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キリストの贖いを経て、永遠に生きるために与えられる復活のからだは、卑しい肉の体とはまったく違う霊のからだである。肉の体の一部を取って霊のからだとなることなどありえない。 アダムとエバが罪を犯して園を追われた時に、神は肉の体に皮の衣を準備してくださったように、天に召されると霊に着せる衣も備えてくださるのである。 肉の体の再生によって霊のからだが造られるなどということは、罪を知っている体は滅びるものであり、役割を終えて地の塵に返るものである。 たとえミイラにして保存してもそれは死んでおり、罪のゆえに土に返るべき骨から霊のからだが造られると考えるのは、あまりにも霊と肉の違いを知らなさすぎて、それは、猿から人間が出来る以上に滑稽な話である。 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(ヨハ...霊のからだと肉の体