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こんにちは、ららぽです♪ 前日の殺生石から160メートルほど歩くと、温泉神社に辿り着きました。 「ゆぜんじんじゃ」と読むそうです。 拝殿 奈良朝630年創建 御祭神・三柱大己貴命(おおなむちのみこと)縁結び・商売繁盛・身体健全の神少彦名命(すくなひこなのみこと)医療・酒造り・温泉の神誉田別命(ほんだわけのみこと)武運・紹運の神 境内には昭和天皇の歌碑やお手植えの五葉松もありました。 先日の記事にも乗せたのですがパワーをいただけそうなので、もう一度「生きる」と命名された御神木ミズナラも載せておきます。 樹齢:推定800年 樹高:18メートル 胸高周囲:4メートル いかがです? パワーがみなぎって…
#397 本レビュー『新・平家物語(16)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
屋島の戦い後半の那須与一の海上の扇を弓で射る話から壇ノ浦の戦い寸前までを描いた『新・平家物語(十六) (新潮文庫)』について宗盛の失策で反撃勝利を逃した平家、…
※このページは、『脱出ゲーム 香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム 香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで…
皇大神宮(こうだいじんぐう→神奈川県藤沢市鵠沼神明2丁目)は、勧請年代は不明ながら、平安時代前期の832(天長9)年、平安時代中期の1055(天喜3)年、鎌倉時代後期の1322(元亨2)年、安土桃山時代の1585(天正13)年、昭和時代末期の1985(昭和60)年に社殿の造営記録が残る古社です。社殿によると、平安時代中期の天喜年間(→1053年~1058年)には、後三年合戦に赴く源義家(みなもとのよしいえ)が戦勝祈願を行い、平安時代末期の1184(寿永3)...
日本の音楽家が一から作曲した唱歌集『尋常小学唱歌』(その2)
前に「欧米の民謡をカバーした明治時代初期の翻訳唱歌。原曲の外国民謡とは?」という記事を書きましたが、1910年(明治43年)には、日本の音楽家が一から作曲した唱歌集『尋常小学唱歌』が誕生しており、現代でも有名な唱歌が数多く掲載されています。
江戸川柳でたどる偉人伝(源平合戦時代②)源義経・武蔵坊弁慶・静御前・平景清・那須与一・曾我兄弟・文覚・西行・巴御前
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
香川県警察協会様よりご依頼いただきました、ヨイチ・10cmミニぬいぐるみを動画付きでご紹介!ぬいぐるみ制作をご検討中の方はご覧ください。
屋島の談古嶺からは、源平古戦場「檀の浦」、那須与一の扇の的、義経の弓流し、平家軍の泊地の船隠しなどの史跡を一望できます。やがて、源氏軍が意外に少数と知った平氏軍は、船を屋島・庵治半島の岸に寄せて激しい矢戦を仕掛けてきた。『平家物語』によれば、平氏の猛攻に義経の身も危うくなるが、郎党の佐藤継信が義経の盾となり平氏随一の剛勇平教経に射られて討ち死にした。継信の墓は庵治半島側の牟礼町洲崎寺に、また激戦の...
鎌倉殿の13人 第18話「壇ノ浦で舞った男」その1 ~屋島の戦い~
今回は屋島の戦いから壇ノ浦の戦い、そして腰越状による源頼朝、義経兄弟の決裂まで、一気に話が進みましたね。これが頼朝もしくは義経が主人公の物語であれば、数...
桜を見に栃木県へ その3(道の駅やいた~道の駅那須与一の郷)
道の駅湧水の郷塩谷を出発して国道461号線を進んで行きます。こちらのルートは、関東「道の駅」スタンプラリーで何度も通っているルートです。途中にあるスーパー「ダイユー塩谷店」では、車中泊のために夕食を購入したりしました。道の駅やいた先ほどの道の駅から20分くらいで到着しました。こちらの道の駅は、2016年10月に訪れた時は「矢板花火大会」当日で、駐車場が終日閉鎖されていて焦ったこともありました。案内...