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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

ムベ
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2016/04/03

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  • 見えるしるし見えないしるし(ヨハネの福音書4章)

     さて、二日後に、イエスはそこを去ってガリラヤに行かれた。イエスご自身、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていた。(43~44) 故郷の人々は誰よりもイエスを良く知っていた。大工の子だけれど、実は結婚前に宿していた子。有名になっても御わざを目にしても、私たちの方が本当のことを知っている。サタンは刷り込まれた肉の記憶をフルに利用して御わざを攪乱するから、新しく生まれなければキリストに留まることない。 たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしも父にいることを、あなたがたが知り、また深く理解するようになるためです。」(ヨハネ10:38) 御わざを信じるには霊の目が開かれることが必要であり、それは聖霊の働きに拠ることである。その時すべての良きことは...見えるしるし見えないしるし(ヨハネの福音書4章)

  • 今日の歌(2024.07.29)

     朝日受け稲穂豊かに弧を描き蜻蛉飛び交う地の健やかさ 限りある命を刻む音聞きつみことば追いてキーを打ちたり今日の歌(2024.07.29)

  • 自分でみことばに聴いてキリストを知る(ヨハネの福音書4章)

     そのとき、弟子たちが戻って来て、イエスが女の人と話しておられるのを見て驚いた。だが、「何をお求めですか」「なぜ彼女と話しておられるのですか」と言う人はだれもいなかった。(27) 弟子たちがイエスが語る奥義を聞き逃したのは、肉の糧に心を奪われていたからである。彼らがあえて質問しなかったのは、何となく自分たちの間違いを察して聞くことを恐れた。 彼女は、自分の水がめを置いたまま町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。」そこで、人々は町を出て、イエスのもとにやって来た。(28~30) 彼女は町の人にもっとも触れられたくないことを持ち出して、キリストを告げ知らせた。それはイエスが満たしてくださったいのちの充満によって喜...自分でみことばに聴いてキリストを知る(ヨハネの福音書4章)

  • サマリヤの女(ヨハネの福音書14章)

     パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた。それを知るとイエスは、(1)ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。しかし、サマリアを通って行かなければならなかった。(3~4) イエスは宗教家の議論を避けて、一人の女が飢え渇きの中で待つサマリヤに行かれる。彼女をいのちの水に満たしてみこころを歩ませ、ご自分の食べ物となさるためであった。 それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。時はおよそ第六の時であった。(5~6) イエスは神であり完全な人であられ、荒れる湖の小舟の中で熟睡するほどに疲れ、50歳近くに見えるほどに体は酷...サマリヤの女(ヨハネの福音書14章)

  • 今日の歌(2024.17.23)

    満月や風は死にたり熱帯夜 満月もトリプル窓は三重(みえ)に見え 月光に目覚めし夢に悩みたり今日の歌(2024.17.23)

  • 今日の歌(2024.07.22)

     細々と家事をこなして梅雨明けぬ(細々ほそぼそ) タチアオイ色様々に強かに灼熱に勝つ我が応援団 ひまわりは首うな垂れて並び立つはしゃぎし日々の種々の後悔今日の歌(2024.07.22)

  • 主の御許で生きる永遠(ヨハネの福音書3章)

     その後、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。一方ヨハネも、サリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が豊かにあったからである。人々はやって来て、バプテスマを受けていた。(3:22) 豊かにいのちの水をたまわるイエスに、また豊な流れのほとりのヨハネに集まって来て、キリストを求めてバプテスマを受けている人々。この人々の素直な応答はみこころに叶って素晴らしい光景であり、これこそヨハネの役割が進んでいる証である。 ところで、ヨハネの弟子の何人かが、あるユダヤ人ときよめについて論争をした。彼らはヨハネのところに来て言った。「先生。ヨルダンの川向こうで先生と一緒にいて、先生が証しされたあの方が、なんと、バプテスマを授けておられます。そして、皆があ...主の御許で生きる永遠(ヨハネの福音書3章)

  • 完全に開放されるいのちの心配

     「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」(ヨハネ11:25~26)完全に開放されるいのちの心配

  • ニコデモの選択 ②(ヨハネの福音書3章)

     ニコデモは答えた。「どうして、そのようなことがあり得るでしょうか。」イエスは答えられた。「あなたはイスラエルの教師なのに、そのことが分からないのですか。(9~10) 「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」イエスのお言葉を、生まれながらに理解出来る人は居ないと思うが、あえてニコデモにレベルの高い答え方をされたのは、彼が「先生」と呼ばれていたからである。 あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。(マタイ23:8) 兄弟なら教え合う関係であり、ひとりの悟りを皆で分かち合うことが出来る。しかし弟子が先生に教えることは出来ない。誰からも教えられる必要のない先生は、イエスおひとりである。 イエスは一人の女の疑問に答えるために、わざわ...ニコデモの選択②(ヨハネの福音書3章)

  • ニコデモの選択 ①(ヨハネの福音書3章)

     さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」(1~2) ニコデモはユダヤ人の指導者であったが、イエスのなさっていたわざを見てとても素直な反応をしたのだ。これが幼子の心である。しかし、議員であり教師であるという立場に立ち返ったとき、人目を避けてひとりイエスを尋ねた。彼は、イエスのわざがキリストのわざなのか確かめたかったのだ。彼がわざを無視しなかったのはキリストを待ち望んでいたからである。 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生ま...ニコデモの選択①(ヨハネの福音書3章)

  • イエスの怒り(ヨハネの福音書2章)

     その後イエスは、母と弟たち、そして弟子たちとともにカペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。(12) イエスは肉の家族、霊の家族と共に一時の安らぎを味っておられたのであろう。肉の家族を軽んじておられたのではなく、マリヤを愛して十字架でその身を案じヨハネに託されたほどであり、厳しい言葉は十字架に向かう公生涯に備えてのことである。今から始まる、神から発したものとは似ても似つかぬ宗教との戦いに備えて・・。 さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持...イエスの怒り(ヨハネの福音書2章)

  • 今日の歌(2024.07.10)

     衝動買いした南瓜苗をプランターに植えたのは4月の初め。小さな苗を二つと、大き目のプランターを買った。息子に「庭で南瓜を育てるのか」と呆れられた。確かに戦争中じゃあるまいし、あまりしないことだろうけれど「許せ」 小さな小さな苗だったので、大きなプランターに一緒に植えると良いと思っていたけれど、思い出したのは畑の南瓜がゆったりとした広さに植えられていたことだった。絶対二本一緒は駄目だと、急遽ありあわせのプランターに「ちょっと狭いけれどガンバレ」と分けた。プランターを並べると庭の防草シートの上を、大きな葉っぱがどんどん元気に伸びて行った。そこまでは良かったのだけれど、あっという間にウリハムシの攻撃を受けてボロボロ・・。一応消毒もしはしたが繰り返したくはなく、木酢液や石灰を使って悪戦苦闘・・。息子がニームでも消...今日の歌(2024.07.10)

  • カナの婚礼(ヨハネの福音2章)

     それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。(1~2) キリストを知らないままにイエスを招くことが出来るのは、初めに神が選んいてくださったからである。キリストの初めての御わざの場となるとは、どれほどに祝福された婚礼であろう。私たちの救いもイエスを知らないままに御名を呼んで、一つひとつのみことばのご真実を経験して来た。神が初めに選んでいてくださったからである。このことは本当に一方的な神の恵みである。しかし主が招いていてくださるのに、キリストに頼らずに済む方策を持っていることで、選ばれている祝福を無にしてしまう。 ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。すると、イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわ...カナの婚礼(ヨハネの福音2章)

  • 今日の歌(2024.07.06)

     タチアオイ種より育て咲き初みて灼熱の下ふわりと開く もぎ取りて熱きトマトに驚きぬ主の備えたもう命強か強か(したたか)今日の歌(2024.07.06)

  • 何を求めているのですか ②(ヨハネの福音書Ⅰ章)

     その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて、「わたしに従って来なさい」と言われた。彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。(43~44) 旧約聖書に書かれてあるイエスに出会ったピリポはどれほど感動したことだろう。大切な人に救い主の到来を伝えに走るピリポの様子が目に浮かぶ。 ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」ピリポは言った。「来て、見なさい。」(45~46) キリスト者は目で見ていなくても、霊のうちに共におれるキリストを知って居り、聖霊はみことばを解き明かしてくださっている。また、...何を求めているのですか②(ヨハネの福音書Ⅰ章)

  • 何を求めているのですか ①(ヨハネの福音書Ⅰ章)

     その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。二人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。(35~37) ヨハネの言葉を信じた弟子が、イエスについて行くのは健全な反応である。彼らは師であるヨハネから、イエスがどなたであるかをしっかり聴いていたのだ。ヨハネはイエスに導く忠実な働きをしている。イエスの福音を聞きながら人の教えに留まり続けることは、その教師の無能を現わす。いのちは生きている限り成長を求めるものであり、それもキリストを求めることは、神に造られた者の健やかないのちの活動である。 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳すと、先生)、ど...何を求めているのですか①(ヨハネの福音書Ⅰ章)

  • キリストご自身のバプテスマ ②(ヨハネの福音書1章)

      さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ3:21~22) キリストはすべてのことに置いて罪人の真ん中に来て、罪に悩む病人の隣で生きてくださった。罪を犯されることはなかったが・・。聖いキリストが罪人に混じってバプテスマを受けられた。神のみこころを完成する栄光の十字架も、罪人の真ん中で受けられた。それはキリストが罪に染まることは無く、触れる者をきよめる方だからである。 イエスを神のキリストと証するものは、キリストご自身ではなく神のことばであり神のみわざであった。「わたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」御...キリストご自身のバプテスマ②(ヨハネの福音書1章)

  • キリストご自身のバプテスマ ①(ヨハネの福音書1章)

     さて、ヨハネの証しはこうである。ユダヤ人たちが、祭司たちとレビ人たちをエルサレムから遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねたとき、ヨハネはためらうことなく告白し、「私はキリストではありません」と明言した。(19~20) ヨハネがキリストについて明言出来るのは、彼自身が自分の役割を知って居り、母の胎に在るうちから彼の霊はイエスが神のキリストであると知っていたからである。 彼らはヨハネに尋ねた。「それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。」ヨハネは「違います」と言った。「では、あの預言者ですか。」ヨハネは「違います」と答えた。それで、彼らはヨハネに言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人たちに返事を伝えたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤ...キリストご自身のバプテスマ①(ヨハネの福音書1章)

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