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大化改新の方程式(249) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その7
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。・それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証した結果、この説には、『日本書紀』や中国史書の記述を覆すだけの根拠が足りないことを示した。・鎌足がずっと中大兄とコンビでやってきたという先入観を排除すれば、乙巳の変から孝徳崩御まで、鎌足が軽皇子(孝徳天皇)の忠実なる僕(...
大化改新の方程式(241) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その5
かなりインターバルがあいてしまいました。申し訳ございません。4月以降、ビジネス環境がコロナ前に回帰したとたん、多忙を極め土日もない状態が続いています(現在進行形)。とはいえ、閉鎖してしまったと思われるのは哀しいので、暇をみつけてやっとかたちにできた記事を1本あげておきます。【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化...
大化改新の方程式(240) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その4
【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化を企てた。それが皇極・斉明の両期における彼女の“興事”だった。・『日本書紀』皇極紀おいて、八佾の舞や甘樫丘の邸宅建造など蘇我父子の専横の象徴として描かれているものの多くは、宝皇女による飛鳥聖地化に向けた“興事”の一貫であった。彼らは女帝に忠実だったがゆえに、後世、汚名を被るこ...
大化改新の方程式(239) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その3
【前回までのおさらい】・大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化を企てた。それが皇極・斉明の両期における彼女の“興事”だった。・『日本書紀』皇極紀おいて、八佾の舞や甘樫丘の邸宅建造など蘇我父子の専横の象徴として描かれているものの多くは、宝皇女による飛鳥聖地化に向けた“興事”の一貫であった。【ここでの課題】彼女の“興事好き”が、乙巳の変以降の...
大化改新の方程式(238) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き” その2
【前回のおさらい】大規模な人民動員を可能にする中国皇帝を理想像とした宝皇女は、倭国型皇帝の権威を創出するために飛鳥の聖地化を企てた。それが、皇極・斉明の両期における彼女の“興事”だった。【ここでの課題】彼女の“興事好き”が、大化改新前後の出来事にどう関わったのか。宝皇女が最初に行った“興事”に、板蓋宮建造と八角墳造営がある。前者は彼女の“新し物好き”として片付けることができるかもしれないが、後者はそれだけ...
大化改新の方程式(237) 自説のまとめ:宝皇女の“興事好き”
【ここでの課題メモ】前回から始めた自説を振り返るための、自説のまとめ第2弾。その第1弾として前回では、皇極期を通して皇極女帝への圧力となり、上宮王家滅亡事件や乙巳の変に大きく関わる“女帝不可”の思想をとりあげた。『日本書紀』によれば、斉明天皇は“興事好き”で、飛鳥を中心に多くの構造物を創造した。斉明朝の実力者が中大兄皇子や中臣鎌足であったというのでなければ、この所業は斉明こと宝皇女の強烈な個性を示すもの...
大化改新の方程式(236) 自説のまとめ:“女帝不可”の思想
ずいぶんと遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。さて、前回「自説を振り返る」と自らに宿題を課した手前、この年末年始の暇な時間を利用して、過去の記事を読み返してみた。「大化改新の謎解き」をテーマにしつつも、話は6世紀末の穴穂部皇子騒動から663年の白村江の戦いまでおよび、その間、自らトンデモ宣言した説や後日再考すべしとして放置した考えが数多あり、また、自説として残したい考察にも、理屈や資料解...