、すべてを完了された。しかし、私たちは今日の命をもって、今日捧げるものが何であるかを聴く必要がある。それは主と共に生きるためである。信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。(4)神さまに私たちの捧げものを証して頂くためである。それは、神さまが証してくださることばに拠っ...みこころの的を射る(ヘブル11章)

  • 捧げもの(ヘブル11章)

     信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。(4)アベルは羊飼いであるから血を捧げるための動物を持っていた。カインは農夫であり、血をささげることはできないではないか・・と、考えたことがあった。カインに対して不公平であると・・。しかし、カインには別のすばらしい捧げものが用意されていたのだ。神さまの選びに従順し自分を治めることを以て、捧げものとすることができたということ。それは自分自身を捧げることなのである。神さまは、すべての人が同じたまものではなく、一人ひとりに相応しく捧げものを備えてくださっていた。備えられたタラ...捧げもの(ヘブル11章)

  • あなたはわたしを愛しますか(ヘブル11章)

     初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)聖書はいきなり信仰から入る。分厚い聖書の1行目から、神が万物を創造されたという書き出しで始まり、信じられない人には此処で終わり、信じる人は「本当なの?」という驚きから始まる。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。(3)無限に思える宇宙も数え切れない星々も、山も川も草木もすべての生きもの、そうして私たち人間も、すべて目に見える物は、人の目には見えない神の作品である。このことを人は、聖霊の導きによって聖書から悟るのである。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければなら...あなたはわたしを愛しますか(ヘブル11章)

  • みことばの約束に留まる(ヘブル11章)

     ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。(10:35~36)キリスト者の忍耐を支えるものは、みことばの約束であり約束の主を信じる信仰である。信仰は聖霊によって導かれ、うちに居てくださるキリストから出て来る。その時は、何を見ても聞いても絶望することが出来ない。たとい心が揺れることがあっても、体がいうことを聞かない時があっても・・。聖霊に示されたみことばに止まって居る限り、私たちに御約束は成就される。主は御真実であり、私たちを知り尽くしておられるからである。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたし...みことばの約束に留まる(ヘブル11章)

  • 2019.11.3 小話

     悲しいことがあってイエスさまにお話していた。「教会でないとお役に立たないのでしょうか」「何人なら、教会と言うのだい?」主に聞き返された。2019.11.3小話

  • 2019.11.1

     俳句 夕闇に鶏頭の赤和らぎて2019.11.1

  • 永遠に完成されている者(ヘブル10章)

     キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行うために。』」(5~7)神さまが望まれた捧げものは、御子の聖なる従順による捧げものであり、神の満足は、御子が神によって造られたからだを、人の罪のあがないのために十字架で裂いて捧げられたことであった。イエスさまの満足は御父の喜びにあり、御父の御計画の完了によって、信じる者は義とされて救いが完成したことであった。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいし...永遠に完成されている者(ヘブル10章)

  • 教会(ヘブル10章)

     教会ではみことばを始め、互いに色々と教えられたり教えたり、礼拝で顔を合わせることが楽しみで信仰の励みとなったものだった。主の恵みの分かち合いで、祈りが応えられた証を聞いた時は、同じイエスさまを信じる者として主への信頼を増していった。主が良くしてくださったことを一緒に喜んで欲しくて、証する日を待ちかねた事もあった。ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず。むしろ励まし合いましょう。その日が近付いていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。(25)新改訳2017「習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず」とあった。いや、習慣に倣って集まるのではないか・・と思ったが、教会の集まりを止める事も、守ることも、それが単に習慣に倣ったものなら、その心はどちらも同じことだと気付いた。世...教会(ヘブル10章)

  • 2019.10.30

     人参も大根もトントン刻み味噌汁煮たりサンマ焼いたり早や日は落ちて独り膳今日の命を如何に生きしや少し焦って味噌汁を飲みサンマは苦く秋は逃げ足2019.10.30

  • 邪悪な良心には拠らず (ヘブル10章)

     みこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。(10)それゆえ、キリストの十字架の血で洗われた私たちは、信仰によってもう罪を意識することはなく、臆することなく神に近づき、交わりの中ですべてのことを祈り、また、みこころを受け取ることができるのである。罪の赦しのための捧げものも終わった今、聖とされた自分自身を御前に置いて、日々喜びの中でみことばに聴き入るのである。キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。(10)私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。(19)邪悪な良心はキリストに服従することを知らず、自分の行いを主張するものである。しかし人は、キリストが十字架で完...邪悪な良心には拠らず(ヘブル10章)

  • 十字架は花嫁料(ヘブル9章)

     人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。(27~28)永遠の贖いがどれほどのものであるか、そのすべてを知る時は、キリスト者が死んだ時である。また、キリストという弁護者を持たない者の罪の裁きの座が、どれほどの恐怖であるかを知るのも死んだ時である。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)それゆえ神は、ひとり子をイエスを十字架にかけるほどに人を愛し、滅びることがないようにしてくださった。神はなぜこれほどまでに人を愛...十字架は花嫁料(ヘブル9章)

  • キリストの血(ヘブル9章)

     金や宝石、織物や毛皮や材木など、世の最も優れたものを用いて、びっしりと書かれている神の命令に従い完璧に作られた幕屋で、大祭司によって罪のあがないのために、繰り返し動物の血が捧げられても、それらは礼拝する者の良心を完全にすることはできません。(9)しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。(11~12)神の聖さがどれほどのものであるのか、神の義はどれほどの完全を要求するものなのか、人には理解出来ない。生まれながらに罪を持っている人間には悟り得ないことである。神の聖さ...キリストの血(ヘブル9章)

  • 「わたしの律法」を生きる(ヘブル8章)

     大祭司が繰り返し、人の罪をあがなう生け贄と捧げものを捧げても、それは天にある救いの影に過ぎす、古びゆくものであって完全に人を救うことはなかった。それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(10)人が神に反抗することや、従いたくてもそれが出来ないのは、罪ある人の心には自分の思いがぎゅうぎゅうに詰め込まれているからである。しかし神の思いを持つ者は、神と一つの心なので神のもの、神の民である。神の心がすべての人の心に書き記されて、神の「わたしの律法」がそっくりそのまま人の思いとなるなら、それは神と一つの心なので神の栄光を現すようになるだろう。その時は葛藤を覚えるこ...「わたしの律法」を生きる(ヘブル8章)

  • 2019.10.25

     短歌秋雨に椿一輪ひそやかに先駆けたりて知らせ届けり2019.10.25

  • 神の完全な備えの中で(ヘブル7章)

     その祭司(イエス・キリスト)は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。この方については、こうあかしされています。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」(16~17)イエスさまは罪の無い御からだをもって、人の罪をあがなうための捧げものとなられ、十字架で死んで、墓に葬られ、三日目によみがえられた。神さまの御計画を完了されたイエスさまを、神さまは御計画の通りによみがえらせられたからである。今、イエスさまは永遠の大祭司として、キリスト者を執り成していてくださるのだ。キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストは...神の完全な備えの中で(ヘブル7章)

  • 神を愛したことは覚えられている(ヘブル6章)

     一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、(4~5)救われたた者は、キリストの十字架に死んで、キリストの信仰によって新しく生まれた神の子であり、聖霊の臨在によって罪から守られ、神との平和を持っている者である。捨てられることのない神の臨在と、永遠のいのちの保証、世では決して味わったことの無い平安を知った者である。主の養いは食べ物から休息、成長への導きから、理不尽に対する復讐までみことばが約束してくださっている。しかし、今のそれはやがてたまわる神の御国の前味わいであり、キリスト者は神の力を知った責任を負っている。堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字...神を愛したことは覚えられている(ヘブル6章)

  • 神が許されるなら、先に進みましょう。(ヘブル6章)

    神が許されるなら、先に進みましょう。(3)新改訳2017どんなに良い計画であっても、どれほどの善行であっても、絶えざる神との交わりの中から発したものでないなら、神の栄光を現すものとはならず、信仰の成長にも繋がらない。むしろ、その成功は的を外して迷走し続けることになる。みことばが無いときは何もするべきではなく、ただ、静まる時なのだ。キリスト者の善いことが聖霊に導かれたみことばに拠るのは、うちなるキリストと一致することばを持たなければ、肉の頑張りとなり、みこころの完成とはならないからである。主に、聴いたことばに従順することから始動するなら、敷かれたレールの上を走るようなものとなる。主がでこぼこ道を平らにしてくださり、事を成功させてくださるのはみことばだからである。わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたし...神が許されるなら、先に進みましょう。(ヘブル6章)

  • 2019.10.21

     俳句むきつけき言葉の痕の雨さぶし2019.10.21

  • 堅い食物(ヘブル5章)

     あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。(12)イエス・キリストについて、もっと聴かなければならないことがあるのに、聴くことが出来ないのは成長しないからである。乳は母によって、食物を選択され、調理され、咀嚼され、体内で安全な状態に加工されたものであって、それを口まで運ばれて飲むのであり、乳児は何の責任を負わない。食物を吟味したり、選択する必要もなく、自分の体調や、成長のために栄養に気を配ることもしない。ただ、与えられるままに飲んで腹を満たし、空腹になれば泣いて知らせるだけである。洗礼を受けて数年は聖書を、日々の学びのような手引き書に従って読んでいた。「...堅い食物(ヘブル5章)

  • キリストの敬虔(ヘブル5章)

     キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と言われた方が、それをお与えになったのです。(5)キリストのすべては御父への従順によって成された。大祭司に任命された神に従って、神と人を繋ぐために、無力な赤子と成って地に下ってくださった。彼は神であるのにご自分では何事も判断されなかった。彼は天の軍勢を呼ぶこともできたのに、ご自分を守られなかった。彼は決して反論も反証もできないことばを持っておられるのに、それを語らず十字架に向かわれた。ただ、神から発したことばを語り、神の愛の御わざを行って、間違いを指摘して悔い改めを教えられ、完璧な従順によって、十字架で神の御計画を遂行され、信じるすべての人を罪から解放された。キリストは、人としてこの世におられ...キリストの敬虔(ヘブル5章)

  • 特別な人(ヘブル4章)

     神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。(創世記2:7)神は天地をはじめ、すべてのものをことばで造られた。しかし、人は神のかたちに手作りされ、神の霊を吹き込まれて生きるものとなった特別な存在であって、その価値は他の生きものとは決定的に違っている。このことは、人が神にどれほど愛された存在であるかを証明している。私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。(14)イエスさまは、すべて造られたもの上におられる偉大な大祭司であって、すべての造り主であり、すべての救い主である。それゆえ、主のみこころがすべてのルールの上にあり、すべての善悪もみことばに拠る。しかし、イエ...特別な人(ヘブル4章)

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