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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

ムベ
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2016/04/03

ムベさんの人気ランキング

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  • 勇者の選択①(ヨシュア記10章)

     エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。(1~2) 此処でギブオンが、何処よりも弱くて戦いを避けたのではないことがわかる。彼らはイスラエルの神を悟り、自分たちの力を正しく計算をしたのである。勇者は自分の力を知る者であり、自身の弱さを弁える者が全能の神を頼っていのちを救うのである。 神は、自分自身を救うことが出来ない弱さのうちに、御子キリストをおくってくださった。キリストが罪に病む者に来てくださったのは、神の愛に...勇者の選択①(ヨシュア記10章)

  • 勇者の選択①(ヨシュア記10章)

    勇者の選択①(ヨシュア記10章)

     エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。(1~2) 此処でギブオンが、何処よりも弱くて戦いを避けたのではないことがわかる。彼らはイスラエルの神を悟り、自分たちの力を正しく計算をしたのである。勇者は自分の力を知る者であり、自身の弱さを弁える者が全能の神を頼っていのちを救うのである。 神は、自分自身を救うことが出来ない弱さのうちに、御子キリストをおくってくださった。キリストが罪に病む者に来てくださったのは、神の愛に...勇者の選択①(ヨシュア記10章)

  • 今日の歌(2024.04.10)

    今日の歌(2024.04.10)

     麦の風穂先さわさわ平和なり 幼き日駆けし畦道麦畑今のんびりと思い出歩む今日の歌(2024.04.10)

  • 神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

    神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

     ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。彼らと盟約を結んでから三日たったとき、人々は彼らが近くの者たちで、自分たちのただ中に住んでいるということを聞いた。(15~16) ヨシュアは見たから誓ったのである。その結果が良かろうと悪かろうと、目で見たことはその場の事であり、誓うことは何時までも続くことなので釣り合わないことをしたのだ。でも、なぜか人は「この目で見たのだから、これほど確かなことは無い」と言うのである。真実はたった三日後に判明する。肉の耳が「聞く」と言うことも、どこまで真実であるか不確かなものであるが、この時は事実を暴露した。それは、初めにヨシュアたちが予想したことであった。 キリスト者には聖霊なる神が霊のうちに居てくださる。しかし、聖霊によ...神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

  • 見える罠(ヨシュア記9章)

    見える罠(ヨシュア記9章)

     ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」(3~4.6) ギブオンの策略は聖絶から生きのびるための唯一の策であり、イスラエルの神を恐れてのことであった。 イスラエルの子らはそのヒビ人たちに言った。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」(7) イスラエルの子らはヒビ人の策略に気づかないわけではなかった。そのことは充分に考えられることであったから。 ...見える罠(ヨシュア記9章)

  • 燃えさし(ゼカリヤ書3章)

    燃えさし(ゼカリヤ書3章)

     主は、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアを私にお見せになった。サタンが彼を訴えようとしてその右手に立っていた。(1) 神の使いの前に引き出されて立っている大祭司ヨシュア。ゼカリヤが見せられた場面は、サタンがヨシュアを裁く裁判であった。 主はサタンに言われた。「サタンよ、主がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめる。この者は、火から取り出した燃えさしではないか。」(2) 神はエルサレムを選ばれたように、ヨシュアもリーダーとして選ばれた。此処に神の権威が存在しており、サタンはヨシュアを選んだ神を訴えているのだ。ヨシュアはきよめの火の中にある者であって、そこから取り出して訴えるのかと、神はサタンの行いを裁かれる。 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前...燃えさし(ゼカリヤ書3章)

  • 今日の歌(2024.04.08)

    今日の歌(2024.04.08)

     ポチポチと芽吹く双葉に花を見る日の近き未来よ 花洗う雨に煙りて静かなりこれも桜よ我も安らう今日の歌(2024.04.08)

  • 恐れてはならない ①(ヨシュア記8章)

    恐れてはならない ①(ヨシュア記8章)

     主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民をすべて率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、わたしはアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。(1) 失敗の後悔の中に閉じこもり、恐れていては従順することは出来ない。主は「恐れてはならない」と言われた。立ち上がる勇気はみことばに信頼するときにたまわる。主はヨシュアにアイを与えたと言われた。それがすべてであり人がどのように変わったかではない。弱さのすべてをご存じの主の備えによって、神の栄光があらわれるのである。 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36) あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。その分捕り物と家畜だけ...恐れてはならない①(ヨシュア記8章)

  • 家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

    家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

     だから、イスラエルの子らは敵の前に立つことができず、敵の前に背を見せたのだ。彼らが聖絶の者となったからである。あなたがたの中から、その聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。(12) 主はヨシュアに、今イスラエルがどのような立場にあるかを知らされる。アイの戦いには主は居られず、イスラエルが「聖絶のものとなっていた」ことをヨシュアは知った。 世はキリスト者に相応しい所ではなく、サタンが支配を横取りしている世界であって、キリスト者には敵地である。その世に生きる時にキリスト者が最も注意を払うことは、日毎に確認することであって、神が共にいてくださるかということである。 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 立て。民を聖別せよ。...家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

  • 今日の歌(2024.04.03)

    今日の歌(2024.04.03)

     タンポポ一輪取り残す雑草引き ラインにて友より届く写真には春を分かちて親しみし花今日の歌(2024.04.03)

  • なぜひれ伏しているのか ②(ヨシュア記7章)

    なぜひれ伏しているのか ②(ヨシュア記7章)

     主はヨシュアに告げられた。「立て。なぜ、あなたはひれ伏しているのか。(10) 主はヨシュアに何ゆえにひれ伏しているのかと問われる。それは天地創造の神を恐れる者の絶えざる礼拝なのか、失敗の罰を恐れてなのか、何を得ようとしてなのか・・。ヨシュアは今、訳も分からないままにひれ伏している時ではなく、早急にみこころを行わなければならない。 イスラエルは罪ある者となった。彼らはわたしが命じたわたしの契約を破った。聖絶の物の一部を取り、盗み、欺いて、それを自分のものの中に入れることまでした。(11) アカンの罪は、今やイスラエル全体を汚し主に受け容れられないものとした。イスラエルは神にとって一つの愛の対象であり、リーダーを通しての交わりの対象である。 それゆえ主の命令に背く一人の罪は、全体を汚すパン種の侵入であり、神...なぜひれ伏しているのか②(ヨシュア記7章)

  • なぜひれ伏しているのか ①(ヨシュア記7章)

    なぜひれ伏しているのか ①(ヨシュア記7章)

     主がヨシュアとともにおられたので、彼のうわさはこの地にあまねく広まった。(6:27)しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、主の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。(1) アカンの盗みは主を烈しく怒らせた。主の聖絶を汚したからである。多くの命を奪わなければならないほどの神の聖さを侮ったのである。聖なる神のうちに在るには、完全な従順拠らなければ身を守るものはない。アカンの裏切りは、イスラエル全体を汚して主の怒りをかってしまった。 キリストを信じている者には、過去、現在、未来すべての失敗や罪を、御子キリストが十字架で贖ってくださった故に、信頼する者に神との平和と永遠のいのちを頂いているの...なぜひれ伏しているのか①(ヨシュア記7章)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ④(ヨシュア記6章)

    みことばの愚かさに在る祝福 ④(ヨシュア記6章)

     七周目に祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげよ。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。この町とその中にあるすべてのものは主のために聖絶せよ。遊女ラハブと、その家にともにいる者たちだけは、みな生かしておけ。彼女は私たちが送った使いたちをかくまってくれたからだ。」(16~17) 町が、主に従うイスラエルのときの声を聞いたとき、彼らの命は終わった。この町が謙って命を乞うための六日間は終わった。彼らはみな角笛の音を聞いていたのに、命を守るために何もしなかった。聖絶は突然の不幸ではない。 子供は親が守らなければ生きられない。親には家族を守る責任があり、ラハブはその熱心によって家族の命を守った。この世でどんなに良い生き方をしていても、命の主に対して傲慢になり、刻々と失わ...みことばの愚かさに在る祝福④(ヨシュア記6章)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ③(ヨシュア記6章)

    みことばの愚かさに在る祝福 ③(ヨシュア記6章)

     翌朝ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱を担いだ。七人の祭司たちは、七つの雄羊の角笛を持って主の箱の前を進み、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは、彼らの先頭に立って行き、しんがりは角笛を吹き鳴らしながら主の箱のうしろを進んだ。(12~13) 主に在って働く者は、みな主をほめたたえる喜びに満ちて、朝早く起き出して来てみこころを行う。此処に勇ましいときの声はまだ無く、ただ、主の臨在を知らせる角笛を聞きつつ進んだ。 彼らは二日目も町の周りを一周回り、宿営に帰った。六日間そのようにした。(14) 黙々と町囲いを回るだけの従順は、リーダーを信頼してのことである。ヨルダン川を渡って、ヨシュアに居られる主を経験してのことである。敵を目前にして歩くだけの六日間は、主に魂を平伏させる訓練の時であり、みことばに殉じて自身...みことばの愚かさに在る祝福③(ヨシュア記6章)

  • 今日の歌(2024.03.26)

    今日の歌(2024.03.26)

      鈍色の雨降り止まぬ今日なれば椿の花も葉陰に沈む  長々と雨止まぬ刻如何に生く光見ぬ日の命重たく今日の歌(2024.03.26)

  • みことばの愚かさに在る祝福 ②(ヨシュア記6章)

    みことばの愚かさに在る祝福 ②(ヨシュア記6章)

      祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたら、民はみな大声でときの声をあげよ。そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民はそれぞれ、まっすぐに攻め上れ。」(5) 主がヨシュアに告げられた勝利の計画は、難しいことではなく幼子にも出来ることであった。キリスト者は聖書と聖霊によって状況の良い時も悪い時も、永遠のいのちに至る勝利をたまわっている。ご真実な神は出来ないことを命じることは決してない。人の出来ない困難のすべては、キリストが十字架で負ってくださったゆえに、主のくびきは負いやすいのである。 ヌンの子ヨシュアは祭司たちに呼びかけた。「契約の箱を担ぎなさい。七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を持ち、主の箱の前を進みなさい。」(6) 祭司の役割は民の前で、主を頂いて喜びほめたたえることである...みことばの愚かさに在る祝福②(ヨシュア記6章)

  • みことばの愚かさに在る祝福①(ヨシュア記6章)

    みことばの愚かさに在る祝福①(ヨシュア記6章)

     エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった。(1) エリコは、イスラエルを恐れて門を堅く閉ざしていた。彼らの恐れはイスラエルの神の御わざを聞いていたからである。門を打ち壊して入って来る敵に向かって一斉に迎え撃つことは、それほど困難とは思えなかったのだろう。 彼らが本当に神を恐れることを知っていたなら、門を開けて降伏し命を求めただろう。神に勝利する戦略ではなく、創造主を悟り、命を願い求める謙遜があれば滅びなかったであろう。ラハブはそのようにして家族ぐるみで命を得たのだ。 それゆえ先に救われた者は、世に向かって神が愛であることを知らせ、一人でも多くの人が聖霊の助けの中で謙遜にされて、天地の創造主である神を悟り、永遠のいのちの救いに与られますようにと祈るのである。 主はヨシュア...みことばの愚かさに在る祝福①(ヨシュア記6章)

  • 今日の歌(2024.03.21)

    今日の歌(2024.03.21)

     春の雪朝日に舞いて風に消ゆ 春うらら角を曲がりてシャボン玉今日の歌(2024.03.21)

  • 今日の歌(2024.03.20)

    今日の歌(2024.03.20)

     春キャベツ甘く優しく口に消ゆ 風止みて雨が留めの窓の外花は諦めつくねんと座す今日の歌(2024.03.20)

  • あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)

    あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)

     イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕暮、エリコの平野で過越の祭を行った。そして過越の祭の翌日、その地の穀物、すなわち種入れぬパンおよびいり麦を、その日に食べたが、その地の穀物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエルの人々は、もはやマナを獲なかった。その年はカナンの地の産物を食べた。(10~12) 恐れによって神の選びの地を拒絶した荒野の40年間、主はイスラエルの民を天からマナを降らせて養われた。ヨルダン川を渡って備えの地に辿り着くまで、不従順の民を養い守ってくださったのである。 今も、天地創造の神を受け容れない人々であっても、神の恵みを受けずに生きているわけではない。空気やあらゆる地の産物のすべて、命のための神の備えによって万物は生かされているのである。 天地の絶妙の...あなたの足の靴を脱ぎなさい(ヨシュア記5章)

  • ヨシュア自ら割礼を施す忠実(ヨシュア記5章)

    ヨシュア自ら割礼を施す忠実(ヨシュア記5章)

     ヨルダン川の反対側、すなわち西側にいるアモリ人のすべての王たちと、海沿いにいるカナン人のすべての王たちは、主がイスラエル人の前で、彼らが渡り終えるまでヨルダン川の水を涸らしたことを聞くと、心が萎え、イスラエル人のゆえに気力を失ってしまった。(1) イスラエルの為になされた神のわざは、ラハブたち異邦人にも力ある神の存在を知らせていた。キリスト者が人々に責められている時、天地創造の力ある神が味方であることを証してくださる。恐れることなく弱さを曝らすことは、そこにある主の助けを世が見る時ともなる。私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。(1コリント2:4) 弱さを持っている者が主に信頼してみことばに従い、問題だらけの世で平安に生きることは、それだけ...ヨシュア自ら割礼を施す忠実(ヨシュア記5章)

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