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見よ、その時代が来る。──神である主のことば──そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に主のことばを聞くことの飢饉である。(アモス8:11) 聖書が取り上げられるのではなく、聖職者が消えるのでもない。ただ、聖霊に拠って取り次がれることばが語られなくなるのである。美しく装丁され、聖書から心地良い言葉が切り取られた読み物は、幾らでも手に入るだろう。それは世の求めに従って味付けられて、偽キリストの必要をも満たすだろう。聖霊の臨在なき聖書は、どのようにでも用いることが出来る。 それはイエスを知る真理の飢饉であり、生きて働くことばの飢饉である。それは今も見られることで、頭にも心にも納得できる言葉は人の肉に寄り添って惑わす。 「命よりも大切なもの」という本を頂いた。それ...みことばの飢饉
午前「必要な一つだけ」は変化する。日々に今日必要な一つがあり、それぞれにイエスが示されることは違う。それは成長に応じて神のご計画も進んで行くからである。 マリヤがイエスを迎えた日に必要な一つだけは、イエスに聴き続けることであった。マルタが食事の支度をしていることにも気づかないで、イエスをもてなすことにも考えが及ばず、ただ、イエスから目を耳を反らせないことが唯一必要なことであった。 マルタがイエスにマリアのことを訴える言葉を聞いても、彼女はその場を動いてはならず、責め言葉に耳を貸してはいけないのである。必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。(ルカ10:42) マリヤは今はマルタを気遣う時ではなく、イエスの葬りの準備のために聴き続けなければ...時
愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。(1) 聖霊がおられるように悪霊も存在する。悪霊から守ってみことばに導くのは聖霊である。聖霊なる神はイエスのことばを解き明かして、聴いたことばに従順して生きる力を与え、生ける神のことばを経験させて主への信頼を育ててくださる。 悪霊は、キリストにたまわった永遠のいのちから目を反らさせて、感情に働いて肉を掻き立て世に釘づける。善悪知識の木の実由来の賢さは、神から独立した善悪によって、救いのための時間を浪費して、悪霊の働きによる目に好もしいものを仕立て、世の成功に惑わして滅びの道連れにするのである。 神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊は...霊を知る(1ヨハネの手紙4章)
あなたがたはどう思いますか。もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。(マタイ18:12) 人は九十九匹の方が大切なので、迷い出てしまった一匹を諦めることが出来るが、神には一匹一匹が神の完全な愛の対象であって、見捨てることが出来る命など一つも無いのである。 まことに、あなたがたに言います。もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。(13) 神には迷わない九十九匹以上に見つけ出した一匹が神の喜びとあり、それは元通りに百匹揃って良かったということではない。 このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天におられるあなたがたの父のみこころではありません。(14) 神のみこころは人...探し出された一匹の幸い
神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。神はそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。夕があり、朝があった。第五日。(20~23) 神はすべての生き物をそれぞれの形に創造された。発達途上のものではなく、無数とも思える生き物のすべては、みこころのままに完成されていたので祝福された。創造主の全能の力に拠るよることである。 そのような神の知恵と力は人には思いもよらないことなので、己の能力をもって神を計ることにより神がわからず、被造物を拝んで神に敵対するのである。人は神の作品である天地を見ても神の完全...天地創造5日目
神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。夕があり、朝があった。第四日。(14~19) 光りを備える神は闇も備えられた。それらによって時を備え、いのちを刻むためである。闇夜のような時がある。アブラハムにもモーセにもペテロにもパウロにも、そうして私たちにも。自分の力ではどうにもならない時があり、キリスト者にも神を忘れ...天地創造4日目
まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」(18) イエスは、ペテロの生涯が主の導きの中に在ることを伝えられた。それは決して安楽な将来ではないけれど、主のみこころを誤りなく成し遂げる約束である。彼はすでに主の良きご計画の中に在って、その命は主に在る栄光をたまわっていたのである。 イエスとのコミュニケーションを持つ祈りの大切さは、みことばによって主が備えて下さっている将来を確信して、今日を誤りなく生きる平安が満たされるためである。キリスト者がどのような死に方をするか、それがどのようであろうと主の備えの中に在るなら、命のことで一喜一憂する必要...ペテロを証するヨハネ(ヨハネの福音書21章)
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。(10) 御父の戒めイエスの戒めとは御愛の中に留まること。主の愛に応答して愛する方に聴き従うことは喜びとなる。その人が「なぜですか」と理由を問うことは無い。すべての疑問を封じるのは無条件の愛をたまわったからである。 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。(11) 命をたまわった主の愛を離れて何処に行けようか。イエスに安息している命は恐れを知らず、大胆にアグレッシブに生きるようになる。そう、父母と居る幼子は、愛の言葉に満たされて勇気凛々なのである。 わたしがあなたがたを愛し...みことばを聴いて溢れる喜び(ヨハネの福音書15章)
主は割礼という屈辱と苦しみのうちにイエズスという御名を受けたのだから、私たちも屈辱と苦しみを耐え忍ぶこと【霊的割礼】によってキリスト者という名にふさわしいものとなるべき
「そのとき、幼児が割礼をうける八日目になったので、胎内にやどる前に天使によって呼ばれたように、その子の名をイエズスと名づけた。」(ルカ2:24)イエズスという名前に対する愛と信心の恵みをこい求めましょう。キリスト者と言う名前にふさわしくなるために、霊的な割礼の価値を知りこれを実践する力を求めましょう。【1:主は屈辱と苦しみのうちに、イエズスという御名を受けた。】キリストは、イエズスつまり救い主という名前を、屈辱と苦しみのうちに受けました。私たちの主は、私たちを救うために、御自分が屈辱と苦しみを受けることによって私たちを救うために、この世に来られました。主がイエズスという聖なる名前を受けたのも、屈辱と苦しみにおいてでした。割礼は、イエズスにとって屈辱的でした。何故なら、罪人の子供たちと同じ扱いを受けたからで...主は割礼という屈辱と苦しみのうちにイエズスという御名を受けたのだから、私たちも屈辱と苦しみを耐え忍ぶこと【霊的割礼】によってキリスト者という名にふさわしいものとなるべき
聖パウロのよきキリスト者となることができるための四つのアドバイス:いったいどういう意味なのか。
「愛される子らとして、天主に倣うものであれ!キリストが私たちを愛されたように、愛のうちに歩め。聖徒たちにふさわしいように、あなたたちの中では、淫行すべての穢れ・強欲を口にさえするな。人の空しい言葉に騙されるな。光の子として歩め。」2023年3月12日(主日)東京での11時半のミサ説教聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。今日は、四旬節第三主日のミサを捧げています。四旬節は、償い、悔い改めの聖なる時期です。また特に洗礼志願者の洗礼を準備する時期でもあります。今日の聖パウロの書簡は、私たちがよい悔い改めをすることができるように、また求道者の方々がよきキリスト者となることができるために、四つのアドバイスをしています。聖パウロは最後に結論としてこう言います。「あなたたちは闇であったが、今は主において光である...聖パウロのよきキリスト者となることができるための四つのアドバイス:いったいどういう意味なのか。