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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

ムベ
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奈良県
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京都府
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2016/04/03

  • あなたの幸せのために聴きなさい(申命記10章)

     主はレビ部族を選り分けて、主の契約の箱を運び、主の前に立って仕え、また御名によって祝福するようにされた。今日までそうである。(8) キリスト者も聖霊の導きのうちに、キリストの十字架の聖い血潮に罪を洗われて主の祝福に与る者とされた。すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。(エペソ1:4) それゆえ、レビには兄弟たちと同じようには相続地が割り当てられなかった。あなたの神、主が彼について言われたように、主が彼へのゆずりなのである──(9) 御救いに与った者がたまわったのは主である。全能の神であり、御子をたまわるほどの神の愛である。他に何を求めるべきものがあろう、主がうちに住んでいてくださるのに、何に不自由をするであろう。 主は私に、...あなたの幸せのために聴きなさい(申命記10章)

  • 今日の歌(2023.04.17)

     新緑の空にトンビの睦まじく キリキリと時迫り来る忙しさも孫の誕生日ふと思い出し 段取りと取捨選択と連絡とチャットGPTよ婆を手伝え今日の歌(2023.04.17)

  • 永遠に変わらない関係を納める箱(申命記10章)

     そのとき、主は私に言われた。「前のような石の板を二枚切って作り、山に登り、わたしのもとに来い。また木の箱を一つ作れ。(1) 主はモーセを御許に呼び民との関係の回復を与えられた。主がモーセの癇癪を赦し民の偶像礼拝の罪を赦して、選びの民としての契約を再び備えてくださった。主に呼ばれる時はなんというチャンスであろう。それはみことばをたまわる時だからである。今私たちの罪に曝されている日々に、繰り返して呼んでいて下さるのは創造主の愛ゆえである。 朝毎に、また昼も夜も失敗から守るために、悪魔に騙されて妬んだり恨んだりして心を傷つけないために、キリストの平安のうちに留まるためにみことばを語り掛けていてくださる。眠っているときも霊のうちに新しい明日を備えてくださる。 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目...永遠に変わらない関係を納める箱(申命記10章)

  • 今日の歌(2023.04.13)

     親しさは別れも言えずホーホケキョ 紀伊半島の春空裂くやコントレール今日の歌(2023.04.13)

  • 朝風呂(詩篇107)

     昨夜はどうにも眠くて起きていられず、お風呂に入ることもなく歯磨きだけで床にはいってしまった。朝食の後で「お風呂に入ろう」と思い立ち、バブを放り込んで朝風呂に入った。「なんて贅沢・・」と感謝しつつ明るさの中で湯船に身を浸し、ゆっくり体を洗い髪を洗う。 祖父は朝風呂派で開けたばかりの銭湯に通い、それから嘱託としての務めに出かけていた。湯船で久しぶりに祖父の姿を思い出した。夕闇の部屋で背を丸くして祈っていてくれた人であった。主はご真実ゆえに、祖父の祈りを受け入れてくださり私は救われた。 風呂上がりの火照った体で表に出ると、洗いたての髪を吹き抜ける爽やかな風に、温泉にでも来たかのような新鮮さを感じた。なんと安上がりな贅沢よ・・。 老いることで、それまで不可能なことが色々と出来るようになった。立場にある日々の配慮...朝風呂(詩篇107)

  • モーセの働き(申命記9章)

     私が石の板、すなわち、主があなたがたと結んだ契約の板を受け取るために山に登ったとき、私は四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず水も飲まなかった。(9) モーセは飲み食いして生きる命を御前に置いて、食べることも飲むことも忘れるお交わりの中で、民のいのちのためのみことばを待っていただろう。 主は、神の指で書き記された石の板二枚を私に授けてくださった。その上には、あの集まりの日に、主が山で火の中からあなたがたに告げられたことばが、すべてそのまま書かれていた。(10) 主の御手による石の板には、火の中で語られたみことばが神の手によって記されていた。それはイスラエルが祝福の内に生きるための約束である。しかし神はそのとき、彼らがどれほどに悟りない反抗的な民であるかを見られたのである。 そして主は私に言われた。「さ...モーセの働き(申命記9章)

  • 今日の歌(2023.04.08)

     葉桜の揺れる梢に雲走る 散る花は掛ける言葉を聞きもせで風に遊びて舞うばかりなり今日の歌(2023.04.08)

  • 神が焼き尽くす火として前を進まれる(申命記9章)

     聞け、イスラエルよ。あなたは今日、ヨルダン川を渡って、あなたよりも大きくて強い国々を占領しようとしている。その町々は大きく、城壁は天に高くそびえている。(1) もし、神のみこころを自分の何かに拠って行おうと考えるなら、目の前の川は轟く大河となり、目の前の城壁は天まで届くように見えるだろう。敵は心に恐怖を送って人を支配する。みこころを行うことが出来ないのは、他人や自分を見ているからである。 あなたがよく知っているアナク人は、大きくて背が高い民である。あなたは「だれがアナク人に立ち向かえるだろうか」と言われるのを聞いたことがある。(3) 噂や見た目によって恐れるが、恐れるべきお方は主である。それらすべての造り主なる神である。肉の目で見た世界は肉によって支配されており、聖霊の導きに拠って悟るみことばは、神の下...神が焼き尽くす火として前を進まれる(申命記9章)

  • 荷造りなどなど・・(詩篇103)

     わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ主をよほめたたえよ。主がよくしてくださったことを何一つ忘れるな。主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やしあなたのいのちの穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせあなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。 引っ越しの日程が決まりダンボールが用意されたら、目の行く所、歩き回る所すべてに片付けなければならない物があった。庭に出て、先日から気にはなっていてもそれどころではなかった雑草を引き、溝に積もった枯れ葉などを取り除き、プランターの土を日に干してゴミや石ころを取り去り、再利用の備えをする。これは、大切なクマガイソウを植え替えて持って行くため。 次々...荷造りなどなど・・(詩篇103)

  • 神の臨在を見ずに信じる(申命記8章)

     あなたが食べて満ち足り、立派な家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れが増え、銀や金が増し、あなたの所有物がみな豊かになって、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れることがないように。(12~14) 主は信頼して従順する者たちを祝福してくださる。いのちの必要を満たして生かして下さる。しかし、たまわった財産や金銀に目を止めて数えて暮らすなら、その心に主の祭壇はなく、感謝にあふれる礼拝は絶える。主の恵みを忘れると何時の間にか自分を誇って居る。 主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、燃える蛇やサソリのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない乾ききった地を通らせ、硬い岩からあなたのために水を流れ出させ、(14~15) 世の荒野で疲れはてた者に、およそ相応しくない聖霊の恵みをたまわり、その堅い岩が打たれて、豊...神の臨在を見ずに信じる(申命記8章)

  • 今日の歌(2023.03.29)

     花冷えに残り少ない灯油の暖 減る家具に広がる部屋は懐かしき入居せし日を想い出させて今日の歌(2023.03.29)

  • イエスが愛された弟子ヨハネ

     ヨハネは自分のことを、「イエスが愛された弟子」と臆面もなく記している。彼はイエスの愛を信じて疑わず、イエスの愛を味わっていたのである。ヨハネは彼の罪のためにも、苦痛の十字架刑に在るイエスの側で、ひとり留まって居た。恐怖を乗り越える愛に満ち足りて十字架のイエスと話し、イエスの愛される母を託された。 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。(ヨハネ19:26~27) イエスの愛を信じ切っていなければ、罪をあがなう十字架の前には立ち得ない。イエスが十字架の苦痛に満足してくださるほどの愛を知らなければ、耐えきれなくて逃げてしまうだろう。...イエスが愛された弟子ヨハネ

  • なに一つ不自由のない備え(申命記8章)

     あなたの神、主の命令を守って主の道に歩み、主を恐れなさい。あなたの神、主があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、谷間と山に湧き出る水の流れや、泉と深い淵のある地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろのある地、オリーブ油と蜜のある地である。そこは、あなたが不自由なくパンを食べ、何一つ足りないものがない地であり、そこの石は鉄で、その山々からは銅を掘り出すことのできる地である。(6~9) イスラエルは40年間荒野で主の備えを味わった。試練の年月にみことばがご真実であることを経験して、主が備えてくださる豊かさを味わうことがある。キリスト者の試練の日々には、ぴったりと寄り添ってくださる助け主聖霊が居てくださる。世の嵐の中でみことばに在るキリストの平安を指し示して、騒ぐ心に安息をたまわるのだ...なに一つ不自由のない備え(申命記8章)

  • 今日の歌(2023.03.25)

     春雨は松葉の先に煌めきぬ 白椿フィナーレを飾る蕾付け猫の額の庭の奢りよ密やかな柘植の香りを知りたるは半世紀過ぐ今日が初めて今日の歌(2023.03.25)

  • 40年間衣は擦り切れず足も腫れなかった(申命記8章)

     私が今日あなたに命じるすべての命令を、あなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生きて数を増やし、主があなたがたの父祖たちに誓われた地に入って、それを所有することができる。(1) みことばに聴く者に神の計画を行わせて、世に生きる命を全うさせてくださる。主は朝毎の交わりの中で、みことばを語り聴かせてキリストの平安をたまわる。その平安は主を待つための平安である。みことばへの従順によって世の荒野に在る人々に、主は永遠のいのちを知らせるための働きを完成してくださるが、その時に必要なもの主を待つことである。 すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。(イザヤ40:4) あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべ...40年間衣は擦り切れず足も腫れなかった(申命記8章)

  • 今日の歌(2023.03.23)

     うぐいすと賛美の朝を惜しみたり 春雨に濡れて語らう残りの日今日の歌(2023.03.23)

  • 忌み嫌うべきもの(申命記7章)

     あなたが、「これらの異邦の民は私よりも多い。どうして彼らを追い払うことができるだろうか」と考えるときにも、彼らを恐れてはならない。あなたの神、主がファラオに、また全エジプトになされたことをよく覚えていなければならない。(17~18) 「どうして勝てるだろう」と考えるのは、人を恐れ、自分を惜しむ恐怖からである。神に愛され守られる日々の御わざを恐れは一瞬に忘れさせてしまうのだ。御救いに与った者は、聖霊の導きによるみことばを自分のものとし、キリストに救われて義とされた神の子の事実を聖霊に拠って焼き印のように身に刻まれ、日々を感謝と喜びに在るとき、世に動じることの無い勇気が守られる。神の愛が心に満ち満ちているからである。 あなたが自分の目で見たあの大きな試みと、しるしと不思議と、力強い御手と伸ばされた御腕をもっ...忌み嫌うべきもの(申命記7章)

  • 主があなたがたを慕い選ばれた(申命記7章)

     あなたが入って行って所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れるとき、主は、あなたよりも数多くまた強い七つの異邦の民、すなわち、ヒッタイト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人をあなたの前から追い払われる。(1) 主が導かれた地は数々の強い敵が居る所であった。神は小さな弱い者を用いてご自身を現わされる。私たちが主に信頼して共に働くときに、自分自身の知恵や力には拠らず、神の栄光が現われることを経験するのである。そこで得るものは神を恐れる者の聖なる誇りである。 キリストに在っては、敵の多少に拠らず強弱にも係わらず、主のみこころが成ることを経験するのである。それゆえ、私たちはみことばにのみ信頼してすべての敵の中で平安なのである。 あなたの神、主が彼らをあなたに渡し...主があなたがたを慕い選ばれた(申命記7章)

  • 今日の歌(2023.03.17)

     人生を片付けるごと前を見て花の吉野を過行く備え 子育ての歴史を終い移る地に子が備えたる温き部屋待つ今日の歌(2023.03.17)

  • 詩篇23編

     主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みとが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。 詩篇23編

  • 幸せを得させるための命令(申命記6章)

     あなたがたがマサで行ったように、あなたがたの神である主を試みてはならない。あなたがたの神である主の命令、主が命じられたさとしと掟を必ず守らなければならない。(16~17) 主を試みるとはみことばを否定することであり、みわざを否定することである。エジプト脱出よりイスラエルの民は御わざによって、命を守られ生きているにも関わらず、主に信頼し続けることをしなかった。それは、彼らには助け主なる聖霊がおられなかったからである。みことばの確信を与えて、従順を助けてくださるのは聖霊である。 主の目にかなう良いことをしなさい。そうすれば、あなたは幸せになり、主があなたの父祖たちに誓われた、あの良い地を所有することができる。主が告げられたように、敵をことごとくあなたの前から追い払うことができる。(18~19) 主の目に叶う...幸せを得させるための命令(申命記6章)

  • 今日の歌(2023.03.12)

     鶯や暮色の里に鳴き交わす 夕霞初音聞きたり歩を緩め今年限りを耳に留めむ今日の歌(2023.03.12)

  • 今主の完璧な備え(申命記6章)

     聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。(4) 天地を創造された万物の造り主は三位一体の神である。人を御手によって造ってくださり、神の息(霊)を吹き込んで生きたものとしてくださったことは、他のすべてのものと決定的に違っており、人には御子をたまわるほどの愛が籠められている。 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(5)私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。(6)愛は応答して育って行くものである。神を愛することは、神の愛であるキリストの御救いを受けて、みことばに聴き入り、キリストの中に住むことから始まる。 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさ...今主の完璧な備え(申命記6章)

  • 今日の歌(2023.03.10)

     テントウ虫シャッター押す手に止まりけり 春風は薄暮迫れど柔らかくふと迷い出ず足の向くまま川越えて河津桜を尋ね来て柿の葉寿司は自分の土産今日の歌(2023.03.10)

  • あなたはわたしとともに此処にとどまれ(申命記5章)

     これらのことばを、主はあの山で火と雲と暗黒の中から、あなたがたの集会全体に大声で告げられた。ほかのことは言われなかった。そして主はそれを二枚の石の板に書いて、私に授けてくださった。(22) 十戒をモーセに授けられたとき、主は火と雲と暗黒の中におられた。導きの火の柱、雲の柱にあって主の臨在を現し、暗黒の中におられる主の御姿を見ることはない。太陽も月も星も無くただ、主の御声のみであったのである。太陽があれば太陽を拝み、月が在れば月に、星々にも望みを託すのが人であるが、創造主なる神はみことばによってご自身を現わされる。 みことばなる方、みことばを成就する方イエス・キリストによって、ご自身を現して人に御救いをたまわった。此処に他にことは言われなかったとある。後に多くの戒めを口伝として付け加えたことは、主のことば...あなたはわたしとともに此処にとどまれ(申命記5章)

  • メダカの春(2023.03.08)

     とても調子の良かった部分入れ歯が、なぜか最近すれて痛み出したので、歯医者さんまで春を感じつつ歩いた。あっさり調整してくださって一件落着。ああ、この安心感を失いたくない・・。 帰りはセーターを脱いで、薄手のパーカーで歩くと風が心地良かった。途中で、軒下に飼われているメダカを見つけて覗き込んだ。メダカは一年中いるのになぜか春を感じる。私も引っ越しをしたらメダカを飼おうと、捨てるのを惜しんでいた常滑焼の瓶の使い道を決めた。スイスイと泳いでいるメダカを見ていると自由を感じるから、ちょっと淋しくなった時メダカを覗いて遊ぼう・・。 家を出て歩き出すと、少し足に違和感を感じたので歩きながら祈った。「主よ。あなたに在って私は歩くことが出来ます。しっかり立っていることも出来ます。あなたに在って語ることも、黙っていることも...メダカの春(2023.03.08)

  • 姦淫してはならない(申命記5章)

     姦淫してはならない。盗んではならない。(18~19) この罪に対する神の基準は、欲望を持って見だけで姦淫の罪であり、他人の物を欲しいと思ったときに罪とある。神の基準に在って、律法を全うして義と認められる人はいない。 世の裁判においては想像によって罰せられることは無く、むしろ証拠の無い疑わしきはものは罰せずである。その差は人には真実は見通すことは出来ず、神には魂に在る罪性まで御見通しである違いであろう。 罪を思うことと行うことの差は、機会を得たかどうかの差でもあろう。機会を得ずに罪を犯さずに済んだのは、主の予めのお守りのゆえとも言える。それゆえイエスは、姦淫の女を罰して殺すことを求める者にそれを許さず、彼女を憐れんで生かされたのであろう。 この二つの罪の出所は似ていて、どちらも魂の飢え渇きから出ている。此...姦淫してはならない(申命記5章)

  • 殺してはならない(申命記5章)

     あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに。それは、あなたの日々が長く続くようにするため、また、あなたの神、主があなたに与えようとしているその土地で幸せになるためである。(16) 父母を敬うことは、父なる神を敬うときに心から出来るようになる。父母を敬えないのは、人格に対する疑いや、他との比較などによる愛の不満などもあろう。私は子供のうちに両親を亡くしたので、そもそもこの不満は分からない。ただ父母を知りたかった。 自然に尊敬できる人とは自分より優れている人に対してである。しかし、仮に優れた親であっても、また、親が良い環境で大切に育てれば育てるほど、その優劣は年齢と共に逆転して行き、優れているものも部分的となり、老いればすべてが逆転する。それは寿命を全うする中で代々続くことであり、若者も辿る道筋で...殺してはならない(申命記5章)

  • 痛い失敗(2023.03.03)

     研いだばかりの二本の包丁を手にして流しで洗っている時、側に在った何かにぶつかったらしく、その反動の刃先が指に当たった。ぱっくり割れたゴム手と、全身をぞわっと走る痛み。血に濡れた指にテープを巻きつけつつ、お気に入りのゴム手を惜しむ気持ちも同時進行・・。 それにしても軽く当たっただけなのに、ゴム手があまりに綺麗に切れていたので、わざわざ研ぎ味を試して研ぎ直した成功を、自分の指で確認したことになる。研ぎ澄ましておきながら刃物の扱いを甘く見て、二本同時に洗おうとしたずぼらを反省。 以前バイク事故を起こした時も激しく擦りむいた足の痛みと同時に、無残な状態のシルクのズボンを惜しんだことを思い出した。その時も同じことを思っていた。体は時間を掛けたら元に戻るけれど、物は二度と戻らない。それなりに精一杯守ってくれたのだけ...痛い失敗(2023.03.03)

  • 安息日の命令(申命記5章)

     あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。(11) みだりに唱えるとは、主との聖霊による交わりには拠らずに、漫然と御名を唱えて信仰とする習慣に対する警告であろう。AIは誤りなくみことばを唱え完全な祈りが出来るだろう、しかし、それが主と何の関係があるだろう。 主を知りたいという愛の交わりを求めることもなく、生きて働くみことばに渇くことも無く、それゆえ主を経験することも無いままに、何十年も同じ言葉を唱え続けるだけの関係に、どうして主はご自身を知らせ永遠の愛を語り聴かせて、みこころに導くことが出来るだろう。 安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。(12) 安息日の聖別はいのちのための警告でもある。人は目の前...安息日の命令(申命記5章)

  • ほかの神があってはならない(申命記5章)

     モーセはイスラエルをみな呼び寄せて、彼らに言った。聞け、イスラエルよ。今日、私があなたがたの耳に語る掟と定めを。これを学び、守り行いなさい。(1) 今は、イエス・キリストのことばが与えられている。聖霊によって導かれ、キリストの掟と定めを学び行うのである。それは、イエスから聴いた約束の言葉に留まることである。キリストの十字架による御救いと、罪からの解放のみことばを覚えて生き、キリストの平安の中に住まう祝福を受けて生きるとき、主が備えられた宣教となる。 私たちの神、主はホレブで私たちと契約を結ばれた。主はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち、一人ひとりと結ばれたのである。(2~3) 十戒は選びの民であるイスラエルに対して、神が直接結ばれた契約である。神が掟と定めを示されるの...ほかの神があってはならない(申命記5章)

  • 今日の歌(2023.02.28)

     挨拶に優しき言葉返したる隣組なる若き人々 子の新居まずキッチンを見て回り夕餉の支度菜を洗いけり 真っ新なキッチンの窓カンカンと過ぎる電車がなぜか懐かし今日の歌(2023.02.28)

  • わたしのわざを信じなさい(申命記4章)

     さあ、あなたより前の過ぎ去った時代に尋ねてみるがよい。神が地上に人を創造された日からこのかた、天の果てから天の果てまで、これほど偉大なことが起こっただろうか。このようなことが聞かれただろうか。(32) 聖書には宇宙の誕生から人類の誕生、そうして永遠に至るまでのことが記されている。聖書を読む時に天地創造の神のわざを知り、その大いなる神がどれほどに私たちを愛して下さっているかを知るのである。 火の中から語られる神の声を聞いて、あなたのようになお生きていた民があっただろうか。(33) モーセは近しく神の御声を聴いて、神は彼を祝福して生かして用いられた。しかしキリスト者は、モーセに勝る神の恵みによって遥かに近しい関係をたまわっている。私たちのうちにいてくださり、またキリスト者は主のうちに在って生かされ、永遠まで...わたしのわざを信じなさい(申命記4章)

  • キリスト依存症(2023.02.18)

     近頃は心を騒がせる事々や、思い煩うような出来事が矢継ぎ早にあって、息つく暇さえないけれど、それらの出来事の中で必要な知恵や、思い煩いからの避け所は何時でもイエスさま。うちにいてくださるキリストに依存することで正気?を保っている。 次々と目の前に現れる問題一つのひとつに、主は導きによる助けを経験していて行き詰ったことはなかった。問題が多ければ主の助けも多く経験する。キリストにより頼む者の困難や、ドキドキも主を経験するための材料に過ぎず、その弱さによって主を求めさせ、神が味方であることを経験を重ねさせてくださる。 だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠ら...キリスト依存症(2023.02.18)

  • 妬む神(申命記4章)

     主はあなたがたを取って、鉄の炉から、すなわちエジプトから導き出し、今日のようにゆずりの民とされたのである。(20) 主は、イスラエルを選びの民とされ、モーセを備えてエジプトの奴隷状態から救い出された。それは彼らが、契約を守ってくださる神の偉大さ、大いなる御わざを経験するためである。 気をつけて、あなたがたの神、主があなたがたと結ばれた契約を忘れることのないように、またあなたの神、主の命令に背いて、いかなる形の彫像も造ることがないようにしなさい。あなたの神、主は焼き尽くす火、ねたみの神である。(23~24) 神は彼らの何を妬むほどに愛されたのか。万物を創造し支配できる神が人に人格を与えて、交わりによる関係を求められたのである。神は人の自由意思による、親しい交わりを楽しもうとされたのだ。私たちが、御使いを妬...妬む神(申命記4章)

  • 見たことと見なかったこと(申命記4章)

     私があなたがたに命じることばにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を守らなければならない。(2) キリストに罪をきよめられ滅びることの無いいのちを頂いた人は、救い主を愛して、みこころに従がって生きることを願うようになる。しかし、みことばを聖霊によって悟るのでなければ、世への気遣いや生まれつきの善悪によって、自分の言葉を付け足したり不都合な言葉を差し引いたりする時がある。 主が備えてくださったことは、通読して霊の倉に蓄えて来たみことばを、聖霊が時に相応しく思い出させて、聴いた言葉のままに語り行う力も与えるものである。それはすぐに出来ることではないが、主の忍耐と御愛の中で、成功も失敗も深みに導く訓練となり、それらはキリストに在る平安の実を結ぶ。 聖書...見たことと見なかったこと(申命記4章)

  • 今日の歌(2023.02.14)

     「ありがとう。助かったわ」今日は、何度言ったことだろう。問題山積の忙しい日にいろんな所で助けてもらっていたそうして、少し叱られた「ちょっと聞いてください」確かに・・反省何かをすると波風を立てる何も満足には出来ない中で親切や労りに出会った日が暮れて・・ほっとして・・いよいよ何も出来なくなった時のその日の希望を覗き見たそう、何もできなくなったなら今日の何倍も感謝してもっと人を喜んでいるだろう今日の歌(2023.02.14)

  • 今日の歌(2023.02.13)

     蓑虫の揺り籠ぶらり冬木立 止まぬ雨明日は晴れよと願うなり受験の孫の笑顔思いて今日の歌(2023.02.13)

  • 神の最善(申命記3章)

     私はそのとき、ヨシュアに命じた。「あなたは、あなたがたの神、主がこれら二人の王に対して行われたすべてのことを、自分の目で見た。主は、あなたがこれから渡って行くすべての国々にも同じようにされる。彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのは、あなたがたの神、主であるからだ。」(21~22) モーセは主の勝利を経験したヨシュアに成すべきことを命じ、主の勝利は、彼らがこれから進んで行くすべての国に在ることを伝えた。モーセはこの言葉が遺言となることを知って・・。 私はそのとき、主に懇願して言った。「神、主よ。あなたは、あなたの偉大さとあなたの力強い御手を、このしもべに示し始められました。あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことができる神が、天あるいは地にいるでしょうか。(23~24) モーセが主を讃...神の最善(申命記3章)

  • なに一つ欠けたものがない主の備え ④(申命記3章)

     私たちはバシャンへの道を上って行った。するとバシャンの王オグとそのすべての兵は、エデレイで私たちを迎え撃つために出て来た。そのとき、主は私に言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは、彼とそのすべての兵とその地を、あなたの手に渡している。あなたは彼に対して、ヘシュボンに住んでいたアモリ人の王シホンにしたように行わなければならない。」(1~2) 主がそれらの地をイスラエルの民に与えると語られた時、その地はイスラエルのものとなった。地を創造されたのは主であるから。イスラエルの兵はその事実を地に現わす働きをしなければならない。それは光栄な働きでありこれ以上なく安全な仕事である。勝利が主によって決まっているからである。すべて勝利の実と、主と共に働く喜びを知るための戦いだからである。 そのとき、私たちは彼のすべて...なに一つ欠けたものがない主の備え④(申命記3章)

  • 平安はキリストから受け取るもの(2023.02.09)

     世に在っては、このことさえ終われば楽になれると思うことが、間違いであったと度々経験させられることがある。何か新しいことを行うとき、問題は無限に現れて心身を疲弊させる。それらが外から来るものではなく、自分の心のうちから出て来るものだからである。その度に私は「不信仰な私をお赦しください」と信仰を求めて主に叫ぶことになる。 昨夜、その祈りの直後に「信仰は求めるもの、平安は受け取るもの」という言葉がうちに広がった。「アーメン」と同意したとき、囚われていた恐れから一瞬に解放され、半時も置かずに取り越し苦労であったことが知らされた。 昨夜経験したことは何をするということではなく、自分の心をどうこうすることでもなく、聴いた言葉をそのまま受け取ることであった。キリストが私を捕らえていてくださるという事実の中に、すべての...平安はキリストから受け取るもの(2023.02.09)

  • なに一つ欠けたものがない主の備え③(申命記2章)

     主は私に言われた。「見よ、わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めている。占領し始めよ。その地を所有せよ。」(31) 神のご計画が実現するためには、みことばに聴き従って前進しなければならない。主が準備してくださった良い地を、ただ主に信頼してみこころを行って神の栄光を現わすのである。主が備えてくださった勝利は、恐れずに取らなければならない。神の祝福を受けるために必要な条件は、ただ、みことばに信頼することであり、周りの状況を計算することではなく、自分自身を省みることでもない。なぜなら、すでに神がそれらの事をご存じである。 シホンとそのすべての兵が、私たちを迎え撃つためヤハツに出て来たとき、私たちの神、主は彼を私たちの手に渡された。私たちは彼とその子たちとそのすべての兵を討った。(32~33) イスラエ...なに一つ欠けたものがない主の備え③(申命記2章)

  • 今日の歌(2023.02.07)

     祝福も慌(あわただ)しさに呑み込まれ御名を呼びては息を継ぎたり 荒れし庭誰に見られぬいのち持て名残のさざんか先駆けの梅今日の歌(2023.02.07)

  • 罪の認識

      彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。(マルコ15:27) この二人の強盗は救われる者と滅びる者に分かれる。自分の罪に気づいた者と、気づくことなくキリストを責める者の差である。 通りすがりの人たちは頭を振りながらイエスをののしって言った。「おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。「他人は救ったが、自分は救えない。」(マルコ15:29~31) 死罪とは無縁と思っている正しい人々は、彼らの罪を負う十字架のイエスを罵った。イエスが十字架を降りて自分を救った時、人類に自分の罪の故に滅びる運命が決定するのだ。 イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも...罪の認識

  • なに一つ欠けたものがない主の備え②(申命記1章)

     主は私に言われた。「モアブに敵対してはならない。彼らに戦いを仕掛けてはならない。あなたには、その地を所有地として与えない。わたしはアルをロトの子孫に所有地として与えたからである。(9) 主がロトの子孫を守られるのは神のご性質に拠ることである。それは人の正しさには拠らぬことであるゆえ、私たちはみことばにより頼んで平安を得ることが出来る。私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(Ⅱテモテ2:13) 主がお与えになったものは主が守られるゆえに、主に在るとき彼らは平和の中で主を恐れ、彼らに戦いを挑むことはしない。 セイルには以前フリ人が住んでいたが、エサウの子孫がこれを追い払い、これを根絶やしにし、彼らに代わって住むようになった。ちょうど、イスラエルが主の下さっ...なに一つ欠けたものがない主の備え②(申命記1章)

  • なに一つ欠けたものがない主の備え ①(申命記2章)

     それから、私たちは向きを変え、主が私に告げられたように葦の海の道を荒野に向かって旅立ち、長らくセイル山の周りを移動していた。(1) 不信仰の結果である荒野を彷徨うような遊牧生活から、祝福の地へと向きを変えるように主は命じられた。 「あなたがたは長い間この山の周りを移動してきたが、北の方に向きを変えよ。民に命じて言え。あなたがたは、セイルに住んでいるエサウの子ら、あなたがたの同族の領土内を通ろうとしている。彼らはあなたがたを恐れるであろう。ただし、あなたがたは十分に注意せよ。(3~4) 主は再び彼らをカナンに導かれる。その道筋を指示されて戦うべき相手と、戦うべきでない相手を教えられる。彼らが恐れるのは主を知っている同族だからである。肉の性質は自分を恐れる相手には支配的になり、脅してくる相手には従順になるも...なに一つ欠けたものがない主の備え①(申命記2章)

  • 出発せよ ④(申命記1章)

     主はあなたがたの不平の声を聞いて怒り、誓って言われた。「この悪い世代の者たちのうちには、わたしがあなたがたの父祖たちに与えると誓った、あの良い地を見る者は一人もいない。(34~35) 「根絶やしにされる」とつぶやいた民の言葉のとおりに、彼らは荒野で地上の命を終える。しかし、主がどうして愛するイスラエルの民を根絶やしにすることが出来よう。神は彼らの子孫を用いて救い主を遣わされる。神は良い方であり愛なる方だからである。 あなたがたが略奪されるだろうと言ったあなたがたの幼子たちや、今はまだ善悪をわきまえないあなたがたの子どもたちが、そこに入る。わたしが彼らにそこを与えるので、彼らはそこを所有するようになる。(39) 「略奪される」と言った彼らの言葉は実現しなかった。神の忍耐によることである。此処で、幼子や善悪...出発せよ④(申命記1章)

  • 今日の歌(2023.01.26)

     誘われて吹雪く坂道登り詰め 寒風にこわばる頬も「寒いね~」と笑顔に溶けて心温か今日の歌(2023.01.26)

  • 出発せよ ③(申命記)

     あなたがたの神、主があなたがたを増やされたので、見よ、あなたがたは今日、空の星のように多い。どうか、あなたがたの父祖の神、主があなたがたを今の千倍にも増やしてくださるように。そして、あなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように。(10~11) モーセは目の前で見ている、空の星のように増えた民が主の祝福のすべてとは思わなかった。彼は神の偉大さによって全地に広がる民を思い描き、主のみわざを確信したのである。モーセも人であり失敗も成功もあるが、主が彼を信頼しておられるのはこの信仰であろう。 どのようにして、私一人であなたがたのもめごとと重荷と争いを負いきれるだろうか。あなたがたは部族ごとに、知恵があり判断力があり経験に富む人たちを出しなさい。彼らをあなたがたのかしらとして立てよう。(12~...出発せよ③(申命記)

  • 出発せよ ②(申命記1章)

     見よ、わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは主があなたがたの父祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、彼らとその後の子孫に与えると誓った地である。(8) エジプトでの奴隷状態から解放されたならイスラエルの民は、主が与えようとしておられる祝福を受けなければならない。神が働かれた所には栄光が現されなければならないのである。 キリストに罪をあがなわれて神に子とされた者は、たまわったいのちの喜びの中に生きることで、聖霊の臨在のうちに主の栄光を現わす者となる。いのちの望みからあふれる感謝は、隠すことが出来ないからである。 そのとき、私はあなたがたに言った。「あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるアモリ人の山地に来た。見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの手に渡して...出発せよ②(申命記1章)

  • 出発せよ ①(申命記1章)

     申命記はモーセがいのちの終わりを前にして、イスラエルの民にこれまでのことを振り返りつつ主のみ教えを告げている。 これは、モーセがイスラエルのすべての民に告げたことばである。ヨルダンの川向こう、パランと、トフェル、ラバン、ハツェロテ、ディ・ザハブとの間の、スフに面したアラバの荒野でのことであった。──ホレブからセイル山を経てカデシュ・バルネアに至る道のりは、十一日である──(1~2) 約束の地での備えとしてホレブではモーセを通して十戒を受けたが、シナイ山から、モーセが神の手に拠る石の板を受けて下りて来た時、待ちきれなかった民が偶像を作って祭りをしていたのだ。此処は約束の地まで目と鼻の先11日の距離にあった。 私たちの神、主はホレブで私たちに告げられた。「あなたがたはこの山に十分長くとどまった。あなたがたは...出発せよ①(申命記1章)

  • 今日の歌(2023.01.21)

     寒風の梅の梢に確かなる声を聞きたり「春製造中」 炎天も寒風も有れ肌を焼き骨ふるわせて生きるは楽し今日の歌(2023.01.21)

  • ツェロフハデの娘の従順(民数記36章)

     「主は、くじによってあの地をイスラエルの子らに相続地として与えるように、あなたに命じられました。そしてまた、私たちの親類ツェロフハデの相続地を彼の娘たちに与えるように、あなたは主によって命じられています。(2) 被造物はすべて神のご計画に拠って造られた。たまわった命をみこころに添って生きることで、世に生きている時から御国の味わいとなる。それが大海の中の小舟のような人生であっても、主イエスがいつも共に居て下さるからである。 神によって母の胎で組み立てられて、祝福のうちに生まれ出て、みことばの導きのもとに人生を全うして天に帰り、永遠に主と共に生きるなら、この上もない光栄な人生であり神の喜びである。 あなたこそ私の内臓を造り母の胎の内で私を組み立てられた方です。(詩139:13) 神は人を滅びるものとして造ら...ツェロフハデの娘の従順(民数記36章)

  • 私の好きな「ヨブ記」

     信仰の初めに聖書を読み始めて引き込まれた箇所が「ヨブ記」であった。ヨブの神を求めて格闘する姿に強く惹かれた。帰郷していた息子が通読箇所だと開いたので、一緒に読んでいて熱いものがよみがえって来た。 神はヨブを正しい人と評価された。神のことばはヨブの心がひととき迷ったからと、変わってしまうようなものではない。主が初めからヨブの本質をご存じないであろうか。サタンの企みによってボロを出すようなお方であろうか。神はサタンを用いて、ヨブを腹蔵なき信仰に導かれたのである。 どのような犠牲を払おうとも、人にとってこれほどまでに神のことばを聴く関係に至る祝福は、他に比べ得るものなき光栄である。ヨブは腹の底から叫びを上げて主を求め、みこころの解き明かしを求めたのである。それは主を知ることの飢餓である。 神は初めからヨブの信...私の好きな「ヨブ記」

  • 逃れの町(民数記35章)

     主はヨルダン川のほとりのモアブの草原で、モーセにレビ人に町々と放牧地を与えよと告げられ、そこには人を殺した者が逃れるための6つの町を備えるように命じられた。 あなたがたは町々を定めて、自分たちのために逃れの町とし、誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃れることができるようにしなければならない。この町々は、復讐する者からあなたがたが逃れる場所となる。殺人者が、さばきのために会衆の前に立たないうちに死ぬことのないようにするためである。(11~12) それは「自分たちのために」とあるのは、誰でも悪意はなくても人を死に至らせ得るからである。その人が復讐によって、正当な裁きの前に殺されないための避け所が備えられた。それは弱い肉体を持つ人に対する主のご配慮である。 もし鉄の器具で人を打って死なせたなら、その人...逃れの町(民数記35章)

  • 今日の歌(2023.01.14)

     50年の断捨離なれど家中にシールで選別一発決断 皿小鉢良き品物は頂いて皆捨てられず思いにふける今日の歌(2023.01.14)

  • 今日の歌(2023.01.12)

     振袖の二十歳の孫の堅き頬 子育ての悲喜こもごもの日記帳喜び捨てて子に従わん今日の歌(2023.01.12)

  • 信仰を与えて導いてくださる主(民数記34章)

     主はモーセに告げられた。「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。あなたがたがカナンの地に入るときには、あなたがたへのゆずりとなる地、カナンの地とその境界は次のとおりである。(1~2) 主はイスラエルの民に支配するべき地境を定められる。それは彼らが世に誘惑され、偶像礼拝に堕落することからの守りである。境界の定めがない所には侵略があり、肉の力が支配していて平和がないのだ。キリスト者の境界はみことばである。主に聴き続けて暮らすことで、何処にいても主の守りの中に生きるのである。 主がモーセを呼び出して用いられた。神から発しことにモーセはためらいつつ身を捧げた。そんなモーセに主はいつも語り続け、お交わりの中で役割を全うさせられた。 臆病だったモーセが勇者として成長したのは、彼を知り尽くす神のご真実によることである。...信仰を与えて導いてくださる主(民数記34章)

  • 旅立つ民 ③(民数記33章)

     カデシュを旅立ってエドムの国の端にあるホル山に宿営した。祭司アロンは主の命によりホル山に登り、そこで死んだ。それは、イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四十年目の第五の月の一日であった。アロンはホル山で死んだとき、百二十三歳であった。(37~39) アロンは親世代の者たちと一緒に荒野で死んだ。主はアロンを長い命で祝福し、彼らの子孫に約束の地を与えられる。 エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、主はモーセに告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたがヨルダン川を渡ってカナンの地に入るときには、その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払って、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をすべて打ち壊さなければならない。(50~52) 人は姿の見えない神よりも...旅立つ民③(民数記33章)

  • 旅立つ民 ②(民数記33章)

     彼らは第一の月、その月の十五日に、ラメセスを旅立った。すなわち過越のいけにえの翌日、イスラエルの子らは、全エジプトが見ている前を臆することなく出て行った。エジプトは、彼らの間で主が打たれたすべての長子を埋葬していた。主は彼らの神々にもさばきを下された。(3~4) 神がイスラエルの民を、奴隷として支配して来たエジプトから脱出させられるとき、王の頑なさによってエジプト人の長子から家畜の長子までを打たれた。そこで王はイスラエルの民を解放したのだ。 彼らの信じる神々は、彼らを守れなかったことで恥を見たのである。生ける神の力を彼らは見たのであり、ご自身を証される神のわざによって、エジプト人も真の神を恐れて知るためである。 イスラエルの子らはラメセスを旅立ってスコテに宿営し、スコテを旅立って荒野の端にあるエタムに宿...旅立つ民②(民数記33章)

  • 今日の歌(2023.01.07)

     一輪の赤い小菊に遠き日が不意に現れ香り立ちたる 朝も夜も主の喜びを口にして自分自身と安らぎてあり今日の歌(2023.01.07)

  • 旅立つ民 ①(民数記33章)

     モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとにエジプトの地から出て来たイスラエルの子らの旅程は次のとおりである。モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書き記した。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。(1~2) イスラエルの成すべきことは、主の備えてくださった地に向かって、出発し続けることである。この章には「旅立って」という言葉が41回も出て来る。エジプトからモアブ草原にまでの、旅立ちが地名とともに綴られている。 キリスト者もみこころに向かって日々旅立つように生きる。その命を永遠の祝福である天国への旅路に用いるのである。居心地の良い場所を見つけても心を奪われることなく、何時でも天を目指して主が備えてくださった、永遠の祝福にゴールする者である。 キリストの命をもって買い取られた者は、主の祝福を...旅立つ民①(民数記33章)

  • 霊的と肉的

     いつも喜んでいなさい。「アーメン」絶えず祈りなさい。「アーメン」すべてのことにおいて感謝しなさい。「アーメン」これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。みことばは、聖霊によって聴いままに受け取ることで成就して行く。でも、肉的な聴き方は頭の中で出来るかどうかを判断して、御霊の導きを消している。御霊を消してはいけません。(Ⅰテサロニケ16~19)霊的と肉的

  • 神に在る者の豊かさ(民数記32章)

     ルベン族とガド族は、多くの家畜を持っていた。それは、おびただしい数であった。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所は家畜に適した場所であった。(1) 彼らは主の約束の地ではなくこの地に留まることを願ったのである。それは神のご計画を成さない行為であり、イスラエルの民の前で道を反れることである。モーセは怒って、彼らの父が主に信頼せずに死を招いたことを話した。 あなたがたの父たちも、私がカデシュ・バルネアからその地を調べるために遣わしたとき、そのようにふるまった。彼らはエシュコルの谷まで上って行って、その地を見たとき、イスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地に入って行かないようにした。(8~9) 彼らの父の不従順が、主の恵みを前にして荒野を四十年彷徨う死を招いたのである。ただ主に従い...神に在る者の豊かさ(民数記32章)

  • 今日の歌(2023.01.02)

     冬枯れのカラス小枝に所在なく 裸木に大蛇のごとき蔓巻きぬ今日の歌(2023.01.02)

  • 6000日目に迎えた2023年

     あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。 ブログの編集画面を開いた時、ふっと画面の隅の数字が6000日に近くなっていることを見つけ、元旦が6000日目であることにちょっと驚いた。2023年は、私にはもう二度とない忙しさと緊張を要する年になる。忘れ物をしたり、うっかりすることも多い最近のことであり、すべては主の祝福なのだけれど・・戸惑いも多い。 人間関係が不器用な私にはすべてが不安であるが、「イエスが居るから大丈夫」この一言を口に出すだけで、一気に勇気がわいてくる。「虎の威を借りる狐」という言葉があるが、私は「神の威を借りる羊」  真っ新な日記帳にたまわったみことばを印す。今年は何度もこのみことば味わいつつ生きることだろう。ここに今年の平安があり、何があっても此処に逃げ込むべき...6000日目に迎えた2023年

  • 「石ころ」開設から5999日目

     おせちをお重に詰め終わり、疲れてリクライニング椅子に横になって、テレビの第九を聞いていた。 画面の井上道義さんの指揮を見ているうちに引き込まれて行ったけれど、友を喜ぶ歌に少し心がふさいだ時、イエスさまを思い出した。ああ、そうだ。無二の友はイエスさま!慰め主なる方。 椅子の背を起こして、すっかり安心して聴き入った。「星空のかなたに創造主は必ず住みたもう」いいえ、主は私のうちに住みたもう! 友なるイエスも私に住みたもう!心の中で歌いつつ聴き入った。すっかりしんどさを忘れて・・。ハレルヤ!「石ころ」開設から5999日目

  • 今日の歌(おせち作り)

     豆を煮て梅花刻みて大晦日花レンコンと筍銀杏 黒豆はストーブで煮て五十年それも今回限りなりけり今日の歌(おせち作り)

  • 感謝にあふれる捧げもの(民数記31章)

     軍団の指揮官たち、すなわち千人の長、百人の長たちがモーセのもとに進み出て、モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの総数を数えました。私たちのうち一人も欠けていません。(48) 主の命によってミディアン人を打ったイスラエルは、一人の犠牲者もなく完全に守られていた。みこころを行う時無意味な死や、失敗が無いことによって、それは神から出ていることを現わす。 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36) 主への従順が大切なことは、戦う前から勝利が備えられているからである。戦士たちはその時、主をおそれることを経験していよいよ勇敢に成長して行くのである。キリスト者が世に出て行くときも、そのように主の備えを体験させて頂くのだ。...感謝にあふれる捧げもの(民数記31章)

  • 今日の歌(2022.12.28)

     まだ生きて感謝を刻む日記買う ガラポンは会話も楽し「ふゆびより」 冷蔵庫おせち詰め込み託しつつ叱咤激励年を忘れよ今日の歌(2022.12.28)

  • 神の愛と神の義(民数記31章)

     彼らは主がモーセに命じられたとおりに、ミディアン人に戦いを挑み、その男子をすべて殺した。その殺された者のほかに、彼らはミディアンの王たち、すなわち、エウィ、レケム、ツル、フル、レバの五人のミディアンの王たちを殺した。また、ベオルの子バラムを剣で殺した。(7~8) 聖書には多くの罪人の血が流される記事がある。神は正義を行わせてご自分の民を守られる。それは愛の神に相応しくないように思えるが、天地創造の神は愛と義の神である。神の義を成すためにキリストの血が捧げられ、その愛によって罪人が永遠のいのちをたまわることが可能になったのである。 ミディアン人にも神に従順する時は与えられていた。しかし彼らは罠を設けて神の民に堕落をもたらせ死に引き込んだのである。その罪が彼らの命を短くしたのである。 命は、神がアダムとエバ...神の愛と神の義(民数記31章)

  • 永遠を生きていますか(民数記31章)

     主はモーセに告げられた。「あなたは、イスラエルの子らのために、ミディアン人に復讐を果たせ。その後で、あなたは自分の民に加えられる。」(1~2) 神の民は自分で復讐をしない。戦いに出るときは明確なみことばに拠らなければならない。正義は主のものであり、神の民が勝利する武器はみことばの剣のみである。 彼らは主がモーセに命じられたとおりに、ミディアン人に戦いを挑み、その男子をすべて殺した。その殺された者のほかに、彼らはミディアンの王たち、すなわち、エウィ、レケム、ツル、フル、レバの五人のミディアンの王たちを殺した。また、ベオルの子バラムを剣で殺した。(7~8) 主に用いられすばらしい預言をしたバラムが殺された。「あの時は主に用いられた。」という信仰は空しい。思い出になる信仰など存在しない。常に「今、主と共に在る...永遠を生きていますか(民数記31章)

  • 子羊さんへ

     コメント感謝します。長くなりましたのでこちらでお返事させていただきます。私は牧師さんや先生方の聖霊による体験については、お話を伺ったことも質問したことも無いのです。教派にも関心がないので全く知りません。なのでご質問にちゃんと答えられるかわかりませんが、私の知る限りを子羊さんにお話しできることは嬉しいです。 自分の経験からお話します。私の聖霊のバプテスマの体験は、台所での突然の出来事でした。キリストの十字架の赦しときよめを焼き付けられる経験でした。まだ、洗礼も受けておらず「聖霊のバプテスマ」という言葉さえ知らない時でした。ただ真理を求めていました。 異言は後に知識を得てから求めて与えられました。初めは霊の賛美でした。それから言語として流暢に話せるようになりました。ただその言葉の意味はわかりません。その後に...子羊さんへ

  • 今日の歌(2022.12.23)

     止まぬ雪白きおばけが庭に立つさぞ重かろう夕闇迫る ゴミ出しに夫(つま)の長靴雪踏みて遺されし身も足元温し今日の歌(2022.12.23)

  • 女性ゆえの捧げもの(民数記30章)

     女が若くてまだ父の家にいるときに、主に誓願をするか、あるいは物断ちをする場合には、その父が彼女の誓願、あるいは物断ちを聞いて、彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となる。彼女の物断ちもすべて有効となる。しかし、もし父がそれを聞いた日に彼女に反対するなら、彼女の誓願、あるいは物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に反対するのであるから、主は彼女を赦される。 もし彼女が、自分の誓願、あるいは物断ちをしようと軽率に言ったことが、まだその身にかかっているうちに嫁ぐ場合には、夫がそれを聞き、聞いた日に彼女に何も言わなければ、彼女の誓願は有効である。彼女の物断ちも有効となる。(3~7) 此処では、願い事のために物断ちをして神に誓うとき、男性ならそのままに通ることが、女性は父や夫の許可が必...女性ゆえの捧げもの(民数記30章)

  • 折々のささげ物(民数記28章~29章)

     主はモーセに告げられた。「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしのための食物、わたしへのささげ物を、わたしへの食物のささげ物、芳ばしい香りとして、定められた時に確実にわたしに献げなければならない。(1~2) 此処には、主へのささげ物が詳細に命じられている。イスラエルの民が神の恵みによって生きていることを忘れないように、共にいて下さる主に聞き従う従順のささげ物によって、歴史に在る主が助けてくださった日々を、意識に刻み込み平安に生きるためである。 創造主が人から食物を準備される必要があるだろうか、それは神と民の交わりの食卓の様である。共に居てくださる神を喜んで、その祝福とお守りを味わい安らぐ時のようである。いつも主が民の食べ物を準備してくださる、今は民が主に応答して捧げさせていただくのだ。...折々のささげ物(民数記28章~29章)

  • モーセが行くところ(民数記27章)

     主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの子らに与えた地を見よ。それを見て、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたのと同じように、自分の民に加えられる。(12~13) 神はモーセに余命宣告をされた。そのときモーセが心配したのはイスラエルの民のことであった。みことばに逆らってはモーセを責め続けた問題児のような民のことであった。 モーセは主に言った。「すべての肉なるものの霊をつかさどる神、主よ。一人の人を会衆の上に定め、彼が、彼らに先立って出て行き、先立って入り、また彼らを導き出し、導き入れるようにしてください。主の会衆を、羊飼いのいない羊の群れのようにしないでください。」(15~17) モーセは即座に主のさばきに服して、リーダーを失ったイスラエルの民のために自分の代わりに約束...モーセが行くところ(民数記27章)

  • 荒野で産み出された民(民数記26章)

     はじめに神が天と地を創造された。地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。(創1:1~3) 神はことばをもって天と地を創造された。何も無い所に宇宙を産み出すお方である。この天地創造の神はイスラエルの民を導いて、何も無い荒野に食物のマナを降らせ、岩から水を出させてイスラエルの民を養われた。 その数、戦闘能力のある男子だけで六十万一千七百三十人。レビ族の生後一か月以上の男子二万三千人と書いてある。彼らはすべて荒野で生まれた者である。女性や老人や子どもを入れると、神が荒野で産み出し養われたその膨大な民への備えと、確かな約束の恵みに感動せずにはおれない。 確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂の...荒野で産み出された民(民数記26章)

  • 今日の歌(2022.12.18)

     初雪が今も嬉しい82歳 一億円押し貸しの夢目覚めても動悸止まらぬ小心者よ今日の歌(2022.12.18)

  • 神の愛に応えない腐れ(民数記25章)

     イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。その娘たちが、自分たちの神々のいけにえの食事に民を招くと、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。(1~2) 主の忌み嫌われるモアブの食卓に喜んで着く行動は、これまで主が備えてくださった食卓に満足することを知らず、感謝もなく常に不満を抱きながらの日常から出たことである。 こうしてイスラエルはバアル・ペオルとくびきをともにした。すると、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。(3) モアブはイスラエル人の信仰の欠けに忍び込み、神とイスラエルの関係を破壊しようとしたのだ。それは偶像礼拝と性的乱れによって、選びの民にモアブの血が持ち込まれることであり、イスラエルは内側から変質してしまうのである。 神の祝福に在る者には常にサタンの罠が仕...神の愛に応えない腐れ(民数記25章)

  • 今日の歌(2022.12.15)

     凍てる頬雲間の光見つめ待つ イカ大根自分のためにコトコトとストーブで煮て今日も生きたり今日の歌(2022.12.15)

  • バラムに告げられたイスラエルの祝福③(民数記24章)

     バラムはバラクに、イスラエルを呪ったモアブの未来を伝える。イスラエルから生まれる方によってモアブが裁かれる預言である。 私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。(17) その方はイスラエルには救い主であり、敵対する者には裁き主となる方である。バラムが見せられ、これほどに用いられることは驚きであるが、すべてはイスラエルを力づけて応援するためであり、敵対するものへの警告である。その必要にバラムが用いられたのである。 主の御告げを語るのに相応しい者とは、その時、神が用いられたということ以外に意味はない。完全に神の勝手であり人の価値とは違うのである。...バラムに告げられたイスラエルの祝福③(民数記24章)

  • バラムに告げられたイスラエルの祝福②(民数記24章)

     バラムはイスラエルを祝福することが主の目にかなうのを見て、これまでのようにまじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。バラムが目を上げると、イスラエルがその部族ごとに宿っているのが見えた。すると、神の霊が彼の上に臨んだ。(1~2) 眠っていた霊が開かれると直接主からみことばを聴き、告げられたことばから主を経験するようになる。バラムは占いを通して神の言葉を得て語っていたが、主に見出されて新しくされ、霊の目が開かれたとき、御前に出て直接御告げを受ける経験をしたのである。 キリスト者には、聖霊が日々に開くみことばを解き明かして、今日みこころを生きることを導いてくださる。一人ひとりを知り尽くす神のご計画は、直接聴かなければ他の人には分からないのである。 また、この時間はうちに居られる主との親密な霊の語...バラムに告げられたイスラエルの祝福②(民数記24章)

  • バラムに告げられたイスラエルの祝福 ①(民数記23章)

     バラクは呪いを求めたが、バラムは神が告げられた祝福を語る。バラムはバラクを恐れなかった。主の御告げを聴いた者は主を恐れて、人を恐れずに語らなければならない。聴いた通りに語るなら主は教えてくださる。なおも、バラクはイスラエルの民が見えるビスガの頂にバラムを連れて行った。 主はバラムに会い、その口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰って、こう告げなければならない。」それで、彼はバラクのところに帰った。すると、彼はモアブの長たちと一緒に、自分の全焼のささげ物のそばに立っていた。バラクは言った。「主は何をお告げになりましたか。」(16~17) バラクは主のみことばを待っていた。神の権威を知っていたからである。ただ、神の口から出たみことばに人は従順するべきことを悟らなかった。それはすべての創造主で...バラムに告げられたイスラエルの祝福①(民数記23章)

  • 今日の歌(2022.12.11)

     成就する計画のなか老い委ね祈り祈りつ手を引かれ行く 冬日浴び行きつ戻りつ大川の去り行く景色胸に留めぬ今日の歌(2022.12.11)

  • 神の忍耐による祝福(民数記23章)

     バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七匹の雄羊をここに用意してください。」バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラクとバラムは、祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一匹を献げた。(1~2) 「私のために祭壇を・・」バラムが主を礼拝するためと言うのだろうか。献げものも、モアブの王が準備したものを主に献げることには違和感がある。すべては神に敵対する者が準備したものである。バラムは礼拝の形を知ってはいても主が分かってはいない。 神がバラムに会われたので、バラムは神に言った。「私は七つの祭壇を整え、それぞれの祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一匹を献げました。」(4) バラムは誇らしげに神に報告しているが、それはバラクが神の民を呪うために準備したものである。主はこのようなバラムに忍耐され、イ...神の忍耐による祝福(民数記23章)

  • 死の淵を経て (民数記22章)

     主はバラムの目の覆いを除かれた。すると彼は、主の使いが道に立ちはだかり、抜き身の剣を手に持っているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。(31) 裁かれるのはみことばの剣である。信じる者にはいのちとなり、信じないものには永遠に燃え尽きないゲヘナの死となる。抜き身の剣には猶予はなく、彼は死の前に居たことに気づいた。 主の使いは彼に言った。「何のために、あなたは自分のろばを三度も打ったのか。わたしが敵対者として出て来ていたのだ。あなたがわたしの道を踏み外していたからだ。ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を避けた。もし、ろばがわたしから身を避けていなかったなら、わたしは今すでに、あなたを殺して、ろばを生かしていたことだろう。」(32~33) バラムは自分が死を通っていたことを悟った。主は彼に「道を踏み外し...死の淵を経て(民数記22章)

  • ロバの声 (民数記22章)

     夜、神はバラムのところに来て、彼に言われた。「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らと一緒に行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。」バラムは朝起きて、自分のろばに鞍をつけ、モアブの長たちと一緒に行った。(20~21) みことばを聞いてなを人の願うことを変えない時、神はそれを許し、人の計画の中で主を恐れることを経験させることがある。従順は如何なる時も自由の中にあり、そのとき主は忍耐しておられるのである。 しかし、彼が行こうとすると、神の怒りが燃え上がり、主の使いが彼に敵対して道に立ちはだかった。バラムはろばに乗っていて、二人の若者がそばにいた。(22) 主がバラムに許されたのは、彼の心を見ておられるのである。愛される者は、みことばを聴いたとき自分の計画を捧げ、たまわった...ロバの声(民数記22章)

  • 行ってはならない (民数記22章)

     神はバラムのところに来て言われた。「あなたと一緒にいるこの者たちは何者か。」バラムは神に言った。「モアブの王ツィポルの子バラクが、私のところに使いをよこし、『今ここに、エジプトから出て来た民がいて、地の面をおおっている。さあ来て、私のためにこの民に呪いをかけてくれ。そうしたら、おそらく私は彼らと戦って、追い出すことができるだろう』と申しました。」(9~11) 神に逆らった罪は呪うことを覚えさせ、支配できないものは殺しても自分が生きることを覚えさせた。しかし人は、創造主である神の霊を吹き込まれ愛の中に生きて、自分が愛されているように他を愛し、祝福するように造られた者である。このことは建前ではなく、キリストの十字架のあがないによって知る事実であり、聖霊の助けによって実現することである。 神はバラムに言われた...行ってはならない(民数記22章)

  • 今日の歌(2022.12.06)

     落ち葉掃き闇に落ち行く日と争うて 蕪を煮て小豆飯など夕餉の膳これで豊かと海老二匹添う今日の歌(2022.12.06)

  • バラクの知っていること(民数記22章)

     ツィポルの子バラクは、イスラエルがアモリ人に行ったすべてのことを見た。モアブは、イスラエルの民の数が多かったので非常におびえた。それでモアブはイスラエル人に恐怖を抱いた。(2~3) モアブの王バラクは、イスラエル人の行く手を阻んだアモリ人が、聖絶されたことを知って怯えた。イスラエル人の数にも圧倒された。イスラエルは数によって勝ったのではないが・・。 同族の国にある、あの大河のほとりのペトルにいるベオルの子バラムを招こうと、使者たちを遣わして言った。「見なさい。一つの民がエジプトから出て来た。今や、彼らは地の面をおおい、私の目の前にいる。(5) バラクの言葉に、主がアブラハムになさった約束を思い出す。確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は...バラクの知っていること(民数記22章)

  • 戦いの武器(エペソ6章)

     イスラエルの旅は、敵ばかりで水さえも不自由な荒野であった。しかし、求めれば直ぐに与える主が共に居られ、彼らは旅の間も祝福を受け継ぐ子孫を生み育てていた。 明日も見えない暗い世をキリスト者はみことばの光を頼りにして、折々に主を経験しつつ、その存在によってキリストを世に知らせる者である。 主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。(10~11) 悪魔の策略が張り巡らされている世にあっては、霊の目が開かれて戦う相手を悟らなければならない。悪魔は目に見えるものを先立てて、血肉の戦いに導くのである。いかなる時もその勝者はサタンである。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるも...戦いの武器(エペソ6章)

  • 今日の歌(2022.12.01)

     鈍色の師走の空に鳶が〇(まる) いざ師走誕生日三つ命日も今日の命を如何に用いぬ今日の歌(2022.12.01)

  • 青銅の蛇(民数記21章)

     彼らはホル山から、エドムの地を迂回しようとして、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中で我慢ができなくなり、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」(4~5) 敵を聖絶し続ける旅ではなく、迂回して平和のうちを行く旅は、神の備えによって生きることを味わう旅であり、其処に備えられた一つのことは、これまで生かしてくださった主への感謝と、信頼でなければならなかった。 彼らが飽き飽きしたという食べ物は、彼らが代価を支払わず、蒔きもせず育てもしないで、神が天から降らせてくださったものであり、荒野で子孫を産み出すほどに十分な食べ物であった。 その夕方、うずらが飛んで来て宿営...青銅の蛇(民数記21章)

  • トンビ

     晩秋に訪れた心地よい晴れ間に、思いっきり薄着になって飛び出し、何時ものコースを離れて吉野川沿いを歩いて来た。 橋の上から見下ろす大川はゆたったりと流れて、スマホで川の中に佇む鷺を撮り、しばらく流れの音を聞いていた。遥かに先に見る丸い山はたぶん妹背山・・。 堤防には桜の落ち葉がカサカサと積もり、見上げたプラタナスには沢山の実がぶら下がっていた。驚いたのは一本に白い小さな桜の花が咲いていたこと。以前に来た時もチラホラと咲いていたけれど、ずいぶん頑張っている・・。 木漏れ日は今日の強い日差しをやわらげて心地よく、「ピ~ヒョロ」と頭上の声に、見上げた空高くトンビがゆったりと、青空を独り占めして舞っていた。 飛べ飛べとんび空高く鳴け鳴けとんび青空にピンヨローピンヨローピンヨローピンヨロー楽しげに輪をかいて 誰も居...トンビ

  • 聖絶(民数記21章)

     ネゲブに住んでいたカナン人アラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来たと聞いた。彼はイスラエルと戦い、その何人かを捕虜として捕らえた。(1) 問答無用で襲い掛かって来る敵には主が勝利を取ってくださる。神が愛する者に対する憎しみは、神に対する憎しみでもある。 そこでイスラエルは主に誓願をして言った。「もし、確かにあなたが私の手に、この民を渡してくださるなら、私は彼らの町々を聖絶いたします。」(1~2) この時イスラエルは主に祈って戦いの備えをした。神の民の武器は第一に祈りであり、先立つみことばの約束である。如何なる時代であっても,、どれほど強い敵であっても、それらの命も創造主の御手のうちに在り、神に知られずに地に落ちる命は無く、雀一羽の命さえもご存じなのであって、生かすも殺すも主のご支配に在る命であ...聖絶(民数記21章)

  • 完全な教会を汚したアナニアたちの滅び(使徒5章)

     アナニアという人は、妻のサッピラとともに土地を売り、妻も承知のうえで、代金の一部を自分のために取っておき、一部だけを持って来て、使徒たちの足もとに置いた。すると、ペテロは言った。「アナニア。なぜあなたはサタンに心を奪われて聖霊を欺き、地所の代金の一部を自分のために取っておいたのか。(1~3) ペテロは此処で「聖霊を欺いた」と言っている。これは「ちょっと、いい恰好をして嘘をついた」という問題では無く、「信仰が中途半端で惜しんだ」という問題ではない。 イエスは、ユダがいつも財布から金を盗んでいたからと言って殺すことはしなかった。お金の問題なら弟子であるユダの方がよほど重罪である。アナニアの罪は、聖霊によって生まれたばかりの完全なかたちの教会を、汚したことが問題なのである。 彼らが祈り終えると、集まっていた場...完全な教会を汚したアナニアたちの滅び(使徒5章)

  • 今日の歌(2022.11.19)

     聴き入りて日がな一日キーを打つ部屋を呑み込む闇は駈け足今日の歌(2022.11.19)

  • 主の祈り(2022.11.17)

     天にいます我らの父よ御名があがめられますように 愛する天のお父様、すべての造られたものが創造主である、あなたを喜びほめたたますように。 御国が来ますように やがてキリストのご支配が地に訪れるように、今日の私たちにも、ご支配による恵みに与らせてください。 みこころが天で行われるように地でも行われますように 天で神さまの聖さが行われているように、地でもみこころが行われますように。今日、私たちに起こるすべての事に介入して下さい。 私たちの日ごとの糧を今日もお与えください 霊、魂、体の必要を備えてください。今日聴くみことばを、いのちの糧として生きることを導いてください。 私たちの負いめをお赦しください 私たちの罪がキリストの十字架によって、赦されていることを感謝いたします。主のご愛のうちに生き続ける、この永遠の...主の祈り(2022.11.17)

  • 立ち塞がるもの(民数記20章)

     モーセはカデシュからエドムの王のもとに使者たちを遣わして言った。「あなたの兄弟、イスラエルはこう申します。あなたは私たちに降りかかったすべての困難をご存じです。(14) エドムを兄弟と読んでいるのは、彼らがエサウの子孫だからである。ずいぶん昔「人類みな兄弟」こんなテレビコマーシャルが流れていた。その言葉の真意はわからないが、すべての人類がアダムの子孫であることは事実である。 私たちの先祖はエジプトに下り、私たちはエジプトに長年住んでいました。しかしエジプトは私たちや先祖を虐待しました。私たちが主に叫ぶと、主は私たちの声を聞いて、一人の御使いを遣わし、私たちをエジプトから導き出されました。今、私たちはあなたの領土の境界にある町、カデシュにおります。(15~16) モーセは此処で主を証をしている。試練の中で...立ち塞がるもの(民数記20章)

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