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ラグビーの歴史アレコレ(11)~人種差別問題を乗り越えたスプリングボクス~END
俺たちは、今やラグビー・チーム以上の存在だ。全てのこと(習慣の違い、肌の違い、先祖の国の違い、宗教の違い、生活環境の違い、何もかも)に慣れないとこの瞬間には出会えなかった。 南アフリカはきっと変わる。 俺たちも変わる。変わらないとならない。
ラグビーの歴史アレコレ(10)~今までの話の総括と勝手に選ぶ日本ラグビーの名選手~
グレート草津が、当時の日本ラグビー界の星だったことを多くの人は知らない。広く知られる前にラグビー界を去ってプロレス界へ身を投じた。 不動のプロップとして活躍後、プロレスラーになった阿修羅原も伝説のラガーマン。でも、一人だけ選ぶなら坂田好弘。
20世紀前半の日本ラグビー界は黄金期にあった。勿論、世界的に見ての強さがどうのこうのいう話では無いけど、国内に於けるラグビー部の数が急増。 登録選手の数だけなら、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、3ヶ国の登録選手数の合計よりも上回っていた。
ラグビーの歴史アレコレ(7)~パプアニューギニアのラグビー~
パプア・ニューギニアは、ラグビーリーグ(13人制ラグビー)の世界的強豪国です。 そして、オーストラリアン・フットボールでは、本家を差し置いて世界一の称号を最も得ている最強国? 大きな誤解ですが、兎に角、パプア・ニューギニア恐るべしです。
北アイルランド帰属問題、スコットランド独立問題など政治フィールドでは、「ノーサイド」の笛はいつまでも聴こえて来ない。 が、アイルランド島とブリテン島の4ユニオン所属選手達は、「ライオンズ」に選出されることをこの上ない名誉としている。
「金は要らない。誇りと名誉の為だ!」という南部イングランドの"エリート"ラグビーに対し、北部イングランドの労働者階級の選手達の不満は募る一方。 週6日労働では土曜の試合に出られない。不公平の上に成り立っていたのがアマチュア・ラグビーだった。
ラグビーの歴史アレコレ(4)~ラグビーには15人制と13人制があり、その両方に7人制がある~「人数制ラグビー事情」
13人制ラグビーの世界的強豪国は、オーストラリア、イングランド、そしてニュージーランド。でも、ワールドカップ優勝回数で圧倒しているオーストラリアの強さが際立っている。 意外なのはパプア・ニューギニアが13人制ラグビーを国技とする強豪国である事実。
ラグビーの歴史アレコレ(3)~ネイションズカップの始まりとセブンズ~
イングランドで始まったラグビーですが、スコットランドやウェールズと"国際試合"やってみたら力は拮抗していた。 "世界大会"開催の機運が一気に高まり、5ヶ国対抗戦(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス)が始まった。
ラグビーの歴史アレコレ(2)~ラグビーはラグビー。サッカーはサッカー。~
アイルランド人は、Associationという言葉の中のsocが「仲間」という意味であること、それに”c”と”er(ヒトの意味)”を加えて、 「フットボールを通じて友人となろう!」みたいな願いを込めて「soccer(サッカー)」と呼んだ。
フットボールの原点は、一つの玉を奪い合いゴールを目指す伝統の祭りハグボール。 そして、1863年にフットボール・アソシエーション協会が発足した当初のルールは、 アイルランドの国技であるゲーリック・フットボールに極めて近いものだった。