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ネブカドネツァル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に建てた。(1) 2章の終わりで王は神をほめたたえて、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は知者をつかさどる長官とされた。彼らは奴隷として連れて来られた国で安泰を得たかのようであったが、それは彼らの信仰が試されるための罠のようであった。 王は偶像を造って全ての人に拝むことを命じた。これはまさに人の世である。世の安泰はいつ反転するか分からない。世を支配しているのは、永遠に変わることの無い神ではないからである。王は一時は神をほめたたえたが彼の信仰とはならず、すぐに忘れ去って偶像を作り自分自身を神とした。 「ひれ伏して拝まない者はだれでも、即刻、火の燃える炉に投げ込まれる。」それで、すべ...主にある者の自由(ダニエル3章)
モーセはイスラエルをみな呼び寄せて言った。あなたがたは、エジプトの地で、ファラオとそのすべての家臣たちとその全土に対して、主があなたがたの目の前でなさったことをことごとく見た。すなわち、あなたが自分の目で見たあの大きな試み、あの大きなしるしと不思議である。(2~3) イスラエルの民がエジプトを脱出した時のような、恐るべき神の数々の奇跡を今世界が見たとしても、いっせいに悔い改めて真の神に立ち返ることはないだろう。イスラエルの民と同じように、しばらくは恐れて聞き従おうとしても、結局その記憶は日々の必要の中に埋没して行き、あらゆる理屈を並べたてて何も見なかったかのように、それぞれの信じたいものを信じ、自分の生きたいように生きるのだろう。見ただけでは自分の経験とはならず、聞いただけでもそれが「私になんの関係があ...荒野の40年を守る神(申命記29章)
イエス・キリストの福音に触れて40年であることに、今朝聖書を開いていて気づいた。友に連れられて、小学3年生の息子と教会を訪ねて一つのみことばに出会い、自力を使い果たしていた親子が生きるための脱出の道を見出した。 弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」(ヨハネ9:2~3) 40年間は子育ての真っ最中であり、経済的にも余裕の無い中で二人の息子の大学の学費、氷河期の中の就職、私の入院、主人の信仰から天に召されるまでの様々な出来事の中で、私はいつも主の眼差しを意識していた。すべての頼みはみことばのみだった。幸いにして人間的に頼...あれから40年
天使の守り 今朝、ある書物を読みながら宗教改革あたりのことを学んでいた。英国における宗教改革である。英国国教会の司祭でもあったジョン。ウェスレーの話を読みながら感動で心が震える気がした。真剣に神様に仕えたいと思って行動していたウェスレーを神
コロナ陽性 今日も職場は朝から慌ただしい。いくつかのことが重なっているからだが一番大きいのは職員にコロナ陽性が出たからである。その職員の昨日の行動を確認しながら濃厚接触者が誰なのかを判断しなくてはならない。そして抗原検査をしているうちに更に