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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。(1) 弟子たちが王として世を支配されると期待していたイエス、病人を癒やし死人を生き返らせ、わざをもって神の愛を現しておられた方が、まさか何の罪も犯されないままに十字架で処刑されるのである。それは弟子たちの期待を完全に裏切ることであった。 まして無実を訴えて戦うことも無く、罪人と共に十字架に曝されて死ぬことなど、どうして受け入れることが出来るであろう。イエスは弟子たちが絶望することがないようにと、死を経て再び来られること、また彼らのうちに住まわれるようになることを知らせ、滅びることのないいのちの約束を残された。 疑いから信仰を守るものはみことばの記憶である。聖霊は忘れていたみことばを必要な時に思い起こさせて信仰を守って...真理に導く御霊(ヨハネの福音書16章)
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。(18~19) 十字架の後に残される弟子に、イエスは「捨てて孤児にすることはない」と約束された。イエスと共に地で働いて来た弟子にとって、迫害の日々に必要なものはみことばである。イエスが十字架の死を経て墓に葬られ、三日目によみがえられるとき、弟子もまたイエスと共によみがえりのいのちを得て、御父のもとで永遠に生きる者となる。 その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛し...みことばの保証①(ヨハネの福音書14章)
さて、イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。(1~2) よみがえりという大きな祝福を受けたラザロは、人々の中にごく普通のありふれた様子で混じっていた。キリストの証人の荷は軽く負いやすい。彼はイエスの友として今まで通りの平安に居た。 イエス・キリストを信じて罪の赦しをたまわった時、その喜びと感謝のゆえに「さあ、何をするべきか」と落ち着かなくなる。それまでは頂き物をして受けたままに喜んで居ると非難され、必ずお返しすることを求められて来たから、何かをしなければならないと思うのである。 「イエスさまの十字架のお苦しみを私はまった...ユダの言葉(ヨハネの福音書12章)