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午前中はずっとマタイ受難曲を聞いていた。耳を傾けつつ静かに大根を切り面取りをして、出汁に放り込んで沸々と煮ている。柔らかな大根は茹でる手間も要らず夕食の一品の出来あがり。 昼食の準備も食事中も後片付けをしているときも、ずっと歌声に聞き入りながら手を動かし、口を動かしている間も慕わしい主を感じていた。私には外国語はわからないので、どれほど繰り返し聴いていても言葉の一つひとつは異言のよう・・。 でも何を歌っているのか、どなたに捧げて歌われているのかは知っている。歌声も旋律も覚えていて、親しい心地よさにリラックスして命が養われて行くよう・・。バッハを知らなくても、外国語が分からなくても、この歌声に何時間も浸って喜んでおり、キリストの打ち傷によって癒やされた者の幸いを味わっている。 異言は理性的でないと拒絶さ...私と異言