chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
#レビ記23章のブログ記事
  • 2022/07/26 19:59

    安息日の祝福 ④(レビ記23章)

     主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。この第七の月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる。最初の日には、聖なる会合を開く。あなたがたは、いかなる労働もしてはならない。(33~35) 主を礼拝するときは自分の諸々を無視する。御前に霊、魂、体を差し出して空っぽにし、今日、明日の計画も、将来の心配のすべても放り出して、幼子のように「アバ・父」を喜び、新鮮なみことばを待ち望む聖なる時である。 もし、主の会合で現状の困難を語り続けるなら、主の栄光を何処で確認することが出来るであろう。どのように主に在る望みを、思い描くことができるだろうか。 黙示録の時代に進んでいる今こそ、生ける主のみことばと、全能者の良きご計画に留まり続けて、平安と喜びに満たされる礼拝を捧げ続ける時。此処でのみ、悪し...安息日の祝福④(レビ記23章)

  • 2022/07/25 09:18

    安息日の祝福 ③(レビ記23章)

     あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい人と寄留者のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(22) すべては創造主なる神の備えてくださったものである。神はすべての人が生きるための必要を知っておられ、それらをご自分の民が独占することは許しておられない。もし、すべての人が創造主を知り、みことばに拠って生きるなら、戦争も訴訟も貧困も飢えもなかったであろう。主の恵みを分け合えば、誰も飢えて死ぬことばないであろう。 人は神を離れた時からその愛の喪失感を、あらゆるものに代えて満たそうとして来た。しかし、神の愛を経験していない魂は飢え渇いて呻くのである。それは造り主である神だけが、満た...安息日の祝福③(レビ記23章)

  • 2022/07/22 11:17

    安息日の祝福 ②(レビ記23章)

     安息日は主にさだめられ命じられなければ、人が進んで捧げることは出来ないであろう。神が放って置くと、日々のあれこれに忙しく休む間を惜しんで働き、いつも疲れて死んで行くことになるのだ。それらの年月は、主にたまわるいのちの備えの時間であり、主の御愛に安らぐ時であり、造り主なる神、救い主なる御子キリストを礼拝して、限りある命を永遠のいのちに繋ぐための時である。 どれほど忙しく働いて世に功績を残しても、それはわずかな年月で色あせて行き、際限なく満足を求め続けて満ちたりることはない。本当に人の飢え渇きを満たすものは神の愛だからである。 主が命じられた安息日は創造主を覚えるためにあり、それは永遠のいのちの望みである。安息日は体だけではなく魂の安息であり、日々の計画に忙しい手を止めそれらを御前に陳列して、主のお導きを仰...安息日の祝福②(レビ記23章)

  • 2022/07/13 19:52

    安息日の祝福 ①(レビ記23章)

     主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。六日間は仕事をする。しかし、七日目は全き休みのための安息日、聖なる会合の日である。あなたがたは、いかなる仕事もしてはならない。この日は、あなたがたがどこに住んでいても主の安息日である(1~3) 神は人に従順による聖さを教えて、関係を繋ぐためにご自分の民に律法を与えられた。人は与えられた律法を行うことによって、神の好意を得て神の民であることを確認し平安を得ようとした。神は世の初めから終わりまで少しも変わることのない方である。しかし、今はその律法のすべてが、初めの通りに行われてはいない。命じられた永遠の掟は、御子キリストがすべてを成し遂げて完了された。律法は、一部だけ...安息日の祝福①(レビ記23章)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用