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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

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京都府
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2016/04/03

  • 私たちの中に住まわれる神のキリスト(ヨハネの福音書1章)

     ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(14) キリストは永遠のいのちに在る神の栄光から、罪によって死ぬべき人の体を纏い、人によって育てられて生きることの苦しみや痛みを知っていてくださる。高い所から見下ろして裁く神ではなく、救いのために十字架にまで下ってくださって、今も私たちの弱さの真ん中に居て同情してくださるお方である。 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。(へブル4:15) ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先に...私たちの中に住まわれる神のキリスト(ヨハネの福音書1章)

  • 今日の歌(2024.06.25)

     鈍色の空に向かって青々と田の面広がり吹く風優し 向日葵の花はいつでも遠き日のあっけらかんを思い出させる今日の歌(2024.06.25)

  • 生まれる前から主を喜んでいた(ヨハネの福音書1章)

     神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。(6~8) バプテスマのヨハネは母エリサベツの胎にいるとき、マリヤの胎に居られるイエスを喜んで踊った。彼は生まれる前から、キリストを知らせる使者の光栄を大いに喜んでいた。 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。(ルカ1:41) バプテスマのヨハネの生涯はイエスをキリストを証して、世の闇を照らす救い主を待ち望む人々に、キリストが来られたことを知らせ礼拝する道を備えた。 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。この方はもとから...生まれる前から主を喜んでいた(ヨハネの福音書1章)

  • 天地創造の愛の神 イエス・キリスト (ヨハネの福音書 1章)

     初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。(1~3) イエスは神とともに永遠の始まりであり天地宇宙を、神のみこころに拠って創造された方である。それもことばに拠って造られ、イエスのことばには無から有を創造する力があった。 初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。(創世記1:1~3) ヨハネ書の書き出しは人の思考を破壊する。人はせいぜい処女マリヤから生まれたイエスを受け入れるだけで精一杯なのだ。しかし人は神に造られたものであり、被造物の...天地創造の愛の神イエス・キリスト(ヨハネの福音書1章)

  • ヨシュアが受けた主の祝福(ヨシュア記24章)

     見よ。きょう、私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。(23:14) これらのことを率いた民と共に目で見て、主を経験したヨシュアの人生は非常に幸せであった。「心を尽くし精神を尽くして主を知る」人生だったからである。それも主のたまものであるから・・。 みこころを成し遂げて穏やかに召される日は、主の祝福の時である。「主が御約束を一つもたがわず実現してくださった」ことを経験し、主をほめたたえる言葉を遺して召されることほどの幸いなことはない。 ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主は...ヨシュアが受けた主の祝福(ヨシュア記24章)

  • 今日の歌(詩篇23篇)

     主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に油を注いでくださいます。私の杯は あふれています。まことに 私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが 私を追ってくるでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいましょう。「アーメン」今日の歌(詩篇23篇)

  • 主にすがりなさい(ヨシュア記23章)

     モーセの律法の書に記されていることを、ことごとく断固として守り行いなさい。そこから右にも左にも外れず、これらの国々、あなたがたの中に残っている、これらの異邦の民と交わらないようにするためである。彼らの神々の名を口にしてはならない。それらによって誓ってはならない。それらに仕えてはならない。それらを拝んではならない。(6~7) モーセの律法を断固として守るということは、彼らが主に留まろうとする意志に拠ることであり、そのとき、イスラエルの目は主に釘付けられて、その純潔は異邦人もその神々も知ることはない。律法に集中しているからである。 異邦の民との交わりを禁じるのは、主から目を離して異邦人に向くとき、彼らが珍しいものに引き寄せられて、いのちの主を忘れるからである。人は視線の先に向かって生きるのであり、今何を見て...主にすがりなさい(ヨシュア記23章)

  • 今日の歌(2024.06.12)

     此処しばらく歩いていない。暇な時刻には暑くなっていて躊躇してしまうのだった。昨夜、「歩きたいなあ・・でも暑すぎる」なんて・・「公園に行きたいな・・」けれど最近の体調では無理だ・・とネガティブ思考に陥っていた。 今朝息子を送り出し外の涼しい空気に触れて、「そうだ、何もすべてを終えてから歩かなくてもいい。こんなに気持ちいいから今行こう!」と、飛び出すと本当に風がひんやりと肌に心地よかった。 何処までなんて考えずに、心のおもむくままに歩いていたら、公園まで来ていた。途中で畑をしておられる方とちょっとお話をして、以前から「何だろう」と思っていた作物の名前を教えてもらった。 この道を歩くと色々な疑問が湧いて来る。「これは麦。でも何か植え方が変・・」、「普通の稲と少し違うような気がする・・」とか、「これはひょっとし...今日の歌(2024.06.12)

  • 霊のからだと肉の体

     キリストの贖いを経て、永遠に生きるために与えられる復活のからだは、卑しい肉の体とはまったく違う霊のからだである。肉の体の一部を取って霊のからだとなることなどありえない。 アダムとエバが罪を犯して園を追われた時に、神は肉の体に皮の衣を準備してくださったように、天に召されると霊に着せる衣も備えてくださるのである。 肉の体の再生によって霊のからだが造られるなどということは、罪を知っている体は滅びるものであり、役割を終えて地の塵に返るものである。 たとえミイラにして保存してもそれは死んでおり、罪のゆえに土に返るべき骨から霊のからだが造られると考えるのは、あまりにも霊と肉の違いを知らなさすぎて、それは、猿から人間が出来る以上に滑稽な話である。  肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(ヨハ...霊のからだと肉の体

  • 戦いの中に在るキリストの平安(ヨシュア記23章)

     主が、周囲のすべての敵からイスラエルを守って安息を与えられてから、多くの日がたち、ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。(1) 主はヨシュアの働きに満足されて、老年期の後半には平和を与えられた。民はリーダー次第で何もかも変わる。主に従順なリーダーに恵まれて、良く聞き従い彼らは主の祝福の中に住んでいた。ヨシュアは全イスラエルの指導者を呼び寄せて言った。 あなたがたは、自分たちの神、主が自分たちのために、これらすべての国々に行ったことをすべて見てきた。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主である。(3) 今の平和は主が与えたものであると、ヨシュアはその事実を、あなたがたは見て来たのだと、改めて確認させている。それはやがてくるヨシュアの終わりの日のために、イスラエルが覚えて置くべきことなのである。良...戦いの中に在るキリストの平安(ヨシュア記23章)

  • 今日の歌(2024.06.07)

     空っぽの土の器のひび割れにいのちの血沁むイエスの愛なれ今日の歌(2024.06.07)

  • 炎のバプテスマによる復活のいのち

     救われた者は失敗を悔いるために吐いたものを覗きに戻ることはなく、何処から救われたかは決して忘れることはない。しかし、ペテロは二度と主を否むことはなく、また事実を悔やむこともしない。 人は、創造主なる神を蔑ろにした罪は何一つ覚えてはおらず、すべての罪を悔い改めることは不可能である。神と断絶させるその罪は、キリストが十字架の上で御父に見捨てられて、人知れずに贖ってくださったことである。それゆえ今「アバ父」と御名を呼び、罪を未だ知らない幼子のように御許に安らぐことを得たのである。 主の憐みにあって赦され、キリストの復活と言う神の備えによって新しくされ、今や神の子の光栄を抱いて生きており、罪の記憶は神が忘れてくださったと同時に遠いものとなったのである。 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者...炎のバプテスマによる復活のいのち

  • 誤解② (ヨシュア記22章)

     ルベン族、ガド族、マナセの半部族はイスラエルの分団のかしらたちに答えて言った。「神の神、主よ、神の神、主はご存じです。イスラエルもこれを知りますように。もしこれが、主に対する反逆や不信の罪をもってなされたのなら、今日、私たちをお救いにならないでください。(21~22) 彼らは思わぬ疑いを掛けられたときに「神の神、主よ。」「神の神、主よ」二重に二度も主の御名を呼んで助けを求め叫んだ。「反逆なら救わないで」と、真実を知っていてくださる主に命を捧げての祈りでもある。 キリスト者も時に攻撃されたり脅されることもあるが、その時の身の避け方は唯一「神の神、主の主よ」と御名を呼ぶことだけである。向き合って語る人もなければ、唯一の弁護者であるキリストを求めて叫ぶのである。 御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の...誤解②(ヨシュア記22章)

  • 誤解① (ヨシュア記22章)

     ルベン族、ガド族、マナセの半部族はカナンの地のヨルダン川の流域まで来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは遠くから見えるほど大きな祭壇であった。(10) その大きさは主への感謝と思いを現わしているようである。しかし、その律法に拠らない祭壇は命を脅かすほどの誤解を生むことになった。 イスラエルの子らは、「ルベン族、ガド族、マナセの半部族がカナンの地の国境、ヨルダン川のイスラエルの子らの側の流域に、祭壇を築いた」と聞いた。イスラエルの子らがそれを聞いたとき、イスラエルの全会衆は彼らと戦おうとシロに集まった。(11) 神より発したものでない祭壇は偶像礼拝となり、それらはイスラエルに多くの死をもたらせて来た歴史があり、彼らはイスラエルの中に偶像礼拝が入り込むことを防ごうと直ぐに動いたのだ。 ...誤解①(ヨシュア記22章)

  • 小さな傷の大きな障壁(2024.06.02)

     修理はpcに問題がないことを確認して、システムの問題でもないことも分かり、結局家の中のにある、一つの機器が傷を受けたことを発見して回復させることが出来た。それが微妙な傷であったので一部が働いていたのだとのことであった。そういうことでpcが復活した昨夜、31日に準備していた記事を取り合えずUPした。息子は考え方を変えてみるということ経験したと言い、私は自分の言動を振り返って、具体的な愛の欠けや怠慢の指摘を受ける時となった。 回復が与えられたことを感謝しつつ、たまわっている時間を大切に用いたいと改めて思わされた。私の中にある多くの傷は、何かを切り捨てて逃げ腰になったり、いつの間にか思い上がったりさせるものだけれど、イエスさまが共にいてくださることには大きな望みがあるから。小さな傷の大きな障壁(2024.06.02)

  • 瞬停でも痛手は続くPCダウン(2024.05.31)

     台風で強い風と雨が降った28日。午後になって突然電気が消えPCがダウンした。その日にUPしようとしていたものは推敲も未完であったが、このままが良いとOKが出たような気がして手放すようにUPした後で良かったのだが・・。 それは停電とは言わぬほどの間であり、瞬停と呼ぶらしいが使用中であったPCは大きな被害を受けていた。インターネットは繋がっており、ただ、一部が繋がらないと言う嫌がらせのような故障であった。私はPCでないとブログの編集画面に入れず、スマホで画面を眺めることは出来ても、何もできないという状態になった。その時は、何時ものように息子が帰って来たら修理してくれるだろう・・という甘い考えでいた。息子は帰宅すると連日格闘してくれていたが、遠距離通勤であり疲労がたまることを恐れて、「急がないから今日は寝て」...瞬停でも痛手は続くPCダウン(2024.05.31)

  • 約束を守らせてくださる主(ヨシュア記22章)

     そのとき、ヨシュアはルベン人、ガド人、およびマナセの半部族を呼び寄せて、彼らに言った。「あなたがたは、主のしもべモーセがあなたがたに命じたことをことごとく守り、私があなたがたに命じたすべてのことについても、私の声に聞き従った。(1~2) 彼らはヨルダン川を渡る前に、この地に残ることをモーセに願っていた。モーセは彼らが先立ってヨルダン川を渡り、すべての戦いが終わったら帰って来て所有することを許した。また、彼らはヨルダン川を前にした時に、ヨシュアに改めて命じられたことにも従順を約束した。 あなたがた勇士はみな、隊列を組み、あなたがたの兄弟たちより先に渡って行って、彼らを助けなければならない。主があなたがたの兄弟たちにも、あなたがたと同様に安息を与え、彼らもあなたがたの神、主が与えようとしておられる地を所有し...約束を守らせてくださる主(ヨシュア記22章)

  • 今日の歌(2024.05.25)

     銀色のコントレール一本五月晴れ 薫風ふわりうたた寝の午後静か今日の歌(2024.05.25)

  • 一つも違わず実現するのを見る(ヨシュア記21章)

     レビ人の一族のかしらたちは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、そしてイスラエルの人々の部族の、一族のかしらたちのところに近寄って来て、カナンの地のシロで彼らに告げた。「主は、住む町と家畜の放牧地を私たちに与えるよう、モーセを通して命じられました。」イスラエルの子らは主の命により、自分たちの相続地から次の町々とその放牧地をレビ人に与えた。(1~3) レビ人に与えられた地は、彼らが管理し放牧地として用いても、それは彼らの家系に引き継がれるものではなく、初めの約束の通りに彼らがたまわっているのは主ご自身である。何処に住んでも、何を管理していてもその約束は変わらないのだ。 キリスト者もこの世で諸々の財産を得て管理して、それらを大いに用いることがあるが世は一瞬に変わるもので、何時までも残り御国にまで持って行くもの...一つも違わず実現するのを見る(ヨシュア記21章)

  • 今日の歌(2024.05.23)

     風なぶる早苗の先は麦の秋遠き日の庭麦扱きの塵麦扱き(むぎこき、脱穀) トンネルを抜ければ早苗広がりて風穏やかに畦に舞う蝶今日の歌(2024.05.23)

  • 逃れの町(ヨシュア記20章)

     主はヨシュアに告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。『わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、逃れの町を定めよ。意図せずに誤って人を打ち殺してしまった殺人者が、そこに逃げ込むためである。血の復讐をする者から逃れる場所とせよ。』(1~3) 今、キリスト信仰に拠って生きる者の逃れの町はキリストである。人は無垢な赤子として生まれたようであっても、誰に習わなくても妬んたり、苛立ったり、他を押しのける我が儘を覚えて行き、ついには滅びの死に至らせるのである。それは神に背いたアダムの血にあって、人が日々に意図せぬ罪によることであり、パウロは善を望みながら犯してしまう罪の存在は、人の力では制御出来ないものであること告白している。 私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、...逃れの町(ヨシュア記20章)

  • 自分のことを心配しないヨシュア (ヨシュア記19章)

     地を地域ごとに相続地として割り当て終えたとき、イスラエルの子らは、自分たちの間に一つの相続地をヌンの子ヨシュアに与えた。(49) ヨシュアはみなに割り当て地を与えたが、自分の地は求めていなかったのである。割り当て地が1つでは足りないとヨセフ族は苦情を言ったときも、ヨシュアはその一つも得ていなかった。 主の命により、ヨシュアが求めた町、すなわち、エフライムの山地にあるティムナテ・セラフを彼に与えた。彼は町を建てて、そこに住んだ。(50) 民がヨシュアに与えた地は、ヨシュアが求めたのではなく主の命によって受けたのであった。ヨシュアは与えられるままに受けてそこに住んだ。ヨシュアは主にたまわった役割によって、民に割り当て地を与えることに専念して、自分の分を心配することはなかった。これこそ民と、主に立てられたリー...自分のことを心配しないヨシュア(ヨシュア記19章)

  • 今日の唄(2024.05.14)

     未だ薄墨流れるような窓の外大きなかぼちゃの花が、ぽっかりと開いていた。真っ黄色な花と目が合って「おはよう早起きね」「お前もな」今日一番の挨拶はかぼちゃ・・ふふゆっくりと、朝焼けが広がって来た。今日の唄(2024.05.14)

  • 祝福による民が多くて狭い(ヨシュア記17章)

     ヨセフ族はヨシュアに告げた。「あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほど数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。」(14) 主が祝福してくださったなら祝福に応えるべきであり、祝福によって増えた民の数によって狭くなったと不満を言い立てるのは、数が増しただけの無力で中身の無い姿を現している。祝福を受けて増えた民はその祝福に相応しい実を結ぶべきである。 良きものをたまわっても用いることをしないで、ただ数を数えて満足しているだけならアッと言う間に貧しくなる。用いない賜物が持っている財を食い尽くし、用いないたまものは高ぶりをもたらして災いとなる。 あなたがたのところにいたとき、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。(Ⅱテサロニ...祝福による民が多くて狭い(ヨシュア記17章)

  • 今も私は壮健です(ヨシュア記13~14章)

     ヨシュア達イスラエルの子らが打ち占領した地の王は31人であった。12章ではその王の名が列挙されている。カナンの地は創造主の支配に置かれて、主に聴き従って仕えるイスラエルに任されたのである。 ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。主は彼に告げられた。「あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。(13:1) 神のすべてのご計画は人の力に依存するものではないので、主に頼らずに何でもできる若さが必要ではなく、歳を取って自分が弱くなった時を待って用いられることが多くある。それゆえ主の御用に用いられている者には定年退職はないだろう。神の子とされた者が主に近しく聴き従っている場の外に、安息があるとは思えないからである。主に油を注がれ続けないと働けない高齢者は、神には働き盛りなのだ...今も私は壮健です(ヨシュア記13~14章)

  • 「懇願」(マタイ8章)

     息子の通読箇所を交読していて、此処にある三通りの「懇願」に気付かされた。 イエスがカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て懇願し、「主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます」と言った。イエスは彼に「行って彼を治そう」と言われた。しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。(5~8) 百人隊長はイエスさまに、しもべを癒やすおことばをくださいと懇願した。彼は自分の役職によって発せられた言葉にある権威を知っており、猶更みことばの権威が如何に価値あるものであるかは、信仰によって確信していたのである。イエスは彼の信仰をほめられ、みことばをたまわったしもべは直ちに癒...「懇願」(マタイ8章)

  • 今日の歌(2024.05.05)

     ゴールデンウイーク家族が元気に集まった。嫁さんが「おかあちゃん」と呼んだだけで、女の子を持たない私は嬉しくなる。二人の孫が年頃の女性になっていて、一つひとつの仕草や笑顔が眩しい。大学生に「勉強楽しい?」なんて、小学生か!というようなことを聞いても「楽しいよ。」と笑顔が返って来て、私はとても幸せになった。 長男は夜遅くまで側にいて、私のダラダラと続くどうでも良いような話の相手をしてくれる。本当にどうしてもっと大切なことを話さないのかと思うけれど・・何時でもこうなってしまう。 孫とはふざけてしまうし、嫁さんには甘えてしまう。「人材が揃っているのだから何でも言うといいよ」と嫁さんは子供たちを招集して命じろという。でも考えるのが面倒で「適当にしておいて」なんて言うと、乱雑だった押し入れに、使った布団なども圧縮袋...今日の歌(2024.05.05)

  • 愛と聖絶 ②(申命記11章)

     こうしてアナク人は、イスラエルの子らの地には残らなかった。ただガザ、ガテ、アシュドデに残るのみとなった。ヨシュアはすべて主がモーセに告げられたとおりに、その地をことごとく奪い取った。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族への割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに与えた。そして、その地に戦争はやんだ。(22~23) 今聖絶の神は平和の神として、キリストの救いを信じる者うちに住んでいてくださる。聖であり義であり、また完全な愛である神が、未だ肉を纏っている者のうちに住んでいてくださるとは、なんと驚くべき奇跡であろう。 それはキリストの十字架のあがないが、神の御前に完璧な執り成しであり、神の聖と義を完全に満たしたからであって、一ミリも人の行いに拠ることではなく、キリストに対する信頼に拠ることである。 これ...愛と聖絶②(申命記11章)

  • 愛と聖絶①(申命記11章)

     ヨシュアはこの全地、すなわち、山地、ネゲブの全地域、ゴシェンの全土、シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地とそのシェフェラを奪い取った。彼は、セイルへ上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとの、レバノンの谷にあるバアル・ガドまでを攻め取った。その王たちをことごとく捕らえ、彼らを討って殺した。(16~17) 彼らは天地創造の神の地に住みながら神に逆らって地を汚した。ヨシュアはそれらを神の御支配に取り返し、その地の汚れをきよめたのである。 今主は信じる者のうちを、キリストの十字架の血潮できよめて住んでいてくださる。新しくされたキリスト者は、魂のうちに古くから住みついている諸々の誘惑や、苛立つよこしまな思いを、聖霊の導きの中で排除して、主のものである自身を、魂を霊に従わせる戦いのうちに明け渡して行くのである。...愛と聖絶①(申命記11章)

  • 今日の歌(2024.04.24)

     友よりラインあり「在宅を確かめて、お電話しようと思って・・」分かる分かる。私はやっとスマホの電話を、失敗なく受けられるようになったの。 昔メールをするたびに「届いた?」と電話をしたものだった。そのような年代を生きて来た仲間、何時までも元気でいてね。お互いに夫に先立たれて、命の脆さを経験しているから・・ 雨の中でどんどん大きくなるかぼちゃの葉っぱにビビッている。初めてかぼちゃ苗を植えて、ぐんぐん大きくなるのを楽しんでいたが、今はちょっと怖気づいている私。 初めてのことは何時でもワクワクとドキドキ・・沢山の楽しさと恐ろしさを味わって来た。まだまだ知らないことばかりで、生きている限り続くワクワクとドキドキ今日の歌(2024.04.24)

  • 今日の唄(2024.04.23)

     かぼちゃ苗めきめきと音聞ゆごと葉を増してゆき我驚かす 土いじり砂場遊びの心して思いつくまま花も野菜も今日の唄(2024.04.23)

  • 恐れてはならない(ヨシュア記11章)

     ヨシュアはカデシュ・バルネアからガザまで、および、ゴシェンの全土をギブオンに至るまで討った。これらすべての王たちと彼らの地を、ヨシュアは一度に攻め取った。イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。(10:41~43) イスラエルのために戦われる神と共にいて、勝利をたまわったときヨシュアの兵はみな無事であった。彼らは五人の王とその民を聖絶して神に逆らう罪をきよめた。 ハツォルの王ヤビンはこのことを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、アクシャフの王、また、北方の山地、キネレテの南のアラバ、シェフェラ、西方のドルの高地の王たち、すなわち、東西のカナン人、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、山地のエブス人、ヘルモンのふもと、ミツパの地のヒビ...恐れてはならない(ヨシュア記11章)

  • 勇者の選択② (ヨシュア記10章)

     ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」ヨシュアはすべての戦う民たちとすべての勇士たちとともに、ギルガルから上って行った。(6~7) ヨシュアは躊躇せずに助けに出て行った。神がギブオンの味方となられたからである。神が味方か、逆らって神を敵とするかは、人が選択したことであった。ヨシュアの厳しい聖絶戦の前に、ギブオンが出て来ることは非常に大切な教えである。  主の御わざを聞いていながら、神の民に立ち向かって来ることは、ギブオンの真逆の行為であり、その傲慢によって自ら聖絶の者となったのである。ラハブも家族ともども主...勇者の選択②(ヨシュア記10章)

  • 勇者の選択①(ヨシュア記10章)

     エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。(1~2) 此処でギブオンが、何処よりも弱くて戦いを避けたのではないことがわかる。彼らはイスラエルの神を悟り、自分たちの力を正しく計算をしたのである。勇者は自分の力を知る者であり、自身の弱さを弁える者が全能の神を頼っていのちを救うのである。 神は、自分自身を救うことが出来ない弱さのうちに、御子キリストをおくってくださった。キリストが罪に病む者に来てくださったのは、神の愛に...勇者の選択①(ヨシュア記10章)

  • 今日の歌(2024.04.10)

     麦の風穂先さわさわ平和なり 幼き日駆けし畦道麦畑今のんびりと思い出歩む今日の歌(2024.04.10)

  • 神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

     ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。彼らと盟約を結んでから三日たったとき、人々は彼らが近くの者たちで、自分たちのただ中に住んでいるということを聞いた。(15~16) ヨシュアは見たから誓ったのである。その結果が良かろうと悪かろうと、目で見たことはその場の事であり、誓うことは何時までも続くことなので釣り合わないことをしたのだ。でも、なぜか人は「この目で見たのだから、これほど確かなことは無い」と言うのである。真実はたった三日後に判明する。肉の耳が「聞く」と言うことも、どこまで真実であるか不確かなものであるが、この時は事実を暴露した。それは、初めにヨシュアたちが予想したことであった。 キリスト者には聖霊なる神が霊のうちに居てくださる。しかし、聖霊によ...神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

  • 見える罠(ヨシュア記9章)

     ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」(3~4.6) ギブオンの策略は聖絶から生きのびるための唯一の策であり、イスラエルの神を恐れてのことであった。 イスラエルの子らはそのヒビ人たちに言った。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」(7) イスラエルの子らはヒビ人の策略に気づかないわけではなかった。そのことは充分に考えられることであったから。 ...見える罠(ヨシュア記9章)

  • 燃えさし(ゼカリヤ書3章)

     主は、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアを私にお見せになった。サタンが彼を訴えようとしてその右手に立っていた。(1) 神の使いの前に引き出されて立っている大祭司ヨシュア。ゼカリヤが見せられた場面は、サタンがヨシュアを裁く裁判であった。 主はサタンに言われた。「サタンよ、主がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめる。この者は、火から取り出した燃えさしではないか。」(2) 神はエルサレムを選ばれたように、ヨシュアもリーダーとして選ばれた。此処に神の権威が存在しており、サタンはヨシュアを選んだ神を訴えているのだ。ヨシュアはきよめの火の中にある者であって、そこから取り出して訴えるのかと、神はサタンの行いを裁かれる。 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前...燃えさし(ゼカリヤ書3章)

  • 今日の歌(2024.04.08)

     ポチポチと芽吹く双葉に花を見る日の近き未来よ 花洗う雨に煙りて静かなりこれも桜よ我も安らう今日の歌(2024.04.08)

  • 恐れてはならない ①(ヨシュア記8章)

     主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民をすべて率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、わたしはアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。(1) 失敗の後悔の中に閉じこもり、恐れていては従順することは出来ない。主は「恐れてはならない」と言われた。立ち上がる勇気はみことばに信頼するときにたまわる。主はヨシュアにアイを与えたと言われた。それがすべてであり人がどのように変わったかではない。弱さのすべてをご存じの主の備えによって、神の栄光があらわれるのである。 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36) あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。その分捕り物と家畜だけ...恐れてはならない①(ヨシュア記8章)

  • 家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

     だから、イスラエルの子らは敵の前に立つことができず、敵の前に背を見せたのだ。彼らが聖絶の者となったからである。あなたがたの中から、その聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。(12) 主はヨシュアに、今イスラエルがどのような立場にあるかを知らされる。アイの戦いには主は居られず、イスラエルが「聖絶のものとなっていた」ことをヨシュアは知った。 世はキリスト者に相応しい所ではなく、サタンが支配を横取りしている世界であって、キリスト者には敵地である。その世に生きる時にキリスト者が最も注意を払うことは、日毎に確認することであって、神が共にいてくださるかということである。 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 立て。民を聖別せよ。...家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

  • 今日の歌(2024.04.03)

     タンポポ一輪取り残す雑草引き ラインにて友より届く写真には春を分かちて親しみし花今日の歌(2024.04.03)

  • なぜひれ伏しているのか ②(ヨシュア記7章)

     主はヨシュアに告げられた。「立て。なぜ、あなたはひれ伏しているのか。(10) 主はヨシュアに何ゆえにひれ伏しているのかと問われる。それは天地創造の神を恐れる者の絶えざる礼拝なのか、失敗の罰を恐れてなのか、何を得ようとしてなのか・・。ヨシュアは今、訳も分からないままにひれ伏している時ではなく、早急にみこころを行わなければならない。 イスラエルは罪ある者となった。彼らはわたしが命じたわたしの契約を破った。聖絶の物の一部を取り、盗み、欺いて、それを自分のものの中に入れることまでした。(11) アカンの罪は、今やイスラエル全体を汚し主に受け容れられないものとした。イスラエルは神にとって一つの愛の対象であり、リーダーを通しての交わりの対象である。 それゆえ主の命令に背く一人の罪は、全体を汚すパン種の侵入であり、神...なぜひれ伏しているのか②(ヨシュア記7章)

  • なぜひれ伏しているのか ①(ヨシュア記7章)

     主がヨシュアとともにおられたので、彼のうわさはこの地にあまねく広まった。(6:27)しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、主の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。(1) アカンの盗みは主を烈しく怒らせた。主の聖絶を汚したからである。多くの命を奪わなければならないほどの神の聖さを侮ったのである。聖なる神のうちに在るには、完全な従順拠らなければ身を守るものはない。アカンの裏切りは、イスラエル全体を汚して主の怒りをかってしまった。 キリストを信じている者には、過去、現在、未来すべての失敗や罪を、御子キリストが十字架で贖ってくださった故に、信頼する者に神との平和と永遠のいのちを頂いているの...なぜひれ伏しているのか①(ヨシュア記7章)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ④(ヨシュア記6章)

     七周目に祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげよ。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。この町とその中にあるすべてのものは主のために聖絶せよ。遊女ラハブと、その家にともにいる者たちだけは、みな生かしておけ。彼女は私たちが送った使いたちをかくまってくれたからだ。」(16~17) 町が、主に従うイスラエルのときの声を聞いたとき、彼らの命は終わった。この町が謙って命を乞うための六日間は終わった。彼らはみな角笛の音を聞いていたのに、命を守るために何もしなかった。聖絶は突然の不幸ではない。 子供は親が守らなければ生きられない。親には家族を守る責任があり、ラハブはその熱心によって家族の命を守った。この世でどんなに良い生き方をしていても、命の主に対して傲慢になり、刻々と失わ...みことばの愚かさに在る祝福④(ヨシュア記6章)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ③(ヨシュア記6章)

     翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱を担いだ。七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って主の箱の前を進み、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは、彼らの先頭に立って行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら主の箱のうしろを進んだ。(12~13) 主に在って働く者は、みな主をほめたたえる喜びに満ちて、朝早く起き出して来てみこころを行う。此処に勇ましいときの声はまだ無く、ただ、主の臨在を知らせる角笛を聞きつつ進んだ。 彼らは二日目も町の周りを一周回り、宿営に帰った。六日間そのようにした。(14) 黙々と町囲いを回るだけの従順は、リーダーを信頼してのことである。ヨルダン川を渡って、ヨシュアに居られる主を経験してのことである。敵を目前にして歩くだけの六日間は、主に魂を平伏させる訓練の時であり、みことばに殉じて自身...みことばの愚かさに在る祝福③(ヨシュア記6章)

  • 今日の歌(2024.03.26)

      鈍色の雨降り止まぬ今日なれば椿の花も葉陰に沈む  長々と雨止まぬ刻如何に生く光見ぬ日の命重たく今日の歌(2024.03.26)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ②(ヨシュア記6章)

      祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたら、民はみな大声でときの声をあげよ。そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民はそれぞれ、まっすぐに攻め上れ。」(5) 主がヨシュアに告げられた勝利の計画は、難しいことではなく幼子にも出来ることであった。キリスト者は聖書と聖霊によって状況の良い時も悪い時も、永遠のいのちに至る勝利をたまわっている。ご真実な神は出来ないことを命じることは決してない。人の出来ない困難のすべては、キリストが十字架で負ってくださったゆえに、主のくびきは負いやすいのである。 ヌンの子ヨシュアは祭司たちに呼びかけた。「契約の箱を担ぎなさい。七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を持ち、主の箱の前を進みなさい。」(6) 祭司の役割は民の前で、主を頂いて喜びほめたたえることである...みことばの愚かさに在る祝福②(ヨシュア記6章)

  • みことばの愚かさに在る祝福①(ヨシュア記6章)

     エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった。(1) エリコは、イスラエルを恐れて門を堅く閉ざしていた。彼らの恐れはイスラエルの神の御わざを聞いていたからである。門を打ち壊して入って来る敵に向かって一斉に迎え撃つことは、それほど困難とは思えなかったのだろう。 彼らが本当に神を恐れることを知っていたなら、門を開けて降伏し命を求めただろう。神に勝利する戦略ではなく、創造主を悟り、命を願い求める謙遜があれば滅びなかったであろう。ラハブはそのようにして家族ぐるみで命を得たのだ。 それゆえ先に救われた者は、世に向かって神が愛であることを知らせ、一人でも多くの人が聖霊の助けの中で謙遜にされて、天地の創造主である神を悟り、永遠のいのちの救いに与られますようにと祈るのである。 主はヨシュア...みことばの愚かさに在る祝福①(ヨシュア記6章)

  • 今日の歌(2024.03.21)

     春の雪朝日に舞いて風に消ゆ 春うらら角を曲がりてシャボン玉今日の歌(2024.03.21)

  • 今日の歌(2024.03.20)

     春キャベツ甘く優しく口に消ゆ 風止みて雨が留めの窓の外花は諦めつくねんと座す今日の歌(2024.03.20)

  • あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)

     イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕暮、エリコの平野で過越の祭を行った。そして過越の祭の翌日、その地の穀物、すなわち種入れぬパンおよびいり麦を、その日に食べたが、その地の穀物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエルの人々は、もはやマナを獲なかった。その年はカナンの地の産物を食べた。(10~12) 恐れによって神の選びの地を拒絶した荒野の40年間、主はイスラエルの民を天からマナを降らせて養われた。ヨルダン川を渡って備えの地に辿り着くまで、不従順の民を養い守ってくださったのである。 今も、天地創造の神を受け容れない人々であっても、神の恵みを受けずに生きているわけではない。空気やあらゆる地の産物のすべて、命のための神の備えによって万物は生かされているのである。 天地の絶妙の...あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)

  • ヨシュア自ら割礼を施す忠実(ヨシュア記5章)

     ヨルダン川の反対側、すなわち西側にいるアモリ人のすべての王たちと、海沿いにいるカナン人のすべての王たちは、主がイスラエル人の前で、彼らが渡り終えるまでヨルダン川の水を涸らしたことを聞くと、心が萎え、イスラエル人のゆえに気力を失ってしまった。(1) イスラエルの為になされた神のわざは、ラハブたち異邦人にも力ある神の存在を知らせていた。キリスト者が人々に責められている時、天地創造の力ある神が味方であることを証してくださる。恐れることなく弱さを曝らすことは、そこにある主の助けを世が見る時ともなる。私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。(1コリント2:4) 弱さを持っている者が主に信頼してみことばに従い、問題だらけの世で平安に生きることは、それだけ...ヨシュア自ら割礼を施す忠実(ヨシュア記5章)

  • 聴いたことばにとどまり続ける勤め ②(ヨシュア記4章)

     イスラエルの子らはヨシュアが命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたとおり、イスラエルの部族の数に合わせて、ヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、宿営地に携えて行って、そこに据えた。(8) ヨシュアにイスラエルの民が従順したのは、主に信頼して命じたことばの通りが、目の前に現れて足で神のわざを経験したからである。主を経験した者はみことばに従順することが易しくなる。主が折々に御わざを見せてくださるのは、人の弱さをご存じだからであり、神の御わざを経験させて下さる時に、人は主が共に居てくださることを見る。 これらの十二の石はヨルダン川の真ん中で、契約の箱を担いだ祭司たちが足をとどめた場所にあったもので、ヨシュアがそれらを積み上げたのである。それらは今日までそこにある。箱を担ぐ祭司たちは、民に告げるようにと主...聴いたことばにとどまり続ける勤め②(ヨシュア記4章)

  • 聴いたことばにとどまり続ける勤め ①(ヨシュア記4章)

     民全員がヨルダン川を渡り終えると、主はヨシュアに告げられた。「民の中から部族ごとに一人ずつ十二人を取り、その者たちに命じよ。『ヨルダン川の真ん中、祭司たちが足をしっかりととどめたその場所から十二の石を取り、それらを携えて渡り、あなたがたが今夜泊まる宿営地に据えよ。』」(1~3) 契約の箱を担いで二千キュピト先立ってヨルダン川に入った祭司は、民のすべてが渡り終え、主の御用が完了するまで川の真ん中に立ち続けていた。聖さを保つための二千キュピトの距離は、神の奇跡の中では一つとなり袖触れあって民を川底から逃れさせ、御計画のすべて終えるまで御わざのうちに留まる。 此処に、ヨシュアの言葉の通りの主の御わざを見て育てられた祭司の信仰がある。流れの中に一瞬足を入れるだけの信仰なら可能かもしれない、しかしすべてが成される...聴いたことばにとどまり続ける勤め①(ヨシュア記4章)

  • みことばを語り主を経験させるリーダー(ヨシュア記3章)

     主はヨシュアに告げられた。「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたを大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」(7~8) 主はヨシュアにヨルダン川が乾いて道が出来ることを伝え、聴いたヨシュアがみことばを確信する平安は、主がともにおられることによる現れである。 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。今、部族ごとに一人ずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰と...みことばを語り主を経験させるリーダー(ヨシュア記3章)

  • 今日の歌(2024.03..07)

     タンポポの元気貰って回り道 一目ぼれ手て噛む鰯フライにし大根コトコト夕餉の善今日の歌(2024.03..07)

  • 聖なる血の赤は救いの色(ヨシュア記2章)

     見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。(18) ノアの家族もみことばに従って箱舟に入ったことで救われた。家族が命を得たほどの善行とはみことばに留まったことである。ロトの家族も、ロトと共にみことばに従った者は救われた。主は家族ぐるみで救いを備えてくださる。それは神が家族が引き裂かれる悲しみをご存じだからである。 神は、愛するひとり子イエスを十字架に掛けるために、地に下して滅びゆく人類を救ってくださった。それゆえ、家族が引き裂かれる悲しみは誰よりもご存じなのである。 あなたの家の戸口から外に出る者がいれば、その人の血はその人自身の頭上に降りかかり、私たちに罪はありませ...聖なる血の赤は救いの色(ヨシュア記2章)

  • いのちを求める熱心(ヨシュア記2章)

     エリコの王はラハブのところに人を遣わして言った。「おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」ところが、彼女はその二人をかくまって言った。「そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私は知りません。(3~4) 主に信頼して行動するなら恐れることはない。彼女は、今神が味方であることを知っているのだ。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 彼女は二人を屋上へ上がらせ、屋上に積んであった亜麻の茎の中におおい隠していた。(6)彼女の知恵は神から出た知恵である。ただ、咄嗟に彼女が彼らを助けたのは、彼女が主を知っていたからである。彼女は町の情報も得ていたが、事が起こったときに...いのちを求める熱心(ヨシュア記2章)

  • ラハブによってボアズを生み(ヨシュア記2章)

     ヌンの子ヨシュアは、シティムから、ひそかに二人の者を偵察として遣わして言った。「さあ、あの地とエリコを見て来なさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。(1) 「なぜ遊女の家なのか?」「主のお導きだから」ただ、それだけなのだろう。御声に導かれるままに在るなら、何処であろうと身を守ることが出来る。人を恐れて躊躇するなら、永遠のいのちを失うことになる。主がラハブに良い計画をもっておられたのだ。彼女が遊女であることによっても変わることの無い計画である。ラハブは主に応答するようにして、命を惜しまず偵察の二人を守った。 イエス・キリストの系図が記されていて、始めて新約聖書を開いた時、冒頭の馴染まぬ名前の羅列に、聖書というものの意味のわからなさを思う。しかし、めげずに聖書を読んで行くとき...ラハブによってボアズを生み(ヨシュア記2章)

  • 今日の歌(2024.03.02)

     寒風に負けぬ椿の赤嬉し 軒の端にチュンチュン並びご挨拶子育てします仲良くしてね 「ちょっと待って、ちょっと待って・・困るよ~」今日の歌(2024.03.02)

  • あなたの前に立ちはだかる者はいない② (ヨシュア記1章)

     ヨシュアは民のつかさたちに命じた。「宿営の中を巡って、民に命じなさい。『食糧を準備しなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡るからだ。あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、あなたがたは進むのだ。』」(10~11) みことばを聴いたなら自分を忘れて、すぐに行うことが従順である。アブラハムが御声に従ってイサクを捧げる時、息子を愛することさえ忘れて朝早く山に登って行った。もし、自分を少しでも心配するなら従順のタイミングは失われてしまうのだ。それは神に信頼しなかったからであり、一番に愛しなかったからである。 創造主なる神への従順は盲目的であって良い。命じられた方は造り主なのだから当然なのである。一体被造物がどうやって造り主のことばを判断することが出来るだ...あなたの前に立ちはだかる者はいない②(ヨシュア記1章)

  • 今日の歌(2024.02.28)

     春近し朝日に駆けるランドセル 満月を夜半に目覚めて眺むれど光冷たく床に飛び込む今日の歌(2024.02.28)

  • あなたの前に立ちはだかる者はいない① (ヨシュア記1章)

     主のしもべモーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。(1~3) 自分はモーセのようではないと躊躇するなら主に喜ばれない。主が喜ばれるのは、呼ばれたなら命じられた座に着き聴いたことばの通りに行う者である。ヨシュアは主が選ばれた者。御声に聴き従うことで必要のすべてを備えられ、主に拠って神の計画を全うさせられる。モーセがそうであったように。モーセは主と一つとなるほどに従順であった。主の御声を聴き取り、みこころを察して民を主に執り成し続けたからである。...あなたの前に立ちはだかる者はいない①(ヨシュア記1章)

  • モーセの手(申命記34章)

     モーセはモアブの草原からネボ山、すなわち、エリコの向かいにあるピスガの頂に登った。主は彼に次の全地方をお見せになった。ギルアデをダンまで、(1)  主はモーセに彼の民の将来の祝福を語らせ、主ご自身が彼の目に見せられた。役割を終えたモーセが見たものは、彼の働きの実である。彼自身がその地を味わうことは無いけれど、そこには確かに彼が主と共に働いた祝福が広がっていたのだ。 今は聖書に永遠の未来が記されてあり、キリストを信じる者にはみことばの約束である永遠を、体の死を通って辿り着く祝福を知ることができる。 そして主は彼に言われた。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」こうしてその場所で、主...モーセの手(申命記34章)

  • 今日の歌(2024.02.24)

     雪便り雑草摘む手止めて聞き 時を経たわずかなシャネル甘き香が言葉の傷の瘡蓋を剥ぐ今日の歌(2024.02.24)

  • 強盗

     そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。(マタイ27:38)イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。(マタイ27:44) 十字架の強盗たちは、群衆と同じようにイエスを罵っていた。群衆はイエスが自分たちの思い通りにならなかったので罵ったのだろうが、強盗たちがイエスを罵った理由も、自分たちの思い通りではなかったことで罵った、人は強盗になって処刑されていても自分の正しさを主張する。 群衆は彼らの義によってイエス・キリストを裁き罵った。強盗たちは、イエスが神と言われながらおめおめと十字架に掛かっている様を罵ったのだろう。「神なら自分を救えと・・」 しかし一人は、イエスが苦しみの中で、自分を殺す者を神に執り成す祈りを聴いたのだ。イエス...強盗

  • 主はあなたを造った父ではないか(申命記32章)

     「天よ、耳を傾けよ。私は語ろう。地よ、聞け。私の口のことばを。私のおしえは雨のように下り、私のことばは露のように滴る。若草の上の小雨のように。青草の上の夕立のように。まことに私は主の御名を告げ知らせる。栄光を私たちの神に帰せよ。」(1~3) モーセに対してつぶやき続けた民に、神はモーセが神の子であることを証しする歌を、歌わせているような章である。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。(ローマ8:16) 「自分の汚れで主との交わりを損なう」(5)汚れはみことばを真っ直ぐに受け容れることなく、人の理屈を持ち込んで、みことばを割り引いたり、付け足したりして捻じ曲げる汚れである。それは神の子のすることではない。聖霊に聴いたことばをそのまま信じないなら、神との関係の...主はあなたを造った父ではないか(申命記32章)

  • 今日の歌(2024.02.17)

     三重菜花ほろりと苦き夕餉なり はやにえのヤモリじゃんけんパーばかりカンピンタンの小さなパーよ今日の歌(2024.02.17)

  • 大切な今日という時(申命記31章)

     主はモーセに言われた。「今や、あなたの死ぬ日が近づいている。ヨシュアを呼び寄せ、あなたがたは会見の天幕に立て。わたしは彼に命令を下そう。」モーセとヨシュアは行って、会見の天幕に立った。(14) モーセに残された時間が差し迫っていた。彼は主の命じられることをすべて成し遂げなければならない。彼には自分のことを心配する時間はなかったろう。しかし、命の終わりまでみことばに集中できるとは、神を信じる者にとってこれ以上ない幸いである。 主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。(8) もし死が、信頼する神との別れならどれほどの恐怖であろう。しかし、主が共におられることを知っているなら、主に従って働く今日と変わらな...大切な今日という時(申命記31章)

  • 罰に代えてたまわる祝福②(申命記31章)

     それからモーセはヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの目の前で彼に言った。「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の父祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。(7) モーセは民の前でヨシュアを励まし、神はすでにモーセではなくヨシュアを選ばれてあることをはっきりと語った。ヨシュアは神の選びであり、その選びはモーセの関知することではない。主の民のリーダーの交代は、それが神の選びであることをはっきりとさせることが、何よりも重要なことである。神の民を守るのは主であるから。 主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。(8) リーダーが誰であるかが重要では...罰に代えてたまわる祝福②(申命記31章)

  • 今日の歌(2024.02.12)

     春まだきギラリと光る鎌の月 キラキラと窓辺光りて飛び出せど風吹く野辺の春はまだまだ今日の歌(2024.02.12)

  • 罰に代えてたまわる祝福①(申命記31章)

     主は、主が根絶やしにした、アモリ人の王シホンとオグおよび彼らの国に対して行ったように、彼らに対しても行われる。主は彼らをあなたがたに渡される。あなたがたは、私が命じたすべての命令どおり、彼らに行わなければならない。(4~5) 神の命令通りに行うときは、神の義によって働くのである。神は生かす者と滅びる者を分ける。主を恐れることを学び、主に聴き従て救いを受けなければならない。神が分けるのは滅ぼさずに生かすためである。 それには愛する御子イエスの血が支払われることになる。イエスの血はすべての人の罪の代価として、唯一罪の無い人の血が支払われたのである。滅びる者はそのキリストを拒絶しているのである。 主の命令に聴き従って生きるために、モーセは主がヨシュアに告げられたことを語る。この言葉を聴いた民は、主に従うように...罰に代えてたまわる祝福①(申命記31章)

  • 主との関係にあって罰さえも平安②(申命記31章)

     あなたの神、主ご自身があなたに先立って渡って行き、この方があなたの前からこれらの国々を根絶やしにされ、あなたはこれらを占領する。ヨシュアが、主が告げられたように、あなたに先立って渡るのだ。(3) モーセが最も伝えたいことは、ヨシュアが主に告げられて民に先立つことである。モーセを失った民の平安のために主のご計画を伝えた。 神が「国々を根絶やしにされる」このみことばに人は激しく抵抗する。神に逆らうのは悪を行った時よりも、人の正しさに拠ることの方が根深い。正義をかざす者が悔い改めの出口を見出すことは、聖霊の介入なしには不可能である。 サタンが、なぜエバに善と悪を知り賢くなる木の実を勧めたのか、人に自分で善と悪を判断する賢さを与えたのか、此処にサタンの恐ろしい知恵を見ることが出来る。 禁断の実を食べたときから、...主との関係にあって罰さえも平安②(申命記31章)

  • 主に信頼して罰さえも平安 ①(申命記31章)

     モーセは行って、次のことばをイスラエル全体に告げて、彼らに向かって言った。「私は今日、百二十歳だ。もう出入りすることができない。主は私に「あなたはこのヨルダン川を渡ることはできない」と言われた。(1~2) モーセはこの日が決して動かないことを覚えて、主のご計画を正確に民に伝えた。彼は明日のことを主に差し出して命を委ねており、今は、民にある主のご計画、ヨシュアをリーダーとしてヨルダン川を渡って行く旅を励まし、彼らの将来を伝える。 それは彼が老いて弱ったからではなく、彼の目も足も衰えてはいなかった。彼がメリバで、主の命令に従って岩に命じて水を出すことをせず、過去の経験に依って岩を打ったことにより、約束の地に入ることを許されずこの地に命を終える。 彼はそれまで民のことを執り成して、主に交渉出来る関係を築いて来...主に信頼して罰さえも平安①(申命記31章)

  • 今日の歌(2024.02.04)

     「帰って来て」友のラインに笑いつつ終の棲家の床磨きおり 石斛を挟んで交わすお交わり亡き夫(つま)共に語る心地す今日の歌(2024.02.04)

  • 主にある者の自由(ダニエル3章)

     ネブカドネツァル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に建てた。(1) 2章の終わりで王は神をほめたたえて、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は知者をつかさどる長官とされた。彼らは奴隷として連れて来られた国で安泰を得たかのようであったが、それは彼らの信仰が試されるための罠のようであった。 王は偶像を造って全ての人に拝むことを命じた。これはまさに人の世である。世の安泰はいつ反転するか分からない。世を支配しているのは、永遠に変わることの無い神ではないからである。王は一時は神をほめたたえたが彼の信仰とはならず、すぐに忘れ去って偶像を作り自分自身を神とした。 「ひれ伏して拝まない者はだれでも、即刻、火の燃える炉に投げ込まれる。」それで、すべ...主にある者の自由(ダニエル3章)

  • 全能の神が共に居てくださる(申命記30章)

     まことに、私が今日あなたに命じるこの命令は、あなたにとって難しすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。これは天にあるわけではないので、「だれが私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちが行えるように聞かせてくれるのか」と言わなくてよい。(11~12) キリストに拠って救われた者のうちには三位一体の神がおられる。まことにこれこそ驚天動地の奇跡である。聖なる神が未だ肉を纏っている人のうちに住んでおられるとは! このことはキリストの十字架が、信じる者にとってどれほどに力ある御わざであるかを現わしている。過去、現在、未来の罪が神の御前に完全に贖われている証である。残念なのは人が罪に対して鈍感であるように、聖に対しても鈍感ゆえに、自分の中に起っている奇跡に気づかないことである。みことばから知ることが...全能の神が共に居てくださる(申命記30章)

  • 神と働いたアダムのように(申命記30章)

     私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことがあなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたが我に返り、(1) 苦難や災いは人が我に返って神の御前に静まり、謙遜にみことばを思い出すことによって、残り少ない命をみこころに用いるようになる。人はすべてが上手く行っている時、自分の正しさに確信を抱き続ける弱さを持っているからである。神の祝福の中で主をほめたたえ、たまわった赦しと憐みの主を語り続けるのである。 あなたの神、主に立ち返り、私が今日あなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、いのちを尽くし、御声に聞き従うなら、あなたの神、主はあなたを元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主があなたを散らした先の、あらゆる民の中から、再びあなた...神と働いたアダムのように(申命記30章)

  • 「永遠のいのち」を求めて

     神の御子であるイエス・キリストによって、罪の結果である死から救われた者は、約束のみことばに留まる信仰によって永遠に生きるいのちとされた。キリストの御救いに与ることなく永遠に生き続けるとしたら、それは終わりのない刑罰である。罪から発するあらゆる問題の中で、最後の逃げ道を閉ざされるのだから。 それゆえ神は罪を知ったアダムたちが、「いのちの木の実」を食べることがないように、園から追い出された。キリストの十字架によって罪をあがなわれ神の子とされた者が、世の働きを全うして肉体の死を通過すると、まったく新しい霊のからだを着せられて、主の御許で永遠のいのちを生きるようになる。 彼らが死ぬことは、もうあり得ないからです。彼らは御使いのようであり、復活の子として神の子なのです。(ルカ20:36) 死を経ずに携挙の恵みに与...「永遠のいのち」を求めて

  • 神の祝福とのろいの誓い(申命記29章)

     先に主があなたに約束されたように、またあなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、今日あなたを立ててご自分の民とし、またご自分があなたの神となられるためである。(13) 主の祝福の契約とのろいの誓いはセットである。神の愛は民の純粋で裏切らない愛によって、滅びることのないいのちを得ることを求められた。愛は温かい血の通った関係を求めるものであり、それは神の愛の真実によることである。 今日ここで私たちの神、主の前に私たちとともに立っている者たちとも、今日、私たちとともにここにはいない者たちとも結ぶのである。(15) この契約は子孫にも働くものであり、やがてキリストによって一つとされる異邦人にも働くものである。主が愛のゆえに結ばれた契約の基本は、「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならな...神の祝福とのろいの誓い(申命記29章)

  • 今日の歌(2024.01.23)

     特売を仕込みて軽し背の荷物 遠回り風と戯る買い出しの菜とヒレ肉は息子の好み今日の歌(2024.01.23)

  • 荒野の40年を守る神(申命記29章)

     モーセはイスラエルをみな呼び寄せて言った。あなたがたは、エジプトの地で、ファラオとそのすべての家臣たちとその全土に対して、主があなたがたの目の前でなさったことをことごとく見た。すなわち、あなたが自分の目で見たあの大きな試み、あの大きなしるしと不思議である。(2~3) イスラエルの民がエジプトを脱出した時のような、恐るべき神の数々の奇跡を今世界が見たとしても、いっせいに悔い改めて真の神に立ち返ることはないだろう。イスラエルの民と同じように、しばらくは恐れて聞き従おうとしても、結局その記憶は日々の必要の中に埋没して行き、あらゆる理屈を並べたてて何も見なかったかのように、それぞれの信じたいものを信じ、自分の生きたいように生きるのだろう。見ただけでは自分の経験とはならず、聞いただけでもそれが「私になんの関係があ...荒野の40年を守る神(申命記29章)

  • 今日の歌(2024.01.18)

     日記帳忙しき日々は真っ白け あけぼのの一分毎の早まりをスマホに空に見るは嬉しき今日の歌(2024.01.18)

  • キリストの身丈にまで達する信仰を求めて

     「わたしは生きている──神である主のことば──。わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」(エゼキエル33:11)  神抜きの正義は罪である。如何なる理由があろうとも、人は「先立つみことば」の正義を求めなければならない。サタンは肉を刺激して正義を焚きつける。戦争はいつもそのようにして始まる。「悪の限りを尽くそう」と戦争を始める国はなく、みな自分たちの正義を翳す。神抜きの正義は悪魔の罠であり、彼らは巧みに物事の本質をすり替えて、信頼するべき神の正義から目を背けさせる。 不信仰な場に集まって結束することは、信仰によって集まることよりもはるかに易しくその結束は堅い。其処ではキリスト...キリストの身丈にまで達する信仰を求めて

  • あなたがたも同じように滅びる(ルカ13章)

     ちょうどそのとき、人々が何人かやって来て、ピラトがガリラヤ人たちの血を、ガリラヤ人たちが献げるいけにえに混ぜた、とイエスに報告した。イエスは彼らに言われた。「そのガリラヤ人たちは、そのような災難にあったのだから、ほかのすべてのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったと思いますか。そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。(1~3) イエスはガリラヤ人が滅んだのと同じ罪を、あなたがたも持っていると指摘された。自分たちには彼らのような罪は無く、滅びることも無いと思っていたからである。罪の自覚がない人には、神が準備してくださったキリストの救いも届かないからである。 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも多く、罪...あなたがたも同じように滅びる(ルカ13章)

  • 今日の歌(2024.01.13)

     待ちかねしチューリップ今お芽出とう! 朝日射す休日ならの朝食はフレンチトースト心に優し カーテンを引けば光が零れ出るこれぞ嬉しきイエスの祝福今日の歌(2024.01.13)

  • 主に身を避けて益となる(申命記28章)

     これらすべてののろいが、あなたに臨み、あなたを追いかけ、あなたに追いつき、ついにあなたは根絶やしにされる。あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、主が命じられた命令と掟を守らなかったからである。(45) 如何なる人もイエス・キリストの十字架によるあがないを、自分の罪の故であると感謝をもって受け取り、救い主を礼拝して神との関係が修復されなければ、永遠に滅びるのである。 人は罪によって創造主を恐れて避けるようになり、生かすためのみことばを喜んで聴いて、従うということをしなくなった。そのことに拠って神の愛に満ち足りる平安を失い、安息する場を失ってしまったのである。 万能の神が無力な赤子として地に下り、命をもって罪の代価を支払ってくださった。そのような神の愛を現わすキリストを無視するなら、イスラエル人であろ...主に身を避けて益となる(申命記28章)

  • 神の怒りと悲しみ(申命記28章)

     もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。(15~16) 「神のすべての命令と掟」を自分の力で守れる者はいない。それゆえ神の呪いに身を任せよということなら、神はこのような命令を出す必要はない。放って置くだけでわずかな時の間に滅ぶ命だからである。人が出来ない者であることを悟って叫ぶ声を待っておられるのである。創造主を神として礼拝し救いを求め、応答する信頼関係によって深まる交わりのために・・。それゆえ、ひとり子の神による救いをすべての初めに計画してくださった。その救いはイスラエル人にも異邦人にも、地にある全人類の罪を贖うに充分な備えである。 あ...神の怒りと悲しみ(申命記28章)

  • 思いもつかないほどの祝福(申命記28章)

     あなたが、あなたの神、主の命令を守り主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたをご自分の聖なる民として立ててくださる。(9) 天地創造の神を信じている者に神の一方的な祝福がある。彼らは主に信頼してみことばを聴き、たまわった命によって聴いたことを行う。ご真実な主が一人ひとりに相応しく必要を備えてくださってあるから、主に信頼しているなら誰でも出来ることである。 みことばを聴き続けているなら、それを行うことも自然な流れであり、聞くばかりということは、聞き流してみことばが留まっておらず、応答が無い所には関係が育つこともない。信頼関係なければ教えを受けて成長することはなく、自分自身を主に委ねて働く力も、そこにある平安も経験せずに、祝福の年月を空しく過ぎ去らせるのである。 地上のあらゆる民はあなたに主の名...思いもつかないほどの祝福(申命記28章)

  • 新年のご挨拶を申し上げます。

     旧年中は拙いブログを尋ね励ましてくださいましたことを感謝いたします。2024年がどのような年になるのか、神ならぬ身には知る由もありませんが、天地創造の神に祈ることが、キリスト・イエスに拠って、如何なる時も守られていることに深い平安を覚えます。世に混迷が深まるほどに、キリストの平安こそ何よりの生きる力となります。2024年もどうぞ宜しくお願い致します。 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。(ヨハネ14:27)新年のご挨拶を申し上げます。

  • 詩篇9編

     主よ立ち上がり人間が勝ち誇らないようにしてください。国々が御前でさばかれますようにしてください。主よ彼らに恐れを起こさせ国々に思い知らせてください。自らが人間にすぎないことを。セラ(19~20)詩篇9編

  • 今日の歌(2023.12.30)

     水仙の香り立つ夜はふと寂し ストーブでことこと炊けず戸惑いの自前のおせちもう退け時ぞ今日の歌(2023.12.30)

  • 祝福(申命記28章)

     もし、あなたが、あなたの神、主の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。(1) この条件を満たすことが出来る人は一人もいない。完全にみことばに従うことも、完全にすべての命令を行うことも人間には出来ない。ただ選ばれた者だけが、主の忍耐のうちに働くことが出来た。 しかし今は、人となられたイエス・キリストによって、神のすべての条件は満たされている。キリストが人類の代表として不足のすべてを満たしてくださったからである。 あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。あなたは町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。(2~3) キリストのうちに留まる者は、神の...祝福(申命記28章)

  • 今日の歌(2023.12.26)

     山茶花の借景に窓燃ゆる午後蕪剥きてとろりと煮たるひと椀は師走の焦りほっこり癒やし今日の歌(2023.12.26)

  • 正しいことのゆえに彼は生きる(エゼキエル18章)

     罪を犯したたましいが死ぬのであり、子は父の咎について負い目がなく、父も子の咎について負い目がない。正しい人の義はその人の上にあり、悪しき者の悪はその者の上にある。(20) 父の咎によって子が死ぬことは無く、子の咎によっても父が負い目を負わないと、処罰の限界を定められてあることは、生かす神の愛によることである。 しかし、悪しき者でも、自分が犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべての掟を守り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きる。死ぬことはない。(21) 愛によって人を創造された神は、人が罪を知って反抗する者となり神を避けるようになった時も、その御愛は変わらずクリスマスを計画してくださった。生かす創造主から切り離された魂は、わずかな命の間に滅びて行くものだからである。それは、時に自分たちの思いのままに...正しいことのゆえに彼は生きる(エゼキエル18章)

  • 今日の歌(2023.12.23)

     月白く冬枯れの道向かい風 太陽と北風鬩ぐウオーキング日を仰ぎ見て勝利のサイン鬩ぐ(せめぐ)今日の歌(2023.12.23)

  • 「アーメン」と言いなさい(申命記27章)

     モーセとレビ人の祭司たちはイスラエル全体に告げた。「イスラエルよ、静まって聞きなさい。今日あなたは、あなたの神、主の民となった。あなたの神、主の御声に聞き従い、私が今日あなたに命じる主の命令と掟を行いなさい。」(9~10) 「今日あなたは、あなたの神、主の民となった」とある。昨日までは主の民ではなかったのか。主はあれほどに面倒見てくださったのに・・。主がどれほど良くして下さっても、聴き従うことが無い者とどのよな関係を築くことが出来るであろう。応答しない一方通行の愛は片思いであって信頼関係は生まれない。主の民であることは、主に聴き従う時に生まれる関係なのである。今日主の民となったのは、今日聴き従うことが始まるからである。 その日モーセは民に命じた。あなたがたがヨルダン川を渡ったとき、次の者たちは、民を祝福...「アーメン」と言いなさい(申命記27章)

  • 今日の歌(2023.12.20)

     冬日受け吉野から来た立ち話 花を誉め相槌をもて迎らる団子屋さんも教えられたり今日の歌(2023.12.20)

  • ちょっと切ないクリスマス

     この季節になると教会のクリスマス祝会で、わいわいとカーテンを被って博士を演じ、軽妙な司会に笑いころげ、楽しく語り合ってご馳走を頂いたことなどを思い出す。クリスマスの日程が決まると、私はチラシを作ってご近所から始めて出来る限りの範囲配って歩いた。「クルシミマスだ・・」なんて冗談を言いながらも、せわしい家事の合間に走り回った。ただ、ただ、嬉しくて張り切っていた。 しかし・・祝会が終わるとツリーは手早く片付けられ、会堂の装いは元旦を迎えるために切り替えられる。そうして喜びは世のクリスマスと同じように過ぎ去って行き、もう誰もクリスマスを語らなくなる。クリスマスの喜びはクリスチャンにも過行くものなのか・・調子を合わせながらも、心の奥に何とも言えない違和感を覚えるようになって行った。家にもクリスマス飾りはなくなり、...ちょっと切ないクリスマス

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