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翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱を担いだ。七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って主の箱の前を進み、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは、彼らの先頭に立って行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら主の箱のうしろを進んだ。(12~13) 主に在って働く者は、みな主をほめたたえる喜びに満ちて、朝早く起き出して来てみこころを行う。此処に勇ましいときの声はまだ無く、ただ、主の臨在を知らせる角笛を聞きつつ進んだ。 彼らは二日目も町の周りを一周回り、宿営に帰った。六日間そのようにした。(14) 黙々と町囲いを回るだけの従順は、リーダーを信頼してのことである。ヨルダン川を渡って、ヨシュアに居られる主を経験してのことである。敵を目前にして歩くだけの六日間は、主に魂を平伏させる訓練の時であり、みことばに殉じて自身...みことばの愚かさに在る祝福③(ヨシュア記6章)
イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕暮、エリコの平野で過越の祭を行った。そして過越の祭の翌日、その地の穀物、すなわち種入れぬパンおよびいり麦を、その日に食べたが、その地の穀物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエルの人々は、もはやマナを獲なかった。その年はカナンの地の産物を食べた。(10~12) 恐れによって神の選びの地を拒絶した荒野の40年間、主はイスラエルの民を天からマナを降らせて養われた。ヨルダン川を渡って備えの地に辿り着くまで、不従順の民を養い守ってくださったのである。 今も、天地創造の神を受け容れない人々であっても、神の恵みを受けずに生きているわけではない。空気やあらゆる地の産物のすべて、命のための神の備えによって万物は生かされているのである。 天地の絶妙の...あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)
ヨシュアは民のつかさたちに命じた。「宿営の中を巡って、民に命じなさい。『食糧を準備しなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡るからだ。あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、あなたがたは進むのだ。』」(10~11) みことばを聴いたなら自分を忘れて、すぐに行うことが従順である。アブラハムが御声に従ってイサクを捧げる時、息子を愛することさえ忘れて朝早く山に登って行った。もし、自分を少しでも心配するなら従順のタイミングは失われてしまうのだ。それは神に信頼しなかったからであり、一番に愛しなかったからである。 創造主なる神への従順は盲目的であって良い。命じられた方は造り主なのだから当然なのである。一体被造物がどうやって造り主のことばを判断することが出来るだ...あなたの前に立ちはだかる者はいない②(ヨシュア記1章)
モーセはイスラエルをみな呼び寄せて、彼らに言った。聞け、イスラエルよ。今日、私があなたがたの耳に語る掟と定めを。これを学び、守り行いなさい。(1) 今は、イエス・キリストのことばが与えられている。聖霊によって導かれ、キリストの掟と定めを学び行うのである。それは、イエスから聴いた約束の言葉に留まることである。キリストの十字架による御救いと、罪からの解放のみことばを覚えて生き、キリストの平安の中に住まう祝福を受けて生きるとき、主が備えられた宣教となる。 私たちの神、主はホレブで私たちと契約を結ばれた。主はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち、一人ひとりと結ばれたのである。(2~3) 十戒は選びの民であるイスラエルに対して、神が直接結ばれた契約である。神が掟と定めを示されるの...ほかの神があってはならない(申命記5章)
主は私に言われた。「モアブに敵対してはならない。彼らに戦いを仕掛けてはならない。あなたには、その地を所有地として与えない。わたしはアルをロトの子孫に所有地として与えたからである。(9) 主がロトの子孫を守られるのは神のご性質に拠ることである。それは人の正しさには拠らぬことであるゆえ、私たちはみことばにより頼んで平安を得ることが出来る。私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(Ⅱテモテ2:13) 主がお与えになったものは主が守られるゆえに、主に在るとき彼らは平和の中で主を恐れ、彼らに戦いを挑むことはしない。 セイルには以前フリ人が住んでいたが、エサウの子孫がこれを追い払い、これを根絶やしにし、彼らに代わって住むようになった。ちょうど、イスラエルが主の下さっ...なに一つ欠けたものがない主の備え②(申命記1章)