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キリストは人の罪を十字架にあがない、信じる者を十字架の血潮に洗いきよめて義とし、十字架のあがないを信じる者に神の子の身分を与えられた。あがなってくださった罪は過去、現在、未来に至るすべての罪であり、ただ、キリストの十字架の御わざによってのみ、神の御前にキリスト者は聖であり義とされて、父なる神に受け入れられ、今、神の家族の交わりに居るのである。 それは死後のことではなく、イエス・キリストの十字架のあがないを告白して、感謝をもって礼拝した瞬間からのことであり、その関係は永遠である。 ヨブにある罪は、神にすべての裁きを委ねて安息なかったことである。神はヨブを罪に定めず神の摂理を彼に説き聞かせられた。また、ヨブに罪の悔い改めを迫った友人を評価することはなく、ヨブの執り成しによって、彼らを赦されたのである。 私が...神から摂理を説かれたヨブの祝福
わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。(4) 嘲笑と鞭と鋭い棘の茨の冠、強盗と一緒に十字架に曝されているイエスに誰が神の栄光を知るであろう。 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。(イザヤ53:4~5) 人は目の前で見ていることがすべてであり自分に重ねて判断する。イエスは私たちの罪と言う病を負い私たちの痛みを担われた。しかし、十字架を目の前にした群衆が、イエスが成された力ある神のわざ、憐みの御わざを思い出...イエスの栄光となる(ヨハネの福音書17章)
あなたの神、主ご自身があなたに先立って渡って行き、この方があなたの前からこれらの国々を根絶やしにされ、あなたはこれらを占領する。ヨシュアが、主が告げられたように、あなたに先立って渡るのだ。(3) モーセが最も伝えたいことは、ヨシュアが主に告げられて民に先立つことである。モーセを失った民の平安のために主のご計画を伝えた。 神が「国々を根絶やしにされる」このみことばに人は激しく抵抗する。神に逆らうのは悪を行った時よりも、人の正しさに拠ることの方が根深い。正義をかざす者が悔い改めの出口を見出すことは、聖霊の介入なしには不可能である。 サタンが、なぜエバに善と悪を知り賢くなる木の実を勧めたのか、人に自分で善と悪を判断する賢さを与えたのか、此処にサタンの恐ろしい知恵を見ることが出来る。 禁断の実を食べたときから、...主との関係にあって罰さえも平安②(申命記31章)
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。