メインカテゴリーを選択しなおす
こ、こ、これは!! 正直言いますと、自立練習に疲れてしまっていました。 やればやるほど、自分にはこんなにもできないことがあるのか!! 毎日落ち込む日々でした。 家で引きこもっていた時には誰からも何も注意をされなかったけれど、支援団体に来てからは、毎日が注意を受ける日々です。 「注意ではなくて、アドバイスと思ったください。」と言われますけれど、こちらはとても落ち込んでいますから。 なんでもっと早くに支援に繋がらなかったのか? 10代で支援につながっていれば、もう少しは街もな生活が送れたのではと、日々そんなことを考えてため息をついている私です。 このブログを読んでくださっている皆さん、勇気を出して…
偉い人になった気分です!! 母は不登校の僕にいつもそう言って励ましてくれました。 しかし、不登校の当事者だった僕は13歳くらいで、「学校にもいけないのに社会で働くことなんてできるわけないな。」と感じていました。 その思いは、20歳くらいになると確信に近いものになっていき、学校がダメでもこの社会の中のどこかに居場所はあるはずだと思っていた僕の気持ちを奈落の底に突き落としていきました。 あの、この時にですね。 この団体のスタッフの出番なんですよ。 「日本の学校に行けなかったけれど、海外の高校や大学には行けたんだよ。」 「そしたら、日本の社会に戻ることもできたんだ。」 僕がそんな発言を聞いていたら少…
【2025年最新版】オンライン教材「すらら」特徴・料金・評判・出席扱いの仕組みを総まとめ
近年、学びのスタイルは大きく変化しています。 特に注目されているのが、インターネットを活用したオンライン学習。 その中でも「すらら」は、タブレットやパソコンを使った無学年式の自立学習教材として、知って
すららは高い?タブレット教材の料金プランと内容、支払い方法解説
「すららって良さそう…でも料金がちょっと気になる」 無学年式で、わかるまでじっくり学べる「すらら」は、子どものペースに寄り添った学習ができると人気の教材です。 でも、やっぱり気になるのは毎月どれくらい
みんな揃いました。 小学校入学後すぐに学校に行くことに不安を覚えた僕です。 周りとどんなふうに接すれば良いのかわからなかったと今になって思います。 人馴れしていなかった僕です。 今考えると、人馴れしておく練習が必要でした。 でもどうやって、人馴れの練習をするのですか? どこにいけばそんな練習が受けられるのですか? 青木さんに聞いたら「親戚付き合いで歳が近いこどもと遊んだり、近所に歳が近い子がいたりとかなかったの?」と聞かれました。 父親側とは全く親戚付き合いはしていません。 父親が他人と関わるのを嫌がっていましたから。 母親には兄弟が一人いますけれど、その兄弟とは仲が悪いので僕は会ったことがあ…
サーフィンも一様できました 私たちの仲間は定型発達の人たちとの違いがとても大きいため、この社会に溶け込むことがなかなかできません。 それで私たちは、不登校になったり、ひきこもったり、会社を何社も変わったりとかしてしまうのです。 そして私たちは、何が原因なのかに気づくことが苦手です。 いいえ、気づかないと思っていただいた方が良いかと思います。 何が問題か気づいたら、それをなんとかしようと努力できるわけですからね。 気づかないのですよ。 気づいていて、なんとかしようと努力していることがわかれば、この世の中の人たちはそんなに悪い人が多いわけではないと思うので、理解や励ましてもくれるでしょうね。 気づ…
目が悪いので小さな文字が読めません ひとつ良いことがありました。 私は書類作成とか、会計報告とかが苦手だろうなと周りの人たちから思われていましたよ。 でも私はこれから個人事業主になりますので、自分で会計報告とか書類報告などをしないといけないのです。 だから一度説明を受けて、色々とやらされました。 その結果をスタッフがチェックしてくれたのです。 ミスをしていないことにスタッフが驚きました。 「エイジさん、あなたはこんな事務作業はできるんですね。」 嬉しかったです。 久しぶりに褒められましたから。 「できないだろうと決めつけてはいけなかったですね。 でも、簡単なことができなくて、こんな少し複雑なこ…
税関に届ける書類の下書き中 私の仕事は日本とフィリピンを行き来してすることです。 この団体は不登校やひきこもりの人たちの支援として日本食レストランをフィリピンで経営しています。 その食材などを日本から運ぶ仕事をするのです。 また、これから支援が再開して支援する人たちが増えてきますので、その人たちからリクエストされたものを購入して日本からフィリピンへ届ける仕事もしていくのです。 それはメインの仕事ではなく、メインは私の様な高齢者の人でフィリピンで人生をやり直したい人の支援のお手伝いをすることなのです。 その仕事を私と将来一緒になる女性としていくのです。 そうしたら、この団体のスタッフの人たちも私…
強度行動障害とはどんな障害か?原因や知的障害・自閉症との関係、噛みつき・他害・破壊行動への対応、保護者支援までを専門的かつ丁寧に解説。支援者や保護者に役立つ内容を網羅。
お金がないので誕生日はハンバーガーで!! エイジさんのブログを読んで改めて考えさせられたのは、「本当に諦めない人なんだな。」ということ。 確かに僕が初めて会った頃のエイジさんと比べると前向きになったことはわかりますよ。 あの時は、毎日毎日、「ダメだな。なんでこんなふうになっちゃったんだろう。」とか「怖くて死ねなかったんだよな。」って独り言がとても多かったですよね。 でも最後にお世話した時には、そんなマイナスな発言はなくなっていましたよね。 むしろ静かになったので、何を考えているのかがわからなくて、いつも「今はどういう気持ちですか?」って聞いていましたね。 とにかく失敗、失敗、また失敗の連続でし…
私には新しい戦闘服が必要だ 明日はわたしの誕生日です。 明日で56歳になります。 そのうち30年間は自分の部屋でひきこもっていました。 愛用していたテレビゲームもいつの頃からか電源が入らなくなってしまいました。 それ以降は毎日天井の模様を眺めていました。 ラジオも聞くとはなしに流していました。 誰とも話さない日々が30年近く。 話し方も忘れてしまったわたしです。 家族との会話も「風呂沸いた。」「おお。」「ご飯できた。」「おお。」だけ。 痛みがなければ早くこの世からおさらばしたかったわたしです。 明日は誕生日ということでスタッフの人とお祝いを兼ねて食事と買い物に行きました。 そこでスタッフの人か…
頑張れ、みんな頑張れ!! 10年間支援を受け続けてきました。 そしてわかったことは、私は他の人たちと違っているということです。 その違いを埋めることはできないこともわかりました。 で、どうしたら良いのか? この支援で最低限度のことを学んできました。 例えば清潔に保つこと。 入浴や服を着替える習慣をつけること。 案外できていない人が多いんですよ。 私もできていませんでした。 東大さんもできていませんでした。 東大を卒業できる能力と入浴などを習慣化させることは全く違うことなんですね。 不潔ですとやはり社会に溶け込めなくなりますんで。 清潔に保つことは社会の一員として、集団に所属するとしたらとても大…
歳を取ったら日本食しか食べれなくなってきました 私にはできないことがたくさんあります。 皆さんが普通にできるのに私にはできない事なのです。 社会では常識と言われていることを知らないことがある私です。 知ったとしても、その常識を身につけることが苦手な私なのです。 痛みや温度変化に鈍感な私です。 エアコンの温度を16度にして就寝。 そして風邪をひくというパターン。 カバンの留め具が首に当たって肌が赤くなっているのにそのままにしていて、傷が深くなった私です。 周りの人が私に対して色々とアドバイスをしてくれて、私がそのことに気づいて直していけば、時間はかかっても成長はしていくのでしょうね。 残念ながら…
忙しくしておりました。 申し訳ありません。 長くブログが書けない日々が続いていました。 ちよっとハードなプロジェクトがありまして忙殺されておりました。 それはとても良いことなんでしょうね。 私が長期欠席しておりました期間に、エイジさんは婚約に至り、東大さんは体調がほぼ完治したということですね。 青木さんの調子も全快に近くなっているということで、いよいよ本格的に支援再開ですね。 今、支援はお一人の青年をお引き受けしているだけで、その人に支援を集中させているのです。 なんとか苦手とするコミニュケーションがそこそこできるまでになったら良いですね。 まあ、僕から言えることは焦らないことということです。…
不思議なものです。 私のブログを見て、私と会いたいと言ってくれる人が増えてきています。 こんな役立たずな人間に会いたいと言ってくださる。 みなさんこうおっしゃいます。 「失敗し続けても諦めずに日々頑張る姿に感動します。貴方からエネルギーをもらっています。」 感動してくださるのですか!! その言葉だけで私は生きていけます。 日本では30年近く家でじっとしていました。 何も希望はありませんでした。 痛みを感じなければ、早くこの世から姿を消したいと思っていました。 友達もいなかったし、仕事はいくつか試したけれど、家の手伝いくらいしかできなかった。 何もない自分です。 ただ、いつも部屋の天井を眺めてい…
願いが叶うまで思い続けたい 皆様にこれからお付き合いが始まるとご報告してから1ヶ月近くがたちました。 その間誰もブログを書いていませんでした。 テルさんはとても忙しくなった為、かけませんとの報告を私にしてくれました。 私はと言うと・・・・。 練習をしていました。 相手の女性からよく見られたい為に練習をしていました。 結婚を前提にお付き合いが始まりました。 いつもニコニコしている女性です。 私は自分の苦手なところをすべてお話をしました。 隠していてもすぐにバレますし、後からごめんなさいを言われるよりも、最初にダメ出しをしてもらった方が傷は軽傷ですみますから。 片耳が聞こえないことや生まれつき背中…
まるぐらんどforHOME新プラン「ライトプラン」の特徴とメリット
発達特性のあるお子さんに「まるぐらんど」を検討していますか? まるぐらんどは、発達障害やグレーゾーンのお子さんに寄り添った教材。 ではありますが、ちょっと価格が高いかな?と手を出せなかった人もいるので
1年ぶりに日本に帰国しました。 所用がありまして帰国しました。 無事に用事を済ませた私の元に、良い知らせが舞い込みました。 以前から交流していた女性と前向きなお付き合いをしたいとの返事をいただいたのです。 私は信じられませんでした。 その話を聞いた時にはいたずらだと思っていました。 それで青木さんに聞いたところ、相手の方は真剣だそうです。 私のどこが良いのかと自問自答しました。 「一生懸命に自分の事を私に話そうとしていたから。そしてビザヤ語もうまく話せるまで努力されていることに共感した。」そうです。 それで、明日日本に帰国するわずかな時間で、服を買いました。 青木さんから、「いつも綺麗な服を着…
SNSを通して、ひきこもり・不登校などに関する情報がこれでもかと言うくらい僕に流れてきます。 その都度目を通すけれど、「不登校やひきこもりに理由はない。」「悩める人たちの為に居場所を作りました。」「元不登校の人が支援団体を作りました。彼曰く、学校に行かなくても良いのです。」とかとか。 学校にいかなくても生きてはいけると思います。 ただ、僕の場合は学ぶことを通して経済的自立を成し遂げることができました。 僕の将来的な可能性が飛躍的にのびたことは本当です。 経済的自立ができなくても、福祉でお世話になって生きていくこともできます。 経済的自立ができない人のために社会制度がありますからね。 経済的自立…
僕には内緒で母親は色々なところに助けを求めてくれていました。 僕に言うと、プレッシャーになると心配していたから内緒だったのです。 僕の自立が決まった時にそのことを聞くと「忘れてしまったよ。あの時のことはあまり思いだしたくない。」と母は言いました。 「お母さんのその時の気持ちや何を考えて行動したのかを僕が他の人に伝えることはとても大切なことだと思う。」と母親に言ったのです。 今ではそんな話題を出してももう大丈夫ですが、やはり小学校から22歳まで家でじっとしている息子を見続けていた母の気持ちは大変だったんだと、感謝な気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。 このままでは息子はダメになってしま…
母親は僕が学校に行けないことを受け止めてくれました。 そして、家でできることを一緒にしたり教えてくれました。 そうして僕は常識を学んで行く事ができたのです。 ただ、母親でも教えられないことはありました。 例えばそれは恋愛だったり、他者との関わり方などです。 それらのことは支援を受ける中で習得していった僕です。 支援を受けていなければ、分からないままで不安は消えなかったでしょうね。 今回言いたいのは、僕の母親は支援団体を見つけてくれたと言うことです。 支援団体を見つけてくれるまでに色々と試行錯誤をくり返した母です。 不登校の子どもを持つ親の会に参加していました。 そこに集う母親たちは、新しく参加…
社会人との交流がまだできない ブログを休んでおりました。 業務委託を受けている会社様に出向しておりました。 1週間出向しておりましたが、自宅に帰ると食事も取らずに寝てしまうという日々でした。 出向先での私の仕事は難しいものではなく、仕事で疲れるということはありませんでした。 私が疲れた理由は人間関係です。 日本人の私がフィリピン人の社員を連れてきて、英語やビサヤ語で色々と指示をしている姿を見て興味を持たれたのだと思います。 「英語うまいですね。海外の大学で学ばれましたか?外国人とも臆す事なく話されていてすごいなと思いましたよ。」大体こんな感じで出会う多くの人たちから言われます。 私が、その話題…
覚えるべきことがたくさんありすぎて・・・ 僕が不登校になった時に時に親が僕にしてくれた3つのこと ひとつ目が肯定でもなく否定でもなく、その時の僕の状況を受け入れてくれたこと。 最初はもちろん、「どうして?なぜ行けないの?」から始まって「行かないとみんなから勉強が遅れるよ。」まで、なんとかして、僕を学校に行かそうと思っていた母です。 途中から再登校を促すことをしなかったのはなぜと母親に聞いたら「どうしたら良いのか分からなかったけれど、幼稚園の時から人見知りが激しい子なので小学校も行けないかなと思っていたから、やっぱり行けないかと思った。」とのこと。 「これといったはっきりとした考えなんか何もなか…
家庭内でも子どもと色々な体験ができますよ 昨日のブログで不登校やひきこもった子どもたちをそのまま受け入れてくださいと言うような内容の文章を書きました。 ここでさらにお伝えしたいことがあります。 不登校やひきこもりを否定しないことはみなさんわかっているかと思います。 逆にですよ、肯定してもいけないですからね。 肯定的な発言は本心からですか? そんなわけないですよね。 子どもが不登校やひきこもったりして、「大丈夫。」なんて思える親はいないでしょ。 それなのに、本心を隠して子どもの前では平気を装うなんてしたら、一発で見抜かれてしまいますからね。 だから積極的な肯定も否定もしない。 「理由があって学校…
僕は小学校から学校に行けませんでした。 小学校に行く前から人前に出るのが不安でした。 それは幼稚園の時からすでに始まっていたことでした。 それでも周りのみんなが小学校に行くので僕も頑張って行ったと思います。 正直小学校1年から3年までの記憶はあまり思い出せません。 母親から行き渋っていたと聞きました。 みんなが行くので、小学校に行くことは当たり前のことで、行かないということは悪いことだと僕は感じていたと思います。 でも、怖くて教室には入れなかった。 教室どころか、小学校の正門をくぐることができなかった。 一つはっきりと覚えているのは、小学校の廊下を歩いていたときに感じたひんやりとした空気。 止…
就労支援施設で練習をする彼 支援している人が今考えこんでいます。 フィリピンで就職するべきか? それとも日本で仕事を見つけるべきか? 彼自身に大きな変化が見られたのです。 そのことでフィリピンで就職する予定が大きく揺らいでいるのです。 もちろん、彼にとってはとても良いことなのですが・・・。 そのことがはっきりしてから、そして彼にそのことを話しても良いかと聞いてから皆様にご報告できるかどうかだと思います。 彼は大きく変わりました。 日本では変われなかった彼が、今変わることができたのは、誰の目も気にする必要がないからなのです。 自分自身を見つめて、縮こまることなく、のびのびと前に進んでいる彼です。…
ひとりでも多くの子ども達のご参加をお待ちしています 自分の子どもさんやお知り合いの子さんがひきこもっていたり、不登校で心配されていらっしゃる方へ 不登校やひきこもりの子どもたちは、周囲の目が気になり、身動きが取れずに息苦しい思いをしています。 しかし、環境を変えれば、子どもたちは動くことができるのです。 もちろん日本から離れ環境を変えるだけではなく、そこに回復へのブログラムが必要です。 もちろん私たちは回復へのプログラムを用意しています。 環境を変え、回復プログラムにより、楽しんだり、人との関わりに慣れて、様々な経験から自信を得て、多くの青少年が復学や社会に戻ることができています。 子どもさん…
ひきこもっている皆さん、親孝行まだ大丈夫ですよ。 小学校から22歳まで母親と一緒でした。 流石に16歳頃から一緒にいるのが嫌になりました。 しかし、狭い家の中母親と2人きりになる以外方法はなかったです。 最近になって知ったんですが、こんな状況を母子カプセルと言うんですよね。 母親は人付き合いが全くない人でした。 僕が不登校になってから、〈不登校の親の会〉の集会に毎月参加していました。 それも2つの団体の掛け持ちでした。 高校を卒業する頃からは、〈ひきこもりの親の会〉にも参加していました。 毎月の集会が終わると、お母さん同士で、喫茶店や食事をしたりして家に帰ってきました。 僕のために他のお母さん…
この支援団体には様々な回復のためのプログラムが用意されています。 支援をする人ごとに状況が違うので、どのプログラムがその人に合うのか試す必要があるのです。 僕がすごいなと思ったのは、その人に支援を合わせるというスタンタスです。 通常は、いまある支援プログラムにその人が取り組むのですよね。 でも発達障害の僕たちは器用ではないから。 支援に合わせて努力するなんて難しいことです。 それよりか、自分に合わせて作られた支援が良いに決まっています。 でもそんな支援は簡単には作れないし、お金もかかってしまいます。 1番簡単で、お金もかからない支援は、みんな集めて一緒に支援をしてしまうことです。 それは僕たち…
みんな同じはずと思う日本と他者との違いを認識する世界の国 自信満々でひきこもったり不登校になった人はまずいない。 コミュニケーションを取ることができる人で不登校やひきこもりになる人もまずいない。 逆にいうと、不登校やひきこもっている人の多くは、自信がなくて、周りとのコミュニケーションを取ることに不安を感じている人達だとぼくは思っています。 だったら、自信をつけさせてあげて、コミュニケーションの取り方を身につけさせてあげれば、不登校ではなくなり、ひきこもったりすることもなくなるのかもしれません。 支援者の人たちから、僕はその様に見られていて、支援を受けて回復しました。 今になって、過去を振り返れ…
僕できたんだ。やれたんだ。大学卒業式で泣いた僕です。 出来なかったことができた。 やれなかったことが、やれた。 という体験を積み重ねていく。 日本でもできると思いますが、やはり他人の目が気になって、そもそも日本で、外の世界に出て活動することがとても不安なのです。 だから、僕には無理でしたね。 ひきこもっていたとしても、家から外に出て色々な活動ができる人はそうすれば良いと思います。 僕の様に家から出て、フィリピンで部屋を借りたり、食事も親と別だと高くつくわけですからね。 日本で支援が完結できればそれに越したことはないわけです。 でも現実問題それはとても難しいことです。 だから不登校やひきこもりの…
僕は小学校から22歳までひきこもっていました。 15年間になります。 小学校1年と2年時にそれぞれ5回ほど登校を試みました。 でも正門前で足止めや教室近くでフリーズして断念した記憶があります。 あと歯医者は5回くらいと内科(すごい熱を出しました。)と児童精神科、とフリースクール(母親に騙されて連れて行かれました。)と不登校のこどもたちの居場所にも騙されて連れて行かされました。 あとは、部屋もしくは家の中で滞在していました。 外に出るのは怖くて仕方がなかったので、絶対に歯を悪くしたくないと思って、歯磨きは3食ごとにやっていました。 母親が外から帰ってきた時にはうがいをやるようにとお願いしていまし…
便所飯 青木さんエイジさんシンゴさん経験済みです。 4年間の大学生活で毎日学校に行ってクラスメイトと話をしました。 またクラブはIT同好会に入ってひたすらスキルの向上に努めました。 学校で起こった出来事を逐一青木さんたちに話して、そのことを整理してもらい、必要であればその時点で指示をもらったのです。 また青木さんたちは僕のクラスの同級生を事務所に招待してくれて食事会やBBQを催したりもしてくれました。 とにかく僕に様々な経験を与えてくれたのです。 3年次からはインターン生活を送りました。 そのことで、今度は異年齢の人たちとの交流が始まりました。 青木さんたちは、インターンの会社に関わることがで…
昨日コミニュケーションは現場で学んでいくしかないと僕は書きました。 今思い返しても大学生活という現場の中で僕は多くのことを学んでいきました。 それは15年間近くひきこもっていた僕が知らないことばかりでした。 コミニュケーションを学びはじめた当初は、ただ支援者の人の指導に従うだけでした。 よく言われていたのが、「笑いましょう。」です。 「笑いましょう。」と言われても笑うことができなかった僕です。 東大さんも書いていましたが、人生の中で笑ったことがほぼなかったわけですから、笑い方もわからないわけです。 そういえば、青木さんも「うまく笑われなかった。」と言っていましたね。 ひきこもりや不登校の人たち…
小学校から22歳までひきこもっていた僕です。 大きく分けて二つの大きな問題を抱えていました。 その問題ゆえに、不登校だったわけです。 一つは他者とのコミュニケーションの取り方がわかりませんでした。 取り方がわからないということがわからないと多くの人は思うでしょう。 コミニュケーションの方法なんて学ぶものではなく、自然と身につくものですから。 この団体で支援して来た人全員がコミュニケーションをとることが苦手だったそうです。 一つ不思議なのですが、インターネットやテレビ、新聞などで不登校やひきこもりの問題を扱う場合に、このコミュニケーションの問題を指摘することはあまりないんですよ。 なぜなんでしょ…
ああああ、この手の写真を見ると昔を思い出して胸が痛みます 僕は学校に行けませんでした。 それは学校に怖くて行けなかったからです。 学校に行けない子どもたちの何割かは、学校に本当に行きたくないわけではないと思います。 中には、今の制度の学校には馴染めないという子どもたちや、ただ単に怠けたいという子どもいるとは思います。 でも学校に戻りたいとおもっている子どもも多いのではと僕は思うのです。 子どもが不登校になった時に大切なことは、その理由を周りが知ろうとすることだと思うのです。 でも、「お母さん僕が学校に行けなくなったのは、⚪️⚪️だからです。」なんてはっきりという子どもはそんなにいないわけです。…
このイラストも悲しいな。ひとりぼっち。 小学校から不登校だった僕が抱える困難さはいろいろあったわけです。 ひきこもりから回復して、フィリピンの大学に進んで、僕の人生は一変しました。 そして、彼女ができて、就職をして日本に帰国したのです。 大学に入れてからは、楽しいことの方が圧倒的に多かったです。 小学校から22歳まではこの先どうなるのか、皆目見当がつかず、もやもやした思いに絶えず支配されていました。 しかし、今回22歳までの母親とだけの人生を振り返ってみると、やはり大変なことが山ほどあったのだと思い返すのです。 僕の母親は考えることが好きというか、子どもの僕を見てなんとかしなければといつも思っ…
このイラスト見ると悲しくなります。 あっ宣伝です。 支援する人を募集しています。 たくさんの人は支援できません。 また状況が大変な人も支援者の体力が持たないということで、できないそうです。 それではどんな人の支援が1番できそうかというと、高校生で行けなくなりつつある人。 現在高校1年でこの4月から高校に通っていたけれど、数回程度で行けなくなった人たち。 特に学校に行きたいけれど、不安や恐怖心が先に立っていけない人や不本意な高校に入ってしまい、もうどうすることもできないと格段落ち込んでいる人たち。 この人たちの支援なら少しは自信を持って支援できそうだと青木さんは言っていました。 いや、35年間で…
・他人をとても怖がること。 ・常識を持ち合わせなかったこと。 ・清潔にしていなかったこと。 ・考え方がおかしかったこと。 僕が抱える問題でした。 小学校から22歳まで母親以外と関わってこなかった人間の状況でしょうか。 自分が抱える問題を書き出しましたが、これらが問題だとはひきこもっていた当時は自分で思わなかったわけです。 だって、他人と比較しなかったわけですから。 お風呂には入っていました。 体は洗っていました。 ボデイブラシにボデイシャンプーをつけて胸あたりを数回擦っておしまいでした。 青木さんから、「風呂に入って体をどうやって洗っているの?」と聞かれて、自分の洗い方が不十分だとわかった次第…
大人になって気づく発達障害とは?~定義・特徴・向き合い方までわかりやすく解説~
4月2日は世界自閉症啓発デーです。 世界自閉症啓発デーとは、国連総会において決議され、世界各国で自閉症に関する
気づけば10日間だれもブログを書いていないわけでして、私が書きます。 今までとにかく会社内でお荷物にならないようにと一生懸命でした。 少しは仕事に慣れてきた僕です。 そうしますと周りが見えてきますね。 僕は小学校から22歳までひきこもっていたわけです。 それがフィリピンの大学を出て就職をして今東京に住んでいます。 「昔のことは忘れてきました。」と何度か書いていますが、やはり時々は昔の記憶が思い出されて、そのことで不安になったりはします。 そんな時には、一緒に住んでいる彼女が受け止めてくれるのでなんとかやり過ごしています。 ヒロさんなんかはどうなんだろう。 ヒロさんは随分大変な目にあってきました…
僕は小学校から22歳までひきこもっていました。 つまり義務教育そして高校、大学卒業時までひきこもっていたことになります。 これだけの時間ひきこもっていますと、僕は色々な問題を抱えてしまいました。 1つ目は他人をとても怖がるということです。 母親以外誰とも会話しませんでしたから。 確か、精神科と歯医者と耳鼻科に行ったくらいです。 それと不登校の居場所にも行ったような記憶があります。 通信制高校に通っていた時には、ひきこもり支援団体の事務所に行って、話をした記憶もあります。 その程度です。 2つ目は常識を持ち合わせなかったことです。 うーん何を書けば良いのか。 毎日母親が勉強を教えていたくらいでし…
この写真僕は好きですね 似合ってますよ。青木さんの見立てですよね 母親が実家を売却して、都内にマンションを購入しました。 古くて小さいマンションです。 僕と彼女の為に購入してくれたのです。 そこに母が引っ越してきました。 「田舎にさようならをしたよ。ご近所さんとの関わり合いも切れて良かったと思っている。」と母親はほっとしたような感じで僕に話してくれました。 「田舎は息苦しいね。今回引っ越しをしてみて、お前がひきこもる原因も少しはわかった気がしたよ。」と母。 「それで、明日5口の宅急便がお前のマンションに届くから受け取って欲しい。」と母親から言われたのです。 「中身は何が入っているの?」と僕。 …
青木さんに聞いたところ、支援している20代の青年は頑張って支援プログラムをこなしているそうです。 ただ、経験がとても不足していて、日常生活で色々と指摘することが多くあるそうです。 あまりにも一度に色々と指摘すると混乱したり、自信を無くしたりするので加減しながら指摘しているそうです。 その青年の何が問題でそれに対してどの様な支援をこの団体はしているのか、そして3ヶ月後、6ヶ月後、一年後にどの様な状況になっているのかを報告すれば、この団体がおこなっている支援の内容がわかり、そして成果が出ているのかもはっきりとわかるでしょう。 しかし、それをしないのがこの団体です。 まあ、過去に支援したヒロさんや大…
障害者枠の仕事ではなく、一般就労の仕事につきたいと願っている青年です。 フィリピンの元気回復ツアーに昨年の6月に参加して、最初のツアーでフィリピン人との交流を通して元気と優しさをもらった彼です。 生きている希望がなかった彼ですが、フィリピン人の人たちの朗らかさと、前向きな生き方に、「まだ自分は大丈夫だ。」と感じました。 そして人生の楽しみ方を彼らから教わった彼です。 日本にいた時にはこうでなければいけないという考えに縛られていた彼です。 そんな呪縛から解き放たれた彼は、「もっと人生を楽しみたい。」と思い、人の目を気にしながらの人生に終止符を打つことができたのです。 それで、周りからのアドバイス…
20代の若者が今フィリピンで支援を受けています。 彼は中学生から学校に行けなくなりました。 中学終了後は選択肢が通信制高校しかなくて、通信制高校に進みました。 登校日は週2回で、授業が終わったら帰宅という生活で、1年間クラスの人たちとの交流は何もなかったということでした。 そんな感じの緩やかな通信制高校でしたから、修了することができました。 通信制高校終了後は大学へ進学したかったのですが、不安が強くひきこもってしまいます。 それからネットで私たちの支援に出会いました。 彼はご両親にもこのブログを読んで欲しいとすすめて、ご両親から支援の相談の依頼がありました。 数回の面談の末、一度フィリピンでの…
まだ人生を楽しむことはできます 長らく青木の体調が思わしくなく、僕が団体を引っ張ってきました。 そんな中、今度は僕の体調が良くなくなってきました。 検査の為に一時的に日本に帰りました。 その結果しばらく経過観察が必要だと医師から言われた僕です。 幸い、青木の体調が瑞分と良くなってきて、支援に戻ることができるまでになっています。 しばらくの間、青木に任せて休養をとらせていただきます。 1ヶ月ほどゆっくりとさせていただきます。 5月、6月とそれぞれ支援を受けにフィリピンに来られる人たちがいます。 それまでにはフィリピンに帰ることができる様にしたいと思っています。 支援を受けていた自分が今では支援を…
発達障害凸凹三人衆 私は私の経験から皆様に有益な情報をお伝えできると思います。 それは30年間ひきこもった男の失敗談になります。 まず結論から言いますと、「発達障害の子には小さなときから社会常識をすり込む様に身につけさせてください。」ということです。 私は30年間ひこもっていたということもありますが、社会の常識が身についていません。 30年間誰とも関わっていないという事実はとても大きいのです。 一般的に人は周りを見ることで色々と学んでいきます。 いちいちこまかなことなど教えられていません。 例えば、お風呂に入って体を洗うという行動。 一般的に周りを見て学んでいきます。 私は周りを見て学ぶことが…
体力と健康の管理もお願いしています。 私は働きたいんです。 働いてお給料をもらうことが夢です。 働いてもらったお金で、自分の好きなものを買います。 お世話になった家族にもお金を差し上げることができます。 これは私からの謝罪です。 だから自分なりに一生懸命頑張ってきましたよ。 でもダメでした。 何をやってもダメな自分ということがわかったのです。 自分に失望しました。 フィリピンに来たらなんとかなるだろうという淡い期待は見事に打ち砕かれましたから。 私は失望しても私を支援してくれているスタッフの人たちは、諦めはしませんでした。 とても簡単な仕事からやってみる様にしてくれたのです。 子どものお使いの…
社会で必要とされる人間になりたい 私ダメ人間なのです。 「何をやてもダメなオレ。」って、ヒロさんが良く言っていましたよ。 それもリズムとメロディをつけて、自虐ネタの様に歌っていましたよ。 ヒロさんは、フィリピンで高校と大学を出ました。 家を建てました。 そして雑貨店も経営しています。 6歳になる男の子もいます。 全て自力でおこないました。 「何をやってもダメなオレ。」って違うじゃないですか!! 「何をやってもダメなオレ。」は私ですよ。 そう長く思っていましたよ。 常識の欠如。 他人の関心のなさ。 無気力。 この先生きていても楽しいことなんか何もないから早く死んでしまいたいと思っていました。 痛…