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キリストは人の罪を十字架にあがない、信じる者を十字架の血潮に洗いきよめて義とし、十字架のあがないを信じる者に神の子の身分を与えられた。あがなってくださった罪は過去、現在、未来に至るすべての罪であり、ただ、キリストの十字架の御わざによってのみ、神の御前にキリスト者は聖であり義とされて、父なる神に受け入れられ、今、神の家族の交わりに居るのである。 それは死後のことではなく、イエス・キリストの十字架のあがないを告白して、感謝をもって礼拝した瞬間からのことであり、その関係は永遠である。 ヨブにある罪は、神にすべての裁きを委ねて安息なかったことである。神はヨブを罪に定めず神の摂理を彼に説き聞かせられた。また、ヨブに罪の悔い改めを迫った友人を評価することはなく、ヨブの執り成しによって、彼らを赦されたのである。 私が...神から摂理を説かれたヨブの祝福
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まこと...詩篇91篇に生きるとき