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イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。(14) 主はペテロの傷を癒やして新しくし、みこころに生きるために来られた。みこころを行うには、自分の使命に目が開かれる必要がある。またそれを行ううちに、サタンに責たてられて弱り果てることがないように、イエスとの親密な関係による赦しの確信が必要である。 イエスはペテロに来られ、癒やしの中で人を獲る漁師としての具体的な働きを示された。神より発したことは神によって成り栄光が神に至るのであり、すべては主の御約束によって成ることを明確にするためである。 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ...「あなはわたしを愛しますか」(ヨハネの福音書21章)
ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いだったもう一人の弟子が出て来て、門番の女に話し、ペテロを中に入れた。すると、門番をしていた召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは「違う」と言った。(16~17) ヨハネが問われないことをペテロは問われている。ペテロの恐れが見透かされるからである。そうしてペテロは悪魔が仕掛けた罠に堕ちて、主イエスとの関係を否定した。恐れがあるならヨハネに誘われても断れば良かったのである。中途半端な信仰によって窮地に追い込まれるのはみことばを握っていないからである。 キリスト信仰に置いて窮地に立たされた時、すべてに通じる解決方法は、即座にイエスに命を託すことである。死はすべての問題を解決するからであり、キリスト者の肉...中途半端な信仰(ヨハネの福音書18章)