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須磨のど真ん中、源平ゆかりの広大な敷地に、実にたくさんの心のより所がある。また過去の事案から今現在のネット社会の諸問題までにも目を向ける姿勢は心強く感じた。
高野山の熊谷寺(くまがいじ)は、その名の由来である熊谷直実、その師の法然上人等が逗留され、平敦盛並びに源平総死者供養を行ったお寺です。熊谷直実は、京都で法然の弟子となって修行し、出家して蓮生と名を改めました。建久元年(1190年)は敦盛卿の7回忌に当たるにつき、追善法要を営もうと高野山に登り、父祖の菩提寺であった当寺(当時は智識院)に敦盛の位牌および石塔を建立し、敦盛卿の菩提を弔いました。後年その話を聞い...
須磨寺は源平合戦ゆかりの寺です。源平の庭一ノ谷の戦いでの平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭で、馬上から扇をかざして呼び止める直実と、それに振り向く敦盛の姿がリアルに表現されています。これらの像だけは、震災の時にも壊れなかったそうです。 熊谷直実像直実は、武蔵国熊谷郷の豪族の出身。保元・平治の乱では源氏方でしたが、義朝の死後は一時、平家に仕え、頼朝挙兵後は、再び源氏方につきました。一の谷...
熊谷直実は、はじめは平家に仕えていましたが、石橋山の戦いをきっかけに源頼朝に従い、御家人となりました。後に出家して蓮生(れんせい)と名乗ります。「平家物語」の「敦盛最期」での平敦盛との一騎打ちは、能の「敦盛」をはじめ様々な作品に取り上げられています。京都の金戒光明寺には熊谷直実ゆかりのものがあります。熊谷直実(法力房蓮生法師)鎧掛けの松熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)(1141~1208)は、建久4年(1193)ここ黒谷の法然上人を尋ね、方丈裏の池(鎧池)にて鎧を洗いこの松の木に鎧を掛け出家した。庵は蓮池の畔に建てられ、現在の蓮池院(熊谷堂)である。供養塔は法然上人の御廟前に平敦盛の供養塔と向かい合わせに建てられています。古樹は枯れ、現在の木は二代目です。(案内板より)「平家物語」によれば源平の戦いで、直...熊谷直実鎧掛けの松
美ブルー!JR熊谷駅トワイライトブルー 涼しいぞ熊谷!熊谷直実の騎馬像も美ブルー♪
熊谷(くまがや)のみんなには笑っていて欲しい by ラグビー日本代表 稲垣啓太 美ブルー!JR熊谷駅のトワイライトブルー 熊谷商工会議所青年部の令和2年度(2020年度)の作品 美しい青でライトアップされた熊谷駅北口の熊谷次郎直実の騎馬像 稲垣啓太「熊谷のみんなには笑ってい...