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まことに、私が今日あなたに命じるこの命令は、あなたにとって難しすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。これは天にあるわけではないので、「だれが私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちが行えるように聞かせてくれるのか」と言わなくてよい。(11~12) キリストに拠って救われた者のうちには三位一体の神がおられる。まことにこれこそ驚天動地の奇跡である。聖なる神が未だ肉を纏っている人のうちに住んでおられるとは! このことはキリストの十字架が、信じる者にとってどれほどに力ある御わざであるかを現わしている。過去、現在、未来の罪が神の御前に完全に贖われている証である。残念なのは人が罪に対して鈍感であるように、聖に対しても鈍感ゆえに、自分の中に起っている奇跡に気づかないことである。みことばから知ることが...全能の神が共に居てくださる(申命記30章)
アビブの月を守り、あなたの神、主の過越を祝いなさい。アビブの月に、あなたの神、主が夜のうちにエジプトからあなたを導き出されたからである。主が御名を住まわせるために選ばれる場所で、あなたの神、主に、過越のいけにえとして羊と牛を屠りなさい。(1~2) 主がどのように民をエジプトから連れ出されたかを、子々孫々まで覚えているために、神は時を指定し、場所を指定して、神の守りを従順によって覚えさせられる。何処からどのようにして救い出されたかが明確であるなら、何時でも初めの愛に戻ることが出来る。救い出された日を覚え、そこで経験した神のみわざを忘れないなら、主への信頼は変わることなく再び奴隷となることはない。 神との関係がみことばに対する従順が無ければ成立しないのは、昔も今も同じである。キリストの十字架の完全なあがない...みことばに従順して喜び楽しむ(申命記16章)
あなたがたがマサで行ったように、あなたがたの神である主を試みてはならない。あなたがたの神である主の命令、主が命じられたさとしと掟を必ず守らなければならない。(16~17) 主を試みるとはみことばを否定することであり、みわざを否定することである。エジプト脱出よりイスラエルの民は御わざによって、命を守られ生きているにも関わらず、主に信頼し続けることをしなかった。それは、彼らには助け主なる聖霊がおられなかったからである。みことばの確信を与えて、従順を助けてくださるのは聖霊である。 主の目にかなう良いことをしなさい。そうすれば、あなたは幸せになり、主があなたの父祖たちに誓われた、あの良い地を所有することができる。主が告げられたように、敵をことごとくあなたの前から追い払うことができる。(18~19) 主の目に叶う...幸せを得させるための命令(申命記6章)