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主は割礼という屈辱と苦しみのうちにイエズスという御名を受けたのだから、私たちも屈辱と苦しみを耐え忍ぶこと【霊的割礼】によってキリスト者という名にふさわしいものとなるべき
「そのとき、幼児が割礼をうける八日目になったので、胎内にやどる前に天使によって呼ばれたように、その子の名をイエズスと名づけた。」(ルカ2:24)イエズスという名前に対する愛と信心の恵みをこい求めましょう。キリスト者と言う名前にふさわしくなるために、霊的な割礼の価値を知りこれを実践する力を求めましょう。【1:主は屈辱と苦しみのうちに、イエズスという御名を受けた。】キリストは、イエズスつまり救い主という名前を、屈辱と苦しみのうちに受けました。私たちの主は、私たちを救うために、御自分が屈辱と苦しみを受けることによって私たちを救うために、この世に来られました。主がイエズスという聖なる名前を受けたのも、屈辱と苦しみにおいてでした。割礼は、イエズスにとって屈辱的でした。何故なら、罪人の子供たちと同じ扱いを受けたからで...主は割礼という屈辱と苦しみのうちにイエズスという御名を受けたのだから、私たちも屈辱と苦しみを耐え忍ぶこと【霊的割礼】によってキリスト者という名にふさわしいものとなるべき
キリストの御変容の記念 Transfiguratio D. N. Jesu Christi
キリストの御変容の記念TransfiguratioD.N.JesuChristi祝日8月6日イエズス・キリスト公生活の最後の年、ファリザイ人や律法学士等は折りあらばその御生命を奪おうと、しきりに隙をうかがっているので、過ぎ越しの祭りにも主はエルサレムにお上りになることが出来なかった。敵の目は至るところに光り、数多の奇蹟を行い給うたあたりにおいても、主の身辺は危険であったので。主はガリラヤに赴かれ、ヨルダン川を遡り、カイザリアのフィリピへおいでになった。この町はユダヤに属せぬだけに多少気を許すことが出来る。主は御弟子達と二、三日の休養を取った後、おもむろに将来の対策を講ぜられた。もっとも休養といっても全く活動を中止されたという訳ではない。むしろ精神的休養ともいうべく迫害の憂いがないだけに警戒の必要もなく、く...キリストの御変容の記念TransfiguratioD.N.JesuChristi
イエズスという御名:その名によって奇跡が起こる、その名前だけによって救いがなされる、最も高貴な名前
2023年1月2日大阪でのミサ説教聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。愛する兄弟の皆さん、今日は2023年1月2日、イエズス・キリストの御名の祝日を祝っています。イエズスの御名、これによって聖ペトロは、初代教皇は、奇跡を起こしました。【イエズス・キリストという御名による奇跡】ある時、乞食が神殿の前で座って物乞いをしているのを見ると、ペトロは言いました。「私には金と銀もない。しかし、もっと良いものをあげよう。イエズスの御名により、立って歩け。」その瞬間、この物乞いは、乞食は、治癒されました。歩くことができるようになりました。イエズスの御名によって、多くの奇跡が起こりました。多くの聖人たちは、イエズスの御名によって、奇跡を起こしました。イエズスの御名によって、祈りをして奇跡を起こしました。【イエズス・キ...イエズスという御名:その名によって奇跡が起こる、その名前だけによって救いがなされる、最も高貴な名前
お前の義務をよく果たせ。聖ヨゼフに倣え。聖マキシミリアノ・コルベ聖ヨゼフに倣い、義務を果たせ聖マキシミリアノ・コルベ
主の奉献(聖母の御清め)の祝日祝日2月2日旧約時代、モーゼの律法によれば、男の子を産んだ婦人は誰でもその40日目に、神殿に参詣して感謝の犠牲が義務になっていた。その捧げる物としては子羊一匹と雛鳩一羽が普通で、もし貧乏人であれば鳩2羽でよい定めであった。もっとも産んだ男の子が初子である場合には、その他にも多少の献金をせねばならなかった。すべての掟をいつも厳守される聖母はこの定めをも忠実に果たされた。しかし実を言えばそれは聖マリアにとって是非守らねばならぬ義務では決してなかったのである。というのは母は母でも、聖母は世の母達とはまったくその選を異にし、大天使聖ガブリエルの御告げを受けて懐胎されてからベトレヘムでの御出産まで母であると同時にいささかの汚れもない清浄そのものの童貞女であらせられた上に、その御子は人間...主の奉献(聖母の御清め)の祝日
ご無沙汰しておりました。体調や怪我等で迷走しております。日常の日々の祈りをしている際に、特にお経等を仏壇前で唱える時、座敷内にラップ音が鳴る事にはかなり前から気付いていたが、ガン無視していた私。今回のサイキックアタックの相手とは違うらしかった。身内等の霊では無いと確信していたので放置。ここからは、他者には経験を共有し納得のいかない話となるので私の記録話として軽く捉えて頂ければ...。エネルギーワークを何となく出来なくなった9月中旬頃から、体調も精神的にも不安定になり祈りがほぼ出来ない有様となり、それが一週間続いた頃に庭先で転倒、手首骨折、短期入院手術となってしまった。痛みと共に、放射線過敏の私にはこれでもかという程の負担がかかり、加えて全身麻酔の霊的危機を感じた。祈れない状態の私なのに、様々な形で神々の助...脱力
体調不良に加え、お金の問題、そして人間関係の問題等々を経過して精神状態が悪い日々が続いていた。「私の人生は、何んだったんだろう」振り返れば、この言葉が過去生きてきた日々に何度か口を突いて出てきた時があった。そんな時には、ボ―っとして2~3時間公園に飼われていた猿を見つめていたり、半断食状態で家に籠り、只只ロザリオを祈り続けていた日々もあった。若い頃、そうして帰郷を決めた。それは人生の変革期で、多分生き方を変えなければならないと感じている時。《完全にどん底にいる。》・精神的にエネルギーが底を突いている。(鬱の様な状態)・人生の停滞・出来うる全てを遣り就くした。・自ら絞り出す手法がもうない。こんな時、エネルギーに関する本を取り寄せた。その本は、祈りにより自分の胸に降ろすエネルギーを試行錯誤しながらも納得出来ず、昔の...エネルギーを調べ、試す