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イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。(19) 「すべてのものはこの方によって造られ」(1:3)とあり、すべてはイエスによって造られた。今も、父なる神から発したことを一つになって、この地に行なわれている。人を愛する御父のみこころを行うために、イエスは栄光の御座を離れて、死ぬべき命の弱さを纏って人となり、罪に滅びゆく人類を惜しんで救い出し、ご自身を信じる者と、創造主なる神の御許で永遠を共にするためである。 イエスは、「父がしておられることを見て行う以外には、何も行うことができません」とある。「何もしません」ではなく「何も出来ません」とあり、御子で...キリストのいのちの言葉を聴きなさい(ヨハネの福音書5章)
主はモーセにこう告げられた。「アロンと、彼とともにいるその子らを連れ、装束、注ぎの油、罪のきよめのささげ物の雄牛、二匹の雄羊、種なしパンのかごを取り、全会衆を会見の天幕の入り口に集めよ。」(1~3) 任職式は、集められた民の前で犠牲の動物を捧げられ行われた。すべての人にアロンとその子らが、神に選ばれた祭司であることを知らせた。それは神に逆らってアロンを非難することがないようにするためである。それはイスラエルの守りのためである。 キリストの十字架の死と復活によって、うちに臨在してくださる聖霊の助けにより、キリスト者は祭司として主のみこころを行う者である。不完全な自分を恐れて、会衆の前に立たされることから尻込みしてはならないのだ。 だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。だれが、...祭司は恐れず(レビ記8章)