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イエスを殺すほどに憎んだイスラエルの宗教者たちは、イエスから何の被害も受けてはいない。イエスはキリストの愛によって、彼らの救いを妨げるものを指摘しただけである。 人の憎しみは必ずしも被害を受けたからではなく、冷静に振り返ってみれば憎んだきっかけが愛から始まっていることがある。妬みもそのように、愛している人から攻撃を受けることがある。 戦う必要の無い相手を非難したり、攻撃し憎むようになるのは、心に巣くっている罪によることである。それらの罪からすでに解放されていることを悟らなければ、本当はしたくもないことをし続けて、罪に支配される不幸せを自他にまき散らし続ける人生となる。 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるた...今天国行きの列車に乗る時
わたしはぶどうの木あなたがたは枝です(ヨハネの福音書15章)
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。(1~2) 神は私たちに対して熱心に働いておられる。実を結ぶ者にも実を結ばない者にも神の熱心は変わらず、誰一人放って置かれることも無視されることもない。すべての人の創造主だからである。実を結ぶ者にはもっと多くの実を結ぶことが出来るように必要を備え、実を結ばない者には、実を結ぶことを妨げているものを取り除き、神の光りの中に留まる者を養ってくださる。 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。(3) 主に留まって成った実はみな聖い。みことばを食べて成長したからである。食べたものによって人は成長する。...わたしはぶどうの木あなたがたは枝です(ヨハネの福音書15章)
つい先日、新年度を迎えたばかりのはずが、ふと気が付くと4月半ばに差し掛かる勢いです。 時間の流れを忘れてしまうほどの日々にあって、何とはなしに裏庭を覗いた瞬間、梅の木に幾つもの青い実が付いていた
今日8月6日は、78回目の広島原爆の日です。1945年午前8時15分、人類最初の原爆が広島に投下された日。時々散歩で通る神奈川県本郷台駅隣のあーすぷらざの通路脇にも、広島に投下された原爆の爆心地近くで被曝したアオギリの2世が移植され元気に育って、毎年この時季になると実を結びます。あの原爆投下後、70年にわたって草木も生えないと言われていた土地で、被曝の翌年には新しい芽を吹き返し・・・人々に生きる勇気と希望を与えてくれた被爆アオギリの2世です。通りがかりに大きく育ったアオギリの樹上を見上げると・・この被爆アオギリ2世の木が,たくさんの実を結んでいました。悲惨な原爆被害を忘れず・・・次の世代へと語り継いで行く為の、新しい生命の種です!近未来的なフォルムの”あーすぷらざ”あーすぷらざでは、「手塚治虫と戦争パネル...被爆アオギリ2世実を結ぶ
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。