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主はモーセとアロンに告げて、こう彼らに言われた。「イスラエルの子らに告げよ。次のものは、地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物である。(1~2) 神はイスラエルの民に食べて良いものと、食べると汚れるものを示された。それは、第一に従順を確認するためのものである。造り主への従順によって作られている体は、まさに神の祝福に在って健やかである。 キリスト者のいのちを健やかに保つ大切なことは、みことばを食事のように日々に取り込むことである。自分の霊を養い備えていないと、折々に聖霊が語り掛けるみことばも理解出来ずに、助けを受けられない体や魂が衰えて行くのだ。 動物のうち、すべてひづめが分かれ、完全にひづめが割れているもので、反芻するもの。それは食べてもよい。(3) 「反芻するものでひづめの割れているもの...口から出る言葉が人を汚す(レビ記11章)
あなたがたは、いかなる群がるものによっても、自分自身を忌むべきものとしてはならない。また、それによって身を汚し、それによって汚れてはならない。(43) 群れるのは世の習性であり、彼らの平安は群れの中にあるのだ。しかしそれは絶えず移り変わるものであって、定まる所を持ってはいない。世を支配するものによって操られているので、群れのあり様を論じることには意味がないのだ。 わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。あなたがたは、地の上を這ういかなる群がるものによっても、自分自身を汚してはならない。(44) キリスト者は群れで主に繋がってはおらず、一人ひとりが聖霊の導きに拠って、みことばを通してキリストのうちに在り、また、キリストをうち...聖別(レビ記11章)