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修理はpcに問題がないことを確認して、システムの問題でもないことも分かり、結局家の中のにある、一つの機器が傷を受けたことを発見して回復させることが出来た。それが微妙な傷であったので一部が働いていたのだとのことであった。そういうことでpcが復活した昨夜、31日に準備していた記事を取り合えずUPした。息子は考え方を変えてみるということ経験したと言い、私は自分の言動を振り返って、具体的な愛の欠けや怠慢の指摘を受ける時となった。 回復が与えられたことを感謝しつつ、たまわっている時間を大切に用いたいと改めて思わされた。私の中にある多くの傷は、何かを切り捨てて逃げ腰になったり、いつの間にか思い上がったりさせるものだけれど、イエスさまが共にいてくださることには大きな望みがあるから。小さな傷の大きな障壁(2024.06.02)
それぞれの人に与えれた“時間”は、平等か不平等か?そんなことを過去のブログを読み返しながら、ふと考えてみた。 僕がこのブログを書きはじめて、一年が経った。 この一年間は、僕にとってそれまでの数年間に相当する密度を感じられた。その濃い密度をもたらしてくれたのは、間違いなく断酒が影響している。そんなことを考えているうちに、時間の平等、不平等ということに考えが及んだ。 そして、“少なくとも僕にとっては平等”という答えに行き着く。 酒を浴びるほど飲み、鬱々と感じながらもあっという間に過ぎ去った時間も、新しいことや気付きにたくさん出会う事ができたこの1年間も、僕にとっては平等に訪れている。この感覚は、上…