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救われた者は失敗を悔いるために吐いたものを覗きに戻ることはなく、何処から救われたかは決して忘れることはない。しかし、ペテロは二度と主を否むことはなく、また事実を悔やむこともしない。 人は、創造主なる神を蔑ろにした罪は何一つ覚えてはおらず、すべての罪を悔い改めることは不可能である。神と断絶させるその罪は、キリストが十字架の上で御父に見捨てられて、人知れずに贖ってくださったことである。それゆえ今「アバ父」と御名を呼び、罪を未だ知らない幼子のように御許に安らぐことを得たのである。 主の憐みにあって赦され、キリストの復活と言う神の備えによって新しくされ、今や神の子の光栄を抱いて生きており、罪の記憶は神が忘れてくださったと同時に遠いものとなったのである。 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者...炎のバプテスマによる復活のいのち