メインカテゴリーを選択しなおす
西光寺の御朱印|迷路のまちのシンボル|尾崎放哉ゆかりのお寺(香川県小豆郡土庄町)
所在地香川県小豆郡土庄町甲200宗 派高野山真言宗札 所小豆島八十八ヶ所 第58番由 緒1579年、中興の祖である龍弘上人が開山した寺院といわれています。HP西光寺土渕海峡と迷路のまち本日は小豆島を旅しています。迷路のまちにある西...
明治時代の自由律俳人である尾崎放哉(1885~1926)は、元々エリート社員であったが、遁世したことで知られている。その遁世後の俳句には、中々見るべきものがある。今日は季節にしたがって、「師走の句」を紹介したい。師走の夜のつめたい寝床が一つあるきりちくま文庫『尾崎放哉全句集』65頁、「独座三昧」遁世というのは、孤独との付き合いである。インド以来、阿蘭若での孤独の坐禅修行の習慣は、形を変えて世界各地に広がっているといって良い。そして、そのなれの果てが、日本に於ける「遁世の系譜」である。日本では、やはり、平安時代末期に於ける遁世修行の流行があり、そこから「聖」という伝統も生み出された。「聖」とは、文字通りの聖者ということでは無い。俗世から離れていることを、「聖」と表現したのである。半面、集団の論理と価値観に裏...尾崎放哉「師走の句」(1)
#4005 天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をばさくるものかは
令和5年9月24日(日) 【旧 八月一〇日 大安】・秋分・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をばさくるものかは ~詠み人しらず 『古今和歌集』 巻14-0701 恋歌四大空を踏み荒らして轟かせる雷でも二人の仲を決して引き離すことは出来
「咳をしても一人」尾崎放哉の終焉の地を訪ねて ~数奇な運命と生涯を辿る旅~
「咳をしても一人」 「入れものが無い 両手で受ける」 山頭火と並び称される自由律俳句の代表俳人、尾崎放哉の句です。 その人生は、類まれで壮絶なものでした。 小豆島の海。尾崎放哉はこの海をどんな気持ちで眺めたのだろうか。 エリート街道まっしぐら、人も羨む美女を嫁に迎え 公私ともに順風満帆であった放哉。 けれど、運命の歯車はいつしか狂い始め、 放哉は41歳で、小豆島で人生を終えることになります。 貧窮の中、粗末な庵で、孤独のうちに迎えた死。 いったい何があったのか・・・? 小豆島にある尾崎放哉記念館、そして放哉の生涯を 私の個人的な感想を交えながらご紹介いたします。 <参考> 最晩年にたどりついた…
※このページは、『脱出ゲーム 香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム 香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで…
※このページは、『脱出ゲーム 香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム 香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで…
鉄塔と月 ガスタンクと月 教会と月 タイトルに使った尾崎放哉の自由律俳句の意味は 「昼の月はなんだか存在そのものが嘘っぽい」
週刊 読書案内 吉村昭「海も暮れきる」(講談社文庫) 昔の職場の人や若い本好きの人たちと続けている、一緒に文学を読む集まりの課題になった吉村昭の「海も暮れきる」(講談社文庫)という小説を読