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七周目に祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげよ。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。この町とその中にあるすべてのものは主のために聖絶せよ。遊女ラハブと、その家にともにいる者たちだけは、みな生かしておけ。彼女は私たちが送った使いたちをかくまってくれたからだ。」(16~17) 町が、主に従うイスラエルのときの声を聞いたとき、彼らの命は終わった。この町が謙って命を乞うための六日間は終わった。彼らはみな角笛の音を聞いていたのに、命を守るために何もしなかった。聖絶は突然の不幸ではない。 子供は親が守らなければ生きられない。親には家族を守る責任があり、ラハブはその熱心によって家族の命を守った。この世でどんなに良い生き方をしていても、命の主に対して傲慢になり、刻々と失わ...みことばの愚かさに在る祝福④(ヨシュア記6章)
翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱を担いだ。七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って主の箱の前を進み、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは、彼らの先頭に立って行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら主の箱のうしろを進んだ。(12~13) 主に在って働く者は、みな主をほめたたえる喜びに満ちて、朝早く起き出して来てみこころを行う。此処に勇ましいときの声はまだ無く、ただ、主の臨在を知らせる角笛を聞きつつ進んだ。 彼らは二日目も町の周りを一周回り、宿営に帰った。六日間そのようにした。(14) 黙々と町囲いを回るだけの従順は、リーダーを信頼してのことである。ヨルダン川を渡って、ヨシュアに居られる主を経験してのことである。敵を目前にして歩くだけの六日間は、主に魂を平伏させる訓練の時であり、みことばに殉じて自身...みことばの愚かさに在る祝福③(ヨシュア記6章)
ヨルダン川の反対側、すなわち西側にいるアモリ人のすべての王たちと、海沿いにいるカナン人のすべての王たちは、主がイスラエル人の前で、彼らが渡り終えるまでヨルダン川の水を涸らしたことを聞くと、心が萎え、イスラエル人のゆえに気力を失ってしまった。(1) イスラエルの為になされた神のわざは、ラハブたち異邦人にも力ある神の存在を知らせていた。キリスト者が人々に責められている時、天地創造の力ある神が味方であることを証してくださる。恐れることなく弱さを曝らすことは、そこにある主の助けを世が見る時ともなる。私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。(1コリント2:4) 弱さを持っている者が主に信頼してみことばに従い、問題だらけの世で平安に生きることは、それだけ...ヨシュア自ら割礼を施す忠実(ヨシュア記5章)
イスラエルの子らはヨシュアが命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたとおり、イスラエルの部族の数に合わせて、ヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、宿営地に携えて行って、そこに据えた。(8) ヨシュアにイスラエルの民が従順したのは、主に信頼して命じたことばの通りが、目の前に現れて足で神のわざを経験したからである。主を経験した者はみことばに従順することが易しくなる。主が折々に御わざを見せてくださるのは、人の弱さをご存じだからであり、神の御わざを経験させて下さる時に、人は主が共に居てくださることを見る。 これらの十二の石はヨルダン川の真ん中で、契約の箱を担いだ祭司たちが足をとどめた場所にあったもので、ヨシュアがそれらを積み上げたのである。それらは今日までそこにある。箱を担ぐ祭司たちは、民に告げるようにと主...聴いたことばにとどまり続ける勤め②(ヨシュア記4章)
主はヨシュアに告げられた。「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたを大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」(7~8) 主はヨシュアにヨルダン川が乾いて道が出来ることを伝え、聴いたヨシュアがみことばを確信する平安は、主がともにおられることによる現れである。 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。今、部族ごとに一人ずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰と...みことばを語り主を経験させるリーダー(ヨシュア記3章)
モーセはモアブの草原からネボ山、すなわち、エリコの向かいにあるピスガの頂に登った。主は彼に次の全地方をお見せになった。ギルアデをダンまで、(1) 主はモーセに彼の民の将来の祝福を語らせ、主ご自身が彼の目に見せられた。役割を終えたモーセが見たものは、彼の働きの実である。彼自身がその地を味わうことは無いけれど、そこには確かに彼が主と共に働いた祝福が広がっていたのだ。 今は聖書に永遠の未来が記されてあり、キリストを信じる者にはみことばの約束である永遠を、体の死を通って辿り着く祝福を知ることができる。 そして主は彼に言われた。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」こうしてその場所で、主...モーセの手(申命記34章)
権威と従順についての講話:権威および従順という概念、両者の関係、そして両者の制限について
権威と従順についての講話ドモルネ神父2024年1月8日(札幌)はじめに60年にわたって、カトリック教会は、自らの歴史の中でも最も深刻な危機の一つによって揺さぶられています。教皇パウロ六世が、1972年に、「どこかの裂け目を通ってサタンの煙が天主の教会に入り込みました」と言ったほどでした。その裂け目とは、実際には教皇パウロ六世自身の自由主義でした。彼は第二バチカン公会議の間に、致命的な教理が教会に浸透するのを許しました。次に、自分の権威を利用して、これらの教理を教会全体に広めたのです。そして、いわゆる従順の名の下に、カトリックの聖職者と信者のほとんどが、これらの教理を受け入れました。ルフェーブル大司教とブラジルのデ・カストロ・マイヤー司教だけが、これらの致命的な教理に公然と反対した司教でした。二人は教皇に不...権威と従順についての講話:権威および従順という概念、両者の関係、そして両者の制限について
夫婦それぞれの家族での役割についての説教:家族の平和、幸福、聖化の第一条件は、夫婦のそれぞれが自分の役割を力の及ぶ限り果たすこと
夫婦それぞれの家族での役割についての説教ドモルネ神父2024年1月7日はじめに今日、私たちは、イエズス、マリア、ヨゼフの聖家族の祝日をお祝いしています。教皇レオ十三世とベネディクト十五世は、聖家族を模範として、家族制度を守ることと、家族を聖化することの重要性を強調するために、この祝日を制定しました。家族とは、婚姻の契約による男性と女性の結合を基礎に成立し、子どもたちの誕生によってさらに拡大するものです。家族の平和、幸福、聖化の第一条件は、夫婦のそれぞれが自分の役割を力の及ぶ限り果たすことです。今日は、家族の中での夫と妻それぞれの役割を、皆さんに思い出していただきたいと思います。1.家族における夫の役割天主の計画により、夫は家族のかしらです。聖パウロは、エフェゾ人にこう言いました。「妻よ、主に従うように、自...夫婦それぞれの家族での役割についての説教:家族の平和、幸福、聖化の第一条件は、夫婦のそれぞれが自分の役割を力の及ぶ限り果たすこと
新年小黙想会二日目 黙想二 ナザレトでのイエズス・キリストの従順
新年小黙想会二日目黙想二ナザレト「そしてイエズスは、彼らと共にナザレトに下り、彼らに従われた。」(ルカ2:51)私たちの主をもっと良く知り、もっと熱心に愛し、もっと忠実に従うために、主の私生活の神秘を理解するお恵みを求めましょう。【1:「イエズスは、彼らと共にナザレトに下られた」】イエズス様が十二才のとき、エルサレムの神殿で博士たちに教えておられるのを両親が見つけたという出来事の後、直ちにナザレトに下ったと、聖ルカは書いています。イエズス様はその後少なくとも十八年間はナザレトにおとどまりになったはずです。私たちが青春時代と呼ぶ時を、ナザレトでお過ごしになりました。主の私生活と公生の比は、少なくとも、十八年対三年、つまり六対一でした。一年の仕事に対して六年の隠れた生活です。「天主の道は私たちの道ではない」。...新年小黙想会二日目黙想二ナザレトでのイエズス・キリストの従順
フェレー司教の霊的講話「カトリックの真の従順は、必ず天主に対する従順です。聖トマス・アクイナスがすでに問い、かつ完璧に答えました。」
2023年1月29日(日)フェレー司教様霊的講話「カトリックの真の従順は、必ず天主に対する従順です。聖トマス・アクイナスがすでに問い、かつ完璧に答えました。」親愛なる信徒の皆様、小野田神父様から霊的講話をするようにと依頼されたので、今日は二つ重要な点を申し上げたいと思っています。第一点は、今の教会の状況が非常に悪化しているので、大きな疑問が起きています。その疑問とは、従順に関してです。私たちは従順というものをどう考えたら良いのだろうか、ということです。もう一つは、やはり教会の内部で起きている状況が非常に悪くなっているので――私たちが持つべき徳は希望の徳です――ですから、希望の徳についてお話ししたいと思っています。まず第一のポイントとして、皆さんが今日ここに、つまり教会の中ではなくて教会の信徒会館ではなくて...フェレー司教の霊的講話「カトリックの真の従順は、必ず天主に対する従順です。聖トマス・アクイナスがすでに問い、かつ完璧に答えました。」
アビブの月を守り、あなたの神、主の過越を祝いなさい。アビブの月に、あなたの神、主が夜のうちにエジプトからあなたを導き出されたからである。主が御名を住まわせるために選ばれる場所で、あなたの神、主に、過越のいけにえとして羊と牛を屠りなさい。(1~2) 主がどのように民をエジプトから連れ出されたかを、子々孫々まで覚えているために、神は時を指定し、場所を指定して、神の守りを従順によって覚えさせられる。何処からどのようにして救い出されたかが明確であるなら、何時でも初めの愛に戻ることが出来る。救い出された日を覚え、そこで経験した神のみわざを忘れないなら、主への信頼は変わることなく再び奴隷となることはない。 神との関係がみことばに対する従順が無ければ成立しないのは、昔も今も同じである。キリストの十字架の完全なあがない...みことばに従順して喜び楽しむ(申命記16章)
霊的講話(東京) 聖ピオ十世会フェレー司教様|カトリックの真の従順は必ず天主に対する 従順です。教皇の不可謬権の行使には4つの条件が 必要で救霊の事業ための権威なのです。
アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、今日はルルドの聖母のご出現ですね。YouTubeでフェレー司教様による「霊的講話(東京)1月29日」の動画をご紹介いたします。この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。SSPXJAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。天主様の祝福が豊にありますように!トマス小野田圭志神父霊的講話(東京)聖ピオ十世会フェレー司教様|カトリックの真の従順は必ず天主に対する従順です。教皇の不可謬権の行使には4つの条件が必要で救霊の事業ための権威なのです。
「主は、くじによってあの地をイスラエルの子らに相続地として与えるように、あなたに命じられました。そしてまた、私たちの親類ツェロフハデの相続地を彼の娘たちに与えるように、あなたは主によって命じられています。(2) 被造物はすべて神のご計画に拠って造られた。たまわった命をみこころに添って生きることで、世に生きている時から御国の味わいとなる。それが大海の中の小舟のような人生であっても、主イエスがいつも共に居て下さるからである。 神によって母の胎で組み立てられて、祝福のうちに生まれ出て、みことばの導きのもとに人生を全うして天に帰り、永遠に主と共に生きるなら、この上もない光栄な人生であり神の喜びである。 あなたこそ私の内臓を造り母の胎の内で私を組み立てられた方です。(詩139:13) 神は人を滅びるものとして造ら...ツェロフハデの娘の従順(民数記36章)
主がモーセに命じられたとおりにイスラエルの子らは過ぎ越しのいけにえを捧げた。 しかし、人の死体によって汚れていて、その日に過越のいけにえを献げることができなかった人たちがいた。彼らはその日、モーセとアロンの前に進み出た。その人たちは彼に言った。「私たちは、人の死体によって汚れていますが、なぜ、イスラエルの子らの中で、定められた時に主へのささげ物を献げることを禁じられているのでしょうか。」(6~7) 彼らは死体に触れることによる汚れを知っており、ささげ物が出来ないことを知ってはいたが、強いてささげるチャンスを求めた。それは、主にささげる時を失いたくないという、神への愛から出たことである。 主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたのうち、またはあなたがたの子孫のうちで、人の死体によ...イスラエルの子らの愛(民数記9章)
主はモーセとアロンに告げて、こう彼らに言われた。「イスラエルの子らに告げよ。次のものは、地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物である。(1~2) 神はイスラエルの民に食べて良いものと、食べると汚れるものを示された。それは、第一に従順を確認するためのものである。造り主への従順によって作られている体は、まさに神の祝福に在って健やかである。 キリスト者のいのちを健やかに保つ大切なことは、みことばを食事のように日々に取り込むことである。自分の霊を養い備えていないと、折々に聖霊が語り掛けるみことばも理解出来ずに、助けを受けられない体や魂が衰えて行くのだ。 動物のうち、すべてひづめが分かれ、完全にひづめが割れているもので、反芻するもの。それは食べてもよい。(3) 「反芻するものでひづめの割れているもの...口から出る言葉が人を汚す(レビ記11章)