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「咳をしても一人」尾崎放哉の終焉の地を訪ねて ~数奇な運命と生涯を辿る旅~
「咳をしても一人」 「入れものが無い 両手で受ける」 山頭火と並び称される自由律俳句の代表俳人、尾崎放哉の句です。 その人生は、類まれで壮絶なものでした。 小豆島の海。尾崎放哉はこの海をどんな気持ちで眺めたのだろうか。 エリート街道まっしぐら、人も羨む美女を嫁に迎え 公私ともに順風満帆であった放哉。 けれど、運命の歯車はいつしか狂い始め、 放哉は41歳で、小豆島で人生を終えることになります。 貧窮の中、粗末な庵で、孤独のうちに迎えた死。 いったい何があったのか・・・? 小豆島にある尾崎放哉記念館、そして放哉の生涯を 私の個人的な感想を交えながらご紹介いたします。 <参考> 最晩年にたどりついた…
今日は書けそうにないところを無理して書いている。あぁ、また読者が減るんだろうなぁと思う。日常は変わりがなく、相変わらず夜中に苦痛で何度も目が覚め、朝、目が覚めても苦痛で身体が動かない。ずっと横になって過ごすが、その間の苦痛といったら、ない。 どう表現して良いのか判らないが、とにかく酷い。今日は起き上がろうとしても全然ダメで、午後3時半まで寝てしまった。体が鈍っているのかな… とも思うが、これを書いている今現在も疲れは取れておらずダルい。 そして、泣き言を言う訳ではないが、辛いと言う相手もいない。咳をしても一人。私は独り暮らしだし、そもそも、物心が付いたころから祖父母もいないし、親族というのは、…