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多井畑厄除八幡宮の近くには、義経腰掛けの松があります。源平合戦の折り、源義経一行は、多井畑厄除八幡宮で先勝祈願をした後、この地の松に腰をかけ休息を取り出陣したと言い伝えられています。義経腰掛の松 1184年(寿永3年)2月7日未明源義経一行は多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願した後、この松の木の下で休息をとり一の谷に向かったと伝えられている。それから後、村人はこの場所に社を作り「ほんがんさん」の愛称で親しみと尊敬...
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。須磨寺でさらに「おもろいもん」巡り。 事件のない花隈町と、晴れてる新開地を通過して、山陽電…
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。尾崎放哉さんゆかりの須磨寺の大師堂へ。あと毘沙門天堂からの景色を眺めます。 事件のない花隈…
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。尾崎放哉さんにゆかりのある、須磨寺にやってきました。 事件のない花隈町と、晴れてる新開地を…
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。須磨寺へ行くため、阪神三宮から山陽電鉄の本線に直通する電車に乗っています。 事件のない花隈…
#314 本レビュー『新版 平家物語(三)』訳 杉本圭三郎 ~とにかく読了 日本の古典~
2023年の読書活動テーマ ”とにかく読了 日本の古典『新版 平家物語(三) 全訳注 (講談社学術文庫)』を読み終えました。次々に消えてゆく平氏一門繰り返され…
中座山 大聖院 教恩寺(→神奈川県鎌倉市大町1丁目)は、戦国時代中期に小田原北条氏の北条氏康(→3代目)が開基、僧の知阿が開山した時宗(じしゅう)寺院です。もともとは鎌倉時代前期に天照山 蓮華院 光明寺(→神奈川県鎌倉市材木座6丁目)北の山際に建てられ、現在地には光明寺の末寺「善昌寺」がありましたが、善昌寺が廃寺になったため、江戸時代前期の1678(延宝6)年に僧の貴誉が現在地へ移転したと記されます。本尊の阿弥陀如来像は...
一ノ谷の戦いは、摂津国福原および須磨で行われた戦いです。寿永3年2月、源範頼、源義経軍は、二手に分かれ、平家軍に攻撃を仕掛けました。福原に拠点をおいていた平家軍に対し、範頼軍は、生田口を襲い、一方義経軍は、平家の背後に回り、一の谷城裏手の断崖絶壁から、一気に駆け下る「逆落とし」を決行したといいます。鵯越の逆落とし『源平合戦図屏風』「一ノ谷」迂回進撃を続ける搦手軍の義経は鵯越(ひよどりごえ)で軍を二分...
須磨寺は源平合戦ゆかりの寺です。源平の庭一ノ谷の戦いでの平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭で、馬上から扇をかざして呼び止める直実と、それに振り向く敦盛の姿がリアルに表現されています。これらの像だけは、震災の時にも壊れなかったそうです。 熊谷直実像直実は、武蔵国熊谷郷の豪族の出身。保元・平治の乱では源氏方でしたが、義朝の死後は一時、平家に仕え、頼朝挙兵後は、再び源氏方につきました。一の谷...
一ノ谷の戦いは、摂津国福原および須磨で行われた戦いです。寿永3年2月、源範頼、源義経軍は、二手に分かれ、平家軍に攻撃を仕掛けました。福原に拠点をおいていた平家軍に対し、範頼軍は、生田口を襲い、一方義経軍は、平家の背後に回り、一の谷城裏手の断崖絶壁から、一気に駆け下る「逆落とし」を決行したといいます。鵯越の逆落とし『源平合戦図屏風』「一ノ谷」一ノ谷の戦いといえば、畠山重忠の「鵯越えで馬を背負う」場面が...
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