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先に主があなたに約束されたように、またあなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、今日あなたを立ててご自分の民とし、またご自分があなたの神となられるためである。(13) 主の祝福の契約とのろいの誓いはセットである。神の愛は民の純粋で裏切らない愛によって、滅びることのないいのちを得ることを求められた。愛は温かい血の通った関係を求めるものであり、それは神の愛の真実によることである。 今日ここで私たちの神、主の前に私たちとともに立っている者たちとも、今日、私たちとともにここにはいない者たちとも結ぶのである。(15) この契約は子孫にも働くものであり、やがてキリストによって一つとされる異邦人にも働くものである。主が愛のゆえに結ばれた契約の基本は、「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならな...神の祝福とのろいの誓い(申命記29章)
旧年中は拙いブログを尋ね励ましてくださいましたことを感謝いたします。2024年がどのような年になるのか、神ならぬ身には知る由もありませんが、天地創造の神に祈ることが、キリスト・イエスに拠って、如何なる時も守られていることに深い平安を覚えます。世に混迷が深まるほどに、キリストの平安こそ何よりの生きる力となります。2024年もどうぞ宜しくお願い致します。 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。(ヨハネ14:27)新年のご挨拶を申し上げます。
地上で主の記念となる場所や、歴史的な行事を伝える事も良いけれど、今や切実に必要なのは、救われた者の霊のうちに在って、平安を守る三位一体の神の宮の事実である。日々に変化し続ける弱い体や、絶えず揺れ動く感情、それらのど真ん中にあって、何時までも変わることの無い永遠のいのちのことである。 神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。(13) 神の臨在は感じるものではなく、見るものでもなく、みことばに拠る交わりであり、それによって悟る永遠の望み真実の存在である。キリスト者は此処から流れ出るいのちに安息して生きる者である。 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざ...内住の神の確信(Ⅰヨハネ4章)
あなたがたは、私たちが今日ここでしているようにしてはならない。それぞれが自分の目にかなうことをしている。(8) キリストを信じる信仰を告白して主に生かされようになったら、自分の目に良いことをするというそれまでの当たり前から、みこころを求めて聖書を開くようになる。人の良いと思うことと神のご計画が違うことを悟るからである。 拠って立つ所が人の顔色を伺うことではなく、永遠のみことばに生きたいと願うようになり、誰に強いられてでもなく、ほめられてでもなく一々教えられることもないが、聖霊に導かれて主を慕い求め、神を恐れるようになるからである。 神をおそれるとはキリストの愛を畏れるということである。故無く愛されたいのちゆえに、かってのように自分の判断では守れない事を知り、キリストのうちにとどまって、救われたいのちを守...安住の地に生きる(申命記12章)
あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい人と寄留者のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(22) すべては創造主なる神の備えてくださったものである。神はすべての人が生きるための必要を知っておられ、それらをご自分の民が独占することは許しておられない。もし、すべての人が創造主を知り、みことばに拠って生きるなら、戦争も訴訟も貧困も飢えもなかったであろう。主の恵みを分け合えば、誰も飢えて死ぬことばないであろう。 人は神を離れた時からその愛の喪失感を、あらゆるものに代えて満たそうとして来た。しかし、神の愛を経験していない魂は飢え渇いて呻くのである。それは造り主である神だけが、満た...安息日の祝福③(レビ記23章)
聖霊のバプテスマについては、三十年以上出来るだけ触れないで来たが、最近は避けられなくなって繰り返し書いている。すべてのキリスト者の必要を覚え、みこころが成就することを願って祈りつつ・・。 水のバプテスマも沈められて死を通り、よみがえって新しくされることを現わしているが、それは自らが希望して受けるのに対して、聖霊のバプテスマは、この世ですべての力を失って、死んだ状態に閉じ込められた者に対して、神の霊が臨んで生かされる力である。 ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。(マタイ26:35) イエスの十字架を前にして使徒たちは決心を語った。しかし、十字架刑に際してヨハネ以外は皆逃げたのである。そのとき使徒たちは...世で終わった者が受ける聖霊のバプテスマ