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ああああ、この手の写真を見ると昔を思い出して胸が痛みます 僕は学校に行けませんでした。 それは学校に怖くて行けなかったからです。 学校に行けない子どもたちの何割かは、学校に本当に行きたくないわけではないと思います。 中には、今の制度の学校には馴染めないという子どもたちや、ただ単に怠けたいという子どもいるとは思います。 でも学校に戻りたいとおもっている子どもも多いのではと僕は思うのです。 子どもが不登校になった時に大切なことは、その理由を周りが知ろうとすることだと思うのです。 でも、「お母さん僕が学校に行けなくなったのは、⚪️⚪️だからです。」なんてはっきりという子どもはそんなにいないわけです。…
【ご相談】初めましての人がとても緊張、あがり症ママの思い:動画
私はあがり症で不安障害の40代の子育て中の専業主婦ですあがり症の事や九星気学筆文字アートなど好きな事を書いています。よろしくお願いします こんにちは☆文子で…
このイラストも悲しいな。ひとりぼっち。 小学校から不登校だった僕が抱える困難さはいろいろあったわけです。 ひきこもりから回復して、フィリピンの大学に進んで、僕の人生は一変しました。 そして、彼女ができて、就職をして日本に帰国したのです。 大学に入れてからは、楽しいことの方が圧倒的に多かったです。 小学校から22歳まではこの先どうなるのか、皆目見当がつかず、もやもやした思いに絶えず支配されていました。 しかし、今回22歳までの母親とだけの人生を振り返ってみると、やはり大変なことが山ほどあったのだと思い返すのです。 僕の母親は考えることが好きというか、子どもの僕を見てなんとかしなければといつも思っ…
このイラスト見ると悲しくなります。 あっ宣伝です。 支援する人を募集しています。 たくさんの人は支援できません。 また状況が大変な人も支援者の体力が持たないということで、できないそうです。 それではどんな人の支援が1番できそうかというと、高校生で行けなくなりつつある人。 現在高校1年でこの4月から高校に通っていたけれど、数回程度で行けなくなった人たち。 特に学校に行きたいけれど、不安や恐怖心が先に立っていけない人や不本意な高校に入ってしまい、もうどうすることもできないと格段落ち込んでいる人たち。 この人たちの支援なら少しは自信を持って支援できそうだと青木さんは言っていました。 いや、35年間で…
・他人をとても怖がること。 ・常識を持ち合わせなかったこと。 ・清潔にしていなかったこと。 ・考え方がおかしかったこと。 僕が抱える問題でした。 小学校から22歳まで母親以外と関わってこなかった人間の状況でしょうか。 自分が抱える問題を書き出しましたが、これらが問題だとはひきこもっていた当時は自分で思わなかったわけです。 だって、他人と比較しなかったわけですから。 お風呂には入っていました。 体は洗っていました。 ボデイブラシにボデイシャンプーをつけて胸あたりを数回擦っておしまいでした。 青木さんから、「風呂に入って体をどうやって洗っているの?」と聞かれて、自分の洗い方が不十分だとわかった次第…
気づけば10日間だれもブログを書いていないわけでして、私が書きます。 今までとにかく会社内でお荷物にならないようにと一生懸命でした。 少しは仕事に慣れてきた僕です。 そうしますと周りが見えてきますね。 僕は小学校から22歳までひきこもっていたわけです。 それがフィリピンの大学を出て就職をして今東京に住んでいます。 「昔のことは忘れてきました。」と何度か書いていますが、やはり時々は昔の記憶が思い出されて、そのことで不安になったりはします。 そんな時には、一緒に住んでいる彼女が受け止めてくれるのでなんとかやり過ごしています。 ヒロさんなんかはどうなんだろう。 ヒロさんは随分大変な目にあってきました…
私はあがり症で不安障害の40代の子育て中の専業主婦ですあがり症の事や九星気学筆文字アートなど好きな事を書いています。よろしくお願いします こんにちは☆文子で…
こんばんは、桜が咲きましたね 気持ちはまだ落ち込む日が多く、今年は低空飛行長年使っていたデジタルカメラがついに不調 オキ「買い替えるか?スマホのカメラでいいんじゃね?」 できればスマホじゃないカメラが欲しいなずっといろんな物を撮ってきた今のカメラ ペットのスー、前飼っていたペット ベランダから撮った綺麗な色の空、プランターに積もった雪プランター菜園の作物 私の生きている小さな部屋からの記録修理には...
僕は小学校から22歳までひきこもっていました。 つまり義務教育そして高校、大学卒業時までひきこもっていたことになります。 これだけの時間ひきこもっていますと、僕は色々な問題を抱えてしまいました。 1つ目は他人をとても怖がるということです。 母親以外誰とも会話しませんでしたから。 確か、精神科と歯医者と耳鼻科に行ったくらいです。 それと不登校の居場所にも行ったような記憶があります。 通信制高校に通っていた時には、ひきこもり支援団体の事務所に行って、話をした記憶もあります。 その程度です。 2つ目は常識を持ち合わせなかったことです。 うーん何を書けば良いのか。 毎日母親が勉強を教えていたくらいでし…
この写真僕は好きですね 似合ってますよ。青木さんの見立てですよね 母親が実家を売却して、都内にマンションを購入しました。 古くて小さいマンションです。 僕と彼女の為に購入してくれたのです。 そこに母が引っ越してきました。 「田舎にさようならをしたよ。ご近所さんとの関わり合いも切れて良かったと思っている。」と母親はほっとしたような感じで僕に話してくれました。 「田舎は息苦しいね。今回引っ越しをしてみて、お前がひきこもる原因も少しはわかった気がしたよ。」と母。 「それで、明日5口の宅急便がお前のマンションに届くから受け取って欲しい。」と母親から言われたのです。 「中身は何が入っているの?」と僕。 …
青木さんに聞いたところ、支援している20代の青年は頑張って支援プログラムをこなしているそうです。 ただ、経験がとても不足していて、日常生活で色々と指摘することが多くあるそうです。 あまりにも一度に色々と指摘すると混乱したり、自信を無くしたりするので加減しながら指摘しているそうです。 その青年の何が問題でそれに対してどの様な支援をこの団体はしているのか、そして3ヶ月後、6ヶ月後、一年後にどの様な状況になっているのかを報告すれば、この団体がおこなっている支援の内容がわかり、そして成果が出ているのかもはっきりとわかるでしょう。 しかし、それをしないのがこの団体です。 まあ、過去に支援したヒロさんや大…
障害者枠の仕事ではなく、一般就労の仕事につきたいと願っている青年です。 フィリピンの元気回復ツアーに昨年の6月に参加して、最初のツアーでフィリピン人との交流を通して元気と優しさをもらった彼です。 生きている希望がなかった彼ですが、フィリピン人の人たちの朗らかさと、前向きな生き方に、「まだ自分は大丈夫だ。」と感じました。 そして人生の楽しみ方を彼らから教わった彼です。 日本にいた時にはこうでなければいけないという考えに縛られていた彼です。 そんな呪縛から解き放たれた彼は、「もっと人生を楽しみたい。」と思い、人の目を気にしながらの人生に終止符を打つことができたのです。 それで、周りからのアドバイス…
20代の若者が今フィリピンで支援を受けています。 彼は中学生から学校に行けなくなりました。 中学終了後は選択肢が通信制高校しかなくて、通信制高校に進みました。 登校日は週2回で、授業が終わったら帰宅という生活で、1年間クラスの人たちとの交流は何もなかったということでした。 そんな感じの緩やかな通信制高校でしたから、修了することができました。 通信制高校終了後は大学へ進学したかったのですが、不安が強くひきこもってしまいます。 それからネットで私たちの支援に出会いました。 彼はご両親にもこのブログを読んで欲しいとすすめて、ご両親から支援の相談の依頼がありました。 数回の面談の末、一度フィリピンでの…
まだ人生を楽しむことはできます 長らく青木の体調が思わしくなく、僕が団体を引っ張ってきました。 そんな中、今度は僕の体調が良くなくなってきました。 検査の為に一時的に日本に帰りました。 その結果しばらく経過観察が必要だと医師から言われた僕です。 幸い、青木の体調が瑞分と良くなってきて、支援に戻ることができるまでになっています。 しばらくの間、青木に任せて休養をとらせていただきます。 1ヶ月ほどゆっくりとさせていただきます。 5月、6月とそれぞれ支援を受けにフィリピンに来られる人たちがいます。 それまでにはフィリピンに帰ることができる様にしたいと思っています。 支援を受けていた自分が今では支援を…
発達障害凸凹三人衆 私は私の経験から皆様に有益な情報をお伝えできると思います。 それは30年間ひきこもった男の失敗談になります。 まず結論から言いますと、「発達障害の子には小さなときから社会常識をすり込む様に身につけさせてください。」ということです。 私は30年間ひこもっていたということもありますが、社会の常識が身についていません。 30年間誰とも関わっていないという事実はとても大きいのです。 一般的に人は周りを見ることで色々と学んでいきます。 いちいちこまかなことなど教えられていません。 例えば、お風呂に入って体を洗うという行動。 一般的に周りを見て学んでいきます。 私は周りを見て学ぶことが…
体力と健康の管理もお願いしています。 私は働きたいんです。 働いてお給料をもらうことが夢です。 働いてもらったお金で、自分の好きなものを買います。 お世話になった家族にもお金を差し上げることができます。 これは私からの謝罪です。 だから自分なりに一生懸命頑張ってきましたよ。 でもダメでした。 何をやってもダメな自分ということがわかったのです。 自分に失望しました。 フィリピンに来たらなんとかなるだろうという淡い期待は見事に打ち砕かれましたから。 私は失望しても私を支援してくれているスタッフの人たちは、諦めはしませんでした。 とても簡単な仕事からやってみる様にしてくれたのです。 子どものお使いの…
社会で必要とされる人間になりたい 私ダメ人間なのです。 「何をやてもダメなオレ。」って、ヒロさんが良く言っていましたよ。 それもリズムとメロディをつけて、自虐ネタの様に歌っていましたよ。 ヒロさんは、フィリピンで高校と大学を出ました。 家を建てました。 そして雑貨店も経営しています。 6歳になる男の子もいます。 全て自力でおこないました。 「何をやってもダメなオレ。」って違うじゃないですか!! 「何をやってもダメなオレ。」は私ですよ。 そう長く思っていましたよ。 常識の欠如。 他人の関心のなさ。 無気力。 この先生きていても楽しいことなんか何もないから早く死んでしまいたいと思っていました。 痛…
みんなといれば楽しい。 私のブログなんて誰も読んではくれないだろうと思っていました。 だって、失敗しましたとか支援を受けても変われないとか。 そんな内容ばかりの文章を誰が読んでくれるのかと思ったから。 6年間ひきこもった青年が今フィリピンに来ています。 そしてフィリピンで就職活動をしています。 昨年の6月に来た時のことを私はよく覚えていますよ。 手が震えていました。 身体全体も小刻みに震えていました。 話すこともうまくできない青年でした。 それが・・・・。 今は普通に話せます。 身体は震えていません。 それどころか、「フィリピンで仕事を探してもう一度人生をやり直すんだ。」そんなことをはっきりと…
先日このブログで6年間ひきこもった彼が大きく変わったとかきました。 日本から離れてフィリピンに行くことじたい、彼にとっては大きな覚悟が必要だったでしょう。 成田までの電車に乗ること。 成田空港で人混みの中にいること。 満席の飛行機内に4時間耐え続けること。 6年間ひきこもった彼には大きな試練でした。 それでもなんとかしたいと強く願っていた彼は、大きな一歩を踏み出しました。 それだけでも支援者の僕たちには満足でした。 そこからゆっくりと1歩1歩確実に前進していけば良いのですから。 それが、1回目のフィリピン旅行で彼は働きたいと言い出したのです。 もちろんその報告を聞いたご両親も驚かれました。 フ…
1回目のフィリピン旅行を終えて、成田空港内のレストランにて 彼は同級生と交わるのがとても苦手でした。 何を話せば良いのか分からずに、気づけば友達の輪に入れなくなっていたのです。 それでも、なんとか大学まで頑張って出ました。 卒業後は就職もしたのですが、短期間で不安が大きくなり職場に行けなくなってしまいそのまま退職したのです。 退職後はそれでも次の就職先を探したのです。 それと同時に病院にもかかりました。 色々と検査を受けたら、ASDと診断を受けました。 それで就労移行支援サービスでお世話になることになりました。 ビジネスマナーや日常生活での常識などを日々学んだ彼です。 そして、障がい者枠で就労…
支援している生徒が支援プログラムの一環としてサーフィンをしました。 また機会があればやってみたいとのことでした。 彼は中学校から学校に行けなくなってしまいました。 周りの同級生とうまくやっていけないことから、自分がみんなから嫌われているのではないか? 自分が何かみんなと違っているのではないかと不安が強くなり、怖くて学校に行けなくなったのです。 中学卒業後は通信制高校しか選択肢がなくて、通信制高校に進みました。 しかし、彼が望んでいた様な支援は受けられなく、通信制高校終了後はひきこもってしまいました。 彼が欲しがっていた支援とは、周りの人とそこそこうまく交流できる様な自分になれる支援でした。 本…
小さな声では聞こえない 私はビザヤ語を勉強しています。 2年近くになります。 日常会話程度は理解できるまでになりました。 また、英語は5年近く勉強していまして、東大さんよりも英語能力は高いと思っています。 そんな私はなぜ、言葉を学んでいるかと言いますと、日本から来る青少年の支援をするためなのです。 「はあ?お前おかしいんだろ。そんな奴が支援できるわけないだろ。」と思われていると思います。 私もそう思いますから。 しかし、青木さんが「言葉も随分と話せる様になってきたので、6月ごろを目処に支援の練習を開始します。」と私に言いました。 もちろん「私にできますか?」と青木さんに聞きましたら「できるから…
お客様はヨーロッパ圏だけで23ヶ国全体で33ヶ国にものぼります 18年前にフィリピンでの支援を開始しました。 海外での支援が日本より効果的だということはわかっていましたが、海外で1から支援基盤を作り上げることは大変なことで、出来ないとあきらめていました。 日本で1番大きな就労支援施設も作り、作業を細分化し、熟練したスタッフも配置して日々の就労練習に励んでいましたが、やはり国内支援では労多くして成果得ずでした。 それで、海外での支援に舵を切ったのです。 支援が大変ではないケースの人たちへの支援は引き続き日本でも支援をおこなっています。 海外での支援は今年で18年目になります。 当初私たちが想像し…
フィリピンでひきこもりの人たちへの施設を運営しています 東大
僕たちは17年前に初めてフィリピンのシャルガオ島を訪れました。 発達障害の特性が強くて学校や社会に溶け込めない人たちをこの島にお連れして、日本での緊張と不安な日々からしばしリラックスができる場にお連れしたいと考えたのです。 あれから17年が過ぎて、小さなツアーから始まったこのプログラムも今では、50名のお客様を受け入れられる就労支援レストランを運営するまでになりました。 17年間で受け入れた人たちは200名近くにのぼります。 ひきこもりの主たる原因は自分がひきこもったり不登校だったことを知る他者の存在を恐れることからです。 自分が住んでいた場所から遠く離れたとしても、日本国内であればいずれ自分…
海外で就労を目ざすことにした元ひきこもりの青年 7歳から僕は学校に行けなくなってしまいました。 そして22歳までひきこもってしまいました。 そんな僕をなんとかしようとして、母親は不登校の子どもを持つ親の会に参加していました。 義務教育終了後はひきこもりの親の会にも参加していました。 僕の親は親同士での励ましあいや支え合いを期待して参加していました。 でも結局何も変わらないのです。 滅多にないことですが、ひきこもりから回復したら親の会には参加しなくなります。 多くは諦めて会に参加しなくなるケースが多かったと後になって母親からそう聞きました。 僕の母親はこの団体に支援を申し込んでからも親の会に行っ…
私、鼻のかみかたを50歳をすぎるまで知らなかったのです。 「はあ?バカじゃないの?」 「はい、おっしゃる通りバカだと思います。」 日本からフィリピンに移り住んでから、鼻水がよく垂れる様になった私です。 ある時、青木さんや他のスタッフさんたちと食事をとりました。 フィリピンの行政のパーティに呼ばれたんです。 その時、私くしゃみをしました。 大きな声で〈ハクショーン〉とやってしまいました。 勢いよく鼻水と私の唾が周りに飛び散りました。 ちょうど偉い人のスピーチの時で、周りはとも静かでしたから、私は瞬間的に一躍有名人となりました。 すぐにスタッフが私をレストランの外に出してくれました。 そのまま近く…
就労支援レストランのスタッフ 名前はまだない 仕事に少し余裕が出てきた僕です。 休日には東京都内の観光名所を彼女と巡るのが最高に楽しい時となっています。 青木さんの体調はすぐれず、東大さんが孤軍奮闘している中で、僕だけ呑気に生きていて良いのかと悩むこともあります。 青木さんからは、「もうこのブログを書かなくても良いし、過去のことなんか全て忘れてしまえば良いんだよ。覚えていても何も良いことなんかないんだから。」と言われます。 と言われても、7歳から22歳まで絶望の中で生きていたわけですから、そう簡単に忘れることはできません。 ただ、昔の記憶が徐々に薄らいでいるという感じです。 昔のことを思い返す…
フィリピンのおにぎり固くて恐ろしくまずいです。 わたし、頑張っているのですが残念ながらそろそろ潮時と感じ始めてもいます。 でも諦めはしませんが。 あまりにも非常識らしいのです。 らしいというのは、私がそのことにいまだに気づていないのです。 私の行動や考え方などを私自身が問題として受け止めることができたなら、すぐにでもなんとかして変えたいと思うでしょう。 それは私にもわかります。 例えば、私はテニスが好きなのですが、サーブがうまく打てない時がありました。 それは、ボールをトスする時の高さがよくなかったからなのです。 そこが問題点とわかった私は、日々トスの高さを変えました。 自分ではなかなかわかり…
カタンナン小学校でのボランティア活動 私たちが、ボランティア活動の一環として支援しているカタンナン小学校へ岐阜県の南小学校の生徒さんたちがその支援に加わってくださいました。 日本からの荷物とメッセージをカタンナン小学校に届けに行きました。 当日は私たちが支援している日本でひきこもっていた青年もお連れしてスピーチをしてもらいました 彼は覚えたての英語でのスピーチを小学生を前にして、話しました。 こんなに大勢の前で話すのは初めてということでとても緊張していました。 しかし、終わったあとで゜良い経験でしたと伝えてくれました。 人前で話すという経験をもっと増やしていくことも大切なのです。 日本で不登校…
www.youtube.com おすすめに出てきたのでみました。 涙が止まりませんでした。 言葉を話すことができないけれど、話したい。 その希望をテクノロジーが解決しようとしているのです。 素晴らしい研究です。 東大に入った当時にこの記事に出会えたら、迷わずこの研究の為に身を捧げたでしょう。 ああああ、進化するテクノロジーは昨日まで不可能だったことを可能にすることもできるのですね。 だったらこの僕の持つ苦手さもきっと解決できる日々が来ると思いたい。 生きているうちに。 3月度 不登校・ひきこもり・英語留学相談会 下記の日程で無料相談会をおこないます。 日時 3月15日(土) 10:00〜21:…
フィリピンで運営に携わるレストランにて 僕は現役で東京大学に入学しました。 親戚に医師がいることから、まわりから医学部への進学を薦められたのですが、医者は自分の性格には合わないと思い、選びませんでした。 今思い直してみますと、医師になるべきだったと後悔しています。 僕の特性ですと医師が1番むいている職業だったんだとわかりましたから。 「息子が医学部を受験するけれど一緒に医学部を受験して、しばらく同級生として大学内で支援してもらえないだろうか。」という話をこの団体にいただきました。 6年前の話です。 青木に「自分は自費でその後も引き続き医学を学んで医者になりたい。」と申し入れたところ、団体から承…
東大に入学できる条件に発達障害の有無は関係ありません。 東京大学の入学試験の成績が入学ラインを超えていれば入学できますし、超えていなければ入学できないだけの話です。 とてもシンプルな話です。 「最近発達障害でも⚪️⚪️できたとか」そんなタイトルの本を目にします。 そんな情報を探しているわけではないのですが、おすすめとして情報が届けられます。 発達障害でもLDと診断されていますと、学ぶことが人より困難なことがあるかと思います。 しかし大部分の場合は発達障害が成績に関係あるとは思えません。 青木はADHDの特性がとても強い人です。 じっとしていることがとても苦手でした。 小学校と中学校でみんなと一…
3月度 不登校・ひきこもり・英語留学相談会 下記の日程で無料相談会をおこないます。 日時 3月15日(土) 10:00〜21:00 3月16日(日) 10:00〜21:00 場所 品川プリンスホテルNタワーラウンジ (JR品川駅下車高輪口方面徒歩2分) 1人2時間以内でお願いします。 費用 無料です。 相談内容 〈不登校〉〈ひきこもり〉〈発達障害〉〈留学〉に関することでしたらなんでも ・4月から進路が決まっていないお子さんの進路先として英語留学を考えてみませんか。 ・今学校に行けていない人へ オンラインで英語の勉強をしませんか。 現在7名の方がオンラインで英語の勉強に励んでいます。 ※ 海外留…
2007年 ビジネスホテルチェックイン 宅急便 銀行の練習 おまえのことだろうが!! はい、その通りです。 僕は母親が亡くなった後は、1人でどうやって生きていけば良いのかと悩んでいました。 できたら母と一緒に死んでしまってもいいなとも思っていました。 何の喜びもない人生でしたから。 母が亡くなったのは、僕がフィリピンでもう一度やり直すと決めてフィリピンへ旅たった2日後でした。 高齢でもあった母ですが、どこも悪くはなく、なくなる前日も普段通りの母だったと聞いています。 ベッドで横たわる母親は穏やかな表情だったと聞きました。 「お前がこれから1人で生きていくと分かって、安心したんだよ。お母さんはお…
青木の写真これしかないです 青木は小学校でひどいいじめを受けて怪我をおい、入院しました。 不安になったご両親は引っ越しをして青木は違う小学校に通いました。 でも新しい小学校でもいじめがあり、青木は怪我を負い2度目の入院となりました。 中学校は頑張ったそうです。 高校は底辺高校に入学。 そして今まで以上の暴力を振るわれ怪我をおい、そして底辺校を退学しました。 この時の暴力は青木のおかしさに同級生が苛立ち、排除すべく暴力をふるった小学校のケースとは違うのです。 小学校5年、6年の2年間で担任の川島先生から徹底的な個別支援を受けたことで、青木は変わることができたのです。 それで小学校5年からはいじめ…
きもっ玉母さんタイプの女性スタッフ まずは僕たちが支援している人たちが不登校やひきこもりになった原因というものは、同級生とのコミニュケーションが取りづらくて、仲間外れにされたり、不安が強くなって登校できなくなったタイプの人たちがほとんどです。 だったら、同級生とのコミニュケーションが取れる様にすることが周りで支援する人たちが第一に考えるべきことです。 フリースクールでも通信高校でもなんでもいいんですけれど、その点を考えた上での支援があるかどうかです。 それが最も大切なことなのですから。 コミニュケーションを取れる様にする支援があるかないかを調べて、なければそんな支援をしてくれる団体を探すしかな…
青木の写真はこれしかないです 何度も同じことを書いています。 でも大切なことなので書きます。 URUHOME(ウルホーム)を運営する株式会社ドリームプランニングが〈小中学校の不登校に関する調査〉をおこないました。 その中に「もし我が子が不登校になったらどうしますか?」という項目がありました。 その質問に対する上位3つの答えが 1、「フリースクールを含めて転校を検討する。」 2、「学校に行く代わりの勉強をさせる。」 3、「原因の徹底究明&解決に務める。」 でした。 同世代から遅れてしまわない様にと、学校に行く代わりの勉強をさせることは大切なことです。 転校を検討するということは、いじめに対してす…
やり切ったと自分が思うまでやりましょうよ!! あのう、私お邪魔じゃないですか? 1人だけ蚊帳の外な私です。 中学から不登校で、通信制高校を出た後ひきこもってしまった少年は、フィリピンに来て、日本では外すことができなかった、サングラスとマスクを外したまま過ごしました。 そして、ボクシングやジムで体を鍛えたい。 サーフィンもやってとても楽しかった。 朝から夜まで英語漬け。 そして秋からフィリピンの学校に挑戦するということらしいです。 すごいな。 青年は6年間一人暮らしをしていたアパートから出られずに、カーテンを引いたままにして、そっと息を殺して生活していました。 ブログで私や東大さんの頑張りを見て…
50代でフィリピンの大学に入学しました。 僕も青木も、ヒロさんも、テルさんも支援したすべての人たちが、学校に戻りたかった。 みんながいる場所に戻りたかった。 「学校に行けなくなってせいせいした。」なんて発言35年間の支援で一度も聞いたことがない僕たちです。 みんながいる場所に戻りたかった。 フリースクールとフリースペースにも行ったことがあるヒロさんは、「悪くはなかったけれど、なんか違うんだよね。」と言っていました。 言い換えれは、そこにはみんなはいないからでしょうか? 「集団行動でのやり方やクラスの同級生とどの様に会話すれば良いのか? そんなことがわかっていれば、みんなからいじめられはしなかっ…
不登校だった2人があちらこちらで講演会をしました 東大で不登校って聞いたことないのではないですか? 東大までいきながらしかも優秀な成績だったのに不登校になった。 不登校というと普通は小学校や中学校の期間のことを想像しますよね。 東大を出た後に進んだ東大大学院で不登校って・・・・。 だれも想像すらできないでしょうね。 だから余計にはずかしてく仕方がなかった僕です。 東大大学院の研究室でまわりの研究生仲間から、毎日の様に責められつづけれていた僕です。 日が経つにつれて彼らの言動が激しさを増してきました。 とうとう怖くなって大学に通えなくなった僕です。 だからといって僕は東大を恨んではいません。 当…
僕は東大を卒業した後、東大大学院に進みました。 そこで研究をしはじめたのです。 研究室で光合成に関する研究に取り組んでいました。 その研究の先には、食糧難に対する答えが見つかるはずだと研究室の全員が日々とても高いモチベーションで研究にのぞんでいました。 研究は1人の天才の力で成し得るものではありません。 その影にはたくさんの人たちの協力があるのです。 研究に必要なのは協力なのですから。 研究に必要なのは協力体制。 1人の研究員は自分の研究はもちろんのこと、他の研究員のことを考えながら、時には研究室全体のことも考えなくてなりません。 と書いて・・・。 それは僕には無理だったということ。 今なら、…
インターナショナルハイスクール入学前に映画に出たことも良かった!! ヒロさんは服を破られたり、教科書をどぶ川に捨てられたり、机の引き出しの中に動物の死骸をいれられたりしたそうです。 それでも彼は小学校に行き続けました。 学校が楽しかったそうです。 こんな目にあわせられても? 「だれかがギャグを言って、みんなが一斉に笑う。あの瞬間は最高だ。」と僕に話してくれたことがありました。 そんなヒロさんも集団暴行を受け怪我をしたことから、学校に行けなくなりました。 中学ならいじめられないかなと思ったヒロさんです。 高校ではいじめはないだろうと希望を持ったヒロさんです。 結局彼は「死んでも学校なんか行くもの…
3月度 不登校・ひきこもり・英語留学相談会 下記の日程で無料相談会をおこないます。 日時 3月15日(土) 10:00〜21:00 3月16日(日) 10:00〜21:00 場所 品川プリンスホテルNタワーラウンジ (JR品川駅下車高輪口方面徒歩2分) 1人2時間以内でお願いします。 費用 無料です。 相談内容 〈不登校〉〈ひきこもり〉〈発達障害〉〈留学〉に関することでしたらなんでも ・4月から進路が決まっていないお子さんの進路先として英語留学を考えてみませんか。 ・今学校に行けていない人へ オンラインで英語の勉強をしませんか。 現在5名の方がオンラインで英語の勉強に励んでいます。 ※ 海外留…
7年前の僕です ということです。 36年間の支援活動で1000人近くの不登校やひきこもりの人たちと関わってきた僕たちです。 関わった彼らは親を憎んではいないのです。 相談会でよく耳にするのが、苦しんでいる子どもに何もやってやれなかったというご両親の後悔です。 きっと子どもは親を憎んでいるに違いないと悲しんでいる親御さんの姿を目にします。 それで、元不登校で30年間ひきこもった当事者の僕が言います。 親を恨んでいる子どもにあったことはまずないです。 もちろん不登校やひきこもっている子どもが親に対してフレンドリーな態度を取る人もまずいないということです。 結論としては、そんなことを心配する必要はな…
ひきこもりから回復して、30年ぶりに訪問できました 不登校やひきこもりの原因が、他者とのコミニュケーションがうまく取れないことと僕は昨日のブログで書きました。 もちろん僕たちが36年間の支援で関わってきた1000人近くの人たちを見てそう思ったのです。 文科省の調査では無気力・不安が原因の半数以上とのことです。 確かに僕をはじめ、支援したきた人たち全員無気力で不安になやまされていました。 どうして無気力や不安になるのかは、同級生とうまく関われないからです。 関われなくても学校に行く必要があるので不安になるのです。 みんなが行くという学校に自分は行けなくなる。 その後私はどうすればいいのだと不安は…
小・中・高といじめられ続けて不登校。でもフィリピンで大学を卒業しました 無理ですよ。 学校が不登校の問題に取り組むなんて無理なことなんです。 不登校の割合は、小学校で60人に1人、中学校では17人に1人が不登校です。 (文部科学省(2023)「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」から) 中学校では不登校が1クラスに約2人いるという現状。 担任がその2人のために費やせる時間はどのくらいあるのか? 不登校の2人の生徒も大事ですが、他の生徒も同じく大事なのです。 それと不登校の原因とを絡めて考えるといまの体制で学校が不登校児童・生徒に関わる余裕はないの…
規則正しいリズムで生活できる様になりました。 今30歳の青年。 大学卒業後就職したが、まわりとコミニュケーションをとることがとても苦手だった青年。 だんだんと自信のなさから不安が大きくなりとうとう退社してしまった青年。 支援団体に助けを求めた彼は、一生懸命に資格を取った。 そして障害者枠で就職した。 仕事は大変だったが、働ける喜びを感じて一生懸命働いた。 雇用契約期間を全うした後、退社した。 そしてひきこもった。 職場の人たちはとても優しかった。 しかし、障害者枠での採用はどこかでお客様みたいに思われていることを感じて寂しかった。 再び社会に戻るだけのエネルギーはなかった。 そしてひきこもった…
学校に行くことが怖くなって行けなくなりました。 病院にかかったら「しばらく静養しなさい。じっとしているのではなく、体を適度に動かした方が良いです。」と医師からアドバイスをもらいました。 それからあっという間に30年近くが過ぎてしまいました。 今思うと一体30年間何をしていたんだろうと思うのです。 30年近くひきこもっていたことが自分でも信じられないのです。 大学院の方は、母親が学校に何度も掛け合ってくれて、そして色々と手をつくしてくれて、終了となりました。 大学側そして教授には頭があがりません。 しかし、僕は30年という時間を無駄にしてしまったのです。 30年もひきこもった。 35年間ひきこも…
僕は東大の大学院で不登校となってしまった。 理由は周りとうまく関われなくなって、不安が大きくなり行けなくなったのです。 実は小、中、高と不登校になりそうな時はあったのです。 やはり、集団行動が苦手だったり。 図画工作や美術の時間がとても苦手だったり。 恐ろしく不器用なので。 グループ分けでの活動も思い返すととても嫌でした。 でも僕は、小、中、高と不登校ではなかったです。 それはすば抜けて成績がよかったからです。 先生ウケはとても良くて、何かというとエコ贔屓されていました。 そこが僕の学校での居場所でしたね。 みんなからも一目置かれていましたから。 しかし、東大に入りますと、そうはいきません。 …
どうりでセブ市に日本人がいないわけだ 20代の青年の支援が始まります。 もちろん、個人が特定されるような情報を出すことはできません。 彼は20代前半で、中学から不登校でした。 義務教育終了後は、選択肢が通信制高校しかなくてそこに進みました。 週に数日の登校で通信制高校を卒業した後はひきこもってしまいました。 私たちのブログを当事者が見て、ここなら今の自分でも支援してもらえて、社会に戻ることができるかもと感じたそうです。 医療にはかかっていましたが、本人は効果がないと思っていました。 12月に3週間に渡って彼と共同生活をして様子を見ました。 5人のスタッフも同時に様子を見たのです。 その結果、私…