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5月5日すべて人は生まれた日から死に向かって行く。そのスピードはそれぞれでも、永遠から見れば一瞬に過ぎ去る命である。アダムが善悪知識の木の実を食べて以来、神の永遠から切り離された人の身体はわずかな間生きる命となった。しかしこのわずかな時の間に、神はキリストに拠って滅びの死から救おうと計画してくださった。 命のある間に福音を信じてキリストを受けいれた者は、死んで滅びる者ではなく、御許で永遠に生きるいのちの計画である。このわずかな命の間は、想像もつかないほどに貴重な時間であり、創造主なる神の愛と憐みを経験するための時間なのである。神の御愛を知って応答する時、神はむざむざと愛する者を滅ぼしたりはなさらない。愛するひとり子をたまわるほどに愛してくださっているからである。 神は言われます。「恵みの時に、わたしはあ...老い
地上で主の記念となる場所や、歴史的な行事を伝える事も良いけれど、今や切実に必要なのは、救われた者の霊のうちに在って、平安を守る三位一体の神の宮の事実である。日々に変化し続ける弱い体や、絶えず揺れ動く感情、それらのど真ん中にあって、何時までも変わることの無い永遠のいのちのことである。 神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。(13) 神の臨在は感じるものではなく、見るものでもなく、みことばに拠る交わりであり、それによって悟る永遠の望み真実の存在である。キリスト者は此処から流れ出るいのちに安息して生きる者である。 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざ...内住の神の確信(Ⅰヨハネ4章)