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「わたしは生きている──神である主のことば──。わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」(エゼキエル33:11) 神抜きの正義は罪である。如何なる理由があろうとも、人は「先立つみことば」の正義を求めなければならない。サタンは肉を刺激して正義を焚きつける。戦争はいつもそのようにして始まる。「悪の限りを尽くそう」と戦争を始める国はなく、みな自分たちの正義を翳す。神抜きの正義は悪魔の罠であり、彼らは巧みに物事の本質をすり替えて、信頼するべき神の正義から目を背けさせる。 不信仰な場に集まって結束することは、信仰によって集まることよりもはるかに易しくその結束は堅い。其処ではキリスト...キリストの身丈にまで達する信仰を求めて
まさかの出来事 「知らない」ということは恐ろしいことだと痛感した。5月になってすぐ「サービス管理責任者・児童発達支援管理責任者基礎研修」を申し込んだ。将来に備えてのことだ。経済面、健康面、能力面、個性の全てを超越して全ての子どもに学ぶ権利が
モーセの執り成しによって生かされた40年 ①(民数記14章)
すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。(1~2) 夜を徹するこの泣き声は、主の御耳にどのように聞えていたのだろう・・。自己憐憫の泣き声を、御子をたまわるほどの愛の神の御耳に入れる時、ほんとうに衣を引き裂いて灰をかぶりたくなる。 神は彼らの願いを叶えられる。何度奇跡を経験しても、神を恐れることを記憶しない民は、祝福の地を恐れて死ぬことを願ったことで荒野で死ぬ。口に出した言葉が成る。神はすべての言葉を聞いておられ、悔い改めることのない不信仰なことばは事実と成る。 なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるように...モーセの執り成しによって生かされた40年①(民数記14章)