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覚えるべきことがたくさんありすぎて・・・ 僕が不登校になった時に時に親が僕にしてくれた3つのこと ひとつ目が肯定でもなく否定でもなく、その時の僕の状況を受け入れてくれたこと。 最初はもちろん、「どうして?なぜ行けないの?」から始まって「行かないとみんなから勉強が遅れるよ。」まで、なんとかして、僕を学校に行かそうと思っていた母です。 途中から再登校を促すことをしなかったのはなぜと母親に聞いたら「どうしたら良いのか分からなかったけれど、幼稚園の時から人見知りが激しい子なので小学校も行けないかなと思っていたから、やっぱり行けないかと思った。」とのこと。 「これといったはっきりとした考えなんか何もなか…
家庭内でも子どもと色々な体験ができますよ 昨日のブログで不登校やひきこもった子どもたちをそのまま受け入れてくださいと言うような内容の文章を書きました。 ここでさらにお伝えしたいことがあります。 不登校やひきこもりを否定しないことはみなさんわかっているかと思います。 逆にですよ、肯定してもいけないですからね。 肯定的な発言は本心からですか? そんなわけないですよね。 子どもが不登校やひきこもったりして、「大丈夫。」なんて思える親はいないでしょ。 それなのに、本心を隠して子どもの前では平気を装うなんてしたら、一発で見抜かれてしまいますからね。 だから積極的な肯定も否定もしない。 「理由があって学校…
僕は小学校から学校に行けませんでした。 小学校に行く前から人前に出るのが不安でした。 それは幼稚園の時からすでに始まっていたことでした。 それでも周りのみんなが小学校に行くので僕も頑張って行ったと思います。 正直小学校1年から3年までの記憶はあまり思い出せません。 母親から行き渋っていたと聞きました。 みんなが行くので、小学校に行くことは当たり前のことで、行かないということは悪いことだと僕は感じていたと思います。 でも、怖くて教室には入れなかった。 教室どころか、小学校の正門をくぐることができなかった。 一つはっきりと覚えているのは、小学校の廊下を歩いていたときに感じたひんやりとした空気。 止…
就労支援施設で練習をする彼 支援している人が今考えこんでいます。 フィリピンで就職するべきか? それとも日本で仕事を見つけるべきか? 彼自身に大きな変化が見られたのです。 そのことでフィリピンで就職する予定が大きく揺らいでいるのです。 もちろん、彼にとってはとても良いことなのですが・・・。 そのことがはっきりしてから、そして彼にそのことを話しても良いかと聞いてから皆様にご報告できるかどうかだと思います。 彼は大きく変わりました。 日本では変われなかった彼が、今変わることができたのは、誰の目も気にする必要がないからなのです。 自分自身を見つめて、縮こまることなく、のびのびと前に進んでいる彼です。…
ひとりでも多くの子ども達のご参加をお待ちしています 自分の子どもさんやお知り合いの子さんがひきこもっていたり、不登校で心配されていらっしゃる方へ 不登校やひきこもりの子どもたちは、周囲の目が気になり、身動きが取れずに息苦しい思いをしています。 しかし、環境を変えれば、子どもたちは動くことができるのです。 もちろん日本から離れ環境を変えるだけではなく、そこに回復へのブログラムが必要です。 もちろん私たちは回復へのプログラムを用意しています。 環境を変え、回復プログラムにより、楽しんだり、人との関わりに慣れて、様々な経験から自信を得て、多くの青少年が復学や社会に戻ることができています。 子どもさん…
ひきこもっている皆さん、親孝行まだ大丈夫ですよ。 小学校から22歳まで母親と一緒でした。 流石に16歳頃から一緒にいるのが嫌になりました。 しかし、狭い家の中母親と2人きりになる以外方法はなかったです。 最近になって知ったんですが、こんな状況を母子カプセルと言うんですよね。 母親は人付き合いが全くない人でした。 僕が不登校になってから、〈不登校の親の会〉の集会に毎月参加していました。 それも2つの団体の掛け持ちでした。 高校を卒業する頃からは、〈ひきこもりの親の会〉にも参加していました。 毎月の集会が終わると、お母さん同士で、喫茶店や食事をしたりして家に帰ってきました。 僕のために他のお母さん…
この支援団体には様々な回復のためのプログラムが用意されています。 支援をする人ごとに状況が違うので、どのプログラムがその人に合うのか試す必要があるのです。 僕がすごいなと思ったのは、その人に支援を合わせるというスタンタスです。 通常は、いまある支援プログラムにその人が取り組むのですよね。 でも発達障害の僕たちは器用ではないから。 支援に合わせて努力するなんて難しいことです。 それよりか、自分に合わせて作られた支援が良いに決まっています。 でもそんな支援は簡単には作れないし、お金もかかってしまいます。 1番簡単で、お金もかからない支援は、みんな集めて一緒に支援をしてしまうことです。 それは僕たち…
みんな同じはずと思う日本と他者との違いを認識する世界の国 自信満々でひきこもったり不登校になった人はまずいない。 コミュニケーションを取ることができる人で不登校やひきこもりになる人もまずいない。 逆にいうと、不登校やひきこもっている人の多くは、自信がなくて、周りとのコミュニケーションを取ることに不安を感じている人達だとぼくは思っています。 だったら、自信をつけさせてあげて、コミュニケーションの取り方を身につけさせてあげれば、不登校ではなくなり、ひきこもったりすることもなくなるのかもしれません。 支援者の人たちから、僕はその様に見られていて、支援を受けて回復しました。 今になって、過去を振り返れ…
僕できたんだ。やれたんだ。大学卒業式で泣いた僕です。 出来なかったことができた。 やれなかったことが、やれた。 という体験を積み重ねていく。 日本でもできると思いますが、やはり他人の目が気になって、そもそも日本で、外の世界に出て活動することがとても不安なのです。 だから、僕には無理でしたね。 ひきこもっていたとしても、家から外に出て色々な活動ができる人はそうすれば良いと思います。 僕の様に家から出て、フィリピンで部屋を借りたり、食事も親と別だと高くつくわけですからね。 日本で支援が完結できればそれに越したことはないわけです。 でも現実問題それはとても難しいことです。 だから不登校やひきこもりの…
僕は小学校から22歳までひきこもっていました。 15年間になります。 小学校1年と2年時にそれぞれ5回ほど登校を試みました。 でも正門前で足止めや教室近くでフリーズして断念した記憶があります。 あと歯医者は5回くらいと内科(すごい熱を出しました。)と児童精神科、とフリースクール(母親に騙されて連れて行かれました。)と不登校のこどもたちの居場所にも騙されて連れて行かされました。 あとは、部屋もしくは家の中で滞在していました。 外に出るのは怖くて仕方がなかったので、絶対に歯を悪くしたくないと思って、歯磨きは3食ごとにやっていました。 母親が外から帰ってきた時にはうがいをやるようにとお願いしていまし…
便所飯 青木さんエイジさんシンゴさん経験済みです。 4年間の大学生活で毎日学校に行ってクラスメイトと話をしました。 またクラブはIT同好会に入ってひたすらスキルの向上に努めました。 学校で起こった出来事を逐一青木さんたちに話して、そのことを整理してもらい、必要であればその時点で指示をもらったのです。 また青木さんたちは僕のクラスの同級生を事務所に招待してくれて食事会やBBQを催したりもしてくれました。 とにかく僕に様々な経験を与えてくれたのです。 3年次からはインターン生活を送りました。 そのことで、今度は異年齢の人たちとの交流が始まりました。 青木さんたちは、インターンの会社に関わることがで…
昨日コミニュケーションは現場で学んでいくしかないと僕は書きました。 今思い返しても大学生活という現場の中で僕は多くのことを学んでいきました。 それは15年間近くひきこもっていた僕が知らないことばかりでした。 コミニュケーションを学びはじめた当初は、ただ支援者の人の指導に従うだけでした。 よく言われていたのが、「笑いましょう。」です。 「笑いましょう。」と言われても笑うことができなかった僕です。 東大さんも書いていましたが、人生の中で笑ったことがほぼなかったわけですから、笑い方もわからないわけです。 そういえば、青木さんも「うまく笑われなかった。」と言っていましたね。 ひきこもりや不登校の人たち…
小学校から22歳までひきこもっていた僕です。 大きく分けて二つの大きな問題を抱えていました。 その問題ゆえに、不登校だったわけです。 一つは他者とのコミュニケーションの取り方がわかりませんでした。 取り方がわからないということがわからないと多くの人は思うでしょう。 コミニュケーションの方法なんて学ぶものではなく、自然と身につくものですから。 この団体で支援して来た人全員がコミュニケーションをとることが苦手だったそうです。 一つ不思議なのですが、インターネットやテレビ、新聞などで不登校やひきこもりの問題を扱う場合に、このコミュニケーションの問題を指摘することはあまりないんですよ。 なぜなんでしょ…
ああああ、この手の写真を見ると昔を思い出して胸が痛みます 僕は学校に行けませんでした。 それは学校に怖くて行けなかったからです。 学校に行けない子どもたちの何割かは、学校に本当に行きたくないわけではないと思います。 中には、今の制度の学校には馴染めないという子どもたちや、ただ単に怠けたいという子どもいるとは思います。 でも学校に戻りたいとおもっている子どもも多いのではと僕は思うのです。 子どもが不登校になった時に大切なことは、その理由を周りが知ろうとすることだと思うのです。 でも、「お母さん僕が学校に行けなくなったのは、⚪️⚪️だからです。」なんてはっきりという子どもはそんなにいないわけです。…
このイラストも悲しいな。ひとりぼっち。 小学校から不登校だった僕が抱える困難さはいろいろあったわけです。 ひきこもりから回復して、フィリピンの大学に進んで、僕の人生は一変しました。 そして、彼女ができて、就職をして日本に帰国したのです。 大学に入れてからは、楽しいことの方が圧倒的に多かったです。 小学校から22歳まではこの先どうなるのか、皆目見当がつかず、もやもやした思いに絶えず支配されていました。 しかし、今回22歳までの母親とだけの人生を振り返ってみると、やはり大変なことが山ほどあったのだと思い返すのです。 僕の母親は考えることが好きというか、子どもの僕を見てなんとかしなければといつも思っ…
このイラスト見ると悲しくなります。 あっ宣伝です。 支援する人を募集しています。 たくさんの人は支援できません。 また状況が大変な人も支援者の体力が持たないということで、できないそうです。 それではどんな人の支援が1番できそうかというと、高校生で行けなくなりつつある人。 現在高校1年でこの4月から高校に通っていたけれど、数回程度で行けなくなった人たち。 特に学校に行きたいけれど、不安や恐怖心が先に立っていけない人や不本意な高校に入ってしまい、もうどうすることもできないと格段落ち込んでいる人たち。 この人たちの支援なら少しは自信を持って支援できそうだと青木さんは言っていました。 いや、35年間で…
・他人をとても怖がること。 ・常識を持ち合わせなかったこと。 ・清潔にしていなかったこと。 ・考え方がおかしかったこと。 僕が抱える問題でした。 小学校から22歳まで母親以外と関わってこなかった人間の状況でしょうか。 自分が抱える問題を書き出しましたが、これらが問題だとはひきこもっていた当時は自分で思わなかったわけです。 だって、他人と比較しなかったわけですから。 お風呂には入っていました。 体は洗っていました。 ボデイブラシにボデイシャンプーをつけて胸あたりを数回擦っておしまいでした。 青木さんから、「風呂に入って体をどうやって洗っているの?」と聞かれて、自分の洗い方が不十分だとわかった次第…
大人になって気づく発達障害とは?~定義・特徴・向き合い方までわかりやすく解説~
4月2日は世界自閉症啓発デーです。 世界自閉症啓発デーとは、国連総会において決議され、世界各国で自閉症に関する
気づけば10日間だれもブログを書いていないわけでして、私が書きます。 今までとにかく会社内でお荷物にならないようにと一生懸命でした。 少しは仕事に慣れてきた僕です。 そうしますと周りが見えてきますね。 僕は小学校から22歳までひきこもっていたわけです。 それがフィリピンの大学を出て就職をして今東京に住んでいます。 「昔のことは忘れてきました。」と何度か書いていますが、やはり時々は昔の記憶が思い出されて、そのことで不安になったりはします。 そんな時には、一緒に住んでいる彼女が受け止めてくれるのでなんとかやり過ごしています。 ヒロさんなんかはどうなんだろう。 ヒロさんは随分大変な目にあってきました…
僕は小学校から22歳までひきこもっていました。 つまり義務教育そして高校、大学卒業時までひきこもっていたことになります。 これだけの時間ひきこもっていますと、僕は色々な問題を抱えてしまいました。 1つ目は他人をとても怖がるということです。 母親以外誰とも会話しませんでしたから。 確か、精神科と歯医者と耳鼻科に行ったくらいです。 それと不登校の居場所にも行ったような記憶があります。 通信制高校に通っていた時には、ひきこもり支援団体の事務所に行って、話をした記憶もあります。 その程度です。 2つ目は常識を持ち合わせなかったことです。 うーん何を書けば良いのか。 毎日母親が勉強を教えていたくらいでし…
この写真僕は好きですね 似合ってますよ。青木さんの見立てですよね 母親が実家を売却して、都内にマンションを購入しました。 古くて小さいマンションです。 僕と彼女の為に購入してくれたのです。 そこに母が引っ越してきました。 「田舎にさようならをしたよ。ご近所さんとの関わり合いも切れて良かったと思っている。」と母親はほっとしたような感じで僕に話してくれました。 「田舎は息苦しいね。今回引っ越しをしてみて、お前がひきこもる原因も少しはわかった気がしたよ。」と母。 「それで、明日5口の宅急便がお前のマンションに届くから受け取って欲しい。」と母親から言われたのです。 「中身は何が入っているの?」と僕。 …
青木さんに聞いたところ、支援している20代の青年は頑張って支援プログラムをこなしているそうです。 ただ、経験がとても不足していて、日常生活で色々と指摘することが多くあるそうです。 あまりにも一度に色々と指摘すると混乱したり、自信を無くしたりするので加減しながら指摘しているそうです。 その青年の何が問題でそれに対してどの様な支援をこの団体はしているのか、そして3ヶ月後、6ヶ月後、一年後にどの様な状況になっているのかを報告すれば、この団体がおこなっている支援の内容がわかり、そして成果が出ているのかもはっきりとわかるでしょう。 しかし、それをしないのがこの団体です。 まあ、過去に支援したヒロさんや大…
障害者枠の仕事ではなく、一般就労の仕事につきたいと願っている青年です。 フィリピンの元気回復ツアーに昨年の6月に参加して、最初のツアーでフィリピン人との交流を通して元気と優しさをもらった彼です。 生きている希望がなかった彼ですが、フィリピン人の人たちの朗らかさと、前向きな生き方に、「まだ自分は大丈夫だ。」と感じました。 そして人生の楽しみ方を彼らから教わった彼です。 日本にいた時にはこうでなければいけないという考えに縛られていた彼です。 そんな呪縛から解き放たれた彼は、「もっと人生を楽しみたい。」と思い、人の目を気にしながらの人生に終止符を打つことができたのです。 それで、周りからのアドバイス…
20代の若者が今フィリピンで支援を受けています。 彼は中学生から学校に行けなくなりました。 中学終了後は選択肢が通信制高校しかなくて、通信制高校に進みました。 登校日は週2回で、授業が終わったら帰宅という生活で、1年間クラスの人たちとの交流は何もなかったということでした。 そんな感じの緩やかな通信制高校でしたから、修了することができました。 通信制高校終了後は大学へ進学したかったのですが、不安が強くひきこもってしまいます。 それからネットで私たちの支援に出会いました。 彼はご両親にもこのブログを読んで欲しいとすすめて、ご両親から支援の相談の依頼がありました。 数回の面談の末、一度フィリピンでの…
まだ人生を楽しむことはできます 長らく青木の体調が思わしくなく、僕が団体を引っ張ってきました。 そんな中、今度は僕の体調が良くなくなってきました。 検査の為に一時的に日本に帰りました。 その結果しばらく経過観察が必要だと医師から言われた僕です。 幸い、青木の体調が瑞分と良くなってきて、支援に戻ることができるまでになっています。 しばらくの間、青木に任せて休養をとらせていただきます。 1ヶ月ほどゆっくりとさせていただきます。 5月、6月とそれぞれ支援を受けにフィリピンに来られる人たちがいます。 それまでにはフィリピンに帰ることができる様にしたいと思っています。 支援を受けていた自分が今では支援を…
発達障害凸凹三人衆 私は私の経験から皆様に有益な情報をお伝えできると思います。 それは30年間ひきこもった男の失敗談になります。 まず結論から言いますと、「発達障害の子には小さなときから社会常識をすり込む様に身につけさせてください。」ということです。 私は30年間ひこもっていたということもありますが、社会の常識が身についていません。 30年間誰とも関わっていないという事実はとても大きいのです。 一般的に人は周りを見ることで色々と学んでいきます。 いちいちこまかなことなど教えられていません。 例えば、お風呂に入って体を洗うという行動。 一般的に周りを見て学んでいきます。 私は周りを見て学ぶことが…
体力と健康の管理もお願いしています。 私は働きたいんです。 働いてお給料をもらうことが夢です。 働いてもらったお金で、自分の好きなものを買います。 お世話になった家族にもお金を差し上げることができます。 これは私からの謝罪です。 だから自分なりに一生懸命頑張ってきましたよ。 でもダメでした。 何をやってもダメな自分ということがわかったのです。 自分に失望しました。 フィリピンに来たらなんとかなるだろうという淡い期待は見事に打ち砕かれましたから。 私は失望しても私を支援してくれているスタッフの人たちは、諦めはしませんでした。 とても簡単な仕事からやってみる様にしてくれたのです。 子どものお使いの…
社会で必要とされる人間になりたい 私ダメ人間なのです。 「何をやてもダメなオレ。」って、ヒロさんが良く言っていましたよ。 それもリズムとメロディをつけて、自虐ネタの様に歌っていましたよ。 ヒロさんは、フィリピンで高校と大学を出ました。 家を建てました。 そして雑貨店も経営しています。 6歳になる男の子もいます。 全て自力でおこないました。 「何をやってもダメなオレ。」って違うじゃないですか!! 「何をやってもダメなオレ。」は私ですよ。 そう長く思っていましたよ。 常識の欠如。 他人の関心のなさ。 無気力。 この先生きていても楽しいことなんか何もないから早く死んでしまいたいと思っていました。 痛…
みんなといれば楽しい。 私のブログなんて誰も読んではくれないだろうと思っていました。 だって、失敗しましたとか支援を受けても変われないとか。 そんな内容ばかりの文章を誰が読んでくれるのかと思ったから。 6年間ひきこもった青年が今フィリピンに来ています。 そしてフィリピンで就職活動をしています。 昨年の6月に来た時のことを私はよく覚えていますよ。 手が震えていました。 身体全体も小刻みに震えていました。 話すこともうまくできない青年でした。 それが・・・・。 今は普通に話せます。 身体は震えていません。 それどころか、「フィリピンで仕事を探してもう一度人生をやり直すんだ。」そんなことをはっきりと…
先日このブログで6年間ひきこもった彼が大きく変わったとかきました。 日本から離れてフィリピンに行くことじたい、彼にとっては大きな覚悟が必要だったでしょう。 成田までの電車に乗ること。 成田空港で人混みの中にいること。 満席の飛行機内に4時間耐え続けること。 6年間ひきこもった彼には大きな試練でした。 それでもなんとかしたいと強く願っていた彼は、大きな一歩を踏み出しました。 それだけでも支援者の僕たちには満足でした。 そこからゆっくりと1歩1歩確実に前進していけば良いのですから。 それが、1回目のフィリピン旅行で彼は働きたいと言い出したのです。 もちろんその報告を聞いたご両親も驚かれました。 フ…
1回目のフィリピン旅行を終えて、成田空港内のレストランにて 彼は同級生と交わるのがとても苦手でした。 何を話せば良いのか分からずに、気づけば友達の輪に入れなくなっていたのです。 それでも、なんとか大学まで頑張って出ました。 卒業後は就職もしたのですが、短期間で不安が大きくなり職場に行けなくなってしまいそのまま退職したのです。 退職後はそれでも次の就職先を探したのです。 それと同時に病院にもかかりました。 色々と検査を受けたら、ASDと診断を受けました。 それで就労移行支援サービスでお世話になることになりました。 ビジネスマナーや日常生活での常識などを日々学んだ彼です。 そして、障がい者枠で就労…
支援している生徒が支援プログラムの一環としてサーフィンをしました。 また機会があればやってみたいとのことでした。 彼は中学校から学校に行けなくなってしまいました。 周りの同級生とうまくやっていけないことから、自分がみんなから嫌われているのではないか? 自分が何かみんなと違っているのではないかと不安が強くなり、怖くて学校に行けなくなったのです。 中学卒業後は通信制高校しか選択肢がなくて、通信制高校に進みました。 しかし、彼が望んでいた様な支援は受けられなく、通信制高校終了後はひきこもってしまいました。 彼が欲しがっていた支援とは、周りの人とそこそこうまく交流できる様な自分になれる支援でした。 本…
小さな声では聞こえない 私はビザヤ語を勉強しています。 2年近くになります。 日常会話程度は理解できるまでになりました。 また、英語は5年近く勉強していまして、東大さんよりも英語能力は高いと思っています。 そんな私はなぜ、言葉を学んでいるかと言いますと、日本から来る青少年の支援をするためなのです。 「はあ?お前おかしいんだろ。そんな奴が支援できるわけないだろ。」と思われていると思います。 私もそう思いますから。 しかし、青木さんが「言葉も随分と話せる様になってきたので、6月ごろを目処に支援の練習を開始します。」と私に言いました。 もちろん「私にできますか?」と青木さんに聞きましたら「できるから…
お客様はヨーロッパ圏だけで23ヶ国全体で33ヶ国にものぼります 18年前にフィリピンでの支援を開始しました。 海外での支援が日本より効果的だということはわかっていましたが、海外で1から支援基盤を作り上げることは大変なことで、出来ないとあきらめていました。 日本で1番大きな就労支援施設も作り、作業を細分化し、熟練したスタッフも配置して日々の就労練習に励んでいましたが、やはり国内支援では労多くして成果得ずでした。 それで、海外での支援に舵を切ったのです。 支援が大変ではないケースの人たちへの支援は引き続き日本でも支援をおこなっています。 海外での支援は今年で18年目になります。 当初私たちが想像し…
フィリピンでひきこもりの人たちへの施設を運営しています 東大
僕たちは17年前に初めてフィリピンのシャルガオ島を訪れました。 発達障害の特性が強くて学校や社会に溶け込めない人たちをこの島にお連れして、日本での緊張と不安な日々からしばしリラックスができる場にお連れしたいと考えたのです。 あれから17年が過ぎて、小さなツアーから始まったこのプログラムも今では、50名のお客様を受け入れられる就労支援レストランを運営するまでになりました。 17年間で受け入れた人たちは200名近くにのぼります。 ひきこもりの主たる原因は自分がひきこもったり不登校だったことを知る他者の存在を恐れることからです。 自分が住んでいた場所から遠く離れたとしても、日本国内であればいずれ自分…
海外で就労を目ざすことにした元ひきこもりの青年 7歳から僕は学校に行けなくなってしまいました。 そして22歳までひきこもってしまいました。 そんな僕をなんとかしようとして、母親は不登校の子どもを持つ親の会に参加していました。 義務教育終了後はひきこもりの親の会にも参加していました。 僕の親は親同士での励ましあいや支え合いを期待して参加していました。 でも結局何も変わらないのです。 滅多にないことですが、ひきこもりから回復したら親の会には参加しなくなります。 多くは諦めて会に参加しなくなるケースが多かったと後になって母親からそう聞きました。 僕の母親はこの団体に支援を申し込んでからも親の会に行っ…
私、鼻のかみかたを50歳をすぎるまで知らなかったのです。 「はあ?バカじゃないの?」 「はい、おっしゃる通りバカだと思います。」 日本からフィリピンに移り住んでから、鼻水がよく垂れる様になった私です。 ある時、青木さんや他のスタッフさんたちと食事をとりました。 フィリピンの行政のパーティに呼ばれたんです。 その時、私くしゃみをしました。 大きな声で〈ハクショーン〉とやってしまいました。 勢いよく鼻水と私の唾が周りに飛び散りました。 ちょうど偉い人のスピーチの時で、周りはとも静かでしたから、私は瞬間的に一躍有名人となりました。 すぐにスタッフが私をレストランの外に出してくれました。 そのまま近く…
就労支援レストランのスタッフ 名前はまだない 仕事に少し余裕が出てきた僕です。 休日には東京都内の観光名所を彼女と巡るのが最高に楽しい時となっています。 青木さんの体調はすぐれず、東大さんが孤軍奮闘している中で、僕だけ呑気に生きていて良いのかと悩むこともあります。 青木さんからは、「もうこのブログを書かなくても良いし、過去のことなんか全て忘れてしまえば良いんだよ。覚えていても何も良いことなんかないんだから。」と言われます。 と言われても、7歳から22歳まで絶望の中で生きていたわけですから、そう簡単に忘れることはできません。 ただ、昔の記憶が徐々に薄らいでいるという感じです。 昔のことを思い返す…
フィリピンのおにぎり固くて恐ろしくまずいです。 わたし、頑張っているのですが残念ながらそろそろ潮時と感じ始めてもいます。 でも諦めはしませんが。 あまりにも非常識らしいのです。 らしいというのは、私がそのことにいまだに気づていないのです。 私の行動や考え方などを私自身が問題として受け止めることができたなら、すぐにでもなんとかして変えたいと思うでしょう。 それは私にもわかります。 例えば、私はテニスが好きなのですが、サーブがうまく打てない時がありました。 それは、ボールをトスする時の高さがよくなかったからなのです。 そこが問題点とわかった私は、日々トスの高さを変えました。 自分ではなかなかわかり…
カタンナン小学校でのボランティア活動 私たちが、ボランティア活動の一環として支援しているカタンナン小学校へ岐阜県の南小学校の生徒さんたちがその支援に加わってくださいました。 日本からの荷物とメッセージをカタンナン小学校に届けに行きました。 当日は私たちが支援している日本でひきこもっていた青年もお連れしてスピーチをしてもらいました 彼は覚えたての英語でのスピーチを小学生を前にして、話しました。 こんなに大勢の前で話すのは初めてということでとても緊張していました。 しかし、終わったあとで゜良い経験でしたと伝えてくれました。 人前で話すという経験をもっと増やしていくことも大切なのです。 日本で不登校…
www.youtube.com おすすめに出てきたのでみました。 涙が止まりませんでした。 言葉を話すことができないけれど、話したい。 その希望をテクノロジーが解決しようとしているのです。 素晴らしい研究です。 東大に入った当時にこの記事に出会えたら、迷わずこの研究の為に身を捧げたでしょう。 ああああ、進化するテクノロジーは昨日まで不可能だったことを可能にすることもできるのですね。 だったらこの僕の持つ苦手さもきっと解決できる日々が来ると思いたい。 生きているうちに。 3月度 不登校・ひきこもり・英語留学相談会 下記の日程で無料相談会をおこないます。 日時 3月15日(土) 10:00〜21:…
促音を書くためには、促音がある単語かを見極めた後に、どこにいれるべきかを考える必要があります。 なるべく聞いた
フィリピンで運営に携わるレストランにて 僕は現役で東京大学に入学しました。 親戚に医師がいることから、まわりから医学部への進学を薦められたのですが、医者は自分の性格には合わないと思い、選びませんでした。 今思い直してみますと、医師になるべきだったと後悔しています。 僕の特性ですと医師が1番むいている職業だったんだとわかりましたから。 「息子が医学部を受験するけれど一緒に医学部を受験して、しばらく同級生として大学内で支援してもらえないだろうか。」という話をこの団体にいただきました。 6年前の話です。 青木に「自分は自費でその後も引き続き医学を学んで医者になりたい。」と申し入れたところ、団体から承…
東大に入学できる条件に発達障害の有無は関係ありません。 東京大学の入学試験の成績が入学ラインを超えていれば入学できますし、超えていなければ入学できないだけの話です。 とてもシンプルな話です。 「最近発達障害でも⚪️⚪️できたとか」そんなタイトルの本を目にします。 そんな情報を探しているわけではないのですが、おすすめとして情報が届けられます。 発達障害でもLDと診断されていますと、学ぶことが人より困難なことがあるかと思います。 しかし大部分の場合は発達障害が成績に関係あるとは思えません。 青木はADHDの特性がとても強い人です。 じっとしていることがとても苦手でした。 小学校と中学校でみんなと一…