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真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺
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戦争に関わる歴史の真実は・・・ http://hide20.web.fc2.com に記事にリンクの一覧表<br><br><br>
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真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺
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真実を知りたい-NO2                       林 俊嶺

syasya61さんの新着記事

1件〜30件

  • 東京裁判NO10 キーナン検事の東条尋問①

    キーナン検事の問いに答える東条被告の主張に、私は少なからず疑問を感じます。そのいくつかを指摘したいと思うのですが、先ず、大東亜建設について”できるだけ平和的な方法をもってをやりたいと思っていた”と答えているところがあります。でも私は、「大東亜」の考え方自体が、関係国の主権を蔑ろにするものであったことを見逃すことができません。昭和15年7月26日、東条が陸軍大臣の時に閣議決定された、「基本国策要綱」の「一、根本方針」に”皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基き世界平和の確立を招来することを以て根本とし先づ皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設するに在り之が為皇国自ら速に新事態に即応する不抜の国家態勢を確立し国家の総力を挙げて右国是の具現に邁進す”とありますが、これは、”天皇の御稜...東京裁判NO10キーナン検事の東条尋問①

  • 東京裁判NO9 「南京大虐殺」松井被告側の反証

    東京裁判における南京大虐殺の検事団側証人は、前ページで取り上げたように、被害者の治療に当たったウィルソン医師や避難民の救済に当たった紅卍会の許伝音博士、また、日本軍に捕らえられ死の恐怖に直面しつつ、九死に一生をえた三人の被害者、南京大学歴史学教授マイナー・シール・ベーツ博士、ピーター・ジェー・ローレンス英国公使館区域警察署長など様々で、その証言内容は極めて具体的なものでした。さらに、検事団が派遣した出張尋問団は、関係者から多数の証言を得て、事件の公判中に帰国しており、南京軍事法廷における証言なども踏まえて、確信を持って立証を進めたのではないかと思います。それに比して、被告弁護側の証人に第三者的立場の人はなく、証言台にたった脇坂次郎大佐も西島剛少佐も、自分たちは放火も殺人も略奪も強姦もやっていない、見てもいない。...東京裁判NO9「南京大虐殺」松井被告側の反証

  • 東京裁判NO9 「南京大虐殺」検事団の立証②

    下記は、南京で日本軍に捕らえられ、死の恐怖に直面し、九死に一生をえた被害者三人の証言、および、南京大学歴史学教授マイナー・シール・ベーツ博士と北京英国公使館区域警察署長を勤めていたピーター・ジェー・ローレンス氏の証言、それに、太平洋戦争のビルマ、雲南ルート閉鎖作戦で、日本軍の避難民虐殺事件を語る徐節俊氏の証言です。「東京裁判大日本帝国の犯罪上」朝日新聞東京裁判記者団(講談社)の「第五章戦慄・南京大虐殺」で「惨・惨・惨」と題された文章の中の「生き残った市民の恐怖」と「大学構内で連日の暴行」から抜粋しました。似たような日本兵による残虐行為の証言は、中国では数え切れないほど集められているということですが、見逃せないのは、それを裏づけるような日本兵の証言や日本側証拠資料も少なくないということです。例えば、『南京戦閉ざさ...東京裁判NO9「南京大虐殺」検事団の立証②

  • 東京裁判NO8 「南京大虐殺」検事団の立証

    国際的によくい知られている日本軍の残虐事件には、「バターン死の行進」や「泰緬鉄道建設捕虜虐待事件」などがありますが、東京裁判で最も注目されたのは、「南京大虐殺」だったのではないかと思います。それは、「南京大虐殺」が「人道に対する罪」の典型的な事例として注目されたからではないかと思います。「南京大虐殺」は”連合国の創作”で、”東京裁判がでっち上げた”というようなことをくり返し語っている人がいるようですが、南京陥落当時、欧米のジャーナリストや実業家、医師や牧師、大学教授などが「国際安全地帯委員会」を組織して、中国の「紅卍会」と協力しつつ保護任務に当たる一方、関係機関に報告や依頼をくり返し、また、情報を伝えていたために、それを察知していたニューヨーク・タイムズの上海特派員H・アベンドや南京特派員F・T・ダーディンなど...東京裁判NO8「南京大虐殺」検事団の立証

  • 東京裁判NO7 世界制覇への野望、日独伊三国同盟

    日本が受諾したポツダム宣言には、”吾等ハ無責任ナル軍國主義ガ世界ヨリ驅逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本國國民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ”とありましたが、日独伊三国同盟(日本國、獨逸國及伊太利國間三國條約)締結に至る大島大使、白鳥大使、リッペンドロップ独外相の裏面工作やヒトラー総統と松岡外相とのシンガポール攻撃に関する会談内容は、まさに、”世界征服ノ擧ニ出ヅル”ためのものであったと言わざるを得ないように思います。その後、日独伊三国条約の精神にのっとり、具体的に世界を二つの地域に分割して戦うという軍事協定を締結していますが、大島口供書は、”私が第一回の大使のときは、日独間に防共協定が存在...東京裁判NO7世界制覇への野望、日独伊三国同盟

  • 東京裁判NO5 オランダ領への侵略とフィリピン残虐事件

    東京裁判の審理が「日本の対オランダ侵略」の段階に入った時、日本側被告のアメリカ人弁護士オーウェン・カニンガム(大島浩担当)弁護人が突如発言台に立ち、「オランダはポツダム宣言の署名国ではない。しかも訴追事項の発生時オランダ政府は、国際法上の合法的な存在ではなく、英国に亡命していた。したがって陸戦法規に対する裁判の権限を有せず、また検事任命の権利もない」と、オランダの裁判参画を全面的に否定する爆弾発言をしたとのことですが、この主張は、すでに触れた清瀬弁護人の、下記の主張と通じるものだと思います。”異議の第二点を説明します。ポツダム宣言の受諾とは、七月二十六日現在に連合国とわが国との間に存在しておった戦争、われわれは当時大東亜戦争と唱えた戦争、その戦争を終了する国際上の宣言であったのです。それゆえに、その戦争犯罪とは...東京裁判NO5オランダ領への侵略とフィリピン残虐事件

  • 東京裁判NO4 満州国元首溥儀の証言

    幕末の尊王攘夷急進派が倒幕によってつくったのは皇国(スメラミクニ)でした。だから、”万世一系ノ天皇之ヲ統治ス”と定められました。その皇国の目標は、”天皇の御稜威(ミイツ)がたえず四方に広がること”でした。幕末の尊王思想の代表的な思想家、藤田東湖は「弘道館記述義」に”孝と敬の道をひたすらつくして天照大神の御威霊をおしひろめるならば、ひとり日本の人民がかぎりない徳化に浴するばかりでなく、遠く海をへだてた外国の国々もまた、わが国の徳を慕い、その恵みを仰ごうとしないものはなくなるであろう”と書いていました。また、吉田松陰は、「幽囚録」に”善く国を保つものは徒(タダ)に其の有る所を失ふことなきのみならず、又其の無き所を増すことあり”と書いていました。『宇内混同秘策』の著者、佐藤信淵は、”皇大御国(スメラオオミクニ)は大...東京裁判NO4満州国元首溥儀の証言

  • 東京裁判NO3 五十五の訴因と政治的免責

    東京裁判の問題は、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」という事後法で日本軍および政府の要職にあった人たちを裁いたから違法であるとか、戦勝国による単なる「復讐裁判」であるとかいうことではないと、私は思います。すでに触れましたが、キーナン首席検事は、裁判に先立つ記者会見で”裁判の準拠法は文明国間に長年にわたっておこなわれた慣習法である”と明言しました。日本は成文法主義の国ですから、それが受け入れ難いのは分かりますが、アメリカは不文法主義の国であるとされているので、”裁判の準拠法は慣習法”であるというキーナン検事の主張を違法として退けることは難しい思います。だから、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で裁くことが違法であると主張するためには、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」が慣習法として成立していないという...東京裁判NO3五十五の訴因と政治的免責

  • 東京裁判NO2 清瀬弁護士の陳述とキーナン首席検事の反論

    「東京裁判大日本帝国の犯罪上」朝日新聞東京裁判記者団(講談社)によると、東京裁判の罪状認否が始まる直前、清瀬一郎弁護団副団長は、「有罪、無罪の申し立ての前に、その前提となる動議があります。裁判官にたいする忌避の申し立てです」と、ウェッブ裁判長の忌避を申し立てています。また、「この法廷が違法である」とも指摘して、被告の厳罰を回避すべく、手を尽くしています。しかしながら東京裁判は、日本側のポツダム宣言受諾に基づくものである上に、キーナン主席検事をはじめとする国際検事団は、1945年(昭和20年)11月6日厚木飛行場に着いて以来、約五ヶ月にわたって関係者の尋問を進め、日本の戦争の全体像をほぼ正確につかんで裁判に臨んでおり、清瀬弁護人の抵抗が功を奏することはあまりなかったようです。清瀬弁護人は、”当裁判所においては、平...東京裁判NO2清瀬弁護士の陳述とキーナン首席検事の反論

  • 東京裁判 キーナン首席検事の記者会見と起訴状要旨

    日本が、再び野蛮な方向に向かっているように思われ、心配です。地上配備型の迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の計画断念が発表されるとすぐに、攻撃を受ける前に拠点をたたく敵基地攻撃能力の保有を巡る話になりました。政府はこれを、自衛権の範囲にあって、国際法上認められないいわゆる「先制攻撃」と異なるというのですが、敵基地攻撃が許されるという”相手が武力攻撃に着手した段階”は、どのように判断するのか疑問です。あからさまに先制攻撃の準備を進める国があるとは思えません。疑心暗鬼による誤った判断の武力衝突が起きる危険が増すのではないかと思います。また、かつて周辺国に大変な被害をもたらした日本が、再びそんな能力を持てば、友好関係を深めることが一層難しくなり、何もいいことはないと思います。加えて、見逃せないのが、日本国憲法...東京裁判キーナン首席検事の記者会見と起訴状要旨

  • 日本の戦争と水戸学(会沢正志斎) NO2

    「藤田東湖」(日本の名著29)橋川文三責任編集(中央公論社)によると、水戸学を代表する思想家の一人、会沢正志斎の「新論」に通じない者は、維新の志士の間では肩身が狭い思いをしなければならなかったといいます。その「新論」の記述は、藤田東湖の文章以上に過激です。特に、「はじめに」に書かれていることは、現在の常識では考えられないほど、非科学的であり、排外主義的です。学問的業績を評価されて、将軍に謁見する機会もあったという会沢正志斎が、なぜ、太陽のさしのぼるところの神国日本は、頭部に位置し尊い国で、西洋は世界の末端に位置する下等の存在であると断定するのか、どうして地理的位置で民族の優劣を決定するような考えを持つに至ったのかはわかりませんが、西洋人を”北方の蛮族、肉食の毛唐ども”と断定するような会沢正志斎の差別的な考え方が...日本の戦争と水戸学(会沢正志斎)NO2

  • 日本の戦争と水戸学(藤田東湖) NO1

    下記の「弘道館記述義」は、水戸藩主・徳川斉昭の命を受けて藤田東湖が起草した「弘道館記」に対する藤田東湖自身による解説で、水戸学の代表的著作として、各藩藩校などで教科書として使用されたといいます。だから、明治維新はもちろん、先の大戦における敗戦に至るまで、日本人に大きな影響を与え続けた著作であるといえます。藤田東湖の水戸学の思想に共鳴した幕末の志士は、倒幕によって明治維新を成し遂げると、古事記や日本書紀などの建国神話を基に、日本を天皇親政の皇国(スメラミクニ)にしました。その皇国は、日本の敗戦まで続きました。だから、日本の戦争にも深くかかわる思想であったのです。それは敗戦後、徳富蘇峰が『頑蘇夢物語』に”此頃ハ藤田東湖も松陰モ説ク人モナク聴ク人モナシ”と、戦後の日本を嘆く歌を載せていたことや、二・二六事件蹶起将校の...日本の戦争と水戸学(藤田東湖)NO1

  • 不敬罪、相馬屋事件「天皇ごっこ」

    「明治秘史不敬罪”天皇ごっこ”」石堂英人(三一書房)は、戦争に関する歴史の流れだけを追いがちな私に、生きた人間の複雑な思いや、現実に生起する人間社会の出来事には、入り組んだ矛盾が存在することを教えてくれる興味深いものでした。なぜなら、大のおとなが、大金を注ぎ込み、周到な準備を重ね、みんなでしっかり役割分担をして「ごっこ遊び」に興ずるということも、また、それを知って、不敬ではないかと騒ぎたてたのが、当時の自由民権派の新聞『庄内新報』の記者、本間定吉であったということも、さらに、「天皇ごっこ」に興じた関係者が、女官に扮した芸者たちも含めて全員逮捕されるという事態に至ったにも拘わらず、天皇絶対のあの時代に、何故か無罪になり、その後少しも社会的地位を失うことなく復活することができたということも、常識的な感覚では、理解で...不敬罪、相馬屋事件「天皇ごっこ」

  • 明治新政権による「仏教抹殺」NO2

    下記に抜萃した文章(「仏教抹殺」)で分かるように、歴代天皇の尊牌を祀ってきた天台宗般舟院(ハンジュウイン)が、明治新政権の神仏分離政策によって消滅しています。また、明治時代に入るまで天皇の葬儀・火葬・埋葬を執り行ってきた泉涌寺(センニュウジ)も、苦境に陥り、現在もなお、秋篠宮文仁親王を総裁とする「御寺泉涌寺を護る会」が、その存続につとめているといいます。したがって、建国神話に基き、天皇を「現人神」とした皇国日本における「神仏分離政策」が、深刻な矛盾を抱えたものであったことがわかります。それは、明治天皇が崩御される前に語ったといわれる、「朕は一生に於いて心残りのことは、即位式を仏教の大元帥の法によって出来なかったことである」にもあらわれていると思います。もともと、明治維新を成し遂げた薩長を中心とする尊王攘夷急...明治新政権による「仏教抹殺」NO2

  • 「仏教抹殺」の明治維新

    日本の戦争はいろいろな意味で特別だったと思います。まず、250万人といわれる日本兵の死者の6~7割が餓死であったといわれていることがあります。また、降伏が許されず、あちこちの戦地で日本軍部隊は全滅しました。それを、大本営は「玉砕」として発表しましたが、それは、戦死者を「玉の如くに清く砕け散った」と美化し、死ぬまで戦うことを強いる考え方の表現としてあったと思います。さらに、大戦末期には、戦死前提の特別攻撃を任務とした部隊、いわゆる「特攻隊」が編成され、体当たり攻撃がくり返されました。こうしたことは、他国にはほとんど例がないのではないかと思います。だから、皇国日本の戦争については、いろいろ考えるべきことがあると思います。私は以前司馬遼太郎が、「この国のかたち四」(文藝春秋)の中で「…だから明治の状況では、日露戦争は...「仏教抹殺」の明治維新

  • 阿南陸相の自決と皇国日本

    昭和20年8月9日深夜、皇居の地下防空壕・御文庫附属室で、天皇の臨席を奏請したといういわゆる「御前に於ける最高戦争指導会議」すなわち「御前会議」が開かれました。それは、ソ連軍が満州に侵出し、長崎に原爆が投下され、国内外の戦争被害が急拡大している時のことです。論題は、ポツダム宣言を受諾して終戦するか、受諾を拒否してより多くの条件が認められるまで抗戦するか、ということでしたが、この日本の運命を左右する話の内容で、明治維新以来の皇国日本の姿が見えるような気がします。出席したのは、鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、阿南惟幾陸相、米内光政海相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長と、鈴木首相の意向で加わったと言われる枢密院議長の平沼騏一郎の七人で、陪席員が、迫水閣書記官長、池田綜合計画局長、吉積陸軍省軍務局長、保科海軍省軍...阿南陸相の自決と皇国日本

  • 一億玉砕し、民族の名を青史に止むることこそ本懐(阿南陸相)

    「終戦秘史」下村海南(講談社学術文庫)ポツダム宣言の発表を受けた日本政府は、7月27日、その内容を論評なしに公表し、その受諾をめぐって、宮中「望岳台」近くの地下壕「吹上御文庫付属室」で、8月9日と14日の二回、御前会議が開かれたといいます。そして、いわゆる受諾の「聖断」が下されたわけですが、「終戦秘史」下村海南(講談社学術文庫)に、その時の天皇の発言が「御錠(ゴジョウ)」として、掲載されています。その内容は、日本の戦争がいかなるものであったかを示しているように思います。特に、”一般国民には今まで何も知らせずにいたのであるから、突然この決定を聞く場合動揺も甚だしかろう。陸海軍将兵にはさらに動揺も大きいであろう。この気持ちをなだめることは相当困難なことであろうが…”という部分を見逃すことが出来ません。この天皇発...一億玉砕し、民族の名を青史に止むることこそ本懐(阿南陸相)

  • 皇軍は、骨の髄まで、腐っていた(徳富蘇峰NO8)

    敗戦後、日本軍の実態が明らかになると、徳富蘇峰は、”実に我が皇軍は、骨の髄まで、腐っていたではないかと、思わるる程の事が、随所から暴露されつつある。これ迄は一切臭い物に、蓋をしていたから、判らなかったが、その蓋の全部といわず、若干を取り除けたる爲めに、初めて皇軍の真面目なるものが判かって、実に言語道断であるという事を知った。”ということで、”予はここに一大懺悔をする”と自らの過ちを認めます。私は、いろいろな事実が暴露されて仰天したのは、徳富蘇峰に限ったことではないと思います。だから、正しい情報が伝えられていれば、日本、あんなに残酷で馬鹿げた戦争を続けることはなかったと思うのです。でも、徳富蘇峰の「敗戦の原因」に関する記述には、納得できません。徳富蘇峰は「敗戦の原因」について『頑蘇夢物語』一巻(十~二十)でいろい...皇軍は、骨の髄まで、腐っていた(徳富蘇峰NO8)

  • 日本精神を消解せしむる「精神的武装解除」(徳富蘇峰NO7)

    敗戦後も自らの戦時中の考えを変えることのなかった徳富蘇峰は、下記の文章を書いた昭和20年10月11日の時点で、GHQの占領政策の本質を正しく見抜いていたように思います。それは、”皇室も神道も、彼等の眼中には、ここに日本精神の巣窟があり、本拠があり、根底があるものと認めて、一挙にそれを覆滅せんと考えているものであろう”と書いているからです。裏を返せば、皇室や神道を国民に無理に押し付けなければ、「大東亜戦争」などのような侵略戦争は起きなかったということだろうと思います。でも、徳富蘇峰は、そういうGHQの占領政策を、日本人の「精神的武装解除」であり「日本の心的去勢」を意図するものであると言って受け入れようとしませんでした。皇室や神道は「日本精神」と一体のもので、皇室や神道なくして「日本精神」はなく、また、日本はないと...日本精神を消解せしむる「精神的武装解除」(徳富蘇峰NO7)

  • 大東亜戦争は維新の大改革に、淵源している(徳富蘇峰NO6)

    尊王攘夷急進派が、明治維新によってつくった日本は、”大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス”という天皇親政の「皇国日本」でした。そして、江戸幕藩体制崩壊後、天皇によって”天壌無窮(テンジョウムキュウ)ノ宏謨(コウボ)ニ循(シタガ)ヒ惟神(カミナガラ)ノ宝祚(ホウソ)ヲ承継シ”てさなれる「皇国日本」の統治は、”日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”によって進めらることになったと言ってよいと思います。だから、明治維新以来の日本の戦争は、徳富蘇峰が”日清日露の戦争は、悉く皆維新の大改革に、淵源している。而して大東亜戦争は、即ちその延長である。”と指摘した通り、皇国史観に基づけば自然な流れで、日本の戦争は全て”世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス”る国家の聖戦だったのだ...大東亜戦争は維新の大改革に、淵源している(徳富蘇峰NO6)

  • ”日本武人として”あるまじき戦争指導者(徳富蘇峰NO5)

    戦後も、戦時中の考えを変えなかった徳富蘇峰は、”昨日まで熱心なる米英撃滅の仲間であり、甚だしきは、その急先鋒であったとも思わるる人々が、一夜の内に豹変して、忽ち米英礼讃者となり、古事記一点張りの人々が、民主主義の説法者となり、戦争一本建ての人が、直ちに平和文明の主張者となったる者の多さには、流石にその機敏快速なる豹変ぶりに、驚かざるを得ざるものがある。”と嘆くばかりで、”米英撃滅”や”古事記一点張り”や”戦争一本建て”の思想の中身そのものは問うていません。私は、そこに問題があるのだと思います。徳富蘇峰は、単なるお話に過ぎない「建国神話」を、頭から歴史的事実として信じていたので、戦後、考えを変えた人たちのことを、客観的にとらえることができなかったのではないかと想像します。ただ、彼の主張が重要なのは、”米英撃滅”や...”日本武人として”あるまじき戦争指導者(徳富蘇峰NO5)

  • 杉山は立派に死んだ。東條程の男であれば、…(徳富蘇峰NO4)

    戦時中、内閣直属の情報局や軍部の”指導ノ下”に”国体ノ本義ニ基キ聖戦完遂ノタメ会員相互ノ錬成ヲ図リ日本世界観ヲ確立シテ大東亜新秩序建設ノ原理ト構想トヲ闡明大成シ進ンデ皇国内外ノ思想戦ニ挺身スルコトヲ以テ目的”とした「大日本言論報国会」の会長であった徳富蘇峰は、戦時中の自らの考えを変えることなく、戦後の日本を見つめ、批判をしています。腹に据えかねることがいろいろあったからだと思います。だから、戦時中の戦争指導層の考えや、日本の戦争がどういうものであったかを知る上で、「徳富蘇峰終戦後日記『頑蘇夢物語』」(講談社)の文章は貴重だと思います。下記の”東條程の男であれば、死のうと思えば、死することは、絶対不可能とは言われまい”という徳富蘇峰の指摘は、きびしい指摘ですが、当然ではないかと思います。”死生を貫くものは崇高なる...杉山は立派に死んだ。東條程の男であれば、…(徳富蘇峰NO4)

  • ”日本は侵略国に非ず”(徳富蘇峰NO3)

    徳富蘇峰が長く会長を務めた「大日本言論報国会」定款の第二章目的及事業の第三条および第四条は、下記のような内容だったようです。”第二章目的及事業第三条本会ハ国体ノ本義ニ基キ聖戦完遂ノタメ会員相互ノ錬成ヲ図リ日本世界観ヲ確立シテ大東亜新秩序建設ノ原理ト構想トヲ闡明大成シ進ンデ皇国内外ノ思想戦ニ挺身スルコトヲ以テ目的トス第四条本会ハ前条ノ目的ヲ達成スルタメ情報局指導ノ下ニ左ノ事業ヲ行フ一、会員相互ノ思想的錬成二、大東亜新秩序ノ原理ト構想ニ関スル共同研究三、皇国内外ノ思想動向ニ関スル調査研究四、皇国ノ内外ニ対スル言論活動五、一般言論活動ノ指導育成六、皇国内外ニ対スル啓発宣伝資料ノ蒐集作製七、大東亜各地域ニ於ケル言論活動トノ聯繋八、関係官庁トノ連絡並ニ諸団体等トノ提携九、其他本会ノ目的達成ニ必要ナル事業本会ハ其事業ニ関シ...”日本は侵略国に非ず”(徳富蘇峰NO3)

  • ”死中活を求め、日本民族の光を千古に放つ”ために降伏せず(徳富蘇峰NO2)

    日本書紀に書かれている「天壌無窮の神勅」に基づいて、徳富蘇峰は”皇室が日本国家と日本国民とを離れて、皇室のみとして、御存在のあるべき筈はない”といいます。そして、”苟(イヤシク)も日本国民に国民たる魂がある以上は、外国に降伏し、日本固有の日本精神を抛棄(ホウキ)し、その生活も、その思想も、悉く外人の命令通り、誘導通り、強制通り、期待通り、行うべき筈はない。かくの如くに行うならば、最早や日本国民は、物質的にも、精神的にも、滅亡したものといわねばならぬ”と断言し、”大概の所で見切りを付けて、降参するが上分別である”というような考えは、”我等の平生排斥する功利論である”として、断乎として日本の降伏を非難し、攻撃するのです。そして、”仮に戦争に負けたとしても、また敵が原子爆弾を濫用したとしても、その為に我が大和民族が一...”死中活を求め、日本民族の光を千古に放つ”ために降伏せず(徳富蘇峰NO2)

  • 絶対降伏交渉は、”日本臣民の臣道に違反している”(徳富蘇峰)

    沖縄では、ひめゆり学徒隊の女生徒が「生き地獄」のなかに放り込まれ、国外の戦地では、弾薬や食糧が尽き、あちこちで日本兵の餓死者や病死者が続出しているにもかかわらず、日本が戦いを続け、降伏しなかったのはなぜなのか。米軍の圧倒的な軍事力の前に、もはや対抗する戦力を失っているにもかかわらず、多くの優秀な若者を、敢えて”石つぶて”の如く、特攻兵として死に至らしめたのはなぜなのか。その人命軽視や人権無視はどこからきたのか。私は、日本人がきちんと突き詰め、後世に伝えていくべき重要な問題だと思っています。そんな思いを持って、「徳富蘇峰終戦後日記『頑蘇夢物語』」(講談社)を読みました。徳富蘇峰は、皇室中心主義的思想をもって軍部と関わり、戦時中、「大日本言論報国会」の会長に選ばれた人であり、日本の戦争を主導した重要人物の一人だと思...絶対降伏交渉は、”日本臣民の臣道に違反している”(徳富蘇峰)

  • ひめゆり学徒隊女生徒(兼城喜久子)の手記

    兼城喜久子さんの手記の後半に、見逃すことのできない文章があります。”その時、異様な光景が目に写った。米軍の船へ向かって泳ぎ出し投降していく日本軍兵士を、アダンのかげからねらいうちし、前方の海はまっかな血が広がっていった。何んと恐ろしいことか、味方同士で殺し合うなんて。人間のみにくさをまざまざとみる思いでたまらなくなった。”この”味方同士が殺し合う”という日本の戦争の現実も、世界にはほとんど例がない悲惨なものではないかと思います。日本兵が寝返って敵側についたために殺し合うことになったというのなら、話はわかるのですが、沖縄戦における日本兵の投降は、明らかにそうしたものではなかったからです。背景には”生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ”(戦陣訓(陸訓一号)「第八名を惜しむ」)という”皇軍の道義”が...ひめゆり学徒隊女生徒(兼城喜久子)の手記

  • ひめゆり学徒隊女生徒(久田祥子)の手記

    ひめゆり学徒隊の女生徒の手記を読むと、日本の戦争が、単なる戦争ではなく、世界に例のない異常で残酷な戦争だったのではないかと、あらためて思います。敗戦間近で、あらゆる物資が不足していた上に、日本周辺の制空権や制海権を失っていたため、負傷した兵の治療がままならず、未成年の女生徒までもが戦場に狩り出されることになったのでしょうが、下記の久田祥子さんの手記を読むと、ひめゆり学徒隊の女生徒が体験した沖縄戦が、まさに「生き地獄」であったことがわかります。身動きできない負傷兵が多く、傷口にウジ虫がわく状態で放置されており、女生徒たちは、不眠不休で、そうした負傷兵の世話や治療にあたったのです。でも、当時の日本軍の上層部は、沖縄戦に限らず、それぞれの戦場がどういう酷い事態に直面しているのか、ということについては、ほとんど考慮せず...ひめゆり学徒隊女生徒(久田祥子)の手記

  • 特攻隊員の日記や遺書と”大東亜聖戦大碑 ”NO3

    2000年8月4日、石川県金沢市の中心地にある石川護国神社の参道に、高さ12メートルに及ぶ巨大な「大東亜聖戦大碑」が建てられたといいます。碑の裏面には「八紘為宇(=八紘一宇)」という文字も見られ、毎年8月には「大東亜聖戦祭」が開催されているということです。それは、日中戦争の最中に、第2次近衛内閣によって閣議決定された、下記の「基本国策要綱」を、しっかり受け継ぐものであり、前頁で触れた昭和天皇の「人間宣言」と呼ばれる「新日本建設に関する詔書」の”天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”に基づくものだと思います。”世界は今や歴史的一大転機に際会し数個の国家群の生成発展を基調とする新なる政治経済文化の創成を見んとし、皇国亦有史以来の大試錬に直...特攻隊員の日記や遺書と”大東亜聖戦大碑”NO3

  • 特攻隊員の手紙・日記とひめゆり学徒隊女生徒の手記NO2

    私は、「今日われ生きてあり」神坂次郎(新潮文庫)を読んで、随分前に読んだ「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善(角川文庫)を読んだ時と同じことを感じました。それは、特攻兵もひめゆり学徒隊の女生徒も、天皇崇拝の徹底した社会環境のなかで育ち、日本の戦争の現実的な動機や実態についてはほとんど知らされることなく、言われるままに、ただひたすら”皇国日本の聖戦”を信じていたということです。その”聖戦”を、昭和天皇の「人間宣言」と呼ばれる「新日本建設に関する詔書」の言葉を借りて表現すれば、”天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”に基き、粉飾され美化された戦争であり、実際に戦われている戦争とは違ったものであったということです。沖縄戦で地獄の苦し...特攻隊員の手紙・日記とひめゆり学徒隊女生徒の手記NO2

  • 特攻隊員・穴沢利夫少尉の手紙・日記・遺書と二つの戦争NO1

    安倍首相は「新しい国へ美しい国へ完成版」(文藝春秋)のなかで、「今日われ生きてあり」神坂次郎(新潮文庫)に掲載されている特攻隊・第20振武隊・穴沢利夫少尉の日記を引き、下記のようなことを書いていることに、前回ふれました。”たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。わたしたちは、いま自由で平和な国に暮らしている。しかしこの自由や民主主義をわたしたちの手で守らなければならない。そして、わたしたちの大切な価値や理想を守ることは、郷土を守ることであり、それはまた、愛しい家族を守ることでもあるのだ。”私は、事実に基づけば、こうした理由で先の日本の戦争を正当化することは歴史の修正だと思いますし、再び戦争を想定して”日本を守る(...特攻隊員・穴沢利夫少尉の手紙・日記・遺書と二つの戦争NO1

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