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アニメ『平家物語』 第九話「平家流るる」についてTVアニメ「平家物語」公式サイト琵琶法師により語り継がれ、後世の文学や演劇に大きな影響を与えた大古典『平家物語…
#421 本レビュー『幸若舞3 敦盛・夜討曾我他』~とにかく読了 日本の古典~
信長が愛し歌った幸若舞の『敦盛』について疑問があったので『幸若舞 3』を読みました。敦盛は、16歳で討ち死にしていますが、、、なぜ、人間五十年・・・幸若舞 3…
須磨のど真ん中、源平ゆかりの広大な敷地に、実にたくさんの心のより所がある。また過去の事案から今現在のネット社会の諸問題までにも目を向ける姿勢は心強く感じた。
江戸川柳でたどる偉人伝(源平合戦時代①)俊寛・平忠盛・源義朝・常盤御前・平清盛・平忠度・平敦盛・斎藤実盛・源義仲・源三位頼政
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
高野山の熊谷寺(くまがいじ)は、その名の由来である熊谷直実、その師の法然上人等が逗留され、平敦盛並びに源平総死者供養を行ったお寺です。熊谷直実は、京都で法然の弟子となって修行し、出家して蓮生と名を改めました。建久元年(1190年)は敦盛卿の7回忌に当たるにつき、追善法要を営もうと高野山に登り、父祖の菩提寺であった当寺(当時は智識院)に敦盛の位牌および石塔を建立し、敦盛卿の菩提を弔いました。後年その話を聞い...
一ノ谷の戦いは、摂津国福原および須磨で行われた戦いです。寿永3年2月、源範頼、源義経軍は、二手に分かれ、平家軍に攻撃を仕掛けました。福原に拠点をおいていた平家軍に対し、範頼軍は、生田口を襲い、一方義経軍は、平家の背後に回り、一の谷城裏手の断崖絶壁から、一気に駆け下る「逆落とし」を決行したといいます。鵯越の逆落とし『源平合戦図屏風』「一ノ谷」迂回進撃を続ける搦手軍の義経は鵯越(ひよどりごえ)で軍を二分...
須磨寺は源平合戦ゆかりの寺です。源平の庭一ノ谷の戦いでの平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭で、馬上から扇をかざして呼び止める直実と、それに振り向く敦盛の姿がリアルに表現されています。これらの像だけは、震災の時にも壊れなかったそうです。 熊谷直実像直実は、武蔵国熊谷郷の豪族の出身。保元・平治の乱では源氏方でしたが、義朝の死後は一時、平家に仕え、頼朝挙兵後は、再び源氏方につきました。一の谷...