メインカテゴリーを選択しなおす
2019ヨーロッパ旅#13 中世の雰囲気が残る都市ルッカ🇮🇹
ルッカは、イタリアのトスカーナ地方にある小さな町で、今でも、中世ヨーロッパの建物や雰囲気が残っています。目的もなく、ふらっと行ってみた
[前回までの粗筋] 自部署上司の言うことは意外と素直に聞く鋳鷹…… 本社に赴くんだからちゃんと髪を纏めろと注意されたたので…… 「あれ?…… 鋳鷹どうしたの?? 眼鏡してないじゃん???」 「え?…… そっちスか?……」 TO BE COMUGIKO
セラミック藍新作「トルバドゥール」中世ヨーロッパ風碗皿&プレート 6点販売開始です・・・!【洗車と暖冬】
先日は数年振りの関東の大雪があり、渋谷のハチ公の雪像が増設されるなどしてSNSを賑わせておりましたが、今週は早くも寒さが和らいで行く予報ですね。最寄り駅が車で1時間弱、という仙台圏エリアに住む私ですが、その分普段お世話になっている車は大事にしておりまして、雪道を走った後はなる早で洗車をするようにしています。先日も仕事後複数の用を済ませた後夜の洗車となりましたが、そもそもこの時期だと寒すぎて夜に洗車をする気にならないですし、やむなく洗車をしても、水分とタオルが凍って拭き上げができなくなるのです。それが普通の感覚でするっとできてしまったので、「ああ、今年は暖冬なんだな・・・」とその時改めて実感したのでした。
突然本社からの呼び出しを喰らった鋳鷹…… 心当たりは…… 在り過ぎて どの件についてのやつか全く解らない………… とりあえず制服に着替えて出発しようとしたが………… 「おい…鋳鷹…… お前本社へ赴くんだったら ちゃんと髪纏めてけよ 制服だけちゃんと着てれば良いなんて ガキの考え方だぞ」 「あ… すいませ~ん 今すぐ纏めるっス…」 制服?…… TO BE COMUGIKO
「え? 鋳鷹がいつも髪に付けてるのって マジでピ●カラなの?」 「も~~っ 酒森センパイ今頃何言ってんスか? てゆーか ピ●カラじゃ無かったら いったい何なんだって話っスよー」 「ああ…… そっか…… 確かにそーだよね………」 「そっスよー 大事っスよ? 非常食!! もしも有事の祭 おなかがすいておなかがすいて もう他界寸前だ…… ってなったときは 言ってくださいね! 一粒くらいなら 余裕で差し上げますんで!!」 「あ…… う…ん…… ありがと…ね………」 TO BE COMUGIKO
【乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ】少女達が合唱する聖歌隊って本当にあったの?
乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカに登場する聖歌隊(ターボル天使隊)とクラッシック音楽の合唱について解説します。本作第3巻の見どころについても紹介します。
【乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ】キリスト教フス派って何?解説します。
【乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ】キリスト教フス派について解説します。フス戦争に興味のある方は是非読んでみて下さいね。
【乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ】ヤン・ジュシュカってどんな人?
乙女戦争ディーヴチー・ヴァールカ第2巻で活躍するフス派の指導者:ヤン・ジュシュカの戦術や生い立ちについて解説します。
【乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ】15世紀ヨーロッパ・フス戦争の漫画
乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ。15世紀ヨーロッパ・フス戦争を描いた漫画について見どころを紹介します。騎士団戦→銃火器戦への転換期となったこの時代について興味がある方は是非読んでみて下さいね。
ブルターニュ花嫁異聞 3巻 【まさか本当は-生き延びておられた…?前・ブルターニュ公アルテュール一世】
修道院を襲撃したフィリップと再び遭遇したアンドレとトマは彼から父の仇の名前を聞く。しかし、父親が殺された理由までは分からず、フィリップはその仇の元へアンドレを連れて行こうとする。トマはふと作成中の紋章のメモを見てアンドレの父親の正体に気づくがアンドレはフィリップの誘いを受けてル・マンへ先に旅立ってしまい…...
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年9カルバンとフランス・ルネサンス7テレームの僧院ここでラブレーは自分が書いている物語の筋さえも忘れはてて、ひたすら明けそめた時代にかけた希望と理想とあこがれとの夢、すなわちルネサンスの夢にふけるかのようである。まずこの僧院の建築の描写が、ルネサンス期王侯貴族のはなやかな城館を総合して考えられており、しかもそれらのどれよりも見事だと、作者自身が信じている。ほとんど貪欲ともいうべき好奇心と新鮮なよろこびをもって、ラブレーはテレームの僧院を構想する。それは世のいっさいの僧院とは、まったく正反対のものである。ふつうでは僧院と尼僧院とはまったく別の土地にあるが、テレームでは、男がいないときは女もいてはならず、女がいないときは男もいてはならないことになっている。また...7-9-7テレームの僧院
木原誠二さんもkk黒ずみ角栓♥日本の闇を引きずり出してくれてありがとう。パリ中世ガーゴイル。
通常なら一か月から一年もかかると言われる刑事告訴の受理が、たった一週間という異例中の異例、まさに異次元スピード受理された木原事件。 独自調査を報じて国民の世論…
ブログお友達から届いた 超繊細な絵付け😍 陶芸で使えるかもと 装飾ローラーを入れて下さってたԍ...
イングランド最小の都市今回訪れたのは、サマセット州にあるWells(ウェルズ)という門前町。ここはイングランドにある51のシティの中で〝最も小さい都市〟と言われており、中心部に建つ大聖堂を中心に中世より栄えてきた歴史ある場所だ。ウェルズとい
【気分はもう英国貴族】サファリパーク付きのお屋敷「ロングリート」に行ってきた!
今回はイギリスの伝統的な貴族屋敷と、そこに併設されたアフリカ以外では世界初のサファリパークがあるという「ロングリート」という所に行ってきたので、その時の様子について紹介していこうと思う!ロングリート・ハウスについて歴史ロングリート・ハウスは
ミテコさんが勝てなかった人似のA宮長男くん記事が。。ベネチア食べ歩き&リアルト橋。
昨日の記事ではキコさんが預かった上皇との命という、どこまで倫理に反し生命をもてあそべばそのおぞましさに気づいてやめられるのか、イヤ、やめられないからこそ自分の…
お イタリアのヴェネツィアから南下してウンブリアン山地を通り、アッシジへ。 中世の城塞都市が見えてきたー!!↑世界遺産の聖フランシスコ教会です。アッシジ - …
聖ジャンヌ・ダルクおとめ殉教者記念日5月30日1329年、フランス王チャールズ4世の逝去によりカペー王朝が断絶し、そのいとこにあたるヴァロア家のフィリプがあとを継いだ。ところが、英王エドワード3世はチャールズ4世のおいにあたるという理由からフランス王位相続権を主張して一歩もゆずらなかった。ここで両国は戦端を開き、フランス国内で「百年戦争」という悲惨な攻防戦をくりひろげた。その後、国内でも王族間の内紛が起こり、ブルゴーニュ党とアルマニャック党に分かれ、前者は英軍と共同し、後者はあくまでフランスの正統王朝、ヴァロア家のシャルル6世の太子を守って優勢な英軍に抵抗した。この必死の抵抗もむなしく、1428年、仏軍の最後の堅固な城オルレアンが包囲され、ヴァロア王朝の運命は風前のともしびとなった。このとき天来の救い主の...聖ジャンヌ・ダルクおとめ殉教者
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年12聖女ジャンヌ・ダルク3ジャンヌの謎ジャンヌ聖女観とならんで古来かたく信じられてきた伝説に、シャルル七世阿呆(あほう)説というのがある。この両者は、たがいに補いあうものだといってもよい。阿呆であった若き日の王太子シャルルが、神の御使ジャンヌによって正気にたちかえったという話である。この話の舞台に登場する王太子は、ブールジュないしシノンの城で、廷臣どもにばかにされながら、日がな一日、拳玉にうち興じている。かとおもうと、自分は父王シャルル六世の嫡子(ちゃくし)ではないのではないかと、くよくよ思いなやんでいる。なにしろ、彼の父は狂人であり、母イザボー・ド・バビエールは、さかんな浮き名を流した女性であったから、そのおそれはおおいにあるというわけだ。シノン城で、...5-12-3ジャンヌの謎
鋼鐵の薔薇 2巻 【反乱指導者ジャック・ケイドはいるか いるならばぜひ一騎討ちを所望する】
王位簒奪を目論むヨーク公爵が裏で手を引き、傭兵隊長ジャック・ケイドにロンドンを占拠させる。サマーセット公から命を受けた騎士ブラッドはロンドンの西端にあるラッドゲートを奪還し、本隊の到着を待つかに思われたが・・・ジャック・ケイドとの一騎討ちでも圧倒的な力を見せるブラッド、彼の前に謎の女が現れる!...
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年9シチリアの晩祷5地中海帝国の夢シャルル・ダンジュー領地シチリア王国を確保したシャルルは、つぎの目標をビザンティン帝国においた。当時、地中海東部における西ヨーロッパ人の勢力は退潮期にあった。一三五〇年ごろの情勢をみると、第四回十字軍のときに成立したラテン帝国に対抗して小アジア半島の内陸部に作られたビザンティン帝国の後継王朝、ニケーヤ帝国の勢力は、しだいにラテン帝国を圧し、小アジア半島北西部からバルカン半島北部にかけて進出し、ラテン帝国のコンスタンティノープルを攻囲していた。小アジア半島東部にはセルジューク・トルコのイコニウム帝国があり、アルメニアから東はモンゴル人の支配下にあった。エジプトでは、ちょうどこの年、アイユーブ朝が倒れ、トルコ人のマムルク朝がお...5-9-5地中海帝国の夢
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年12聖女ジャンヌ・ダルク1娘ジャンヌ「このころ、人の言によれば、ロワールの河縁(かわべり)にひとりの娘あり。予言者を称して、これこれのことは真実となるであろうなどといい、フランス摂政とそれを助けるものたちに敵対していた。人の言によれば、オルレアンの前に陣をかまえていた軍勢をものともせず、多数のアルマニャック勢とともに、多量の食糧をたずさえて市中に入った。また、陣のものたちは、まったく身動きできず、アルマニャック勢が、彼らのそば近く、矢のとどくところ、ないしはその倍ほどのところを通って市中にはいるのをみていたとのことであり、また、市中の人々は、食糧がたいへん欠乏していたので、じつに三フランもするパンを夕食に食べていたとのことであり、そのほか、その娘について...5-12-1聖女ジャンヌ・ダルク
聖マグダレナ・ソフィア・バラ修道女 St. Magdalena Sophia Barat V.
聖マグダレナ・ソフィア・バラ修道女St.MagdalenaSophiaBaratV.記念日5月25日カトリックの女子修道会も数多あるが「聖心会」の如きは、最も大にして最も著名な一つであろう。同会経営の女子教育機関は殆ど世界の各国に亘って置かれ、我が国においても東京、神戸の両市にその女学校が設けられている。故に本日同会の創立者なる聖女マグダレナ・ソフィア・バラの生涯について語ってみるのもまんざら興味のない事でもあるまい。何故なら彼女の精神こそ、即ち同会活動の原動力を成しているからである。彼女は1779年12月13日フランスのジョアニーに呱々の声を挙げた。父母はそれほど高い身分ではなかったが共に信心深く、娘をも敬虔にしつけ育てた。マグダレナが初聖体の拝領を許されたのは、僅か10歳の時で、フランス大革命の勃発す...聖マグダレナ・ソフィア・バラ修道女St.MagdalenaSophiaBaratV.
シャルル・ダンジュー領とアラゴン王領『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年9シチリアの晩祷6事件のあとアラゴン王ペドロは、九月二日、パレルモに入り、市政府からシチリア王の冠をうけた。シャルルはペドロとの決戦を避け、カラブリアのレッジオにひきあげた。ペドロは、十月二日、メッシナに入った。これで終わりであった。これまで、シチリア問題を起動ばねに、かみあって動いていた歯車仕掛けは解体した。ビザンティンのミカエルは、危機が去ったいま、もはや西方にはなんの関心も示さない。彼は、十二月に、生涯の事業に満足して死んでいった。ペドロにしても、さらにその目をビザンティン帝国、あるいは神聖ローマ帝国に向けていたわけではない。だいいち、シチリア征服を財政的に支えたバルセロナ、ナルボンヌの商人たちは、王がこれ以上、...5-9-6事件のあと
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年10黒い死――恐怖のペスト1死神ペスト来たる地中海の主要貿易路――ペストの流行は、カッファを包囲していたモンゴル軍から起った。そして鼠によって、カッファから船に乗ってヨーロッパ各地に拡散していった。一三四七年、死神がクリミア半島の港町カッファに姿を現わした。カッファは、十三世紀のなかば以降ジェノバ領であり、ジェノバの黒海貿易の拠点であったが、当時クリミア半島を南下したモンゴルのキプチャク汗国の軍勢に攻囲されていた。その攻囲軍の陣営に、ベストが発生したのである。キプチャクの汗ジャニペクは、ペストに倒れた将士の屍体を、投石機を使って市中に投げこませたという。ジェノバ人にも、この災禍のおすそわけをしてやろうという腹づもりだったのだろう。だが、その心づくしには、...5-10-1黒い死――恐怖のペスト
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年10黒い死――恐怖のペスト2パニック考えてもみるがいい、四人のうちひとりが死ぬのだ。きのうまで元気だった身内のものが、きょうは全身膿(う)みただれて、土間のわらの上にころがってもがき苦しみ、翌日は黒ずんだ屍(しかばね)となって葬られるのだ。黒い死の不安が、町に村にひろがった。相手の正体のはっきりしている敵ならば、まだしも身を守るすべもある。だが、このようにみえない敵が相手では、人々はただ恐怖に脅えるほかなかった。悪魔の仕業だという発想はすぐに出てくる。また、神の怒りではないかとの畏れの念も、当時の人々にはごく自然だった。だから、芳香を放つアロエという薬用植物を大量に燃やしてみたりした。悪魔が空気を汚しているのだと考えたからである。聖体を護持して練り歩く行...5-10-2パニック
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年8くずれゆくアンジュー王国――アンジュー王家の人々Ⅱ――2リチャード獅子心王一一八九年九月三日、リチャードは、ウェストミンスター修道院で戴冠した。明るい陽光のさしこむ堂内だというのに、一羽のこうもりが、王冠のまわりをとびまわったという。およそリチャードほど、イングランド人になじみのうすかった王はいない。彼がイングランドにいたのは、戴冠と十字軍の費用調達のために滞在した一一八九年八月から十二月までの四ヵ月と、十字軍の帰途、ドイツに抑留され、釈放されたのち、身代金調達のために滞在した一一九四年三月からの三ヵ月間だけだった。十年の治世のうち、わずか半年しか、イングランドにいなかったわけである。しかも、十字軍費用の調達も、身代金の工面も、いずれもたいへんな額であ...5-8-2リチャード獅子心王
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年8くずれゆくアンジュー王国――アンジュー王家の人々Ⅱ――1ヘンリー王の死(挿絵はリチャード1世とフィリップ2世)ジョンがアイルランドでもたもたしているあいだに、兄ジョフリーが、トーナメントで重傷を負って死んだ。彼にはすでに一女エリナーがあり、死後男子アーサーが生まれたから、ブルターニュ侯領をジョンが継承するというわけにはいかなかった。だが、末っ子のジョンは、ここに、一歩、王冠へ近づいたのである。ヘンリーとリチャードの仲は険悪であった。リチャードの許婚(いいなずけ)、フランス王女アリスは、まだヘンリーの宮廷にいて、ヘンリーとの関係をひそかにうわさされていた。アキテーヌ侯領のジョンヘの分与という問題をめぐるさきの争いの結果、ヘンリーはリチャードを下位継承者に...5-8-2くずれゆくアンジュー王国
7エニシダの枝(プランタジネット)の王たち――アンジュー伯家の人々Ⅰ――4ライオンの子供たちアリエノールは、この夫に満足していたのだろうか。ヘンリーとアリエノールのあいだには、八人の子が生まれた。ヘンリーからジョフリーまでの四人は、一一五五年から五八年まで、毎年生まれた。末子ジョンは一一六七年に生まれ、彼の誕生後すぐ、両親は別居生活にはいっている。別居したアリエノールは、リチャードをつれてボワツーに閉じこもり、ポワチェの彼女の城は、ふたたび、吟遊詩人や、小粋(こいき)で軽薄な若い騎士たちでにぎわった。(挿絵はリチャード1世)放浪の学僧(ゴリアルディ)仲間にとっても、また、アリエノールの名が強い牽引力をもったことは、彼らの作ったラテン詩を集めた詩歌集『力ルミナ・ブラーナ』に収録されている詩句からもわかる。こ...5-7-4ライオンの子供たち
7エニシダの枝(プランタジネット)の王たち――アンジュー伯家の人々Ⅰ――5兄弟、あい争う「若いヘンリー」王には、ふしぎな人気があった。それと対照的に、リチャードには人気がなかった。「優雅で高貴、愛らしく、言葉なめらか、容貌美しく、典雅なものごし、どこからみても魅力にあふれ、背丈はといえば、天使にわずか劣る――リチャードは、ちょうど、この逆をいっている」と、ある記録はいい、ウォルター・マップは、リチャードを評して、「なみはずれての不信心者、じつにごりっぱな罪の宮殿」といっている。そのじつ、『若いヘンリー』王には、父王の行政手腕も、リチャードの示した軍人としての能力も、いっさい欠けていた。いわば彼は、その弟たちにくらべれば、一見美しくりりしげな五月人形みたいなものだったのである。それだけに、人々は、彼のうちに...5-7-5兄弟、あい争う
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年5ドイツ国王のカノッサの屈辱1カノッサにて一〇七六年十月、ドイツ諸侯は、マインツの南トリプールに集まった。国王ハインリヒ四世が、この年の二月、教皇グレゴリウス七世によって破門されたので、これにどう対処したらよいかを相談するためである。この国王破門は、その前月、ハインリヒ四世がウォルムスに諸候を集めて国会(封建諸候会議)を開き、教皇の廃位を決議させたことに対する教皇の反撃であった。教皇は、国王ハインリヒを破門することによって、ハインリヒに臣従するものたちの、つまりドイツ諸侯の、国王ハインリヒに対する誠実の義務を解除したのである。したがってハインリヒに忠誠を誓うものは、教皇に対し弓をひくことになる。ウォルムスの国会では国王を支持した諸侯も、こういうことになっ...5-5-1カノッサの屈辱
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年3シャルルマーニュ(シャルル大帝)1ロランの歌「熱心に、ほとんどたえまなく、境界のしかるべき場所に軍を配置して、サクソン族と戦いをつづけるいっぼう、徴しうるかぎりの兵力を集めて、スペインを攻めた。ピレネー山脈を越え、行く手にある砦や城を残らず制圧し、自軍になんらの損傷をこうむることもなく帰途についた。だが、しかし、その途上、行きと同じピレネー越えにおいて、バスク人の背信にいささか悩まされる仕儀(しぎ)とあいなったのである。山あいをぬける道のせまさに、やむなく長い列をつくって軍を進めていたとき、山の高みにかくれひそんでいたバスク人たちが――実際、そのところには樹木が密生し、かくれひそむには絶好だったのだ――逆落(さかお)としをかけ、荷駄隊の最後尾に、また、...5-3-1ロランの歌
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年4ノルマン侵入でのバリの戦い3ノルマン侵入でのパリの戦い喜びをもって語れ、おお、汝、全能の神に救われしもの、ルテチアよ。アボンのラテン語韻文『バリ(古名ルテチア)の町の戦い』はこう歌い出している。アボンはパリの東、サン・ジェルマン・デ・ブレ修道院の一修道士で、ネウストリア、別のいいかたでは「セーヌとロワールのあいだの土地」の生まれだった。その生涯のことは、ほとんど知られていない。九一四年ないし一九年の日付をもつ勅令の記載に、同修道院の「訪問客宿舎係」としてアボンという修道士の名がみられ、おそらくこれと同一人物と考えられている。その後、おそらく九二〇年代まで生きていたらしい。とすると、この詩に歌われた八八五年から六年にかけての事件のあったときには、彼は、ま...5-4-3ノルマン侵入でのパリの戦い
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年4ノルマン侵入でのバリの戦い2ノルマンは北辺の海賊一九〇三年、ノルウェーのオスロ湾口の西岸オセペルクに、高さ六メートル、径三六メートルにおよぶ巨大な「舟塚」が発見された。翌年、発掘が行なわれた結果、みごとな彫刻をほどこしたした舟が現れた。青粘土と泥炭土とが木材の腐敗を防いだのである。舟は船首を南に、つまり沖のほうに向け、大きな石に繋留された格好になっていた。船尾にしつらえられた小室には、女性の骨が二体分横たわっていた。ある学者は、この二体のうちの年若のほうの遺骸は、ノルウェー王ハラルド美髪王の祖母にあたる王妃アサではないかという魅力ある説を立てている。遺物による年代測定の結果は、この舟塚の作られたのが九世紀の後半であることと示し、この説を裏づけているのだ...5-4-2ノルマンは北辺の海賊
ブルターニュ花嫁異聞 1、2巻 【ブルターニュ公の花嫁を探してきてくれぬか?】
13世紀フランス・ブルターニュ地方で紋章官として主人と戦場を駆け回るトマ。戦で負傷した主人から新たな使命を与えられる。それは、主の古い知人・アンドレ・ル・ブローを訪ね、彼の娘を次期ブルターニュ公爵の花嫁候補として連れてくることだった。授けられた紋章を頼りに武芸大会に赴くトマが出会ったのは男装し、公爵に復讐の炎を燃やす花嫁候補だった!?...
『中世ヨーロッパ世界の歴史5』社会思想社、1974年2動乱の地中海1東ローマ帝国ユスティニアヌス皇帝の再征服ローマ帝国は、五世紀末に滅亡したのではなかった。帝国の東半分は、なお存続していたのである。だが、なお存続していたとはいえ、このいわゆる東ローマ帝国(首都コンスタンチノーブルの古名ビザンティウムから、通称「ビザンティン帝国」)も、けっして、ゆるぎなく安泰であったわけではなかった。皇帝アナスタシウス(四九一~五一八)が、黒海からマルモラ海にかけて、「アナスタジウスの壁」と呼ばれる長城を建設したことにうかがえるように、ドナウ川は、もはや防衛線ではなくなっていた。ドナウ川の南にはゲルマン諸族が、北にはスラブ諸族、ブルガリア人、フン族がひかえていた。シリアのペルシァとの国境は、つねに危機をはらんでいた。しかも...5-2-1東ローマ帝国ユスティニアヌス皇帝の再征服
Grazie🍂 北風とすれ違う坂、こんばんは登ってくるおばあさんとあいさつを交わす。散歩に出かけるも、今日は一段と寒い。手早く、からし菜を摘み、帰路へ。寒いので、そのまま家に帰りたかったけれど、途中、最後のマローを摘もうと、城跡に立ち寄る。今日は手袋がいるねそんなことを言いながら、摘んでいると、先ほどのおばあさんが、突如、柵の外にある1.5mほどの高さの城壁に、姿を現す。強い方言訛りで何かを私たちに...
Little-known Spots in Frankfurt, GERMANY フランクフルトに住んで15年以上になる私は、市内の名所をほとんど知っている(と思う)のですが、今回は有名ではない素敵な
「王」 と 「騎士」 と 「農奴」 ~ 中世ヨーロッパの封建制
本日のキーワード : 中世ヨーロッパの封建制、農奴中国共産党㊷History沿革 (十二)Xi era習時代Belt and Road Initiative一帯一路構想The Belt and Road Initiative (BRI) is a massive global investment strategy launched by the CCP in 2013 aimed at bolstering its economic and political influence across Asia, Europe, Africa, and South America. The project involves investments in infrastructure and natural...