chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

ムベ
フォロー
住所
奈良県
出身
京都府
ブログ村参加

2016/04/03

1件〜100件

  • 今日の歌(2022.08.06)

     子らを待つコロナ調べて帰郷せん主の守り給う微笑みを待つ今日の歌(2022.08.06)

  • ヨベルの年②(レビ記25章)

     土地は、買い戻しの権利を放棄して売ってはならない。土地はわたしのものである。あなたがたは、わたしのもとに在住している寄留者だからである。あなたがたの所有するどの土地においても、土地を買い戻す権利を認めなければならない。(23~24) 土地の買い戻しの権利を放棄してはならないのは、神のものを捨てることだからである。神にたまわった恵みを捨てることは関係を失うことである。永遠のいのちを失うことに繋がるからある。 人は皆、主が創造された地に寄留しており、万物も、自分の命も家族の命も、神から借用しているものである。創造主は神だからである。神のものである故にたまわっている所で、たまわった命の分を安息して生きることが出来るのだ。すべては良き方の庇護の元に在り、完全に備えてくださる御力のうちに在るからである。 もしあな...ヨベルの年②(レビ記25章)

  • ヨベルの年 ①(レビ記25章)

     あなたがたは五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰る。(10) 神が創造された地は神のものである。先祖に割り当てられた地は子孫が受け継ぐ。一時的に手放しても、神の者が神の定められた所に帰る権利は奪われないのだ。神によって人が治められるとき貧困の連鎖は起こらない。親の貧困によって土地を失っていても、神の与えてくださった地に、子らが帰って来るチャンスが備えられていたのである。しかも代価を支払うこともなく。 この五十年目はあなたがたのヨベルの年である。種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木のぶどうを集めてはならない。(11) 畑に...ヨベルの年①(レビ記25章)

  • 今日の歌(2022.08.02)

     静かなり蝉さえ鳴かぬ昼下がり 肌を焼き蝉の声さえ絶える道深き緑陰備えられたり今日の歌(2022.08.02)

  • 安息の年(レビ記25章)

     主はシナイ山でモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地は主の安息を守らなければならない。(1~2) これから先住民の住む地に入って行くと言う時に、主が民に命じられたことは、なんと安息することであった。如何に戦うかでは無く、敵を知ることでもなく、よく働いて地所を広げよでも無く、主の命令に従って休むことであった。 このことはキリスト者の人生にも同じである。キリスト者ゆえの戦いがあり、計画が行き詰って思い煩う事もある。しかし、キリスト者には先立つ聖霊の火がみことばを指し示し、雲の柱が主の臨在を思い出させ、わたしに安息せよと命じてくださる。 正しい人の行く道は平らです。あなたは正しい人の道をならし、平らにされます。(イザヤ26:7)正しい人...安息の年(レビ記25章)

  • いのちのパン ②(レビ記24章)

     あなたはイスラエルの子らに告げよ。自分の神をののしる者はだれでも罪責を負う。主の御名を汚す者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその人に石を投げて殺さなければならない。寄留者でも、この国に生まれた者でも、御名を汚すなら殺される。(15~16) 人が教育によって創造主を知ることは、すべての知識に先立つべきことである。生まれつきのままでは創造主を知ることはなく、神の聖さを知らなければ罪を悟ることはなく、罪を悟らない者には救いもない。主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。(箴9:10) イスラエルは創造主が共に居られる民であり、主に従順する律法が与えられた。知らされた民は責任を負い、律法は救い主に導く道しるべとなる。それは人には出来ないことだからである。 人間を打ち殺す者は必ず...いのちのパン②(レビ記24章)

  • いのちのパン ①(レビ記24章)

     主はモーセにこう告げられた。「あなたはイスラエルの子らに命じて、ともしび用の、質の良い純粋なオリーブ油を持って来させなさい。ともしびを絶えずともしておくためである。(1~2) 純粋なオリーブ油のともしびを絶やさないことは、キリスト者の信仰生活においては、聖霊の導きによる、みことばの光の中に留まっていることである。それは寝ている間も、起きて働いている間も、遊んでいる時も霊のうち在って、望みを実現する永遠のいのちである。 アロンは会見の天幕の中、あかしの箱の垂れ幕の外側で、夕方から朝まで主の前に絶えずそのともしびを整えておく。これはあなたがたが代々守るべき永遠の掟である。彼はきよい燭台の上に、そのともしびを主の前に絶えず整えておく。(3~4) アロンは幕の外であったが、今、キリスト者の霊のうちには三位一体の...いのちのパン①(レビ記24章)

  • にわか雨(2022.07.27)

     昨日までの猛烈な暑さは辛かった・・。今日も午前中は蒸し暑くて、「あ~あ・・今日もか」と少しまいっていたが、雷鳴とともに振り出したにわか雨が止む頃には、シルエットとなった部屋に涼しい風が吹き込んできた。 「ご褒美だ」と独り言をいってハッとした。一体何の褒美なんだと・・、確かに主にほめられることなど何も無いことは、自分が一番良く知っている。でも、「生きていたじゃない」と口を衝いて出た。 それは在ると思った。主はそう言うお方だから・・。忍耐の中で生かしてくださっていても、生きているだけでも喜んでくださっていたと、知ったことがある。苦しみの中で、ただ生きていただけで長らえた命を、評価してくださるお方と知っている。 御手を延べて助け出し、十字架の血潮に洗ってきよめ、暗黒の経験をワクチンのように用いて、世への抵抗力...にわか雨(2022.07.27)

  • 安息日の祝福 ④(レビ記23章)

     主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。この第七の月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる。最初の日には、聖なる会合を開く。あなたがたは、いかなる労働もしてはならない。(33~35) 主を礼拝するときは自分の諸々を無視する。御前に霊、魂、体を差し出して空っぽにし、今日、明日の計画も、将来の心配のすべても放り出して、幼子のように「アバ・父」を喜び、新鮮なみことばを待ち望む聖なる時である。 もし、主の会合で現状の困難を語り続けるなら、主の栄光を何処で確認することが出来るであろう。どのように主に在る望みを、思い描くことができるだろうか。 黙示録の時代に進んでいる今こそ、生ける主のみことばと、全能者の良きご計画に留まり続けて、平安と喜びに満たされる礼拝を捧げ続ける時。此処でのみ、悪し...安息日の祝福④(レビ記23章)

  • 今日の歌(2022.07.25)

     暮れなずむ吉野の里は蝉しぐれ今日の歌(2022.07.25)

  • 安息日の祝福 ③(レビ記23章)

     あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい人と寄留者のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(22) すべては創造主なる神の備えてくださったものである。神はすべての人が生きるための必要を知っておられ、それらをご自分の民が独占することは許しておられない。もし、すべての人が創造主を知り、みことばに拠って生きるなら、戦争も訴訟も貧困も飢えもなかったであろう。主の恵みを分け合えば、誰も飢えて死ぬことばないであろう。 人は神を離れた時からその愛の喪失感を、あらゆるものに代えて満たそうとして来た。しかし、神の愛を経験していない魂は飢え渇いて呻くのである。それは造り主である神だけが、満た...安息日の祝福③(レビ記23章)

  • 今日の歌(2022.07.22)

     にわか雨ヒグラシの音に揺蕩えば薄墨色のこの時が好き今日の歌(2022.07.22)

  • 安息日の祝福 ②(レビ記23章)

     安息日は主にさだめられ命じられなければ、人が進んで捧げることは出来ないであろう。神が放って置くと、日々のあれこれに忙しく休む間を惜しんで働き、いつも疲れて死んで行くことになるのだ。それらの年月は、主にたまわるいのちの備えの時間であり、主の御愛に安らぐ時であり、造り主なる神、救い主なる御子キリストを礼拝して、限りある命を永遠のいのちに繋ぐための時である。 どれほど忙しく働いて世に功績を残しても、それはわずかな年月で色あせて行き、際限なく満足を求め続けて満ちたりることはない。本当に人の飢え渇きを満たすものは神の愛だからである。 主が命じられた安息日は創造主を覚えるためにあり、それは永遠のいのちの望みである。安息日は体だけではなく魂の安息であり、日々の計画に忙しい手を止めそれらを御前に陳列して、主のお導きを仰...安息日の祝福②(レビ記23章)

  • 「私には信仰がないから」と言わないで

     キリストが私たちの過去、現在、未来の罪を十字架で負って、御前に聖い者とし神と和解させて下さった。キリスト者はみなこの事実を信じ告白して救われた。でも、信仰生活において「私には信仰がない」と言う事実が明らかになって行く。 その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ9:24)子の癒しを求めつつも疑った父親の叫びのように、私たちも同じ経験をするのであり、ただ、キリストのうちに置かれているという、みことばに在って平安を得るのである。 キリストが負ってくださった最も重い罪は不信仰である。創造主を知らず、ひとり子をたまわるほどの愛を信じなかったこと。良い方であり、唯一永遠に変わることのない味方である神を信じないで、救いを得ずに勝手に生きて滅びに至り、創造主を悲しませる罪である。 ...「私には信仰がないから」と言わないで

  • 今日の歌(2022.07.17)

     悼みしは曲げた言葉で終わることイエスの命の届かぬ嘆き今日の歌(2022.07.17)

  • 主のユーモア

     「主よ。聖霊によって教えられるみことばを、私が聴き間違っていたり、早合点して伝えていたらどうしますか」「だからわたしは、『人に頼るな』と言ってある。誰でもわたしに直接聴くことが出来るのだから。」 あはは・・もし私が完全なら神は嘘つきになるんだった。人間に頼るな。鼻で息をする者に。そんな者に、何の値打ちがあるか。(イザヤ2:22) 主よ、お守りを感謝します。私たちはあなたを共に語り合い、たまものを用いて自由に分かち合う時、とても新鮮で心がワクワクします。共に一つの御霊に満たされて、それぞれの賜物の違いを愉しみ、主が与えられた違いを愛することができますように。主のユーモア

  • 主にのみ仕えなさい(マタイ4章)

     それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。(1) 完全な人であり神でもあるイエスが、御霊に導かれて悪魔の試みを受けられた。まして人間が世の試みの中で生きるのに、聖霊の導きが無ければ自分が何処に立っているのか、何と戦っているのかを、どのようにして知ることが出来るであろう。 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」(2~4) キリスト者の飢えを満たして神の子を育てるものは、人の知恵の言葉ではなく純粋なみことばである。人を試みるサタンの誘惑は、肉...主にのみ仕えなさい(マタイ4章)

  • 今日の歌(2022.07.14)

     紫陽花は憂い悟りて覗き込む暮れ行く部屋に座する老婆を今日の歌(2022.07.14)

  • アザラシさんコメント感謝いたします。

    長くなってしまいましたので、こちらに書かせて頂きます。お知り合いの方の経験について私はよく分かりませんが、アザラシさんが神の声を求めておられる動機は何でしょうか。 だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。(マタイ7:8~10) 此処でパンや魚を求める動機は、乳ばかり飲んでいる者から成長して、主のみこころを行うためです。神はその願う所を見ておられます。動機が間違っているものを与えると、過ちを助長することになるからです。 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの...アザラシさんコメント感謝いたします。

  • 安息日の祝福  ①(レビ記23章)

     主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。六日間は仕事をする。しかし、七日目は全き休みのための安息日、聖なる会合の日である。あなたがたは、いかなる仕事もしてはならない。この日は、あなたがたがどこに住んでいても主の安息日である(1~3) 神は人に従順による聖さを教えて、関係を繋ぐためにご自分の民に律法を与えられた。人は与えられた律法を行うことによって、神の好意を得て神の民であることを確認し平安を得ようとした。神は世の初めから終わりまで少しも変わることのない方である。しかし、今はその律法のすべてが、初めの通りに行われてはいない。命じられた永遠の掟は、御子キリストがすべてを成し遂げて完了された。律法は、一部だけ...安息日の祝福①(レビ記23章)

  • 神の聖さを悟るために ⑤(レビ記22章)

     主に感謝のいけにえを献げるときは、あなたがたが受け入れられるように、それを献げなければならない。その同じ日にこれを食べ、朝までそれを残しておいてはならない。わたしは主である。あなたがたはわたしの命令を守り、これを行わなければならない。わたしは主である。(29~31) 主に捧げたものを頂くことは主の振る舞いである。それは主の食卓に招かれた宴会であり、余さずに食べ切れるように人々を呼び集めて、気前の良い主の御救いを共に味わい喜ぶ歓喜の時である。 主のたまわりものを明日に取り置くことが出来ないのは、恵みは日ごとに新しく備えられ、「今日は何をたまわるのだろう」と朝を待ち望む者を育てて、一人ひとりに準備してくださった今日の備えを受けるためである。 それらの日々に在っても、自分の足りなさや弱さによる失敗は常にあるが...神の聖さを悟るために⑤(レビ記22章)

  • 今日の歌(2022.07.06)

     にわか雨葉陰に入れ糸トンボ 雨の午後「マタイ受難曲」聴き入りていのちの君を共に讃えぬ今日の歌(2022.07.06)

  • 神の聖さを悟るために ④(レビ記22章)

     主はモーセにこう告げられた。「牛か羊かやぎが生まれたときは、七日間、その母親のもとに置いておく。八日目以後、それは主への食物のささげ物として受け入れられる。」(26~27)                               主への捧げものは屠られていなければならない。生まれつきの命のままで献げるなら、主の祭壇を踏み荒らして汚すだろう。どれほど優れた人であっても、持って生まれたままのものを神に捧げることは出来ない。それは聖さにおいて欠けのあるものだからである。霊において十字架の死をキリストに抱かれて通り、聖霊によって新しく生み育てられて、捧げものとなる。 牛でも羊でも、それをその子と同じ日に屠ってはならない。(28) 私たちのうちから出て来るものを、主の故に屠って死に渡すとき、キリストの心は痛む...神の聖さを悟るために④(レビ記22章)

  • 今日の歌(2022.07.04)

     暑き日の喉を通れと菜を刻む パソコンの疲れ逃れるウォーキング夏鶯と緑の癒やし今日の歌(2022.07.04)

  • 神の聖さを悟るために ③(レビ記22章)

      あなたがたが受け入れられるには、それは牛、羊、あるいはやぎのうちの、傷のない雄でなければならない。欠陥のあるものは、どのようなものでも献げてはならない。あなたがたの代わりにそれが受け入れられることはないからである。(19~20) 神の御前に傷も一切の汚れもない方は、唯一神であるキリストのみである。しかし、イエス・キリストは人となって世に下り、人類の罪を負って父なる神に見捨てられ、御からだを傷つけられて、犯罪者と共に十字架で罰せられて死んででくださった。 神は罪の無いイエスを黄泉からよみがえらせたので、500人の弟子に現れ、使徒たちの前で天に昇られた。キリストは今も神の右の座に座して居られる。主は纏った肉によって人の罪をあがない、神に受け入れられる聖い捧げものとなって、信じる者を救ってくださったのである...神の聖さを悟るために③(レビ記22章)

  • 今日の歌(2022.07.02)

     雷の声を道連れウォーキング夕日も射して今日は賑やか今日の歌(2022.07.02)

  • 神の聖さを悟るために ②(レビ記22章)

     彼らがわたしへの務めを果たすなら、彼らが聖なるものを冒し、そのために罪責を負って死ぬようなことはない。わたしは彼らを聖別する主である。(9) キリスト者はみな主の祭司である。みこころを行うためにそれぞれに与えられているタラントを用いて、主に仕える祭司は働きのために権威が与えられ、必要のすべてが備えられる。 「務めを果たすなら罪を負って死ぬことはない」とある。人は務めを果すときに無知や肉性が混ざることを恐れるが、主が聖別してくださった者の働きは主と共にあり、主はご真実な方であって決して罠にかけることはないのだ。 たまわっているタラントは最低の1タラントでも6000日分の給料相当とある。それゆえ祭司は食べることや将来の思い煩いから解放されて、時に世に逆らっても大胆に主に仕えて、その務めを果たすことが出来るの...神の聖さを悟るために②(レビ記22章)

  • 今日の歌(2022.06.30)

     容赦なき日差しに耐えたミニトマト噛めば弾ける太陽の味今日の歌(2022.06.30)

  • 神の聖さを悟るために ①(レビ記22章)

     主はモーセにこう告げられた。「アロンとその子らに告げよ。イスラエルの子らの聖なるものは慎重に扱え。わたしの聖なる名を汚してはならない。それは彼らがわたしのために聖別したものである。わたしは主である。(1~2) 生まれながらに見たことも聞いたことも、経験したことも無い神の聖さを、人が一体どのようにして、わきませえることが出来るだろう。創造主なる神の聖さに恐れを覚えるのは、キリストに出会ってからである。 神は、ご自身の聖さを曲げることなく愛を成就するために、キリストを十字架で罪の身代わりとして、罪の報酬である死を支払わせ、その事実を信じるだけで、価なく神に受け入れられる救いを完成してくださった。 神の聖さと御愛を知ることが出来たのは、聖霊に触れられ、キリストの平安を頂いて神の憐みを経験し、みことばの知識によ...神の聖さを悟るために①(レビ記22章)

  • 今日の歌(2022.06.28)

     合歓の花けぶるがごとく甘く咲き 道端にいつものカラス転がりて もうからかわず鳴くことも無し今日の歌(2022.06.28)

  • 聖別する主②(レビ記21章)

     主はモーセにこう告げられた。「アロンに告げよ。あなたの代々の子孫のうち、身に欠陥のある者はだれも、神のパンを献げるために近づいてはならない。(16~17)祭司アロンの子孫のうち、身に欠陥のある者はだれも、主への食物のささげ物を献げようと近寄ってはならない。彼の身には欠陥があるから、神のパンを献げるために近寄ってはならない。」(21) 律法はこれら身に欠陥のある者のように不完全であった。戒めによっては、誰も神の聖さに至らない。しかしこの時すでに主は、その子孫のために、完全な救いであるキリストを計画しておられた。ご真実な方だからである。 「しかし神のパンは、最も聖なるものであっても、聖なるものであっても食べることが許される。(22) ダビデが空腹の中で兵士たちと備えのパンを食べても打たれず、からだを守ること...聖別する主②(レビ記21章)

  • 今日の歌(2022.06.26)

     満ち足りて胸に沁み込む悲しみは わがままのごと主を待ち望む今日の歌(2022.06.26)

  • 聖別する主 ①(レビ記21章)

      主はモーセに言われた。「アロンの子である祭司たちに言え。彼らに言え。親族のうちの死人によって自分の身を汚してはならない。 一族の中で主人が自分の身を汚し、自分を冒瀆することになってはならない。(1.4) 神に仕える祭司は自身を聖く保つ者であり、汚れを受けないために死者に近づいてはならなかった。死は罪の報酬ゆえに、死に触れるとき汚れるのである。罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23) 罪によって呪われた死を、神はキリストの十字架を備えてあがない、きよめてくださった。キリストによって信仰者の死を、永遠のいのちに至る門出としてくださった。 わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの...聖別する主①(レビ記21章)

  • 今日の歌(2022.06.25)

     茶粥炊く三十三度の陽は落ちて 梅雨見舞い旨き干物に生姜漬け葉付き人参棘付き胡瓜今日の歌(2022.06.25)

  • 眠りに入る死と永遠の目覚め

     死ぬことは眠ることとある。死んだ者は眠りに入り、時が来たらみな主に起こされて朽ちないものによみがえる。イエスは死者をよみがえらせる時、 「出て行きなさい。その少女は死んだのではなく、眠っているのです」と言われた。人々はイエスをあざ笑った。(マタイ9:24)「どうして取り乱したり、泣いたりしているのですか。その子は死んだのではありません。眠っているのです。」(マルコ5:39)「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」(ヨハネ11:11) イエスご自身が明確に死を眠りと言われた。だから死んだ者はみな眠っているのである。主が目覚めさせてくださる時が来るまで。 夜毎の眠りも小さな死の形をしていて、その間は意識もなく何も出来ない。神を信じる者も信じない者にも死が同じように訪れるよ...眠りに入る死と永遠の目覚め

  • 今日の歌(2022.06.21)

     梅雨空にコントレールのひと欠片ウォーキング汗の水冷心地良き今日の歌(2022.06.21)

  • 愛による掟 ③(レビ記20章)

     あなたがたは、わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている異邦の民の掟に従って歩んではならない。彼らがこれらすべてのことを行ったので、わたしは彼らを甚だしく嫌った。(23) 世に生きる人々と共に汗を流して働き、共に泣いたり笑ったり、折々に共感しつつ助け合う中で、昔も今も地に足をつけて生きる者であることはキリスト者も同じであるけれど、 ある日、キリストに出会って御救いを受け、生まれ変わったとき、世とは違った価値観に生きるようになる。キリストの御足跡を歩むという方向転換は、偶像に関わることをしなくなり、死者を拝むことをしなくなり、軋轢を生むこともあるが、このことは世への大切なメッセージとなる。 もし人を恐れて世に調子を合わせ続けるなら、神の子としての祝福を受けて行く中で、溢れる恵みの出所をどのように証しす...愛による掟③(レビ記20章)

  • 愛による掟 ②(レビ記20章)

     10節から書かれている戒めは性に関することである。不倫、近親相姦への戒めは、「二人とも、必ず殺されなければならない」とある。それは、神が祝福された家族の形を破壊して汚す行為であり、その者は神の民から取り除かれる。 これらの箇所で、神が教えておられることを一言で言うと、許された性は神の祝福によって成立する結婚のみであり、唯一のものであって、他には一切許されていないということである。 このことはなんと厳かなことであろう。キリスト者はキリストの花嫁として、信仰生活の中で整えられて行く。結婚は神の祝福であり、やがて神と結ばれるほどの聖い形であった。 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)神はいつも家族ぐるみ祝福しようと覚えていてくださる。ひとりが...愛による掟②(レビ記20章)

  • 今日の歌(2022.06.20)

     キリストに拠ってみことばを語ることができる。愛の無い者が愛を指し示し、罪在る者が聖さを語る。謙遜でもない者が、謙遜を着せられて語り、愚か者が、賢い神の知恵を行うこともある。 今見ているものを脇に置いて、聴いたばかりの主の祝福を語る。分からない時は、静かにみことばを開いて待ち望む。その言葉は人ではなく、主によって備えられた確かな御約束。 キリストに拠って語る者は、人の評価を受けることはない。責任を負うこともないのは、すべてたまわったものだから・・キリストから溢れ出る恵みに、安らかに留まる霊の祝福。 それは、キリストを喜びほめたたえて止むことはなく、父なる神の御愛を喜びほめたたえて止まらない。神と共に住む御国の夢は、永久まで醒めることはない。今日の歌(2022.06.20)

  • 愛による掟 ①(レビ記20章)

     主はモーセにこう告げられた。「あなたはイスラエルの子らに言え。イスラエルの子ら、あるいはイスラエルに寄留している者のうちで、自分の子どもを取ってモレクに与える者は、だれであれ必ず殺されなければならない。民衆がその者を石で打ち殺さなければならない。(1~2) すべての人は創造主なる神が、母の胎で形造られた人であり、みな神の作品である。神は人をご自分の似姿に造られるほどに愛された。すべての動物は神の一言で地に現れたが、人には神の霊が吹き込まれた特別な存在であり、それは神と共に生きるように造られたのである。あなたこそ私の内臓を造り母の胎の内で私を組み立てられた方です。(詩篇139:13) どれほど人と猿が生物的に似ていようとも、霊的な存在においては似て非なるものである。神は人の救いに御子をたまわったが、猿のた...愛による掟①(レビ記20章)

  • あなたがたは聖なる者でなければならない ⑦(レビ記19)

      あなたがたは、死人のために自分のからだに傷をつけてはならない。また自分の身に入れ墨をしてはならない。わたしは主である。(28) キリスト者は生きる時も死ぬ時も、主の祝福であることを知っており、その平安の中でみこころに身を委ねるのである。神はすでに滅びの死から救い出してくださったのだ。それでも死はしばしの別れとなり遺された者の悲しみは深いが、聖霊は、その悲しみの中でしか聴けないみことばを導いて、慰め、癒やし、御国の再会の望みを確信させてくださる。 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。(ピリピ1:21)神によって生かされている者が、死に抗議をしてその身を傷つける行為は、神のものであるいのちの支配に立ち入ることであり、天に召された人の栄化を地で損なわせる。 聖霊の臨在を知って居る者が、自分の身...あなたがたは聖なる者でなければならない⑦(レビ記19)

  • あなたがたは聖なる者でなければならない ⑥(レビ記19章)

     あなたがたは、わたしの掟を守らなければならない。あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。また、あなたは二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。(19) すべての植物も動物も初めに神が種類ごとに創造された。創造されたままであるとき、地は神の完全な守りの中にある。神の賢さによる備えは、多すぎることも不足することも無く、蔓延って他を侵食することもない。 しかし、人の賢さは目先の便利と貪欲の実を結ばせて、もう創造の初めの状態ではなく、人が始めたことは平等に人を富ませるものではない。人の知恵から造られたもろもろは、やがて手に負えなくなりバランスを崩した自然が呻いている。 地の産物で生きる人々は水にさえ渇き、生きることが困難になってしまった。神は...あなたがたは聖なる者でなければならない⑥(レビ記19章)

  • 「あ~あ やらかした」と思った昨夜

     二日がかりの「あなたがたは聖なる者でなければならない⑤」をアップ直前に失ったと思った。「石ころ」からコピーした④をよく見ないままに、⑤の原稿に上書きして終了していた。題名が同じことは怖いと思っていたのに・・。 原因はアップ直前に席を立ったこと。台所でちょっとのつもりで夕食の準備などを始めたが、席に戻った時にディスプレー画面が省エネモードで消えていたことで、アップが終了していると勘違いしてしまったのだ。 主がご存じないことは起こらないと、それがみこころならお守りであろうと、もう一度書くためのお導きを祈った。誤りのない言葉を導いてくださいと・・。直ぐにもやりなおそうと思っていたが、いや、明日の元気を頂いて祈りつつ、ゆっくりやりなおそうと腹を決めた。 ちょっと気落ちして夕食を取り、短歌でも・・とブログの新規投...「あ~あやらかした」と思った昨夜

  • あなたがたは聖なる者でなければならない⑤(レビ記19章)

     あなたは、民の中で人を中傷して回り、隣人のいのちを危険にさらすことがあってはならない。わたしは主である。(16) キリスト者の中傷は互いのいのちを損なうほどに危険である。世の言葉ではなく神の名を用いて語るからである。それが神の家族に対する攻撃なら、主がご自分のものを守られるからである。 心の中で自分の兄弟を憎んではならない。同胞をよく戒めなければならない。そうすれば、彼のゆえに罪責を負うことはない。(17) 神の家族である兄弟に対して憎しみや妬みが生まれるのは、神の愛から生まれた子でありながら、どれほどに愛されているかを悟らず、あふれるばかりに注がれている愛に気づいていないからであり、勝手に貧しく飢え渇いているのだ。 聖霊はみことばに記されているすべての神の愛を、日々、事々に解き明かして、キリストの平安...あなたがたは聖なる者でなければならない⑤(レビ記19章)

  • あなたがたは聖なる者でなければならない④(レビ記19章)

     盗んではならない。欺いてはならない。互いに偽ってはならない。あなたがたは、わたしの名によって偽って誓ってはならない。そのようにして、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。(11~12) 神の民が盗んだり、欺いたり、偽ることは御名を汚すことであり、それは主を恐れることを知らない者のすることである。神の民が良いことを行えば神の栄光となり、悪いことを行えばそれも神の名によって行っていることであり御名を汚す。 キリスト者は主の豊かな恵みによって盗む必要はなく、嘘を言って身を守る必要もなく、騙しごとを言う必要もない。主は信頼する者にすべての必要を、時を備えて満たしてくださる。神は愛であり、力があり、ご真実なお方だからである。 しかし、舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪で...あなたがたは聖なる者でなければならない④(レビ記19章)

  • 今日の歌(2022.06.10)

     八十路なら忘れば忘れありのまま弱きに助く主が伴えば今日の歌(2022.06.10)

  • あなたがたは聖なる者でなければならない③(レビ記19章)

     あなたがたが交わりのいけにえを主に献げるときは、自分が受け入れられるように献げなければならない。それを献げた日と、その翌日に、それを食べなければならない。三日目まで残ったものは火で焼かなければならない。(5~6) 自分自身を捧げて主の食卓に招かれる。主が喜びの食事を分け与えてくださる宴会である。そう、捧げものを一緒に味合わせて、一緒に楽しもうと招いてくださるのである。健やかな成長のために・・。 宴会は喜びに満ち溢れてあまりにも嬉しいので、差し出されたものは夢中になって平らげるだろう。しかし、その食卓に「ちょっと待てよ」という隙間風が入ると、親密な関係が一瞬にして醒めてしまうのだ。 神はイスラエルの子らのおもだった者たちに、手を下されなかった。彼らは神ご自身を見て、食べたり飲んだりした。(出エジプト24:...あなたがたは聖なる者でなければならない③(レビ記19章)

  • あなたがたは聖なる者でなければならない② (レビ記19章)

     あなたがたは偶像の神々に心を移してはならない。また、自分たちのために鋳物の神々を造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。(4) 神はご自分の作品である人を、愛するひとり子イエス・キリストをたまわるほどに愛され、その背きの罪と汚れをキリストの十字架の血潮によって洗いきよめられた。 神から離れた先に待つのは永遠の滅びであるが、主が備えてくださったものは、神の子とされた永遠のいのちであり、世に生きる今も、神の家族の霊の交わりに居らせてくださる。 真の造り主を知らない人は、自分で作ったものにいのちを任せている。それが偶像であることは人が一番良く知っているのに、作者以上の力を持つ作品が出来るはずもないのに、その物に向かって伏し拝むのである。  私たちの神は天におられその望むところをことごとく行われる。...あなたがたは聖なる者でなければならない②(レビ記19章)

  • あなたがたは聖なる者でなければならない①(レビ記19章)

     主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの全会衆に告げよ。あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、主であるわたしが聖だからである。それぞれ、自分の母と父を恐れなければならない。また、わたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(1~3) 「父と母」ではなく「母と父」とある。共同訳には「父と母」となっているけれど、口語訳にも「母と父」となっていた。「あなたの父と母を敬え」十戒にはこうあるが、此処は内容が微妙に違っている。 この箇所は聖とされて行くための戒めであった。「母と父を恐れよ」とは「敬え」と同じ意図だと思うが、なぜ言葉が違っているのだろうと思った。「恐れる」には「敬う」意味を含むけれど、此処ではより従順を意識させている。 主の聖さには愛と謙遜が伴っている...あなたがたは聖なる者でなければならない①(レビ記19章)

  • 神の愛だけがすべての飢え渇きを癒やす(レビ記18章)

      主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたは、自分たちが住んでいたエジプトの地の風習をまねてはならない。また、わたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地の風習をまねてはならない。彼らの掟に従って歩んではならない。(1~3) カナンの地にはあらゆる性の乱れがあり、人々は欲望のままの振る舞っていた。その地に神を恐れる者がいなかったからだ。彼らの掟とは「すべての自由を尊重すること」だろう。 性が乱れて神の祝福が汚されてしまったのは、神の愛から離れた結果である。魂の飢え渇きによって、愛が存在しない貪るだけの性となり、神の愛で満たされない心の空っぽを、どうしても埋めることが出来ずに病み、罪にまみれて歪んでしまった結果である。それを完全に癒やすこ...神の愛だけがすべての飢え渇きを癒やす(レビ記18章)

  • 久しぶりのお出かけ(2022.06.03)

     今日は、歯医者さんの予約を早めに取って久しぶりに出かけた。デマンドバスと、電車と、タクシーを乗り継いで、歩いたのはスーパーの店内だけであった。こういうのは初めて・・、お蔭で疲れることは無かった。 店内はすっかり模様替えされていて、支払いの方法もまた少し違っていた。親切に教えてくださったが・・。ただ、液晶画面にタッチすれば良いだけであったので、そうだろうとタッチしたとき反応しなかったのだ。でも、教えられてすると直ぐに反応した!こういう嫌がらせみたいな原因は、自分にあることはわかっている。度々経験しているから。 年を取ると手足の先から死んでゆくらしく、〇体のように冷たいときがある。店内には冷房が効いていた。指紋が認証されなかったり、タッチが無視されることはよくあるのだ。自分のスマホにさえ・・、癇癪を起こさず...久しぶりのお出かけ(2022.06.03)

  • 血はいのち(レビ記17章)

     主はモーセにこう告げられた。イスラエルの家の者のだれかが、牛か子羊かやぎを宿営の中で屠るか、あるいは宿営の外で屠るかして、主の幕屋の前で主へのささげ物として献げようと、会見の天幕の入り口に持って来ることがなかったなら、血の責任はその人に帰せられる。彼は血を流した。その人は自分の民の間から断ち切られる。(1.3~4) すべてのいのちは創造主なる神のものである。捧げものとなる動物を、神は人と交わるために備えてくださった。それは罪をあがなって神との関係を守り、神は人との交わりを喜ばれ、人は神を喜びほめたたえるためである。 いのちを好き勝手に扱う時、それは神の目的を果さず、いのちを奪った事実だけが残るのである。その時その人は切り離される。みことばに聞き従わない関係は、すでに壊れているのだ。 捧げもは神のことばに...血はいのち(レビ記17章)

  • 今日の歌(2022.06.01)

     水無月や薄き布団に目覚れば障子ほのかに白みて静か今日の歌(2022.06.01)

  • 荒野の雄やぎ(レビ記16章)

     アロンが聖所に入る時は罪のきよめの捧げものを持ち、水を浴びて聖なる装束を付けて入る。アロンが神に仕える備えは、ただ、みことばへの完全な従順。頭の上からつま先まで、神が命じられた言葉によって身を覆うことである。彼からのものを完全に排除して・・。 イスラエルの会衆から、雄やぎ二匹を罪のきよめのささげ物として、雄羊一匹を全焼のささげ物として取る。アロンは、自分のための罪のきよめのささげ物である雄牛を献げ、自分と自分の家族のために宥めを行う。(5~6) 彼は雄牛の血をもって自らと家族の、神の御前に死に当たる罪をあがなう。それは聖なる神を宥めるために流される血である。此処でアロンは家族を負って、仕えていることがわかる。祭司は家族ぐるみで主に仕える者なのである。 雄やぎ二匹を取り、それを主の前、会見の天幕の入り口に立たせ...荒野の雄やぎ(レビ記16章)

  • 今日の歌(2022.05.30)

     日は暮れて秒針見つめ明日を待つ明日になれば新しい力今日の歌(2022.05.30)

  • みことばに在って輝く命

     主にたまわったいのちは、この体が生きている時も死んでからも、少しも変わることのない永遠の約束の中で生きるものである。ご真実なみことばの約束を信じた時に、この永遠の希望は人の知らない平安となり、今もこの命に成就しつつある。 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。(Ⅰコリント15:44) 血肉のからだで母より生まれ、愛である神の忍耐と憐みによる守りの中で、今日まで生かしてくださった。聖霊の導きによってキリストに出会わせ、信仰告白に導いてくださり、汚れを洗いきよめて信仰を守られ、永遠のいのちをたまわった。 愛の神は、母の胎で組み立てられた一人ひとりに、良きご計画を準備してくださってある。この私にさえ・・成し遂げるためのすべての必要を...みことばに在って輝く命

  • 奇跡(レビ記16章)

     アロンの二人の息子の死後、すなわち、彼らが主の前に近づいて死んだ後、主はモーセに告げられた。主はモーセに言われた。「あなたの兄アロンに告げよ。垂れ幕の内側の聖所、すなわち箱の上の『宥めの蓋』の前に、時をわきまえずに入ることがないようにせよ。死ぬことのないようにするためである。『宥めの蓋』の上で、わたしは雲の中に現れるからである。」(1~2) キリストの十字架のあがないがどれほどに完璧であるかを、レビ記を読むとき、真に迫って知るのである。同じ神が今、人間であるキリスト者のうちに住んでおられる。人は奇跡を求めるが、これ以上の奇跡があるだろうか!私たちはこの奇跡に留まっていることを、日々の命によって経験しているのである。今日、キリストの愛を信じているということは、そういうことなのである。 神が私たちに御霊を与えてく...奇跡(レビ記16章)

  • 漏出物(レビ記15章)

     主はモーセとアロンにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。だれでも、隠しどころから漏出があったなら、その漏出物は汚れている。その漏出物による汚れは次のとおりである。その隠しどころが漏出物を漏らしても、あるいは、その隠しどころが漏出物をとどめていても、そのことはその人の汚れである。(1~3) 漏出物は人がコントロール出来ないものであり、15章には人がコントロールできない汚れについて書かれている。女性の生理も汚れとあり、此処で思い出すのは長血の女の記事である。彼女は止まらぬ血の漏れのために財産を使い果たした末に、救いを求めてイエスに来た。イエスはそれを彼女の信仰として認め、彼女は癒しと信仰による義をたまわったのだ。此処に神の意図があるのだろう。 「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」と心のうちで考えた...漏出物(レビ記15章)

  • 今日の歌(2022.05.25)

     ひと声の初ホトトギス夕まぐれ青紅葉葉陰に休む午後三時早苗田はすでに蛙の大合唱 トラクター一巡すれば飛び立ちぬ夫婦鴉の息もピッタリ今日の歌(2022.05.25)

  • いけにえ(レビ記14章)

     主はモーセにこう告げられた。「ツァラアトに冒された者がきよめられるときのおしえは、次のとおりである。彼が祭司のところに連れて来られたら、祭司は宿営の外に出て行く。祭司が調べて、もしツァラアトに冒された者の、その患部が治っているなら、祭司はそのきよめられる者のために、二羽の生きているきよい小鳥と、杉の枝と緋色の撚り糸とヒソプを取り寄せるように命じる。(1~4) ツァラアトが治ったことできよいわけではなく、伝染する皮膚病が問題なのではなく、みことばに完全に聞き従うことによって、きよくなることが14章の中心であった。確かに、不信仰は伝染する病のように人の命を持ち去って、みことばに逆らうあらゆる理屈が、もっともらしく蔓延っているのを今は見ている。 祭司は、その小鳥のうちの一羽を、新鮮な水を入れた土の器の上で殺すように...いけにえ(レビ記14章)

  • ツァラアト(レビ記13章)

     主はモーセとアロンにこう告げられた。「ある人のからだの皮膚に腫れもの、あるいはかさぶた、あるいは斑点ができて、からだの皮膚にツァラアトに冒された患部が現れたときは、彼を祭司アロンのところか、アロンの子らで祭司の一人のところに連れて来なければならない。」(1~2) ツァラアトという伝染性の皮膚病は、祭司が隔離や汚れの宣言について判断をしているので、医療と言うよりは霊的な支配を感じさせる。霊の状態がいのちに影響を及ぼすことは、神が創造された死ぬことがない者から、死ぬ者となったことでわかる。霊に働く神のメッセージを受けて、からだは健やかだったり痛んだりするだろう。肉体も、魂にある心や感情もそれは一つの器に在るのだから。 もしも、そのツァラアトが皮膚に生じて、祭司が目で見るかぎり、ツァラアトが頭から足まで患者の皮膚全...ツァラアト(レビ記13章)

  • 今日の歌(2022.05.21)

     風蘭や曇天の下香り立つ 山椒の香仕事帰りの夫(つま)思い出す山の土産のシャツの香りを今日の歌(2022.05.21)

  • 産後の汚れのこと(レビ記12章)

     主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。女が身重になり、男の子を産んだとき、その女は七日の間汚れ、月のさわりの不浄の期間と同じように汚れる。(1)彼女は血のきよめのために、さらに三十三日間こもる。そのきよめの期間が満ちるまでは、いかなる聖なるものにも触れてはならない。また聖所に入ってはならない。(4) 出産した母親の汚れの期間についての規定である。私が出産したのは半世紀以上も前の話であるが、そのとき私はまだイエス・キリストを知らなかった。その頃は一カ月は汚れていると教えられ、宮参りが済んだ後に、普通の生活に戻れたことを思い出し興味深く読んだ。 その間は出かけることはなく、社会的な役割からも隔離されて、子につきっきりで閉じ籠って過ごした。その期間が母体の回復に必要だとも教えられていた。事実、慣れ...産後の汚れのこと(レビ記12章)

  • 聖別(レビ記11章)

     あなたがたは、いかなる群がるものによっても、自分自身を忌むべきものとしてはならない。また、それによって身を汚し、それによって汚れてはならない。(43) 群れるのは世の習性であり、彼らの平安は群れの中にあるのだ。しかしそれは絶えず移り変わるものであって、定まる所を持ってはいない。世を支配するものによって操られているので、群れのあり様を論じることには意味がないのだ。 わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。あなたがたは、地の上を這ういかなる群がるものによっても、自分自身を汚してはならない。(44) キリスト者は群れで主に繋がってはおらず、一人ひとりが聖霊の導きに拠って、みことばを通してキリストのうちに在り、また、キリストをうち...聖別(レビ記11章)

  • 口から出る言葉が人を汚す (レビ記11章)

     主はモーセとアロンに告げて、こう彼らに言われた。「イスラエルの子らに告げよ。次のものは、地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物である。(1~2) 神はイスラエルの民に食べて良いものと、食べると汚れるものを示された。それは、第一に従順を確認するためのものである。造り主への従順によって作られている体は、まさに神の祝福に在って健やかである。 キリスト者のいのちを健やかに保つ大切なことは、みことばを食事のように日々に取り込むことである。自分の霊を養い備えていないと、折々に聖霊が語り掛けるみことばも理解出来ずに、助けを受けられない体や魂が衰えて行くのだ。 動物のうち、すべてひづめが分かれ、完全にひづめが割れているもので、反芻するもの。それは食べてもよい。(3) 「反芻するものでひづめの割れているもの...口から出る言葉が人を汚す(レビ記11章)

  • 世で終わった者が受ける聖霊のバプテスマ

     聖霊のバプテスマについては、三十年以上出来るだけ触れないで来たが、最近は避けられなくなって繰り返し書いている。すべてのキリスト者の必要を覚え、みこころが成就することを願って祈りつつ・・。 水のバプテスマも沈められて死を通り、よみがえって新しくされることを現わしているが、それは自らが希望して受けるのに対して、聖霊のバプテスマは、この世ですべての力を失って、死んだ状態に閉じ込められた者に対して、神の霊が臨んで生かされる力である。 ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。(マタイ26:35) イエスの十字架を前にして使徒たちは決心を語った。しかし、十字架刑に際してヨハネ以外は皆逃げたのである。そのとき使徒たちは...世で終わった者が受ける聖霊のバプテスマ

  • 人の弱さと主の備え(レビ記10章)

     主はアロンにこう告げられた。「会見の天幕に入るときには、あなたも、あなたとともにいる息子たちも、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。あなたがたが死ぬことのないようにするためである。これはあなたがたが代々守るべき永遠の掟である。(8~9) 「ぶどう酒や強い酒を飲んではならない」この永遠の掟を、神が直接アロンに語られたのは、二度と祭司が打たれて命を失うことがないためであり、アロンを祭司として用いる神のご計画に、変わりが無いことを示されたのである。 モーセは罪のきよめのささげ物の雄やぎを懸命に捜した。しかし、なんと、それは焼かれてしまっていた。モーセは、アロンの子で残っているエルアザルとイタマルに怒って言った。「どうして、あなたがたは、その罪のきよめのささげ物を聖なる所で食べなかったのか。それは最も聖なるものだ。そ...人の弱さと主の備え(レビ記10章)

  • 今日の歌(2022.05.13.)

     雨の日の仄暗き部屋蘭香る 甘き香で誘うが如き蘭の花五月雨に濡れ此処までおいで今日の歌(2022.05.13.)

  • 異火を献げる(レビ記10章)

     さて、アロンの子ナダブとアビフはそれぞれ自分の火皿を取り、中に火を入れ、上に香を盛って、主が彼らに命じたものではない異なる火を主の前に献げた。すると火が主の前から出て来て、彼らを焼き尽くした。それで彼らは主の前で死んだ。(1~2) 神が祭司として聖別されたアロンの子らは、神を軽んじて焼かれた。聖別されて祝福を受けた者には、ご真実な神の愛に応答する覚悟が必要であり、みことばを曲げずに聴き従う責任がある。 今は恵みの日であり、主と共に働くことを聖霊は助けていてくださる。自分の悟りや力によって、みこころを忠実に行うことは出来ないからである。ただ、人には聖霊の導きや警告を無視する自由があるのだ。 神はモーセを選ばれたのだ。モーセが尻込みをしたのでアロンを加えられ、そのアロンの子らが用いられた。此処に至るまで神は妥協し...異火を献げる(レビ記10章)

  • 神を喜ぶ(レビ記9章)

     主の前でいけにえとするために、交わりのいけにえのための雄牛と雄羊を、また油を混ぜた穀物のささげ物を取りなさい。それは、今日、主があなたがたに現れるからである。」そこで彼らは、モーセが命じたものを会見の天幕の前に連れて来た。全会衆は近づいて来て、主の前に立った。(4~5) 罪をあがなってきよめるための動物が、いけにえとして捧げられ、焼かれて立ち昇る煙を見た民は、安心して主の現れを待ち望むことができたであろう。罪に怯えつつ、聖なる神を喜ぶことはできないのである。 モーセとアロンは会見の天幕に入り、そこから出て来て民を祝福した。すると主の栄光が民全体に現れ、火が主の前から出て来て、祭壇の上の全焼のささげ物と脂肪を焼き尽くした。民はみな、これを見て喜び叫び、ひれ伏した。(23~24) キリストによる聖霊と火のバプテス...神を喜ぶ(レビ記9章)

  • 祭司は恐れず(レビ記8章)

     主はモーセにこう告げられた。「アロンと、彼とともにいるその子らを連れ、装束、注ぎの油、罪のきよめのささげ物の雄牛、二匹の雄羊、種なしパンのかごを取り、全会衆を会見の天幕の入り口に集めよ。」(1~3) 任職式は、集められた民の前で犠牲の動物を捧げられ行われた。すべての人にアロンとその子らが、神に選ばれた祭司であることを知らせた。それは神に逆らってアロンを非難することがないようにするためである。それはイスラエルの守りのためである。 キリストの十字架の死と復活によって、うちに臨在してくださる聖霊の助けにより、キリスト者は祭司として主のみこころを行う者である。不完全な自分を恐れて、会衆の前に立たされることから尻込みしてはならないのだ。 だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。だれが、...祭司は恐れず(レビ記8章)

  • 今日の歌(2022.05.07)

     紫の五三の桐は高く在りコントレールを指して咲きたる今日の歌(2022.05.07)

  • 聖霊のバプテスマと水のバプテスマ

     水のバプテスマと聖霊のバプテスマは違うものである。ヨハネのバプテスマと、キリストのバプテスマが同じではないことは、ヨハネ自身が言っている。 私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。(マタイ3:11) 聖霊のバプテスマを授けられたときに、キリストの十字架のあがないが確信となり、歓喜のうちに罪責感からの完全な解放が与えられる。御救いを備えてくださった父なる神の愛に浸されて「みことばに従わせてください」と切に求めるようになるのだ。 神の御愛に満ち足りて子とされた喜びを味わい、絶えることのないお交わりの中で生きるとき、そこに愛の貧困は存在し...聖霊のバプテスマと水のバプテスマ

  • 今日の歌(2022.05.03)

     グーグルマップ選びし土地を案内す息子は少し歳を取りたり 八十路にも主が備えたもう計画の新しきこと感謝もて行く今日の歌(2022.05.03)

  • 任職式(レビ記8章)

     モーセはアロンとその子らを近づかせ、彼らを水で洗った。そしてアロンに長服を着せ、飾り帯を締め、その上に青服をまとわせ、さらにその上にエポデを着せた。すなわち、エポデのあや織りの帯で締めて、彼にエポデを着せた。(6~7) 主が命じられるままに、モーセはアロンと息子たちを聖別して祭司の任職式を行った。彼らはモーセに洗ってもらって祭司の勤めを果すのである。弟子たちがイエスに足を洗ってもらったように、幼子のように身を委ねて洗われるなら、きよめられるのである。従順によらなければ、自分の行いで神の御前に出ることは出来ないのだ。 次に、彼に胸当てを着け、その胸当てにウリムとトンミムを入れた。また、彼の頭にかぶり物をかぶらせ、さらに、そのかぶり物の前面に金の札すなわち聖なる記章を付けた。主がモーセに命じられたとおりである。(...任職式(レビ記8章)

  • ふわふわのドーナツは喜び(レビ記7章)

     二つの腎臓と、それに付いている腰のあたりの脂肪、さらに腎臓とともに取り除いた、肝臓の上の小葉である。祭司はそれらを祭壇の上で、主への食物のささげ物として、焼いて煙にしなければならない。これは代償のささげ物である。祭司の家系に属する男子はみな、これを食べることができる。それは聖なる所で食べなければならない。これは最も聖なるものである。(4~6) これは主の食卓である。祭司が招かれる聖なる食卓である。この食卓は主の交わりなのだ。今キリスト者は男も女も子どもでも、キリストを愛する者が招かれている神の家族の食卓である。此処には聖霊の臨在がある。 感謝のための交わりのいけにえと一緒に、種入りの輪形パンを献げる。そして、それぞれのささげ物から一つずつを取り、主への奉納物として献げる。これは、交わりのいけにえの血を振りかけ...ふわふわのドーナツは喜び(レビ記7章)

  • お金を拾ったこと

     昨日、ウォーキング中に道の真ん中に千円札が2枚落ちているのを見つけた。見ぬ振りも出来ず一応拾いはしたが、厄介なことになったと思った。帰ってから、時間をかけてしなければならない大切なことがあったから。 まずは拾ったお金をヒラヒラさせながら歩いた。「私が落とした」と言う人に出会ったらすぐに渡せると思ったのだけれど、残念ながら誰にも出会うことがなく家に着いてしまった。 一応警察に電話をして、届けに行く足がないことを伝えることにした。「何時でも結構ですから、こちらに来られたら寄ってください。何時までも保管しておきます」とお伝えしたが、結局パトカーでお巡りさんが来てくださった。 後で自分の判断に笑えた。私は何時でもいいけれど、警察がそんないい加減な書類は作れないだろう・・と気づいたから。おまわりさんは親切だったので、何...お金を拾ったこと

  • 責めを覚えて救われる(レビ記5章)

     人が罪に陥ったとき、すなわち、その人自身が見ていたり知っていたりする証人であるのに、証言しなければのろわれるという声を聞きながらも、それをしない場合、その人は咎を負わなければならない。(1) 罪に対して、見て見ぬふりをすることはのろわれるとある。確かに見て知っているのに、見ぬふりは罪を放置することである。罪を証言することによって、解決に至るささげ物が捧げられ、あがなわれて罪が解決されるからである。 「軽々しい誓いによって後で責めを覚える場合」もあがなわれる必要があることが書かれてあり、このような咎めは今も経験することである。このような時も私たちは、キリストの赦しを願って祈るなら、十字架の血潮によって罪を洗いきよめられ、その咎が赦された確信を得るのである。 このようにして思い出した罪を直ちに祈る中で、咎めを負い...責めを覚えて救われる(レビ記5章)

  • 今日の歌(2022.04.27)

     春ゼミや地味に鳴きたり雨模様次々と目覚む双葉を愛おしむ産湯のごとき春の雨かな 海に散る直前の船穏やかな映像遺す呼び戻したし今日の歌(2022.04.27)

  • 罪科からの解放(レビ記4章)

     主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。人が、主がしてはならないと命じたすべてのことから離れて、気づかずに罪に陥り、その一つでも行ってしまった、以下のような場合には―(1~2) うっかり犯していた罪の一つにも、主はその罪科からの脱出の道を示された。世に生きている人には、不用意に罪を犯すことは避けられない。しかし、自覚していない罪であっても、聖なる神には見過ごすことは出来ず、きよめのためのあがないが必要なのである。 わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。(マタイ5:28) 心の中の姦淫さえも神には知られており、それはまごうことなき罪なのであり、その汚れは聖なる神との交わりを妨げる。人の罪に対する感覚はそれぞれであるが、罪だと意識してなく...罪科からの解放(レビ記4章)

  • 交わりのいけにえ(レビ記3章)

     アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上の薪の上にある全焼のささげ物に載せて、焼いて煙にする。これは主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。交わりのいけにえとしての、主へのささげ物が羊であるなら、雄でも雌でも傷のないものを献げなければならない。(5~6) 主への献げものは雄でなければならなかったが、交わりのささげ物は雄でも雌でもよいが、傷の無いものとある。これは主の食卓に与る交わりのためのささげ物であった。 キリスト者の永遠の望みは主の交わりの中である。そこは救われた日から永遠までの、キリスト者の確かな居場所である。礼拝している時も、働いている時も、遊んでいても、良い時も、悪い時も、喜びも悩みも苦しみも、主のお交わりの中に在れば、すべての事柄を通して主を知る喜びがあり、忍耐を躾けられ、キリスト者の霊は主との...交わりのいけにえ(レビ記3章)

  • 善悪知識の木の実

     神の作神の愛する人々の命奪いし者はおぞまし狂わずに殺せと命ずその正義善悪を知る人の結末武器揃え殺さぬ備えと言葉曲げ蛇の賢さ此処に極まる自他ともに滅ぶ道具を命綱終わりなき愚は死して目覚むや善悪知識の木の実

  • 今日の歌(2022.04.24)

     濡れてなを声艶やかにホーホケキョ 少しずつ土持ち上げて芽が覗くずっと見てたよ「おやよう」オクラ今日の歌(2022.04.24)

  • 今日の歌(2022.04.23)

     ホーホケキョ聞きつつ暮れる平和かな 兵士とて妻子も在らば父母もあり使う命は戦地にあらじ 庭の春クマガイソウの行列は一本足に花ぶらさげて今日の歌(2022.04.23)

  • 祭司(レビ記2章)

     人が主に穀物のささげ物を献げるとき、そのささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油を注ぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らのところに持って行く。祭司はその中から、ひとつかみの小麦粉と油と乳香すべてを覚えの分として取り出し、祭壇の上で焼いて煙にする。これは主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。(1~2) 小麦粉と油はひとつかみを主に捧げられて、後は主に仕える祭司の養いとなり、乳香はキリストに献げられるものであり、煙となって主を礼拝する芳ばしい香りとなる。 あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物を献げる場合には、油を混ぜた小麦粉の、種なしの輪形パン、あるいは油を塗った、種なしの薄焼きパンとする。(4) 捧げものは神から受けたものをもって捧げるのであり、パン種によって膨らませたパンは主に用いら...祭司(レビ記2章)

  • 命じられたものを献げる(レビ記1章)

     主はモーセを呼び、会見の天幕から彼にこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたの中でだれかが主にささげ物を献げるときは、家畜の中から、牛か羊をそのささげ物として献げなければならない。(1~2) 献げものは主が命じられたものでなければならない。たとえ人が命を捧げようとも、それは神の御前には汚れているからである。神に受け入れられる献げものは、すべて従順によるものである。 主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。(Ⅰサムエル15:22) そのささげ物が牛の全焼のささげ物である場合には、傷のない雄を献げなければならない。その人は自分が主の前に受け入れられるように、それを会見の天幕の入り口に...命じられたものを献げる(レビ記1章)

  • 従順と安息(ヨブ記)

     ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。彼に七人の息子と三人の娘が生まれた。(1:1~2) 誠実で直ぐな心を持つと神が評価されたヨブは祝福を受けて、その地の有力者であり大変富んでいた。彼は信仰にも、家族にも、世の権威にも申し分のない立場にあった。 彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の順番の日に、家で宴会を開き、人を遣わして彼らの三人の姉妹も招き、よく一緒に食べたり飲んだりしていた。(4) 子どもたちがすでに独立した立派な大人であった。恵まれていた彼らは、兄弟姉妹とも良い関係を築いていた。 宴会の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別した。朝早く起きて、彼ら一人ひとりのために、それぞれの全焼のささげ物を献げたのである。ヨブは、「もしかする...従順と安息(ヨブ記)

  • 今日の歌(2022.04.19)

     葉桜の下を行くとき深呼吸トマト苗乳母日傘でおもてなし乳母日傘(おんばひがさ) 土弄り足腰伸びて手も伸びて心も伸びて描く豊作今日の歌(2022.04.19)

  • 完全な従順にある主の臨在(出エジプト40章)

     主はモーセに告げられた。「第一の月の一日に、あなたは会見の天幕である幕屋を設営しなければならない。(1) いよいよ幕屋のすべてが揃った時、モーセは主の命じられた日に、主のおことばの通りにすべてを設置して行った。主が定められた日は聖なる日であり、永遠をご存じの主に聞き従うことは祝福の保証となる。人は明日を知らない者だからである。 あなたは注ぎの油を取って、幕屋とその中にあるすべてのものの油注ぎを行い、それと、そのすべての用具を聖別する。それは聖なるものとなる。(9) モーセに幕屋をきよめるように命じられた。神のことばに拠ってモーセの働きが神の働きとなり、きよめられたものは完全なものとなる。それは、神の口から発せられた言葉の権威によることである。 「アロンに聖なる装束を着せ、油注ぎを行って彼を聖別し、祭司としてわ...完全な従順にある主の臨在(出エジプト40章)

  • 今日の歌(2022.04.17)

     夕明かり鶯の音に歩を緩め ただ一つ四十路の吾子の計画に求められしは祈りの備え今日の歌(2022.04.17)

  • アロンの式服(出エジプト39章)

      彼らは、青、紫、緋色の撚り糸で、聖所で務めを行うための式服を作った。また、主がモーセに命じられたとおりに、アロンの聖なる装束を作った。(1) 美しい撚り糸や金糸を用い十二個の宝石をはめ込まれた豪華な式服が、神のご計画の通りにアロンに誂えられた。この式服を着せられたアロンは、イスラエル十二部族を代表して神に仕えるのである。それはアロンの聖さには拠らず、神がアロンのために誂えられた聖なるものであり、彼の選びは神がお決めになったことであった。 アロンは、神の命によって誂えられた式服を、着せられるままに着て祭司の恵みを頂いた。キリスト者は、聴いたみことばをそのままに受け取った信仰によって、神の子という恵みに与るのである。 キリストの血潮に、一人ひとり罪を洗わたキリスト者は、信仰によって神の子という身分を着せられ、皆...アロンの式服(出エジプト39章)

  • 臨在の喜び(出エジプト36章)

     ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のあらゆる仕事をする知恵と英知を主に授けられた、心に知恵ある者はみな、すべて主が命じられたとおりに仕事をしなければならない。(1) 主に選びだされて知恵と英知を授けられた者は、選びに応答して従順の中で働きを成し、良きものを備えられた人たちは捧げて応答することで、神への感謝を現して主との関係が育って行くのである。すべて主に捧げられたことだからである。 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および主が心に知恵を授けられた、すべて心に知恵ある者、またその仕事をするために進み出ようと、心を動かされた者をみな呼び寄せた。(2) それは自分が絞りだした知恵ではなく、また、人に倣ったものではなく、誰も知らない神からの新鮮な知恵であり、それゆえ働く者の心は喜びで満たされるのである。 ...臨在の喜び(出エジプト36章)

  • 今日の歌(2022.04.14)

     木蓮の時を刻みて咲き揃う 桜花目を上げるたび青差して喜びに舞い明日は地に伏す今日の歌(2022.04.14)

  • 捧げものは予め備えられていた(出エジプト35章)

      モーセはイスラエルの全会衆を集めて、彼らに言った。「これは、主が行えと命じられたことである。六日間は仕事をする。しかし、七日目は、あなたがたにとって主の聖なる全き安息である。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。(1~2) イスラエルの民が幕屋のための働きをするに際して、神は七日目に安息することを命じられた。この仕事は自ら進んですることであって、それは自分の得意なことである。その時人は自分のやりたいことに夢中になる。それが名誉なこと故になをさらである。 しかしもっとも大切なことは、すべてを主に聴く従順に拠って成すべきことであり、その働きには主を覚る時が、何よりも必要なのである。それが主に満たされた力によって始まったことであっても、絶えず主に戻って聴きつつ成さなければならないのだ。なぜなら、...捧げものは予め備えられていた(出エジプト35章)

  • 今日の歌(2022.04.12)

     花吹雪幼子のごと声を上げ吉野山下る車は花模様 山桜はんなり染まる谷間にも遠き歴史を散り続けしや今日の歌(2022.04.12)

  • モーセの顔の輝き(出エジプト24章)

     彼らの娘たちをあなたの息子たちの妻とするなら、その娘たちは自分たちの神々と淫行を行い、あなたの息子たちに自分たちの神々と淫行を行わせるようになる。(16) イスラエルの民は神の選びの民である。その地の娘と結婚をして彼らの習わしである偶像を持ち込み、それらを拝むようになることは、神の民としての純潔を損なうことである。 ユダヤ人はローマによって全世界に散らされ、長い歴史の後に約束のイスラエルに帰還して国家を確立した。その歴史の中で、イスラエルが神の民であり続けたのは、世界の何処にいても神の戒めによる民族の純潔を守ったからである。すべては終末に向けての、イスラエルの役割のため準備されていることであった。 モーセはそこに四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、石の板に契約のことば、十...モーセの顔の輝き(出エジプト24章)

  • 恵みの地の約束を受け取るために(出エジプト34章)

     主は言われた。「今ここで、わたしは契約を結ぼう。わたしは、あなたの民がみないるところで、地のどこにおいても、また、どの国においても、かつてなされたことがない奇しいことを行う。あなたがそのただ中にいるこの民はみな、主のわざを見る。わたしがあなたとともに行うことは恐るべきことである。(10) 此処でもっとも恐れ驚くべきことは、「わたしがあなたとともに行う」ということばである。天地創造の神が奇しいわざを行われるのに、モーセともに行うと約束されたのである。モーセであれ、アブラハムであれ人が関わるということは、神には不自由と忍耐が伴うということなのである。 共に働くのは相棒であり主従関係とは違う。造られた者が、創造主に服従することは当然であるが、主が求めておられることは、信頼と愛による交わりの中で共に働く人であった。 ...恵みの地の約束を受け取るために(出エジプト34章)

  • 千代までの恵みを選べ(出エジプト34章)

     そこで、モーセは前のものと同じような二枚の石の板を切り取り、翌朝早く、主が命じられたとおりにシナイ山に登った。彼は手に二枚の石の板を持っていた。(4) モーセは命じられた通りを準備して、「翌朝早く」シナイ山に登って行った。すべて完全な従順によることである。アブラハムも、モリヤの地でイサクを伴って山に登った。それは主に命じられ、全焼のささげものとしてイサクを捧げるためであった。 あの時もアブラハムは「翌朝早く」山に登って行った。主に従順するときは一瞬のためらいもなく、真っ直ぐな信仰によらなければ時を持ち去られる。それによってアブラハムはイサクから出る約束の子孫を得て、モーセはイスラエルを主の所有の民とした。その末に、異邦人の私たちもいのちの恵みに与ったのである。 主は雲の中にあって降りて来られ、彼とともにそこに...千代までの恵みを選べ(出エジプト34章)

  • ひとり山に登る(出エジプト34章)

     主はモーセに言われた。「前のものと同じような二枚の石の板を切り取れ。わたしはその石の板の上に、あなたが砕いたこの前の石の板にあった、あのことばを書き記す。朝までに準備をし、朝シナイ山に登って、その山の頂でわたしの前に立て。(1~2) モーセは徹夜で石の板を切り出したのだ。一心に石を打つ音と、闇に働くモーセの姿が浮かぶようである。その急な重労働をモーセは喜んでいただろう。朝に備えられたチャンスは、彼の願いが叶ったことだからである。 今キリストのゆえに、何時でも主に近しく祈りのお交わりが赦されているキリスト者。真に、今は恵みの日である。 皆が寝ている時に働かなければならないことがある。主の御声を聴いた時、願いを叶えてくださるチャンスを逃さないためである。それは寝ても覚めても寛いでいても、開かれている霊の耳が聴き取...ひとり山に登る(出エジプト34章)

  • 今日の歌(2022.04.05)

     散り敷いて花に明日の約束は知らぬとばかり命の宴(うたげ) 上天気さくら堤にひとり居て勿体無くも花吹雪給う今日の歌(2022.04.05)

ブログリーダー」を活用して、ムベさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ムベさん
ブログタイトル
石ころ
フォロー
石ころ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用