メインカテゴリーを選択しなおす
だから、イスラエルの子らは敵の前に立つことができず、敵の前に背を見せたのだ。彼らが聖絶の者となったからである。あなたがたの中から、その聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。(12) 主はヨシュアに、今イスラエルがどのような立場にあるかを知らされる。アイの戦いには主は居られず、イスラエルが「聖絶のものとなっていた」ことをヨシュアは知った。 世はキリスト者に相応しい所ではなく、サタンが支配を横取りしている世界であって、キリスト者には敵地である。その世に生きる時にキリスト者が最も注意を払うことは、日毎に確認することであって、神が共にいてくださるかということである。 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 立て。民を聖別せよ。...家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)
民全員がヨルダン川を渡り終えると、主はヨシュアに告げられた。「民の中から部族ごとに一人ずつ十二人を取り、その者たちに命じよ。『ヨルダン川の真ん中、祭司たちが足をしっかりととどめたその場所から十二の石を取り、それらを携えて渡り、あなたがたが今夜泊まる宿営地に据えよ。』」(1~3) 契約の箱を担いで二千キュピト先立ってヨルダン川に入った祭司は、民のすべてが渡り終え、主の御用が完了するまで川の真ん中に立ち続けていた。聖さを保つための二千キュピトの距離は、神の奇跡の中では一つとなり袖触れあって民を川底から逃れさせ、御計画のすべて終えるまで御わざのうちに留まる。 此処に、ヨシュアの言葉の通りの主の御わざを見て育てられた祭司の信仰がある。流れの中に一瞬足を入れるだけの信仰なら可能かもしれない、しかしすべてが成される...聴いたことばにとどまり続ける勤め①(ヨシュア記4章)
父が子のために殺されてはならない。子が父のために殺されてはならない。人が殺されるのは自分の罪過のゆえでなければならない。(16) 親が子の責任を負って命をとられることはなく、子が親のために死ぬことも無いのだ。この定めによって罪の報いが家族にまで及ぶことがなく、子孫は神の守りの中に生かされるのである。 復讐が繰り返されることはなく、先祖の罪科によって戦争が繰り返されることさえ防ぐ。神に赦され互いに赦すことによって、共に生きるように定められたのである。 神は罪を受け入れることができない聖なるお方であるが、罪を憎んでも人を憎まず、罪の故に限りある命となり滅びゆく人類を憐れまれた。それゆえ、御子をキリストとして遣わし、罪の完全な贖いを計画してくださったのである。 キリストを信じた者の罪は神には完全に解決されてあ...赦しと憐みの経験(申命記24章)
長期にわたり、施設入居されていた教会員が召されました。 東京大空襲をくぐり抜け、クリスチャンとなって御主人の救いを祈っていらっしゃいました。 未信者のご主人…