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みことばが無ければキリスト者は飢える(ヨハネの福音書21章)
イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。(20:30~31) 聖書にはイエスの御わざの一端が残されているのであろう。イエスは世に居られる間、寝る間もなくて疲れ果てるほどに働いておられた。それゆえ、その地にイエスを知らない人はいなかった。 イエスが知られていたということは、神がどのようなお方であるかをイエスを通して知ったのである。ただ、自分たちの期待通りではなかった人々が、何を見ても聞いてもイエスを神とは認めなかったのだ。彼らはイエスが神を冒涜していると言って殺したが、彼らこそ自分自身を神としていたのである。...みことばが無ければキリスト者は飢える(ヨハネの福音書21章)
そこで、イエスは言われた。「もう少しの間、わたしはあなたがたとともにいて、それから、わたしを遣わされた方のもとに行きます。あなたがたはわたしを捜しますが、見つけることはありません。わたしがいるところに来ることはできません。」(33) 此処に神の綿密なご計画の下にイエスの十字架の時があるとわかる。そうして「わたしを探しますが・・」とあり、そのとき彼らはイエスに何を求めて捜すのだろう。世の王を求めてなのか、飢えを満たすパンを求めてなのか、限りある命の癒やしを求めてなのか、それともみことばを求めているのか。 みことばは使徒からキリスト者にまで語り継がれ、神の知識に渇いてみことばを求める者には、聖霊の助けの中で、永遠に至るすべての必要が満たされる。 ユダヤ人たちは互いに言った。「私たちには見つからないとは、あの...イエスの時④(ヨハネの福音書7章)
祈りして口に運びし肉じゃががのど締め付ける戦火のニュース 老いの身が飢える子観ても箸を持つこの理不尽に許し乞いつつ今日の歌(2023.10.30)